THE FLOWER GARDEN
続水仙の章05
普段着に着替えたしずかが、宮内からもらったドレスを持って寝室を出ると、部屋には日向が立っていた。
しずかに叩かれた頬が赤くなっている。その腫れを見て、しずかが少しだけ心を痛めていると、日向がしずかの恰好を見て、軽く言った。
「そんな似合わない服、早く捨てろ」
むっとしたしずかは、また日向につっかかった。
「何だよ、その言い方。夏目は似合ってるって−」
「お世辞だ。そんなこともわからないのか」
その言葉にしずかは思わず黙ってしまう。夏目なら、しずかを傷つけまいと嘘をつくことは目に見えていた。しかし、しずかは宮内たちの笑い声より、何より日向のその言い方に腹が立つ。
「だいたいお前が悪いんだろっ。どうして舞踏会のこと教えてくれなかったんだよ。夏目のおかげで何とか歩けるようにはなったけど、ダンスなんて無理だっ。それにドレスだってないんだぞっ」
日向は椅子に座りなおし、肩肘ついて切り捨てるように言った。
「練習は必要ないと言っただろう」
「あたしに恥かけって言ってんのかよっ」
しずかの怒鳴り声に、日向は小馬鹿にした言いかたで返す。
「たかが三日練習しただけのお前と、小さい頃からずっとやってきてる他の連中と張り合っても勝てるわけがないだろ」
「じゃあパーティーには出なくていいんだな」
「当然出席だ」
しずかの怒りは頂点に達した。持っていたドレスを日向に投げつけると、入ってきた相川が持っていた花瓶を落とすほどの勢いで言った。
「ふざけんなっ。
もうやってられっかよっ。これ以上、あんたに馬鹿にされるのはもう御免だねっ。
あたしは降りる。妃候補なんか降りてやるっ」
「約束はどうする？
妃が決定するまでの間、姫として私の命令には従うという約束は？こちらは約束通り遠山雅を見つけたぞ」
日向は顔にかかったドレスを振り落とすとそう聞いてきた。
女に二言はない。それがしずかの信条だった。しかし、今はそんな気分になれなかった。
「あんな約束くそ食らえだっ。馬鹿らしいんだよっ。
だいたい、何が陛下だっ、何が妃だっ、何が水仙だっ。こんなとこ、いてたまるかってんだよっ」
そう叫ぶと胸にしていた水仙の紋章を外し、壁に投げつけた。
「姫っ？」
相川がドレスを拾った後で、慌てて取りに行く。しずかはついに言った。
「出てってやるよっ、今すぐっ」
まずい時間に出てきたな、としずかは少し後悔した。
ちょうど見まわりの時間らしく、水仙の泉を抜けようとしたところで、何人かの騎士と鉢合わせそうになった。
「誰だっ」
突然のするどい声に、しずかは慌てて身を隠した。ここで見つかれば元も子もない。しかし、その声は別の人間に浴びせられたものだった。しずかのちょっと先の所で、一人の女生徒が立ち尽くしていたのだ。その正面には灯りを持った騎士が一人、馬に乗ったまま近づいていた。女は必死に頭を下げている。その手には、摘んだばかりの水仙の花がある。
「すっ。すみません。ごめんなさいっ。花が、水仙の花がとても綺麗だったから、それで思わず…。ごめんなさいっ、これ。お返ししますから見逃してくださいっ。お願いしますっ」
しずかは、組の花を勝手に摘むことは罪であり、罰せられることを思い出していた。噂で聞いたのだが、百合などは、無断で百合を摘んだ女生徒の体に何度も鞭をふるったという。
しかし、騎士は馬から下りると、その女の前に立ち、水仙を自ら一本摘むと差し出した。気づいた女生徒は、驚いて顔を上げる。
「あの…」
騎士は笑顔で答える。
「好きなだけ、摘んでいいよ」
「え。でも…」
女はますます驚いた。騎士は自分の摘んだ水仙を手渡す。
「花も、好きな人に摘まれる方が喜ぶからね」
「あの、でも」
嬉しそうな反面心配そうな顔は、自分ではなく相手の騎士に向けられていた。このことがばれれば、罰を受けるのは目の前の騎士ではないかと思っているのだ。しかし、騎士はその気持ちを知ってか、またも微笑んだ。
「大丈夫。隊長もお喜びになる。またいつでも好きなときに来るといい」
その言葉を女は理解し、花を抱えると笑顔で言った。
「ありがとうございます」
そしてそのまま走り去っていく。騎士はそんな女の後姿を見守ってさえいる。
あいつ、嘘をついた。
日向がそんなこと、言うわけないだろ。
そんな、優しいこと言うわけ…。
そのとき、しずかは背後から誰かの気配を感じた。振り返る前に声がする。
「誰だっ」
すぐに腕が伸びてきて、しずかを掴まえようとした。咄嗟にしずかはその腕を抱えると、身を沈めて男を投げ飛ばした。男は咲いている水仙の中に埋 れるように落ち、うめき声を上げた。そのとき、しずかは自分の顔に熱いものが当てられてるのを感じた。灯りだ。目が眩んで、顔を逸らしたしずかに、また別の騎士の声が聞こえた。
「姫？」
「いててて…」
しずかに投げられてできた傷に触れるたびに、熊田はうめいた。図体の大きい男があまりにも痛がるので、しずかも済まない気持ちになった。
「悪かったな。けど、お前だって悪いんだぞ。いきなり後ろから襲ってくるからこっちも驚いて、思わず投げ飛ばしちゃったんだからな」
熊田の隣に座っている狸顔の男が言った。
「それにしても、熊田が投げ飛ばされるなんてな」
「しかも姫にだぞ」
その隣で、さっき灯りを持っていた騎士がそう言って、皆が笑い出した。
ここは水仙の騎士団の宿舎だった。怪我をした熊田に、しずかも手を貸してここに連れてきたのだ。
「うるさいっ」
熊田はそう赤い顔で一喝すると、今度は独り言のようにぶつぶつと言った。
「噂には聞いてたけど、ずいぶんと強い女だぜ」
「噂って？」
しずかの問いに、富山が答える。富山は先ほど女に水仙を手渡した騎士で、熊田の手当てをしていた。
「百合の騎士を倒したって話です。そこに隊長が惚れ込んだとか」
ああ、としずかはしばし日向のことを思い出し、憂うつになった。それに気づいたのか、富山は今度はしずかに質問した。
「ところで姫は、どちらにいかれるんですか？こんな時間に」
辺りは静まりかえって、他の騎士たちも眠りについている時間だった。
皆の視線がしずかに集まる。しずかはさっきの興奮を思い出して、いくらか声を高めていた。
「出ていくんだ」
「え？」
「あんな野郎のとこに、これ以上いられるかってんだよっ」
熊田が尋ねる。
「あんな野郎って、隊長のことか？」
「あいつ以外に誰がいるってんだよ。あんな横暴で、身勝手で、人のこと小馬鹿にしてる奴と、同じ空気を吸ってたなんてぞっとするねっ」
周りが静まりかえったことにしずかは気づいた。それから、ふいに戸口の方から見覚えのある男が現れて言った。
「あんた、日向隊長のこと全然わかってねぇんだな」
吉沢と言う名前をしずかが思い出したところで、その言い方にしずかはムッとした。
「どういう意味だよ」
「日向隊長は、それだけの男じゃねぇってことだよ」
フォローするように富山が説明をする。
「ここにいる連中は、皆騎士になりたくても、なれなかった、いわゆる雑色という人間ばかりなんです。あとは、組の幹部の人間の為に辞めさせられた人間です。副隊長の相川さんは、もとは菫の騎士でしたが、ある時幹部の人間が誤って菫の花を全部枯らせてしまった。その罪を、そのときの管理係だった相川さんが受け、辞めさせられました。
石崎さんはもとは薔薇の人間でしたが、体型がふくよかになりすぎで、見目麗しくないということで退団させられました。吉沢も−」
「この前話したよな」
しずかは、吉沢の胸にある傷を思い出す。そして騎士たちは、それぞれの不満を口にしはじめた。
「薔薇は顔で決めるんだぜ」
「百合は気品。言葉遣いとか、立ち振る舞いとかで判断するんだ」
「菫はいくら能力があっても、一人目立とうとすれば即退団。謙虚さが美徳なんだと」
それをまとめるように、吉沢が言う。
「隊長は、能力があっても入団できなかったり、退団させられた人間を集めて、この水仙を作り上げたんだ。皆、感謝してる。ここじゃ、誰もが平等だって」
「…ふうん」
それは意外な話だったが、しずかは納得もしていた。日向のことではなく、水仙の騎士たちは、皆が不思議な温かみを持っていたからだ。
考え込んだしずかに、吉沢がからかうように言った。
「唯一の欠点が、女にもてるっていことか？あんたも隊長に惚れんなよ」
「誰があんな奴っ」
立ちあがったしずかをひき止めるようにして、狸顔の男が言った。
「俺たち皆、姫に期待してんだよ。他の騎士団の奴ら、みんな俺たちを馬鹿にしてるんだ。見返してやりたいんだよ、隊長に頼りすぎずにな」
熊田が言う。
「姫が妃になってくれれば、俺たち水仙組の格も上がるんだ。それに隊長の昇格もきっと決まる」
「昇格？」
初めて聞く話に、しずかは思わず口を開いた。
「詳しくはわかんねぇんだけどな。菫の鞍馬がそんな話をしていたのを聞いたことがある。今回の妃選びで、後任が決まるとか、どうとか」
富山が言った。
「隊長のためにも、頑張ってください。姫」
皆に期待の目を向けられて、しずかが返事に困っていると、相川の声がして、しずかを見つけて叫んだ。
「姫っ。こんなところにいたんですかっ」
しずかはばつの悪そうな顔をした。しかし、相川は急いで腕を取ると、引っ張った。
「早く来てくださいよっ。早くっ」
「なんだってんだよ」
連れてこられたのは、思っていた通り黄仙館のしずかの部屋だった。頭がさきほどの言葉で動かなかったしずかは、腕を振り払うタイミングを逃してここまできて、ようやく相川の腕を振り払った。
「これっ、このドレスッ。見てくださいよっ」
それは黄色をベースとして、シンプルなノースリーブのデザインのドレスだった。様々な黄色のグラデーションが、斬新さを引き立てている。呆然としているしずかに、相川はまだ興奮して言う。
「さっきのドレスなんて、目じゃないですよ。宮内のドレスだって、足元にも及びませんっ、こんな素敵なドレス、他にはないですよっ」
「これ…」
しずかはそっとドレスに触れた。柔らかく優しい手触りに、しずかは思わず手を引っ込める。
「隊長は、ちゃんと用意してたんです、姫に内緒で。ついさっき、仕上がったと君江が持ってきたんですっ」
相川は続けて言う。
「靴も、アクセサリーも、全てありますっ。出れますよ、姫っ。舞踏会にっ」
何と答えていいのかわからないしずかに、聞き覚えのある低い声が聞こえた。
「早くも挫折したか」
振り返ると、日向がいつものように心の見えない顔で立っていた。
「ちが−」
違う、そんなんじゃないと言おうとしたしずかを遮って、日向は珍しく笑顔で言った。
「着てみろ。気に入らなかったら、また脱走すればいい」
「素敵です。よくお似合いだ。素晴らしい。正直言って、ここまでなるとはこの石崎思ってませんでした。見た目なら、白鳥華夜乃にも負けてませんっ。これで口を開かなければ、妃だって夢じゃありませんよっ」
やってきた石崎が、べらべらとさっきから褒めちぎっている。しずかは思わず怒鳴りつけた。
「うるさいってんだろっ、お前はっ」
石崎はうっと言葉を詰まらせて呟く。
「黙っていれば、勝てるのに…」
日向はしずかをじっと見つめていった。
「どうだ？感想は？」
着心地は最高だった。鏡に映った自分に、しずかも初めは信じられなかった。さっきと同じドレスでも、このドレスはしずかの為に作られているせいなのか、しっくりと似合っていた。
漲る力強さと共に、それをただの粗野にならぬような気品も忘れていない。女らしさに少々かけるかもしれないが、それをカバーするような知性がある。靴もネックレスも、全てが一級品だった。しずかは言葉に迷いながら言った。
「ああ…。いい、ドレスだ。…その、あり、がと」
しかし日向はさらりとかわす。
「礼なら君江に言うんだな。ここ３日間徹夜で作ってくれた」
君江は疲れを笑顔で隠しながらしずかに言った。
「よくお似合いです、姫」
「ありがとう」
最後に日向が言った。
「もういいだろう。汚れる前に着替えた方がいい」
着替えを手伝う君江を残し、日向は相川と石崎と共に部屋を出ていこうとしたが、しずかがそれを引きとめた。
「日向っ」
相川たちはそのまま部屋を出ていく。君江も、寝室でしずかを待っていた。その場には、しずかと日向だけが残されていた。
「隊長よりも上の階級ってなんだ？妃選びで決まる後任って、何なんだ？」
日向は動きを止めた。しずかはじっと答えを待った。ふいに胸ポケットに手を入れた日向は、何かをしずかに投げ渡した。受け取ると、それはしずかが投げつけた水仙の紋章だった。
「お前には関係の無いことだ。今夜はゆっくり休むんだな。明日は忙しくなるぞ」
またはぐらかされたと、消えていく日向を見て、しずかは思った。