THE FLOWER GARDEN

百合の章12

　目が覚めると、隣には裸の肩が見えていた。
　櫂人様。
　梢はそう呟く。鞍馬の肩は、規則的に上下しており、軽く寝息も聞こえていた。
　これが、幸せだ。
　梢ははっきりとそう感じた。
　隣に鞍馬がいることこそが、自分にとっての幸せなのだと。隣にいてくれ、そして笑ってくれれば、それでもう充分なのだ。
　そして、昨日の夜の出来事。それは、いっそう梢の鞍馬に対する気持ちを強めることになった。
　何度も梢を抱きしめ、口付けし、体を求めてきた鞍馬。
　櫂人様にとって、私は必要な人間。
　梢はそう思いながらも、鞍馬の背中をじっと見つめた。
　これが、本当の櫂人様。
　私だけが、知っている、本当の。
　肩に触れると、何もかかっていなかったせいか、冷たくなっていた。梢は自分の体を鞍馬に寄せた。




　鳥のさえずりと、明るい日の光が、朝を告げていた。
　ふっと、右手が自由になった。と思ったら、次にはところどころ剥き出しになった背中に何かがかぶされた。それが毛布だと雅が感じるのに、そんなに時間はかからなかった。そっと目を開ける。そこには、心配そうに雅を見つめる碓井がいた。
　二人は無言のままでいた。だが、碓井が先に口を開いた。
「…怪我の治療、しましょう…」
　その手が雅の腕に直に触れた途端、雅はその手を大きく振り払っていた。
「いやぁっ」
　碓井が手にしていた消毒液のビンが床に落ちて割れた。
　雅はかけられた毛布に包まったまま、碓井から逃れるようにベッドの隅に動くと、そこで震えながら叫んだ。
「出ていって…。出ていってっ」
　それから、すすり泣く声が部屋に静かに響く。
　碓井は、黙り込んだままに割れた破片を拾うと、膝を抱えてうずくまっている雅をもう一度見つめた。
　ずっとベッドの端にロープで繋がれていた右手首には青い痣ができていたし、今は見えないが口の端が切れて流れた血痕は、そのままに黒く残っていた。
　もともと細い体だったのに、この軟禁生活のせいか、更に痛々しいほどに雅はやせ細っていた。
　碓井は手を伸ばし、乱れた髪に触れようかとも思ったが、雅は全身でそれを拒否していた。
　結局碓井は、声もかけずに、そっと雅を一人にすることしかできなかった。
　扉が閉まった途端、雅は更に声を上げて泣いた。昨日、もうこれ以上は泣けないというほど涙を流したつもりだったのに、それでも涙が流れていた。昨夜、速水から受けた屈辱が体の至る所も痕を残していた。それが痛むたびに、雅に記憶が蘇り、体が震え、涙は止まらなかった。
　どうして。どうしてあたしがこんな目にあわなきゃいけないの？
　どうして？
　ふと、雅の視界に、日の光に輝くものが見えた。それは、割れたビンの破片で、碓井が取り残したものだった。
　もう、こんなのいや。
　裸足のままで床を歩く。その破片は光を綺麗に反射していた。雅が手に取ると、思った以上に軽かった。
　もう、いや…。
「お止めくださいっ、姫っ」
　破片を左手首に押しつけて力の限り引こうとしたところで、扉が開き、碓井がかけ込んできた。
「離してっ」
　それでも、碓井の力は強かった。
　雅の両手を掴むと、強く握り、そして雅から破片を奪い取る。同時に、雅は昨夜の速水の力を思い出してしまう。
　どんなに抵抗しても、結局はかなわなかった…。
　声を上げても、誰も助けてはくれなかった。
　そして…。
　そして、私は…。陵辱された。
　あの男に…。
　私は…。
　すとんと床に座りこむと、雅は嗚咽し始めた。雅の抵抗を受けて、頬をその破片で切っていた碓井だったが、そんな雅を目の前にすると、叱ることも慰めることもできなかった。




　誰かが自分を揺すっていた。寝返りをうつと、薄く開けた目に強い陽射しを感じた。
　…朝だ。
　ばっと起き上がると、しずかの寝ていたソファの横に君江が立っていた。
「…君江。おはよう。調子は？」
「すっかりよくなりました。姫のおかげです。大きなベッドで寝かせていただきましたし」
　君江はにっこりと微笑む。しずかは照れくさくなった。
「別に…そんなことないけど、でもよくなってよかった」
　あの後、しずかは1時間遅れて待ち合わせの場所にいったが、当然のように雅はいなかった。1時間ほど待ってみたが、結局諦めて帰って来たのだ。そもそも、雅が百合を抜け出せたかも、わからないままだった。
　でも、時間に遅れたのはあたしだ。
　あたしが、君江を置いて行けなかったからだ。
　そんなことをソファで考えながら、いつのまにかしずかは眠っていたのだ。
「さあ、朝食にしましょう」
　にっこりとそう微笑む君江を見て、しずかは安堵感と、後悔を覚えていた。