THE FLOWER GARDEN
水仙の章08
まずはこいつを、何とかしなきゃいけない。
しずかは授業中ずっとそれを考えていた。
こいつ、というのは相川のことだ。昨日も日向にむかついて、黄仙（きせん）館と呼ばれている水仙の館を出ようとすると、しずかの後をきっちりと相川が付いてきていた。
「何だよ、どっか行けよ」
「私の任務は姫をお守りすることです。この世界のことをほとんどご存知ない姫を、お一人にはできません」
「だからさっき、説明聞いただろって。もういいよ」
「そういうわけにはいきません」
相川の顔は真剣だった。こういうおとなしいタイプの人間が、一度言い出したらてこでも動かないことを、しずかは知っていた。
「ああ、畜生っ」
しずかはそう叫ぶと、いくらかすっきりして相川に言った。
「相川。お前、剣道できるか？」
「剣道、ですか？」
戸惑う相川に、しずかは有無を言わせぬ声で言い切った。
「剣を持ってるんだから、チャンバラごっこくらいできるだろ？」
それから、しずかは相川を相手に剣を振るった。実際相川の力は、しずかよりやや劣るくらいであったが、気遣ってか、ひたすら守る相川に攻撃することで、しずかのストレス発散は終わったのだが。
そういうことじゃなくて、問題は一人になってないことだ。
教室には入れない規則ということで、しずかは今は少なくとも一人だった。君江は、足を怪我したことから、授業を休んでいる。
「ねえ、真理恵さん。あなたまた薔薇の騎士の方からお呼ばれされたんですって？」
教室の後ろから、囁く声が聞こえてきた。
「ええ、まあ」
まんざらでもないように宮内真理恵は答えている。
どうもこちらの世界において、女は自分を誘う男の品格がそのまま女の価値となるようだった。
くだらないと思いながらも、しずかの耳にもその会話は聞こえてくる。
「でも、下級騎士ですもの。お断りしましたわ」
「それでも騎士は騎士。しかも薔薇なんて」
もったいないと言いたげなクラスメートに向かって、宮内は言い放つ。
「まあ。虫けら同然の雑色からすれば、騎士というだけでも価値はあるけれど、所詮下級は下級ですもの」
「そんなこと言って、また今夜、その騎士の方が紋章を持って宿舎にいらっしゃるでしょうに」
教室での会話から知ったことなのだが、女生徒には寄宿舎が与えられており、大半の女生徒はそこで寝食を取っている。女生徒を誘うために、騎士はそこにやってきて、自分の紋章を渡す。受け取れば誘いに応じたことになり、女生徒は翌日からその紋章を胸に教室にやってくる。すると、他の生徒が感嘆の溜息をつくのだ。
校内には何人かそういった生徒を見かけたが、それは姫とは違うと相川は説明した。彼女たちは、騎士から別れを告げられれば、その紋章を返さなくてはいけないのだが、姫はあくまで騎士団の一員なのだからよっぽどのことがない限り、そういうことはないのだという。
そのよっぽどのことってのを、あたしが起こしたらどうなんのかな。
しずかがふと思っている間に、チャイムが鳴った。
「気分はどうだい？」
「鞍馬様」
鏡に映った鞍馬の姿に、梢は慌てて振りかえるとそう呼んだ。
鞍馬は笑顔で持っていた花束を梢に渡すとこう言った。
「僕のことは名前で呼んでくれて結構だよ。櫂人で」
梢は戸惑い、え…とだけ言うと顔を赤らめた。そしてゆっくりと俯くと、小さな声ではいと答える。その様子に鞍馬は納得すると、テーブルに飾られた花に触れた。
どうやら、華夜乃のことのショックはもう忘れたらしい。
「水仙の姫が決まったと聞きました」
「そのようだね」
表面上はそう答えた鞍馬だったが、その柔らかな声の裏には、日向に対する疑心に満ちていた。
あんなお転婆を姫にするとは。
鞍馬には思いも寄らないことだった。
だが、あいつは何かをたくらんでいる。成瀬日向はそういう男だ。でも何を？
鞍馬はふと鏡に自分の歪んだ顔が映し出されていることに気付いて、慌てて笑顔を作ると不思議そうに見ている梢に言った。
「でも大丈夫。水仙の姫も、百合の姫も、薔薇の姫となった白鳥華夜乃でも、君の前では霞んでしまうよ」
そうなのだ。
例え、あいつがどんなことを企んでいようとも、選ぶのは陛下なのだから。
「そういえば、百合の姫をお見かけしたことがないのですが」
梢の純粋な問いかけに、鞍馬は初めて見かけた時のことを思い出す。
驚きのあまり、息をのんでいた。そして、まさか、とまじまじと見つめてしまった。
それでも、すぐにこう思った。
似すぎていると。
しかし、所詮2匹目の鰌。
それに今ごろは姫というよりも奴隷のような扱いにさぞかしまいっているだろう。
「百合はね、速水が秘密主義なんだ。いづれ披露式にでわかることなのにね」
言ってから心の中で、鞍馬はほくそえむ。
秘密主義？ただの馬鹿でしかない。
「どんな方なんでしょうか？」
梢は不安そうに尋ねる。鞍馬の表立っては見えない笑顔が気になっていた。鞍馬は顎に手をあてると、少し考えた。
「そうだな、いかにも、速水らしい。という感じかな」
そう、あの速水らしい。堅物の速水らしい、ね。
「鞍馬様…櫂人様は知ってるんですか？どんな方か」
うっかり微笑んでいた鞍馬をじっと見つめていた梢は、不安をいっそう強めた。
もしかしたら、本当はその方を選ぼうとしていたのかもしれない。
しかし、鞍馬は梢の不安げな表情に気づいていた。
同じミスは二度と冒さない。
鞍馬は、梢の肩に触れ、自分の方に向かせた。
「多少ね。でも、僕は君を選んだ」
梢にはその言葉だけでもう充分だった。唇をかみしめて、梢は鞍馬に訴えた。
「私、頑張ります。妃に選ばれるよう、精一杯努力します」