THE FLOWER GARDEN
続水仙の章11
「姫、お綺麗です。陛下もきっと、見惚れますわ」
君江がそう言って、しずかに微笑みかけた。
今日は、桜小路有世との対面式だった。しずかに用意されたのはドレスではなく制服であったが、ブレザーが黄色で、それは日向の着ているものと一緒だった。君江の話によれば、それが正式な水仙の姫の制服ということだった。おろしたての黄色が、高潮して赤らんだしずかの肌によく似合っていた。
長い髪を、きゅっと一つに結んだ自分の姿を、窓ガラスに映してしずかは思う。
綺麗…？
今まで一度だってそう言われたことはなかった。気にしたこともなかった。
そういう言葉をかけられるのは、いわゆるお嬢様の部類だと思っていた。
綺麗…かな？
「ご準備ができましたと、日向様にもお伝えしてきます」
君江はそう言うと、部屋を出ていく。
しずかは窓ガラスにそっと手を当てて、自分の姿をじっと見つめた。
…足、大丈夫だったかな。桜小路。
しずかの中で、今までは雅のことが一番大事であり、忘れることなどないくらい、雅のことを考えていた。
それが今は、だんだんと減ってきていた。雅のことを思うと、しずかは胸が痛んだ。そのために、心が思い出すのを拒んでいた。
そして、気づくと自分に差し出された有世の手のことばかりを思い出していた。
白くほっそりとして、ふれると大きく、そして温かかった。
そして、倒れそうになるしずかを、しっかりと支えてくれた。
窓ガラスにはしずかの姿が映っていたが、その向こうに有世が立っているようにしずかは有世のことを思い起こしていた。
「これはこれは、綺麗なお姫様だ」
ふいに目の前のガラスに別の顔が映り、しずかは思わず手を離す。ガラス越しの外には、鞍馬が笑顔とともに立っていた。
「…なんで、お前、こんなところに」
「君に会いに来たんだよ。今日の対面式で、もしかすると妃が発表されるかもしれないからね」
そういうと、鞍馬は開いている窓から、部屋へとするりと入ってきた。君江が出ていき、今はしずか以外に誰もいなかった。鞍馬は笑顔のままに、しずかに近づいた。
「こうして二人きりで話をするのは百合で会って以来だ。元気だったかな？」
雅のことを思い出し、しずかは顔を背けた。
「…うっせーよ」
出ていけとしずかが言う前に、鞍馬は話続ける。
「おやおや、あまり元気じゃないようだね。百合の姫と仲たがいでも？」
しずかは思わず鞍馬を睨んだ。
「お前には、関係ない」
が、鞍馬は微笑み返すだけだった。そして、心持ち声を大きくして言った。
「だからかな」
「…何がだよ」
思わず聞き返すしずかに、鞍馬は答える。
「百合の姫。滝に落ちたそうだけど、それってどうも事故じゃないみたいなんだよね」
思わせぶりな言い方が、しずかは気にいらなかった。
「どういう意味だよ」
「自分の意志でってこと。まあライバル同士だけど、仲良くやらないといけないよ」
鞍馬はそれだけ言うと、それじゃあね、とさっさとまた窓の外に出て、そのまましずかの前から姿を消した。
自分の意志で、滝に落ちた？
それがしずかの中で、自殺という言葉に置き換わるのに、そう時間はかからなかった。
「水仙の姫が何用か？」
目の前に突然現れたしずかに、速水は流すように尋ねた。あと数時間後に対面式を控え、準備に忙しいせいもあり、速水は早くしずかを追い返したかった。だが、正面から堂々とやってきた水仙の姫を、追い返すことはできなかった。いまここで問題を起こせば、対面式に影響するのは確実だ。
しずかは自分の腕を掴もうとした騎士の手を振り払うと、そのまま速水の正面に立ち、テーブルをドンと叩いた。
「雅に何をしたんだ」
「何を？」
テーブルに置かれていた花瓶の水がはねた。速水はそれを拭くように側近に目で指図する。しずかはそんな速水に苛立ち、もう一度テーブルと叩いた。
「自殺未遂したっていうじゃねぇか。原因はあんただろ？」
側近は花瓶を持ち上げて、テーブルを拭くとそのまま花瓶も持ち去った。そうしてから、速水はゆっくりと視線をしずかに戻した。
「姫は自殺未遂などしていない。それは滝に落ちたことを言っているんだったら、事故だ。妙な噂を流さないでもらいたい」
「自殺未遂しなけりゃ、どうして雅は急に変わったんだ。どうして急に妃になるなんて言い出すんだ」
速水は雅のことを思い浮かべた。確かに、滝に落ちてから目覚めた時の雅は、何かを固く決意した表情をしていた。それが、何かはわからない。だが、速水にとっては雅が妃になる決意をしたのは好都合だった。
それ故に、今の速水にとって、しずかは邪魔者でしかなかった。
「他の姫たちも同じことを目指しているのだ。妃と言うのは、それだけ魅力的な地位。姫はそれに気づいたまでのことだ。
話がそれだけなら、こっちは忙しい。お引取り願いたい、碓井」
隣に控えていた碓井が、すぐさましずかの腕を取る。しかし、しずかはその手を振り払おうとした。
「離せよっ。何か雅にしたんじゃねぇだろうなっ」
思わず碓井の手が止まる。速水が怪訝そうに聞き返す。
「どういう意味だ？」
「入学したての夜、雅の部屋に侵入してきたのはあんたたちだろ？暗くて顔は見えなかったけど、匂いだけは残ってたからな。この匂い、百合の花の香がねっ。あの時、あんたらは確かに雅を狙って、そして無理やり拉致したっ」
立ちあがって、窓辺に佇んでいた速水は、眉をひそめ、そこに飾ってあった百合に触れていた手を一瞬止めて、答える。
「それは不愉快極まりないことだ。私の部下はそんな手荒な真似はしない。どこぞの誰かが百合の花でも持って、我々に罪をかぶせようとしたのだ」
「あたしを襲ったのも、ここの奴らだったぞ」
「その男なら、もう百合にはいない。無様な雑色になってのことだろう。我が組とは関係無い」
そう言われては何も答えようがなかった。口を閉ざしたしずかに、速水は言う。
「早く水仙に戻るんだな。これでまたあの口の巧い成瀬に、姫を拉致したなどと吹聴されては、こちらの迷惑だ」
碓井がすばやくしずかの腕を捕らえようとする。だが、しずかはその手から、一歩下がって逃れて言った。
「いいか、雅は佳乃とかいう女の生まれ変わりでもなけりゃ、あんたのおもちゃでもないっ、雅は−」
「口を改めろっ」
怒鳴り声と共に、大きな音がして花瓶が床に落ちて割れていた。速水の手にあった百合は、そのまま床に投げ出されていた。速水が花瓶を振り落としたのだ。
驚いて口を閉ざしたしずかに、速水はいつもの冷静な声に戻って言った。
「…言いたいことはそれだけか。ならばもう帰ってくれ」
講堂には、それぞれの組の騎士が整列をしていた。皆制服を着衣しており、青、白、赤、黄色が列にならんで、荘厳な雰囲気が漂っていた。正面には、大きな椅子が置かれてあり、入り口からその椅子までには、赤い絨毯が置かれていた。その赤い絨毯を挟んで、向こう側にいる雅を見つめて、しずかは考えている。
雅は、本当に自殺したのか？
だったら、理由は？
しずかが百合の方を見ると、雅は相変わらず青いほどの白い顔色に、虚ろな目をして立っていた。
「百合に行ってたのか」
隣にやってきた日向が言う。だが、しずかは何も答えなかった。
しずかが黄仙館に戻ってきた途端、青い顔をした君江が駆け寄ってきた。
「どこいってたんですか、姫っ」
「うん…ちょっと」
「皆心配して探してたんですよ。もうそろそろ出ないと、対面式に間に合わなくなります」
だが、しずかは無言でいた。そして、君江に押されるようにして、馬車に押しこまれ、講堂にやってきたのだ。
「何をしてきたんだ」
日向がそう言ったが、しずかは答える気にはなれなかった。
「…なんでも、ねぇよ…」
その時、ざわめきが消えて、大きく入り口の扉が開き放たれた。
紫紺の制服を着た近衛が、三人入ってきて、扉の脇に整列した。そして、薄紅色の制服を着た有世が姿を現した。その肩章は、日向たち隊長たちとは明らかに異なる豪華さで、襟口や袖口の縁取りも、金色の糸が使われていた。しかし、その制服の煌びやかさに負けない風格で、有世は絨毯の上を歩く。
そうして、有世は椅子の前にやってくると、座る前に顔を騎士たちに向けて言った。
「皆がこうして集まってくれたことにまず礼を言う」
考え事で頭がいっぱいだったしずかだが、ふいに有世と目があった。すると有世は、アーモンド形のブルーグレーの瞳を細めて、しずかに笑いかけた。それにしずかが戸惑っていると、再び有世は騎士たちに顔を向けた。
「集まってもらったのは、他でもない。今回の、妃のことだ」
先頭に集まっている隊長たちに緊張感が走る。そして、有世は椅子に腰掛ける。それが合図のように、隣に控えていた近衛が一歩前に進んだ。
「薔薇の姫は花琳舎。菫の姫は初音舎。そして、百合の姫には荷葉舎。また水仙の姫は貴丹舎を、それぞれお使い下さいませ」
静まり返った中で、有世が近衛を弾かれたように見つめた。しかし、近衛の表情は変わらない。あまりにさらりと言われて、戸惑った鞍馬が聞き返す。
「それは、どういう−」
「桜王宮に来てほしいと言っているのだ」
鞍馬の声を遮ったのは有世だった。それぞれに与えられた名前は、桜王宮の後宮の建物の名前である。漣のように起こった騎士たちのざわめきに答えるように近衛が言う。
「陛下もお考えの末、この段階で妃を決める時には早いと判断なさりました。もっと身近で姫たちと接したいとのお考えからです。入宮の日は、三日後に」
「皆が来てくれる事を、心待ちにしている」
有世の視線は、それぞれの姫と隊長に注がれる。
日向と視線を合わせたところで、有世はじっと日向を見つめた。その目は少し悲しげで何が言いたいのか、日向にはわからなかったが、有世はすっと席を立ち、講堂を去ろうと赤い絨毯を再び歩き出そうとした。
しずかは、自分の脇を有世が通りすぎるのを、横目で見ていた。ふと、その先に雅が見える。その時、ふらっと雅の体が大きく揺れるのがわかった。
「みっ、雅っ」
慌ててしずかは雅に駆け寄ろうとした。隣にいた薔薇の夏目が、驚いた表情で自分を見ているのがわかったが、しずかはそのまま赤絨毯を通りぬけ、今にも床に崩れる雅を掴まえようとした。
だが、しずかの手よりも早く、有世が雅を捉え、その胸に抱きかかえていた。その表情は、冷や汗をかくほどに緊張して青ざめていた。
「早く、医師を呼べ」
そう叫んだ有世の横で、速水は呆然と立ち尽くしていた。