THE FLOWER GARDEN
百合の章02
開口一番に、速水は大声で言った。
「随分なことをしてくれたものだな、成瀬」
騒動の後、雅は馬車に乗って白百合館へと戻ってしまったのだが、しずかは自分を捕らえようとする百合の騎士二人に怪我を負わせた。そこにようやくかけつけた相川たちがしずかを捕らえて、その場は何とか収まったのであった。
それで終われば良かったものの、そのしずかの見事な剣さばきに、観衆だけでなく、競技者からも拍手が寄せられた。
速水が受けた屈辱は相当なものである。
「せっかくの計画を崩したことは、謝る」
軽く頭を下げる日向に、自分の方が上だとでも言うように速水が言った。
「全く、礼儀も知らぬ女だな」
日向は頭を下げたままに速水に言った。
「それを言うなら、お前のところの騎士も、訓練し直したほうがいいんじゃないのか？一人の女に男３人が、あっという間に倒されたとなれば、陛下も安心して眠れないだろう」
顔を怒りで赤く染め、椅子から立ちあがろうとした速水を、側で控えていた碓井がひき止める。
「隊長」
速水はじろりと日向をにらみつけていたが、いくらか落ち着いたようで、椅子に座った。
速水との会話には、裏の駆け引きはいらない。
必要なのは、皮肉と厭味だけだ。
日向はそう思いながら顔を上げる。
「提案がある」
「提案？」
速水と碓井の顔つきが微かに変わる。
日向はまっすぐに速水を見据えて言った。
「お前にとって、うちの姫は危険人物だ。遠山雅と個人的につながりのある人間として。違うか？」
速水は、しずかにひかれるように伸ばしていた雅の手を思い出す。
「同じように、うちにとっても、遠山雅は危険人物だ」
速水はそのまま日向の出方を見ることにした。日向はいつも核心に触れるような話し方を頭からはしない。
「それで、何だ？」
「二人の仲を、ここで壊しておく方がお互いのためだと思わないか？」
その提案に速水はしばし考え込んだ。
「…共犯というわけか？」
「取引と思ってもらいたい」
先ほどとは違い、日向は速水の上に立っていた。そういう日向の態度に速水は苛立っていた。
「手を引くといえば？」
日向は笑った。声もなく。
「うちの姫が遠山雅をさらいに行くだろうな。そして二人で逃走を謀るだろう。それくらいのことをやらかしそうな姫なもんでね」
今日の行動がそれを裏付けていた。もちろん、雅を探すしずかの行動力を速水は以前から知っていた。
速水は鋭く言う。
「お前がきちんと管理していればいいだろう」
しかし、そんな厭味も簡単に日向は跳ね返す。
「うちは自由主義だ。そして、百合の騎士たちはうちの姫には歯が立たないときてる」
「…隊長っ」
碓井の声が速水に届いて、一歩日向に迫りそうになっていた足を止めさせた。そのままで日向は話を続ける。
「姫が計画すれば、実現する可能性は高い。仮に逃げたとして、それが失敗に終わっても、うちの姫は自分を楯にしても、遠山雅を逃がすだろう」
ふんっというと、速水はようやく椅子に座った。
「姫は逃げ出す理由がない。仮にあの野蛮な女が姫の前に現れても、ついていくことなどない」
「鞍馬がいう噂によると、百合の速水隊長は、女性をいじめるのが趣味らしく、姫をよなよないじめているそうだ。あながち噂でもないだろう」
またまた速水の顔が真っ赤になる。後ろで碓井が冷水をかけるような声で言った。
「隊長。お座りください」
鞍馬の話は、もちろん日向の作り話だ。
単にかまをかけただけなのだが、それに速水はひっかかった。
椅子に腰を落ち着かせた速水だったが、それでも日向の話にそのまま乗ることをためらっているようであった。
「今回のことも、鞍馬が仕組んだこと。この逃亡計画に鞍馬が加われば、あいつの思う壺だ」
雅の存在を教えたということで、おそらくしずかは鞍馬を信頼してしまっているだろう。鞍馬にしても、水仙と百合の姫がいなくなれば、それだけ敵が少なくなるということだ。
「わかった」
速水は、そう答えるしかなかった。
競技会から戻ってきた雅は、しずかからもらったロケットを握り締めて思っていた。
まさかしずかさんが、水仙の姫だなんて。
雅は、前に速水から手渡された資料のことを思い出す。
速水はそれを、まるで落ち葉のようにテーブルに投げ捨てていった。
「薔薇組隊長、夏目優。性格は温厚、控えめ。器の小さな男だ。たいした敵ではない」
写真の中の、まんまるとした瞳と、口角のあがった丸い唇。優しい顔立ちに雅は安心をする。
速水さんもこんな顔だったらよかったのに。
速水はもう一枚の写真を見せる。
はっきりとした目鼻だちの、華のある美人だ。口の大きさが、品のある顔を、少し色めいて見せていた。
「薔薇の姫、白鳥華夜乃。男好きの淫乱」
一度名前を碓井から聞かされたことがあった。その美貌から有力候補だと言っていたことを思い出し、雅は納得する。
「菫組隊長、鞍馬櫂人。策士だ。そして、菫の姫、村松梢」
優しそうに甘く微笑む美少年に、雅はどきっとしたが、すぐに鞍馬の目が笑っていないことに気付く。
じっと雅がその写真を見ていると、速水がその上にもう一枚の写真を投げた。それは控えめに笑う、黒めがちな瞳が愛らしい女の子だった。
かわいらしい人。
そう雅が思っていると、速水はその上に、更に写真を乗せた。
それは、厚ぼったい眼鏡に三つ編みの冴えない女の子だった。
「鞍馬と出会う前の村松梢だ。１日で鞍馬が変えた」
その変貌ぶりに、雅も驚く。
まるっきり違う人物に思えたのに。
そして速水は、そこに、次の写真を乗せた。
そこには、少し斜に構えた感じのする男が写っていた。不揃いに切られた前髪の奥から、こっちを見据えている瞳に、雅は思わず引きこまれそうになる。
「水仙組隊長、成瀬日向。一番食えない男だ」
そう言って速水はもう一枚写真を手にしたが、その写真を見ると顔をしかめてテーブルに乗せるのを止めてしまった。
「水仙の姫は問題外だ」
雅はその写真も見たいと思ったが諦めた。速水が自分の思い通りに事が進まないと、怒って辺り構わず怒鳴り散らす性格であることを、その頃にはもう理解していた。
「有力だといわれているのは、薔薇の白鳥華夜乃だが、私はそうは思わない。姫に対してもそうなのだが、夏目が勝てるわけがない。その裁量はあいつにはない」
そう言って、速水は夏目と華夜乃の写真を破り捨てる。そして次に菫の写真を手にした。
「頭があるのは、鞍馬だが、姫の印象が弱い。水仙は姫から言って、落ちたも同然だ」
そういうと、それぞれの写真を同じように破り捨てた。中でも日向の写真は、踏みにじりさえもしていた。
速水はそう言いきったが、雅にはそうは思えなかった。
日向のあの目は、諦めてはいないように思えた。
むしろ、何かを考えている目だ。
「我が百合には、伝統と、妃に相応しい威厳がある。現桜王宮で忘れ去られている品格というものを、持っているのは百合以外にはありえない。
お前は、前妃森宮佳乃様のような品を身につけてもらう。そして、佳乃様のような妃になるのだ。絶対に」
雅は首を縦に振る自信も、希望もなかった。
それは今でも変わらない。
ふいにノックがなされ、雅が顔を上げると、碓井が立っていた。
「隊長がお呼びです」
部屋の外に呼び出されるのが、初めてだったために雅が戸惑っていると、碓井はこうも付け加えた。
「水仙組隊長、成瀬様がお会いになりたいとのことです」