THE FLOWER GARDEN
続水仙の章03
何があったんだ、雅。
月を見上げ、しずかはひとりごちた。
つい１週間前ほど前には、互いを求めて伸ばした手。
その先にあった雅の訴える目。
『人は変わる、その環境で如何様にも。その意志に関わらず』
いつかの夏目の言葉が身に染みていた。
変わってしまったんだろうか。雅は。
でも、何故？
「どうかしました？姫」
突然話しかけられて、しずかはびっくりして振り返ると自分以上に驚いている君江がいた。
「いや…。何でもない」
変わってしまった雅の、あたしへの挑戦状。
『妃に選ばれてみせますから』
妃…か。
ふとしずかは、ベッドメイキングをしている君江に聞いた。
「なあ、妃ってそんなすごいものなわけ？」
「当然です。桜王宮には私も行ったことがないのですが、まるで桃源郷のようだと聞いてます。それに、いつも陛下のお姿を見ていられると言うことは、それだけで幸せに思います」
「陛下…、桜小路有世…」
しずかはそう呟いてみた。また姿を見たこともなく、陛下と呼ばれる桜小路有世はしずかにとっては架空の人物に近い。
「姫はまだ拝見したことないでしょうけれども、それはもう見目麗しい方です。後光がさしているような神々しさと、花が咲き乱れるような美しさを持っていらっしゃいます。私も遠目に一度だけお見受けしたことがあるだけなのですが、それだけで幸せになりました」
君江はそう言って、一人遠い目をする。
「毎日お目にかかれるようなことになれば、毎日が幸せでしょうね」
ふふと微笑む君江を見て、ふいにしずかは思ったことを口にした。
「君江、最近変わったな」
え？と君江がしずかの顔を見かえす。
「かわいくなった」
「ありがとうございます」
赤くなった君江は、更に綺麗にも見えた。ついこの前とは格段に違っている。
同じように、雅も変わってしまったのか。
「何があった？」
「え…。まあ、好きな人ができたことでしょうか…」
恥ずかしそうに君江が言った。恋か、としずかは思った。
「人は、恋をすれば変わるものなのか」
「他にも哀しいことがあった時とか、そうそれから、病気をした後に人が変わってしまった話も聞いたことがあります」
あ、と大きな声を上げて、しずかは思い出した。
菊島ヨネ。
雅の病気が治ったのがそいつのおかげなら、雅が変わってしまった原因を知ってるかもしれない。
「サンキュ、君江」
しずかはそういうと、部屋を飛び出していった。
「あのな、ここ女子寮だぞ。入り口で待っててくれりゃいいから」
しずかは後ろに付いてきている相川にそう言った。冗談だろ？と言いたげなしずかに、相川ははっきり言う。
「そういうわけにはいきませんっ、それに騎士であれば出入は禁止されてませんから」
一度そう言ったからには、何をしても絶対についてくる相川の性格を、ようやく理解していたしずかは、それ以上言うのを諦めて、歩き出した。後ろからは相川がちゃんとついてきている。黄仙館を出ようとしたところで、相川に鉢合わせたのが間違いだったとしずかは後悔した。
それにしても、キクという女性はどこにいるんだろうか。
しずかがきょろきょろと辺りを見回して、大きなホールを通り過ぎようとした時、羨ましそうな声がそのホールに響いた。
「まあ素敵なドレスッ。お相手はどなた？」
開いた扉からは、女子生徒たちに囲まれている宮内真理恵が見えた。煌びやかなドレスとまとった宮内は、さながらお姫様のようだった。
「薔薇の方でしょう？最近真理恵さんのところに、通い詰めてらっしゃるものね」
微笑んだ宮内が、扉からのぞいているしずかを見つけると、表情を強張らせて声をかけてきた。
「あら、西御寺さんじゃないの。どうかなさって？」
その目は意地悪そうに光っている。
「そっちこそ、そんな恰好で夕飯でも食べるのかよ」
皮肉を言ったつもりが、思わぬ言葉で返されて、宮内はさらに声を張り上げた。
「あら、これは３日後の舞踏会に着ていくのよ。あなたもきっと素敵なドレスを着ることになるんでしょうね。ま、ドレスに着られるのがオチと思いますけど」
「舞踏会？」
驚いたしずかを見て、一瞬戸惑いを見せた宮内だったが、すぐに作り笑いになって言った。
「あら？ご存知なくて？騎士団の方全て、ご出席のはずよ。しかも、少尉の方まではレディ同伴。私は薔薇の少佐の方からお誘いを受けたので、出席するの。本当にご存知ないのかしら？」
しずかの戸惑いは隠しきれなかった。
そんな話、全然知らないぞ。
そんなしずかに、宮内は次々と皮肉を浴びせる。
「でもレッスンくらいはなさってるんでしょう。ラストは隊長と姫のダンスですものね。さぞかし日向様と素敵なダンスを披露してくださるんでしょう」
ダンスだって？
あたしと日向で？
ばかやろう。そんなことやったことないぞ。
「練習してらっしゃらないの？あらまあ、そんなの必要ないってことかしら。
ねぇ皆様、ここで西御寺さんのダンスを見せていただきましょうよ」
驚いたしずかに背を向けると、宮内は後ろで二人のやりとりをみていた生徒たちにホールに響く声で言った。しずかが何も言わないので、宮内は振り返る。
「それとも、踊れないとおっしゃるのかしら？」
売られた喧嘩は買わないわけにはいかない。
「やってやろうじゃん」
「姫、止めておいたほうがいいですよ。だって、ダンスなんて踊ったこと一度もないんじゃないですか」
宮内の古いドレスを借りて、しずかは相川と踊ることになった。不安そうな相川に、しずかは笑って言う。
「なんとかなるさ。それより、舞踏会のこと、知ってたんだろ？」
黙り込むことが相川の答えだった。しかし、それが相川の意志でないことは、しずかにもわかっていた。
「日向が、あたしに教えないように命令したんだな」
相川は頷くこともしなければ、首を振りもしない。しずかが日向を罵倒する言葉を吐こうとしたが、それを相川が遮った。
「しかし、隊長には何か秘策があるはずですっ」
「じゃ聞くけど、なんだよ秘策って」
またも相川は黙った。相川でさえ、その秘策を知らないのだ。それに相川は、ドレスすら仕上がっていないことを知っていた。
しずかは小さな声で言った。
「悪い。お前をなじっても、仕方ないのにな。よし、じゃ、始めようぜ」
ホールに戻ると、待ち構えていた宮内はまずプッと吹き出した。しずかはムッとする。
「そのドレス、あなたにはちょっと可愛らしすぎたかしらね」
ピンクのサテンにレースを施したドレスは、お世辞にもしずかに似合うとは言えなかった。周りの生徒たちからも笑いが起こる。それを無視してホール中央に立とうと歩き始めたしずかだったが、歩き方がぎこちない。初めて履くハイヒールに、歩き方が覚束ないのだ。途中では、あっと声をあげたかと思うと転んでしま い、またも笑いが起こった。
「どうなさって、西御寺さん」
宮内はそういうと一段と大きな声で高笑いした。しずかは殴りかかっていきたい気持ちを抑えて、相川の手を借りて立ちあがる。
「姫、足は大丈夫ですか？」
「大丈夫だっ。いいから、相川、始めるぞ」
しずかの声を合図に優雅な音楽が、ホールに流れ始める。
「姫、右手を組んで。それから左手は肩です。いえ、ご自分じゃなくて私の」
相川はそれなりに知っているようだった。言われるままの恰好で、踊り出そうとしたしずかだったが、一歩目にドレスの裾を踏みつけて、すぐに相川を押し倒してしまった。笑いがまた起こる。
「悪い」
「いえ。姫、お怪我は？」
「ないよ」
そしてまた立ち上がる。ここでダンスを止めることは、宮内に負けることだとしずかは思っていた。
なんとしても、踊ってやるっ。
しかし、転ばないようにと気を使うしずかのダンスは、機械のようにぎこちなく、かえって不安にさせた。
途中で相川が小さくうめき声を上げる。しずかが、相川の足を踏んだのだ。
「悪いっ」
「いえ、大丈夫です」
また笑いが起こっていた。そして今度は、自分の足に躓いて、しずかは一人転んでしまった。笑いは音楽をかき消す大きさになっていた。駆け寄ってきた相川に、大丈夫だと言ってしずかは一人でなんとか立ちあがる。そして、気づけば音楽は終わっていた。
立ち尽くすしずかに、宮内はやってきて勝ち誇ったように言った。
「三日後までに風邪でもお引きになることね。
さ、皆さんお部屋に戻りましょう。西御寺さん、その靴とドレスは差し上げますわ。まずは歩き方から練習なさった方がよろしくてよ」
呼び出された夏目は、日向を木陰に見つけると、物音を立てないようにしてその木に向った。夏目が側に来たことに日向が気づき、密談が始まった。
「もう少し、華夜乃を束縛したらどうだ？」
日向の口調が砕けているのを、夏目はどうとっていいものか考えた。
「それは、昔の姫の恋人としての嫉妬か？それともかつて薔薇の騎士だったことに対する忠誠心か？水仙の隊長としての忠告か？」
すると日向は少しだけ微笑んだ。夏目にも、本当の日向の気持ちはわかっていた。
「ただの友情だ。ずいぶんと好き勝手やってるみたいじゃないか」
「それは西御寺も同じだろう。この前うちに忍び込みに来ていたぞ」
「かくれんぼが好きな姫なんだ」
その時、木がざわめいた。夏目はそっと身を伏せ、日向は辺りを見まわした。ただの風のようだったが、夏目は身を起こすと話をまとめた。これ以上水仙の泉付近にいれば、自分にとっても、そして日向にとってもいいことはない。
「いつだってお前の考えは先を行きすぎていてわからないよ。西御寺のことも、薔薇を辞めた時も、水仙の隊長になった時も」
帰ろうとした夏目を日向は引きとめた。それこそが、日向が呼びだした理由である。
「富樫が妙な行動をしている。気をつけた方がいい」
夏目の肩がぴくんと動いたかと思うと、冷たい返事が返ってきた。
「姫とのことは知っている。私の部下のことだ。お前には関係ない」
「そう、だったな」
そのまま夏目は闇に消えた。
プライドを傷つけたな、と日向は思った。
いつまで経っても、私は部下じゃない。
かつて私は、たしかにお前の部下だった。でも、友人でもあった。そう思っていたのは、自分だけだったのか？
夏目がそんな考え事をしながら泉を通り抜けようとした時、カツンという足音と、バタッと誰かが倒れる音がして、それからしずかの声が響いた。
「いったぁ…」
慌てて夏目は顔を出した。そこは茂みに囲まれた一角で、下は綺麗に舗装されていた。
「大丈夫か？」
差し出された手が夏目のものだと気づいたしずかは驚いた。
「夏目…。あんたどうして、こんなとこいるんだよ」
少々軽率だったかと思いながら、夏目は正直に答えた。差し伸べられた手を、しずかは取ろうとはしない。
「日向に用事があった。くじいたのか？」
「こんくらいでくじくほど、やわな体じゃないよ…ってぇ」
そういうと、夏目の手を無視してしずかは自力で立ち上がる。ピンクのドレスに高いハイヒール姿という珍しい恰好に気づいた夏目が尋ねる。
「ダンスの練習か？」
「三日後舞踏会があるんだろ？恥かかないようにしようと思ってさ。あんたんとこのわがままお嬢様も練習、やってんだろ？」
「姫は練習などしない」
「そんなの嫌いか」
「いや。小さい頃からそういう教育は受けているから、必要ない。といえば聞こえがいいが、実際私に指導権はないからね」
その時、しずかはふと気づいた。
「笑わないんだな、夏目は」
その質問の意味を求めるように、夏目はしずかの顔を見返す。
「ドレスだよ。似合ってないだろ？こんなお嬢様ちっくな服。笑われたんだ、女子寮で」
しずかの視線が下がるのを、夏目は見ていた。
「そんなことない。今は髪型を降ろしているからで、パーティー用に上げて、化粧をすれば似合う」
「ほんとに？」
「ああ。それより、一人で練習？」
しずかはドレスについた砂を払った。
「日向はあたしを笑い者にしたいんだ。あたしにだって、わかってんだよ。自分がどれだけ妃に遠い存在か。だから、なりたいとも思ってない。けど、あいつは
あたしを候補から降ろそうとはしない。かといって、マナーとかも教えようとしない。舞踏会のことだって、教えてくれなかったんだ。…まったく、何考えてんだかわかんねぇよ」
そう呟いて、足もとの小石を蹴ろうとしたしずかだったが、片足に重心がかかり、よろけてしまった。夏目がさっと手を差し出して、しずかは倒れずにすんだ。
その時、夏目はしずかの手が思ったよりも小さなことに気づいた。
しずかは、ごめんというと、夏目の手から離れようとしたが、その前に夏目が言った。
「少し練習しよう。私で良かったら、教えるが」
「まじ？」
しずかの顔が嬉しそうに輝く。つられて夏目も微笑みかける。
「３日間、猛練習だな」。