THE FLOWER GARDEN
百合の章03（水仙）
「…姫、姫っ」
ふと、名前を呼ばれてしずかが顔を上げると、そこには石崎がにらみつけていた。
「貧乏揺すりはお止めください」
しずかはふと自分が、がたがたと足を鳴らしていたことに気付く。
「しゃーないだろ？癖なんだから」
「姫として相応しくありません。今日のことだって…」
「あー、うるせーっ！」
またも石崎が説教を始めそうになって、しずかはそう叫ぶと、すくっと立ちあがった。途端に相川も立ちあがり、神妙な面持ちでしずかに尋ねた。
「どちらに行かれるのです？」
「百合に行く。日向のことなんか待ってらんない」
競技会はしずかの一件があって、中止になっていた。無理やり黄仙館に戻されたしずかが、何とか百合に行こうとした時、日向が今行っているということを教えられたのだ。戻ってくるのを待つようにと、半ば監禁されるように広間に押し込められ、周りを騎士に囲まれてから、もう１時間が経っていた。
扉を開けて出ていこうとしずかの腕を、騎士の一人が掴んだ。思わずしずかが振りかえると、そこには髪を金髪に染めている騎士が睨みをきかせていた。一目見るだけだと、まるでここに来る前の仲間のようだった。
「隊長はお前の尻拭いをしに、わざわざ百合に出向いてるんだ。それも待てねぇのか？」
尻拭い？としずかが怪訝そうな顔をすると、その男は話を止めさせようとする相川を無視して言った。
「お前の常識はずれの行動のために、速水なんかに頭下げに行ってるってんだよ」
乱暴な口調に、しずかは少し驚いた。
この世界で、この学校で、そんな口調の人間は自分だけだと思っていたのだ。
「雅は友達なんだ。友達に会いに行くのに何が悪い？」
「人に会うのは勝手だが、他人に迷惑かけんじゃねぇ。今のお前の行動は、全て隊長の意志だと思われるんだ」
「んなこと頼んでない」
「姫となったら、そういうことになるんだ。おい、石崎。お前そんなことも教えてないのか？」
石崎が溜息をつく。
「話せばわかる姫だったら、こんなことにはなってない」
振りかえったしずかに睨まれ、石崎は顔を背ける。騎士は呟いた。
「なるほど。相当てこずってるってわけか。甘いな、隊長も」
カチンときたしずかが、騎士に無言で近づくとその顔を思いきり睨みつけた。
しかし、その騎士はしずかの行動に動じることもなく言った。
「いいか？お前は水仙の姫だ。そして、お前の言う友人は、百合の姫だ。
立場を理解して、自分勝手な行動はすんじゃねぇ」
「立場って何だよ」
「昔は友達でも、今は敵同士だって言ってんだ。お前は違っても、向こうはそうは思っちゃないぜ」
分かったような言い方が許せなかった。
何か言い返したかったが、問題を大きくする時間もないと思った。
雅は見つかった。
だから、あとは雅を救い出して、ここからおさらばするだけだ。
「お前、名前は？」
しずかの問いに、騎士は答える。
「吉沢だ」
日向が待っていると、扉がノックされ、まず碓井が姿を現した。
「姫がいらっしゃいました」
椅子から日向が立ちあがると、碓井の開けた扉から、雅が姿を現した。
予想はしていたが、ここまで似ているとは。
姿形はもちろんのこと、品を漂わせる空気までもが佳乃に似ていた。
じっと雅を見つめる日向に気付いてか、速水は睨むようにその動向を見ていた。雅が日向の前に立ち、日向は膝を曲げ、深く頭を下げる。そして雅が規則通りに差し出した手を日向が取って、キスをする。
その一瞬一瞬を、速水はじっと見ていた。
特に会話もないままに、二人が席に就いたところで、日向が速水を睨み返した。その目は、命令していた。速水は仕方なく、さっと立ちあがると踵を返して部屋を出ていった。それに碓井もならい、ついに部屋には日向と雅だけになった。
梢は、鞍馬を探していた。
競技会から戻ってきて、梢はいろいろなことを鞍馬に聞きたかったのだが、競技会の中断を聞かされてから、姿が見当たらなかったのだ。
部屋にも、青菫館にもいない。
あとは？
菫の草原だろうかと外に出ると、馬の嘶く声が聞こえ、梢はふと鞍馬が大事にしている疾風という白馬を思い出した。
菫の騎士というのは、団結を大事にしている。それゆえ単独行動しないのが常であるのだが、鞍馬に関しては、隊長という身分のせいなのか、一人で動くことがほとんどであった。唯一、鞍馬と一緒にいることが多いのが疾風である。
もしかして、厩かしら。
梢はこっそりと厩へ向かった。
どうしても、聞きたいことが梢にはあった。
騒動が起こる前、鞍馬は機嫌がいいのか、笑顔を絶やさなかった。そして、競技が始まり少ししてから、
「ちょっと出てくるからね。君は観戦を楽しんで」
とだけ言い残し、梢を置いて出て行ってしまった。それから数分後に、例のしずかの事件が起きた。もちろん、菫は被害に遭ったわけではないのだが、鞍馬の帰りを待っていた梢の前をしずかは走り抜けていったし、それからすぐに鞍馬が戻ってきたのだ。しかも、その笑顔は、先ほどよりも眩しいほどだった。
何を、してきたんですか？
何度もそう聞きたかった。
水仙の姫の騒動は関係しているのですか？
聞いてどうなるものでもなかったが、梢は前にしずかに言われたことが忘れられなかった。
本当の櫂人様。
もし水仙の姫が知っていて、私が知らないのであれば、私は知りたい。
厩を覗くと、そこには白い馬と鞍馬の背中が見えた。声をかけようとした梢は、いきなり聞こえてきた笑い声に、思わず後ずさりした。
「ハハハッ、ハッハッハッハッハッ」
腹を抱えて大笑いしている鞍馬だった。それは確かに鞍馬で、確かに笑っていた。けれど、梢には、その笑顔がいつもの鞍馬と違うように思えた。
あの、春の陽射しのような温かい微笑みじゃない。
顔を歪めて笑う鞍馬は、確かに楽しそうだった。けれど、その笑顔は、決して美しいものではなく、むしろ醜くすら感じられた。
梢は声もかけられずに、しばらく笑い続ける鞍馬を見つめていた。