THE FLOWER GARDEN
続水仙の章06（菫）
「ご機嫌いかがかな？」
「櫂人さまっ…」
ノックと共に、笑顔でやってきた鞍馬に、梢は飛び上がるほど驚いた。
「何か探しているのかい？」
まるで泥棒が入ったように、部屋中にいろいろな物が散乱しているのを見て鞍馬はそう言った。
梢は慌てて鞍馬の目の前に立ち、なるべく部屋をのぞかれないようにと思ったが、鞍馬はそんな梢の肩に手を置くと、するりと部屋に入ってしまった。
「あの…。ちょっと、髪留めを無くして…」
本当の探し物は、菫の勲章だった。今日の舞踏会には必ずつけてなければならないのに、昨日の夜からなくなっていた。もし、どこかで落としてしまったとして、それがもし薔薇の園であれば、大問題である。部屋に落としていれば、と期待をした梢だったが、残念ながら見つかりそうもない。
梢の嘘を、腕組しながら聞いていた鞍馬はこう答えた。
「それは困ったね。もしかして今日の舞踏会でつけるものかな。では僕も手伝おう」
断る隙もなく、鞍馬はしゃがみこんでしまう。
梢は、それでもいいです、とはすぐに言えなかった。
久しぶり。この部屋に櫂人さまと二人きりなんて。
梢が鞍馬に抱かれ、その幸せを手に入れたのだと思った日から、鞍馬は梢の部屋にやってこなくなった。もちろん、梢から鞍馬のいる執務室に出向くことはで るし、話し掛ければいつもの笑顔で鞍馬は答える。自分の部屋に来てほしいと願えば、やってきてくれる。だが、その時部屋には必ず他の騎士がいる。
どうして。
梢はその答えを求めるように、ある夜、鞍馬の寝室に向った。だが、そこに鞍馬はいなかった。ただ、静まりかえった部屋に、冷たいベッドがおかれているだけだった。
どうして。
どこに櫂人さまはいるの？
…他の女のところに？
そう考えた梢は、鞍馬にどこに行くのか質問するのではなく、こっそりと後を追うようになっていた。
「…見あたらないね。どこなんだろう」
ふいに鞍馬の独り言とも思える声が聞こえてきて、梢は慌ててポケットにあったバレッタをベッドの奥に投げ入れてから、身をかがめて声を上げた。
「あっ、ありました。こんなところに…」
しゃがんでいた鞍馬は振り返り、にっこりと優しい笑顔になる。
「そう、よかった」
梢は胸が痛んだ。嘘をついたという罪悪感だった。
が、それよりも、昨日鞍馬が緋薔館に行ったことが気になっていた。そこで鞍馬を出迎えたのは、あの白鳥華夜乃だったのだ。
「僕の顔になにかついてるかい？」
いつの間にかじっと見つめていたらしい。梢は赤い顔になると、慌てて視線を逸らした。
「いえ…」
それでも、気になる。梢より先に鞍馬に菫の姫候補として目をつけられていた白鳥華夜乃。
実のところ、昨日の夜もあまり寝ていない。
思いきって、梢は口を開いた。
「昨日の夜−」
「昨晩−」
鞍馬と声が重なった。
顔を上げた梢は、驚いた表情の鞍馬と目が合う。
「昨日の夜、何だい？」
先にそう言ったのは鞍馬だった。
「櫂人様から先に言って下さい」
「レディーファースト。君からどうぞ」
仕方なく、梢は自分から話を切り出した。
「あの。昨日の夜、どこかにいってらしたんですか？お部屋に伺ったらいらっしゃらなかったので…」
一瞬だけ、鞍馬の目が慌てるのを梢は見逃さなかった。それでも、鞍馬はすぐにいつもの笑顔に戻って、それから少し悲しそうな表情を浮かべた。
「昨日の夜は、疾風の様子がよくなくってね。心配で診てたんだよ」
梢は唇をかみ締めた。
「そして、それから所用で薔薇の夏目を訪問した」
夏目隊長に？
でも、出迎えたのは、相手をしていたのは華夜乃だ。
本当に？夏目隊長に会うために？
俯いた梢に、鞍馬が独り言のように言う。
「それじゃ、但野が言っていたのはそのときだったのかな。君が、この部屋にいなかったっていうのは」
梢はどきりとした。
ばれてないと思っていたのに。
「ええ、そうです」
震える声で答えると、鞍馬はいつもの笑顔に戻っていた。
「ならいいんだ。君が変な夜遊びでも覚えていたら困ると思ってね。水仙の姫のように」
最後の言葉は厭味にも聞こえた。
鞍馬は気づいていた。
梢が、ついに自分を追いかけるまでになってることに。
叱ることはないだろう。
一度言えば、同じことを二度とするほど馬鹿な女ではない。
「それじゃあ、あと何時間で舞踏会になるから、準備をしないとね。
今日はもしかすると陛下がいらっしゃるかもしれないんだ。姫なら、陛下のお心も奪われるだろう」
鞍馬はそう言うと、さっさと部屋を出ていった。梢は小さくはいと返事をして、扉が閉まった。
小さく安堵のため息をついた途端に、梢は誰かに羽交い締めにされた。
口にも手があてがわれて、声も出せない。
「静かに。
あなたが静かにすると約束してくれるのであれば、この手は離します」
男の声だった。しかも、しっとりと優しい声。
「約束、できますか？」
梢が何度も頷くと、ゆっくりと手が離れた。
「手荒なことをして申し訳ありません」
振り返ると、そこには薔薇の隊長、夏目がいた。驚きのあまりにしゃがみこんだ梢と、視線を合わせるように、夏目もゆっくりとしゃがみ、菫の紋章を差し出した。
「これは、あなたのものですね」
はっとして梢が顔をあげる。夏目の顔は、笑顔でなくとも優しそうだった。
「薔薇の園で落とした物です。安心してください。鞍馬は正式な用事で緋薔館にやってきました。生憎私が不在だったために、姫が相手をしてましたが」
夏目は鞍馬がやってきた途中から、この部屋のバルコニーで中の様子を伺っていたのだ。
夏目に自分の鞍馬への気持ちがばれてしまったことに気づき、梢は顔を赤らめた。それから、夏目の手を借りて立ちあがると、そのままベッドに座りこんだ。
夏目が少し心配そうな顔をしている。
「話は、それだけではないのですね」
梢がそう切り出すと、夏目は口を開いた。
「昨晩聞いたこと、見たこと、全てを忘れていただきたいのです。もちろん私も忘れます。昨日のことも、今日のことも」
それが一番いい方法であることは、梢自身もわかっていた。
「…わかりました。忘れます」
その言葉を聞いて夏目は梢に一礼すると、バルコニーから青菫館を出ていこうとした。
それを梢はなぜか引き止めた。
「夏目さん、でしたよね」
「はい」
夏目は振り返る。
「私たち、きっと同じですね。同じ、気持ちですね」
梢の言いたいことは、夏目にもわかった。
忘れるのが、お互いの好きな相手の為に一番いいということ。
なぜなら、お互いの立場からは、その想いは報われないものだから。
そして、それでも密かに想い続ける決意を固めたということも。
「ええ」
頷いた夏目を見て、梢も安心したようだった。
「もう二度と、あなたとこんな時を過ごすことはないと想います。さようなら」
「…さよなら」
梢はそう言って、消えていく夏目の後姿を見ていた。
会場には、すでに騎士たちとそのパートナーで華やいでいた。姫と隊長だけが、まだ姿を現していない。
その中で、宮内真理恵は一人、にやりと微笑んでいた。
つい三日前まで、歩くことすらままならなかったような西御寺しずかが、今日踊れるはずもないわ。
ましてや、ドレスを着こなすことすら無理。
そこで、ようやく日向様は後悔なさるのよ。私を姫に選ばなかったことを、ね。
そのとき拍手が響き、それぞれの隊長が、姫の手を引いて現れ始めた。
初めは薔薇だった。
華夜乃は、差し出された夏目の手を見ると、その手を取る前にこう言った。
「ねえ、夏目さん。あなた、さきほどどちらにいらしたの？」
華夜乃は、四日連続で姿を消した夏目の行き先が気になって仕方なかった。それは副隊長の戸田も同じだったようで、先ほどもいきなり姿を消えた夏目に、慌てふためいていた。だが、夏目は答えなかった。そして、この華夜乃の答えにも、戸惑いを見せるだけだった。
「ええっと、ちょっと所用がありまして−」
「所用？」
華夜乃が更に質問する前に、富樫が華夜乃の背中を押した。
「さあ、姫。皆がお待ちです」
そして、耳元で囁く。
「今日の貴方は、まるで女神のようです」
艶やかな富樫の笑顔。だが、華夜乃は、そんなことより夏目の答えが気になっていた。だが、夏目に手を引かれ、仕方なく問い詰めることを諦めた。
赤を基調としたドレスは華やかで、そして胸元と背中を大きく開けた大胆なデザインは、いっそう華夜乃の魅力を引きたてていた。そして、その隣で、夏目はいつも以上にかすんで見えると、富樫は思っていた。
華夜乃と夏目はフロアを大きく凱旋すると、上座に用意されている椅子向う。そして座る前に大きく一礼すると、拍手が１段と大きくなった。振り返ると富樫が華夜乃の椅子を引いて待っていた。その笑顔に、華夜乃も答えてはいたが、気持ちは富樫に無かった。
次は百合だった。差し出された手を、雅が受け取らずにいると、速水は反対に雅の手を掴んだ。
「ぐずぐずするな」
速水の低い声が響く。雅は泣きたい気持ちを耐えた。
あの人に、会うまでは我慢する。
何を言われようと、何をされようと。
陛下が舞踏会に来ると聞いてから、雅はこの日の為にかなりレッスンを頑張った。陛下が来ると言うことは、近衛の人間が来ると言うことでもあるのだ。
もしかしたら、あの人が来るかもしれない。
それだけが、今の雅の支えだった。
会場に雅が現れると、そのざわめきは拍手をかき消してしまうほどだった。
「本当にそっくり」
「生き写しじゃないのか？」
雅には、それが誰のことを言っているのかもうわかっていた。以前は重荷だったのだが、今の雅には、それを利用するしかない。
そうして、妃に選ばれて、そして桜王宮であの人を見つける。
それまでの姫だし、妃なのだ。
「ねぇ、あのドレス」
そこかでそんな声がした。
雅のドレスは白を基調に、気品溢れるデザインだった。まるでウエディングドレスのようだ。スタンドカラーと、袖の揺れるレースが印象的だった。華奢になりすぎた体を覆うような純白は、雅の体をふっくらと見せている。
「以前、佳乃様が着ていたのと、とてもよく似てるわ」
速水の命令通り、佳乃の着ていたことのあるドレスと、ほぼ同じデザインであるこのドレスは、雅は決して劣っていなかった。そこにある速水の狙いは、誰の目にも明らかだった。
三番目は菫だ。
鞍馬に導かれても、明らかに梢は緊張していた。
重ねた手は震えているし、顔は強張ったまま。
ふいに梢は自分の手を握る鞍馬の力が強くなったのを感じた。
「安心していい。僕がいる」
伝わる手の温かさと笑顔に勇気付けられて、梢はいくらか緊張をほぐした。
会場からは溜息がこぼれる。皆、鞍馬の優雅な身のこなしと、梢の可愛らしいドレスに目を奪われていたのだ。
梢の青のドレスは、腰に大きなリボンをあしらい、細部にまでこまかいギャザーをつかったドレスだった。それが少々気後れしている梢によく似合っている。
そして、最後が水仙。日向としずかであった。
「一言、アドバイスだ」
日向の差し出した手を、しずかはぶつくさ言いながらも取ったとき、日向がそう言った。
「背筋を曲げるな。俯くな。ピンと真っ直ぐに立ってろ」
「一言じゃねぇじゃん」
「言いたいことはひとつだ」
「そうすりゃ転ばないとでも言うのかよ」
しずかはふくれている。夏目の特訓の成果は多少はあったものの、それでも踊るとなるとまだしずかは転ぶ。
「転ぶときは転ぶもんだ」
「じゃあ転んだら、どうすんだよ」
すると日向は当然という表情で言う。
「立ちあがればいい。それだけだ」
何か言い返そうとしたしずかだったが、いい言葉が浮かばずに、日向に手を引っ張られた。
しずかが現れたとき、会場は静まりかえっていた。それから、急にざわめき出した。それは驚愕と、感嘆で、しずかに向けられたものだった。
「そんな…」
宮内はそう呟いていた。
しずかは、ドレスと共に輝いていた。結い上げた長い髪につけられたキラキラ輝く髪飾り、耳で揺れるピアス。ドレスに着られることもなかった。完璧に、ドレスを着こなしていた。
次第に拍手が起こり、それは今までで一番大きくなっていく。その中で、しずかは椅子に座った。横を向くと、雅と視線が合った。笑いかけてみたが、雅はすぐに視線を逸らした。項垂れそうになったが、自分を見つめる夏目の視線に気づき、しずかは笑いかけた。夏目は、その笑顔に答えようとしたが、ふいに日向に睨まれて、姿勢を正した。
こうして、会場には四組八名が登場し、整列をしたのだった。