THE FLOWER GARDEN
続水仙の章02
菊島ヨネ。
君江に尋ねたが、そのような名前の生徒はいないという。
ま、会えばわかるさ。
一晩、強く会いたいと願ったこの人物を、しかし翌日の朝、しずかはすぐに忘れることになる。
というのも、雅が学校に現れたからだ。
「まあ、あれは」
日向の言いつけを守り、珍しく律儀に授業に出ていたしずかは、ふと騒ぎ出した生徒たちの方に視線を向けた。彼女たちは、窓辺に駆け寄り、授業そっちのけで外を見ている。
「珍しいこともあるものね。百合のお方がいらっしゃるなんて」
白百合館は女人禁制であるという噂が流れるくらい、女性に厳格で、ほとんどこの女子校舎に百合の騎士が現れることはない。
百合と聞いたしずかも、思わず窓辺に駆け寄ると、そこには白亜の馬車が止められていた。その馬車を囲むようにしていた騎士たちは、皆自分の馬から下りると、校舎の入り口までに整列をした。
何が、始まる？
馬車の扉が開くと、中から普通に制服を着た一人の少女が現れた。
「もしかして、彼女が。百合の姫？」
「まあ…」
「それにしても…」
「よく似ていらっしゃること」
「まるで生き写しのようだわ。佳乃様に」
それは、数週間前に出会った雅そのままだった。長い黒髪を靡かせながら、雅は整列し、叩頭する騎士たちの間を、優雅に歩いている。
「姫？」
教室を抜け出したしずかを、ひき止める君江の声が聞こえたが、しずかは無視し、校舎の入り口へと走っていった。
やっと、会える。
雅に。
ついに。
はやる気持ちに足が追いつかず、途中しずかは派手に転んだ。顔を打ち付けて、思わず声を上げたものの、痛みなどたいして感じなかった。それよりも、早く雅に会いたかったのだ。そして、ついにその姿を、しずかは見つけたのだ。
「雅っ！」
しずかの叫び声にいち早く反応したのは、百合の騎士たちだった。
剣を抜き、雅を守るようにして二人が、しずかに剣をつき付ける。
「なんだよ、お前ら」
しずかの睨みも、騎士たちは無視して、むしろもう少し近づいてしずかに剣を向ける。
その時、すっと雅の手が上がった。それと同時に、騎士たちの身構えられた剣は、鞘にしまわれる。その凛とした姿に、一瞬しずかさえも驚いた。
「お久しぶりですね」
何度も聞きたいと願った声だった。ただ、気のせいかしずかには冷たく感じる。
「ああ、本当に。会いたかったよ。雅」
雅へと大きく伸ばした手は、そのまま届くことなく、再び抜かれた剣の間に挟まれた。その向こうで、雅はただ立っている。
しずかは、自分が手を伸ばした時、雅が一歩下がったように 思えたのが気になった。それでも、雅の指示で、剣は降ろされ、騎士たちは二人を取り巻くようにして離れる。
二人の垣根がなく なったところで、しずかは話しかけた。
「調子はどう？風邪で倒れたって聞いてさ、心配したんだ。
ううん。もっと、前からずっと雅のことは心配してたし、それに…。
どうかした？雅」
雅はしずかの顔も見ようとせずに、ただじっと外を見ている。髪型を変えたのか、雅の頬には、短く切られたサイドの髪がかかっている。髪の黒さのせいなのか、その顔の白さに、しずかは不思議と不安を感じる。しずかは、もう一歩雅に近づいた。
「…なあ、何かあったのか？何か、悩んでるのか？雅。あたしたち、友達だろ？悩みだったら、聞く−」
伸ばしかけたしずかの手が触れる前に、雅はしずかに背を向けた。
それが、拒否であることを、しずかは確かに感じた。
伸ばした手を自分の胸の前で握りしめるしずかに、雅は問いかける。
「一つ、お聞きしたいことがあります」
「ああ、何でも答える」
雅の肌は太陽の陽射しが透けるほどに白く、その髪はほっそりとした背中で揺れていた。
「あの日、あなたが来なかったのは、ご自身の意志ですか？」
それが、二人の逃亡の日を指しているのは、しずかにもわかった。
ご自身の、つまりはしずかの意志…。
胸がちくりと痛んだ。嘘をつくのは簡単だった。
けれど、しずかは雅に嘘はつきたくなかった。
本当の、友人だと思うから。
「ごめん…」
いい訳も言いたくなかった。
たしかに君江は倒れたけれど、しずかがいなければ助からないわけではなかったし、何よりあの時、雅よりも君江を選んだのは、雅の言うとおり、確かに自分の意志だ。
それでも、振りかえった時の雅は笑顔でいてくれると、しずかは思っていた。
笑顔で許してくれる。
そして、しずかの考えも理解してくれる、と。
黒髪を靡かせて、雅は振りかえった。笑顔を作ったしずかを見て、雅は冷たく言い放った。
「西御寺さん。その顔の傷はどうなさったの？」
笑顔が強張る。雅の表情も、口調も、それは決してしずかの傷を心配しているものではない。なにより、西御寺などという呼び方が、しずかの心に引っかかった。
「あ、ちょっと。ね。さっき転んだんだ」
戸惑いながら答えたしずかに、雅はたたみかけるように言った。
「妃候補としては失格ですね」
「…雅？」
そして、確かに雅はしずかを睨みつけたのだ。
「私、あなたには絶対に負けませんから。絶対に妃になってみせますから」
そう言い放ち、自分の目の前を去っていく雅を、しずかは追いかけることもできなかった。
報告にやってきた騎士の言葉を聞き、思わず夏目はカップに伸ばしていた手を止めた。
「百合の姫が、校舎に現れた？」
「はい」
どおりで校舎が騒がしく感じたはずだ、と夏目は思い起こす。騎士は、興奮気味に報告を続ける。
「凛としたお姿は、本当に佳乃様のようで−」
「馬鹿者。他の組の姫を褒める奴がどこにいる」
戸田がするどく言う。騎士はうなだれ、声色をいくらか落とした。
「…失礼しました」
「それで、今は？」
夏目の優しい声に、騎士は顔を上げて話し始める。
「授業を受けられておりますが、外には百合の騎士が固い警護をしておりまして、誰も近づけない状態です」
おそらくは、教室の周りを取り囲み、要所にはまた別の人間を置いていることだろう。
それにしても、今までずっと表には出してこなかったというのに、速水はどうしたんだろうか。
正式に表に出すのは、対面式と思っていたのに。
「面倒な騒ぎは起こしたくない。我が姫君には近寄らせぬよう」
華夜乃と百合との関係は、良くも悪くもない、というのが夏目の見方だ。
だが、森宮佳乃との関係がどうであったかと言われると、少なくとも、良好ではなかったと答えられる。
騎士は深く叩頭した。
「承知致しました。なお、水仙の姫は、すでに接近しておりました」
「水仙の？」
夏目は思わす椅子から立ちあがる。
「どうか、しましたか？」
戸田が不審そうな顔をしている。夏目は慌てて椅子に座りなおした。
「いや。それより姫は、どこに？」
話題を変えたが、夏目の頭はしずかのことでいっぱいになっていた。戸田はふんと鼻で答える。
「さあ、いつものことですから」
おそらくは富樫と逢引きしているでしょう。
敢えて口にはしなかったが、戸田がそう思っていることは夏目も気付いていた。
人気のない建物の影であったが、鞍馬は声を潜めつつもはっきりと聞き返した。
「つまりは、決別宣言したと？」
誰かに見つかることを危惧してか、女は鞍馬との距離をあけたままに答える。
「ええ。そんなところじゃないでしょうか」
校内を歩いていた鞍馬をそっとこの場所まで連れてきて、女が聞かせた話とは、しずかと雅との会話である。幸運にも、女はその場面に出くわし、会話のすみずみまで記憶した。
「そうか」
鞍馬が顎に指を当ててそう答えると、女が鞍馬に視線を投げかけて言う。
「もう少し、探ってみましょうか？」
鞍馬はふっと微笑むと、手を伸ばし女の華奢な顎に触れる。
「君は本当に僕の気持ちがわかる人だね」
恥ずかしがってか、女は顔を逸らす。鞍馬はそんな女を引き寄せると、その耳元で囁いた。
「だから、好きだよ」
それ以上のことをするつもりはないのに、女は慌てて鞍馬から逃げる。昨晩は積極的だったというのに、ベッドから一歩出ると固い女へと変わる。
「…もう行かないと」
逃げられたことで、鞍馬はいっそうこの女を捕らえてみたくなる。
「百合の騎士がやってくるって？」
青ざめた顔で、女は一瞬だけ鞍馬を見つめた。厭味で言ったつもりだったが、本当だったらしい。
「冗談だよ」
鞍馬は壁に寄りかかる。女の去る足音がするかと思ったが、女は立ち去る前に、鞍馬に一言言い残す。
「…もっと、いろいろ聞いてきます」
鞍馬はにっこりと微笑む。
「また、ね」
足早に女が去っていくのを背中で感じながら、鞍馬は青菫館に戻り始めた。
女…、よく考えると、鞍馬は女の名前すら思い起こせない。
初めは、百合の突破口を考えているときだった。
薔薇に間者は簡単に送りこめた。水仙は、必要なかった。
ただ百合だけが、鞍馬の悩みだった。管理も厳しく、女性の出入も皆無に等しい。
さて、どうしたものかと思い悩んでいるときに、鞍馬は偶然、百合の騎士と女の逢瀬に鉢合わせた。百合には女性関係にも厳しい規則があり、騎士自身が相応の高い地位にいなければ、恋人を作ることができない。その騎士の身分からすれば恋人は存在してはならず、それゆえに鞍馬はその女に目をつけた。
初めは、脅した。
女は騎士と別れることを厭い、自分の恋人から百合の情報を得て、鞍馬に流した。
そのうちに鞍馬は、女に興味を持ち始めた。女は頑なであった。手に入らないようであれば、むしろ手に入れたくなるのが鞍馬の性であり、そして結局女は鞍馬と関係を持った。一旦手に入れば、その相手に興味がなくなる鞍馬だが、何故か女との関係は続いていた。
百合の情報が必要だから。
鞍馬はそう思った。
昨夜鞍馬に百合の重要な情報を流したのも、女であった。
「自殺未遂？」
思わず声をあげた鞍馬を、女は背中越しに睨むと、自分の服を着始めた。
二人の逢瀬の場所は、必ず疾風の小屋と決まっていて、女は灯りをつけることを嫌った。そして事が終わると、さっさと服を着て、報告をする。それがいかにも恋愛とは違うといっているようで、だからこそ鞍馬は女といると安心していた。
「水仙の滝壷で、溺れているところを発見されたそうです。それで体調を崩したとか」
でも、と女は多少声を潜めて続けた。
「でも、姫の側近たちはみな自殺未遂ではないかと」
「速水が理由？」
女は無言で頷いて、付け加える。
「脱走をしたとき、かなり酷い折檻をうけたようです。その翌朝、手首を切ろうとしたそうですから」
鞍馬は思わず女を見返す。
「隊長は隊長なりに反省したのか、今は姫の部屋には入らないようです」
女はそれだけ言うと、厩から出ていった。
それが昨日わかった事だ。
そして今日の姫の登場。
明らかに、何かが百合で起こっているのだ。
おそらくは、数人しか知らない事。
そして、百合としては不覚な事が。
これを機に、また動いてもらうしかないな。
そう、水仙の姫に。