THE FLOWER GARDEN
百合の章05（水仙）
「友達は、見つかったようだね」
ふいに声をかけられたしずかが振りかえると、そこには夏目がいた。そして、しずかはここが薔薇の領土なのだと気付いた。何となく、百合の塔でも眺めていれば雅と繋がっている気になれるからと、ふらふら夜道を歩いて、辿りついた場所だった。
「あんなことになるのなら、話せばよかった」
「夏目は知ってたのか？雅が百合の姫だって」
呟いた一言に思った以上に反応したしずかに、夏目は戸惑った。
「知ってたわけじゃないが、百合に今いる女生徒は姫だけだから、おそらくそうだろうと思った。ごめん」
しずかは大きく目を見開いた。夏目はそれを、自分に対する不信感と感じたが、しずかのそれは日向に対するものだった。
雅が百合にいると言った時、あいつはきっともう、百合の姫が雅であることを知っていたんだ。
いや…。もしかすると、ずっとずっと前から知っていたのかもしれない。
ふと困った表情の夏目に気付いて、しずかは言った。
「別に、夏目は悪くないよ」
ずっと前に気付いて、もっと前に助けていれば、雅はあんな表情はしなかったのかもしれない。
しずかは、あの一瞬の再会のことを思い出した。
「雅。ちょっと痩せてた」
夏目は溜息混じりに答える。
「百合は厳格な組で、速水が完璧主義者だから、大変かもしれないね」
けれど、しずかはそんな夏目の声は聞いてなく、呟いていた。
「…絶対に…」
そして、手に持っている雅からのロケットを握り締めていた。
『明後日の夜１２時。百合の丘でお待ちしております』
そう書かれた紙は、雅からのロケットの中に入っていた。おそらく、速水と日向の目を盗むために、雅が忍ばせたものだった。
絶対に、助けるから。雅。
再会は一瞬だったけれど、自分に伸びた白く細い腕。その雅の表情。そして、しずかを呼んだ声。
絶対に、助けてみせる。そして、こんなところから出ていくんだ。
「夏目。聞きたいことがある」
しずかの凛とした声に、思わず夏目は背筋を伸ばす。
「百合の丘に行くには、一本道以外に、どんな道がある？」
百合の丘は、その名の通り小高い場所にあり、正道となっている道以外には基本的には崖を上らないと入れない。もちろん、その正道には百合の騎士たちが見張りをしており、そのために白百合館は、侵入するのが非常に難しいことで有名だ。放っておくと侵入しかねないしずかを少しでも大人しくさせておくためなの
か、昨日相川がそう説明してくれていた。
夏目は少し躊躇ったが、答えた。
「…この道を進むと、険しい山道になっているけれど、その森を越えれば、そこが百合の丘になる」
「サンキュ」
しずかは礼だけ言うと、すぐに夏目の前から消えていった。
翌日の晩。
空気は澄み切っていて、雲一つないような夜空に、月が浮かんでいた。
しんと静まり返っている中にいると、どうしてもこの世界が現実とは思えなかった雅だが、それでも頬の痛みはまだ残っていた。
窓に嵌められた格子の間から、外の景色を眺める。そこにはまるで樹海のように鬱蒼とした森が広がっていて、その中に、微かな黄色の建物が見えた。
あれが黄仙館。水仙組の中心。そして、しずかさんがいる場所。
ふいにカツカツと足音がして、雅は慌ててベッドに潜りこみ、扉に背を向けて眠るフリをする。パタンと扉上部の小窓が開く音がした。見まわりの騎士が、部屋の中にいる雅を確認すると、また音がして小窓が閉まる。足音が遠のいていった。そしてまた静寂が広がる。
雅はベッドから起き上がったが、そこで大きく溜息をついた。
それにしても、どこに行ってしまったんだろう。あのロケット。
一昨日の晩から、しずかからもらったロケットが消えてしまっているのだ。
日向との面会で、一度は落としたが、それを拾ってもらい、部屋に戻ってきたときま では確実にあった。
その後、速水に叩かれてから、雅はベッドで寝こむように泣き続けていた。そして、今朝目覚めた時、すでにロケットはなくなっていたのだ。
しずかさん…。
そう思った雅の目に、またも涙が流れた。
そしてひとしきり涙を流し終わったことに、泣きつかれた雅は、深い眠りについていた。
しずかは、そっとテーブルに置いてあった二つのロケットを首にかけると、一瞬だけこの部屋を振りかえった。
約３週間。長いようで短い、それはおとぎばなしのお姫様のような暮らしだった。
それも、今夜で終わりだ。
手首に雅のリボンを結び付け、しずかはそっと部屋を出ていった。
夏目のおかげで、百合の丘への入り方はわかっていた。もともと小高い丘の上にそびえる百合の白亜の塔は、その高さもあって、いい目印にはなっていた。森の奥は険しい坂道だったが、背負った木刀が意外にも役に立った。時に道を遮る枝を払い、時に杖代わりにし、しずかはその道を進んだ。
百合の花の香が夜風に乗って漂い始めたあたりから、しずかは着実に自分が雅に近づいていることを感じた。
早く会いたい、雅に。
その気持ちが、しずかの足を速め、注意力を失わせていた。
徐々に木々の緑の奥に、白いものが見えてきた。それが百合であるとしずかが気付いたところで、そこには広い草原となっていた。隙間なく咲き誇る百合の向こうに、白亜の塔が立っていた。
ここが、百合の、丘。
しずかが目印としていた塔は、およそ１０階はありそうな、月の近くにすら感じるほど高かった。
雅…。
何かに導かれるように、雅はその塔に近づいていく。腰の辺りに、百合が当たって揺れ、いっそう香が強く漂った。
やっと。来れた。
雅に、やっと。会える。
塔の横に誰かが現れた。その姿に、しずかは思わず声を上げる。
「雅っ」
白いドレスをまとって女性が立っていた。
遠くて、はっきりと表情は見えなく、ショールを頭から被ってはいたが、しずかはそれが雅だと感じた。
「雅っ」
しずかがもう一度叫び、走り出したところで、突然しずかの目の前が白くなる。その眩しさにしずかは思わず目を覆う。塔の中から、いくつものライトが、しずかに向けられていた。その熱さに、何が起きているのかわからないしずかに、低い声が聞こえてきた。
「侵入者発見」
しずかが顔を上げた瞬間に、飛んできたのは一本の矢だった。
な…んだ…？
矢は次の瞬間から、雨のようにしずかめがけて降ってきた。慌ててしずかは走り出す。すぐそこに雅はいる。だが、しずかは逆方向の森に戻るしかなかった。
どういうこと？雅？
矢はまだしずかを追いかけてくる。森に入る前に、しずかはもう一度振りかえって叫んだ。
「雅っ」
しかし、呼びかけた人物は微動だにしなかった。
その一瞬に、しずかの腕を一本の矢が掠めた。
「…ってぇ」
それでも矢は飛んできていた。顔を上げると、しずかに向かって避けきれないほどの矢が飛んできていた。
やばいっ。
立ちすくむしずかの腕を、誰かが強く引っ張って、しずかは何とかその矢から逃れ、再び手を引かれるままに走り始めた。
「もう充分だろう」
そう言った日向の声を聞いて、速水は止めの命令をした。
一斉に飛んでいた矢が、ぴたっと止まる。白百合館のニ階から様子を見ていた日向は、振り返り速水に言った。
「怪我をさせろとは言ってないぞ」
速水は反省の色もなく答える。
「我が百合の花を踏みつけた。侮辱罪に値する。当然のことだ。
それより、誰かが手を貸したようだが」
相変わらずの正論だと思いながらも、日向もしずかを助けた人物が気になっていた。
「どうせ鞍馬だろう」
そうは答えてみたものの、鞍馬ならば白馬に乗って行動するのが常であるが、その白馬が見えなかったことが気になっていた。
白百合館を出ていこうとした日向に、速水が話しかける。
「成瀬。協力するのは今回が最後だ」
協力ではなく、共犯と言ったのは、速水ではなかったかと思いつつ、日向は軽い笑顔を向けた。階下で、白いショールを外した騎士が、忌々しそうに白いドレスを脱ぐ姿が見え、思わず苦笑してしまったのだ。
「お互いな」