THE FLOWER GARDEN
百合の章04
目の前の男は、速水たちとは異なる鬱金色の制服をまとい、写真よりももっと威圧的な空気を醸し出していた。
何故か速水と碓井がいなくなり部屋には二人しかいなくなる。、雅が不安を感じたところで、そのままの空気通りの低い声で日向が話を切り出した。
「遠山雅…と言われるのと、百合の姫と言われるのと、どちらがいいか？」
雅は、驚いた。そして、必死な目つきで日向を見つめてしまった。
遠山雅。
こちらに来てから、その名前では一度も呼ばれたことはなかった。ただ、姫と呼ばれているだけだった。
「雅、で結構です」
雅がそう答えると、日向は一度頷いてから自己紹介をした。
「俺は、成瀬日向だ。成瀬でも、日向でも、水仙の隊長でもいい。好きに呼んでくれて構わない。しずかは、日向と言っている」
しずかのことも姫と言わないところで、自然と雅は日向に親近感を覚える。
「しずかさんは…お元気ですか？」
その質問に、日向はこぼれるように笑った。そのひどく幼く思える笑顔に、雅はどきりとした。
「まあ、今日も百合の騎士を３人ほど倒したくらいだからな。今日は、しずかが無礼なことをした。申し訳ない」
その笑顔が、雅には救いにも思えた。
そういえばここに来てから、自分も含めて、誰かの笑顔なんて見たことがなかった。
「いえ…」
もしかしたら、この人は私を救ってくれるかもしれない。
ここから、救い出してくれるかもしれない。
「あの…っ」
思いきって顔を上げた時、雅が見たのは、窓ガラスに映った速水の姿だった。
速水は開け放たれた扉から、こちらを覗いていた。決して部屋を出ていったわけではなかったのだ。そして、日向の位置からは、もちろんその速水が見えていたはずだ。
ショックの為に、緩んだ手からはしずかからのロケットが床に落ちていた。日向はそれを拾うと、雅に渡しながら聞き返した。
「同じ物をしずかも持っていたと思うが」
「ええ…。私がもらったんです。しずかさんから…」
だめ。言えない。
あげた顔を俯かせると、碓井の声がして、雅は日向との面会が終わったことを知った。
どうすれば、あの人と、成瀬日向さんともう一度会えるんだろうか。
そして、話ができるんだろうか。
私を、ここから救ってください、と。
「何を考えている」
突然扉が開いたかと思うと、速水の声が雅の独房に響き渡った。雅は反射的に、やってくる速水から視線を逸らす。
「まさか、成瀬のことではあるまいな」
いつもより、心なしか速水の息が荒い気がした。
「…違います」
速水は、テーブルに置かれているロケットを見つけると、それを忌々しく睨みつけた。何も言わない速水に、雅は思わず口を開いた。
「あの…。お願いがあります」
「何だ」
「しずかさんとお話がしたいのです」
速水の表情は変わらなかった。
「その必要はない」
「ではせめて会わせてください」
いつもと違い、執拗に迫る雅が速水は忌々しかった。
それも、日向に会った為であるように思えた。
会わせるべきではなかったのだ。
いくら、計画の為と言われようとも。
「お前は我が百合の姫だ。水仙の姫と会う必要はない」
「私は…私には、姫じゃなくて、遠山雅という名前があります。
お願いします、私をここから出してください。私を返してください。もとの世界に」
無表情の速水に、雅は立ち上がって言い寄った。
「ここはただの夢の世界なんです、私がいる世界はここじゃなくて…っ」
言い終わらぬうちに、速水が容赦なく雅の頬を叩いていた。雅は、その華奢な体を床に投げ出され、膝を打ち付けていた。それにしても、頬の感覚が麻痺するほどに痛んでいた。
「痛むか？」
またも速水の無情な声が響く。痛みで雅が返事できずにいると、速水はテーブルのロケットをポケットに忍ばせて言った。
「ではこれは現実だな。お前がいる、現実の世界なのだ」
扉が閉まる音がして、雅は静かに涙を流していた。
黄仙館に戻ってきた日向は、扉を開ける前に突然開けられて咄嗟に身構えようとして、目の前に立っているしずかに気付き、力を緩めた。
「出迎えてくれるとは、明日は雨が降るな」
「雅はっ？」
日向の皮肉も耳に入れない様子で、しずかはそう聞いた。
ふうと溜息をつき、自分の部屋に向かい始めた日向を、しずかは追いかける。
「なあ。行ったんだろ？白百合館。会ったんだろ？雅に」
「目的はそこじゃない」
しずかは日向に付いて、日向の部屋にもずかずかと入ってきた。そして、椅子に身を投げ出した日向をただじっと待っている。
日向は、もう一度溜息をつくと、テーブルに速水から受け取ったものを投げ出した。
「彼女からの伝言だ」
しずかは慌ててその物と取った。それは、しずかが雅にプレゼントしたロケットだった。
「これ…」
「お前があげたものだそうだな。返すようにと言われた」
さらりと言った日向の顔を、しずかは見返した。それに答えるように日向は続ける。
「昔の自分との関係は、忘れてほしいそうだ。これからはただ、お互い姫として競っていこうと言っていた」
嘘だ。
あの時、あたしが見つけた時、雅はあたしに手を伸ばしていた。
「直接、会ったのか？」
「ああ。僅かな時間だったけどな」
しずかは立ちあがる。
「嘘だ。雅はそんな女じゃないっ」
日向はしずかを無視し、制服の首元を緩めた。
また、お得意の嘘か。
しずかはそのまま部屋を出ようとすると、日向の声が追いかけてきた。
「百合には入れないぞ。今日のことでお前は公式でも百合への侵入禁止が言い渡された。第一姫が拒否するはずだ」
扉を勢い良く閉めきると、日向の声も聞こえなくなりしずかはいくらか落ち着いた。
そして、持ってきたロケットを握り締めた。渡したときは、新品同様だったのに、今はシルバーの輝きが多少失われているように思えた。
雅…。
ロケットを開けたところで、しずかは息を呑み、周りに誰もいないのを確認すると、そそくさと自分の部屋に戻っていった。