THE FLOWER GARDEN
水仙の章05
昼になると、約束通りに相川がしずかを迎えにやってきた。
「いかがでしたか？授業は」
「別に。つまんないだけ」
そうしずかが答えたところで、遠くのほうから女の声がした。
「離してよっ、離してってばっ」
なんとなくしずかが声のするほうを向くと、茂みの向こうに女生徒の腕を掴む男子生徒がいた。
あれ？制服が、普通だ。
その男子生徒は、黄色でも、赤でも白でも、青でも、ましてや紫紺でもないごく普通のグレー制服を着ていた。こっちに来てから、そういった男子生徒をしずかが見るのは初めてだった。
「話くらい聞いてくれてもいいじゃないか、僕は君が好きなんだ」
男がそう言ったとき、突然剣がつきつけられた。そこには、一際鮮やかな瑠璃色の制服を着た男がいた。
「下がれ、雑色。怖がっているじゃないか」
そして、女生徒は、その瑠璃色の男にしがみついた。
「さっさと去れ。去らないと、斬るぞ」
雑色と呼ばれた男は、顔を引きつらせながら、それでも引こうとしなかったが、剣を大きく構えらて、慌てて逃げ出した。
「ありがとうございました」
女生徒は、男に礼を言った。男は剣を納めると、さらりと答える。
「大丈夫そうでよかった。しかし、こんなところにまで雑色が侵入するなんて。水仙の手落ちだな。姫の選び方といい、ほとほと呆れかえるものだ」
自分のことを言われ思わず出ていこうとしたしずかの手を、相川が掴んだ。
「お止めください、姫」
相川の表情は強張っていた。
「どうしてだよ、相川だっていいわけ？あんな言われ方してさ」
「あの方は菫組隊長・鞍馬です。神聖なる校舎内で、いざこざを起こすわけにはいきません。相手が鞍馬なら、なおのこと」
しずかはそれでも相川の手を振り払ったものの、そこにいたはずの鞍馬はもういなかった。
もっと顔を見たかった。
しずかはそう思ったが、仕方なく腕を引っ張る相川に引きずられるようにして、そこを去った。
「ね、質問」
食事中、しずかが手を上げると、後ろで控えている相川が聞き返した。
「何でしょうか」
長いテーブルには、しずか一人分の食事しか用意されておらず、もちろん誕生席にしずかは座らされた。君江は給仕をしており、しずかの右には相川が、左には石崎がそれぞれ控えていた。食事をとらないのは、何かがあったときのためだという。
しずかはさっきから気になっていたことを尋ねる。
「ここにも、普通の制服の男がいるんだ」
食事中に話をし始めたせいか、石崎の顔は強張っていた。相川はいたって丁寧な口調でその質問に答える。
「雑色（ぞうしき）のことですか」
「雑色？」
「先ほどの男のことでしょう。こちらの世界にやってきて、騎士団に属してない男たちはここではそう呼ばれています」
そこで石崎が口を挟む。
「姫、雑色と話をしたのですか？」
「いや、見かけただけだけど」
石崎は急に頭を抱え出した。関わると面倒そうだと、しずかは石崎を無視して相川に更に質問する。
「どうしているわけ？あの門をくぐるのは難しいだろ？」
張り巡らされた紫紺の軍隊の警備の厳しさは、しずかもわかっている。相川が口を開きかけたところで、また石崎が横槍を入れた。
「まあ、それでも時々いるんですよ。外から来る輩というものも。或いは騎士団を退団させられた人間とか。
くれぐれも姫、お近づきにならぬよう」
「何で？」
「奴らは粗野で野蛮な人間どもですから」
あまりにあっさりと石崎は答えた。それでも相川も反論しないということは、正しいのかもしれない。
それに、あの時の女生徒の反応から言っても、扱いは低いように思えた。
「それじゃさ、あたしとか君江みたいに騎士団に属さない女も雑色ってわけ？」
「それは違います。属している女性の方が圧倒的に少ないですから」
それは確かにそうだった。クラスで何かしらの紋章をつけている女性は、他にいなかったことをしずかは思い出した。
「あの門ってそんな簡単に抜けられるんだ」
しずかは少しがっかりした。
「いいえ、姫。門の警備は厳重です。女性の大半は、騎士に連れてこられますから」
当然、というように石崎は答える。しかし、しずかには意味がわからなかった。
「…どういうこと？」
「ええ…。つまり…」
言われた石崎の方が言葉を詰まらせる。そして、何か相川に合図を送るのだが、相川も答え辛そうにしている。
そこで、突然扉が開け放された。
「男の性質として、女が必要だからだ」
「隊長」
ズカズカと部屋に入ってきた日向は、しずかの向かいの席に座った。そして、君江を呼ぶ。
「君江、俺のも頼む」
ふうと大きく日向は溜息をついていた。しずかは余計に意味がわからなかった。
「どうゆうことだ？日向」
君江から水をもらうと、日向は一気にのみ干して答える。
「騎士たちは自分の気に入った女を外から連れて来る。一時的にでも自分のところの隊員としてならば、この世界にはすんなりと入れる。お前だって、そうだったろう？」
確かに、相川がいたときは、簡単にこっちに来れた。
もしかして、雅もっ。
しずかの心を読んだように日向が言う。
「遠山雅も、その可能性は高い」
しずかはあの時の男たちが、騎士団の人間に違いないのだと思った。となれば、それぞれの騎士団を探し回れば雅はみつかるかもしれない。
ところが、日向はその可能性を否定した。
「だがそういった場合、門兵の人間が見ているはずなのだが、今のところそういった情報は得られていない」
そして、まだ捜査中だと日向は付け足した。でも、その言葉はしずかにはほとんど届いていなかった。
きっと、どこかに雅はいる。
「女で騎士団に属する人間はごく僅か。皆がその座を狙っている。何かに属されていたいという気持ちからだろうな」
そういって、日向は一際強い視線を、雅のことでいっぱいになっているしずかに向けた。
「いずれにしても、この世界において、女は男の所属品だ。そのことを忘れるな、しずか」
午後の授業は体育だった。しずかはグランドを一心不乱に走りながら、時々雅のことを考えていた。
騎士たちは気に入った女を外から連れてくる。遠山雅もその可能性が高い。
日向はそういった後で、それでも、雅がこっちに来ているとは言わなかった。捜査中だと、そう言っただけだ。
本当にそうなのか？
しずかは、どこか日向のいうことを信用できずにいた。真剣に捜査しているとは思えなかった。何故だと考えて、しずかは日向の斜に構えた表情を思い出す。
あの瞳だ。まっすぐに見ていても、何かを隠している、企んでいる瞳だ。
何より、あの時日向に言われた一言が気にくわなかった。
女は男の所属品だ？
ざけんなよ。
考えに耽っていたために、しずかは自分の後ろに伸びた手に気付けなかった。その手は思いきりしずかを突き飛ばして、バランスを失ったしずかはそのままグランドに転んでしまった。
「ってぇ」
すりむいた膝から、血がにじんでいた。顔を上げると、そこには宮内が笑顔で立っていた。
「あーら、ごめんなさい。とろとろ走ってらっしゃるから、おもわずぶつかってしまいましたの」
その厭味な物言いに、しずかはムッとして立ちあがる。
宮内真理恵は、教室でしずかを非難した後も、執拗なくらいにしずかをにらんだり、厭味をわざと聞こえるように言っていた。反省室に入らぬようにと無視し続けていたしずかだったが、ついに何かが切れた。
「ざけんなよ」
そして立ちあがると、宮内に向かってつかつかと歩いていった。
「てめぇは何なんだよ。さっきから、あたしのこと言いたい放題言いやがって。わざとらしいんだよっ」
しずかは宮内の胸ぐらを掴もうとして、君江に止められた。
「お止めください、姫っ」
「うっせー」
君江を振り払おうと、つかまれた腕を大きく振ると、その反動で君江がグランドに突き飛ばされたように尻餅をついてしまった。
「あっ、…悪い」
しずかはそこでいくらか冷静になって、慌てて君江を引き上げる。立ちあがって君江は足をくじいてしまったらしく、小さな悲鳴を上げたが、心配そうなしずかを見て、君江はしかめていた顔をすぐに笑顔に戻した。
「大丈夫です、それより姫の膝が」
言われて自分の足を見ると、血が足を伝って流れていた。
「いいよ、こんなもん。すぐに治るからさ」
心配そうな君江に言ったところで、自分の存在を忘れられていた宮内が声をあげて言った。
「なんて野蛮な方なのかしら。こんな方が水仙の姫だなんて、信じられませんわ、ねぇ」
宮内の後ろにいた何人かの女生徒も頷いている。
「んだと、てめぇがっ…」
「姫っ」
君江に言われて、しずかは振り上げた手を止めて、ぎゅっと握り締めて下ろした。そして、ほくそえんでいる宮内を睨みながら言った。
「覚えてろよ」
君江の肩を支えると、しずかは保健室に行こうと立ちあがった。歩きながら、しずかはふと強い視線を感じた。グランドを見渡し、その視線をたどると、それは校舎から向けられていた。４階あたりだろうか。しずかに見えたのは、振りかえったその人影の、ゆるくカールされた後ろ髪だけだった。
「姫？どうかしました？」
立ち止まったしずかに君江が声をかける。何でもないとしずかは答えた。
「全く、何だっていうんだよな、あの女。宮内…とか言ったっけ？」
保健室に保健医はいなく、しずかは君江の手当てを受けながらそう吐いた。君江は軽く笑顔を浮かべると、しずかの足に包帯を巻きつけながら言った。
「宮内真理恵さんは、水仙の姫候補の一人だったんです。それがしずか様に決まって面白くないんでしょう」
「あいつが姫？」
しずかは驚いた。確かに美人だとは思うが、どうもピンと来ない。といっても自分がピンとくるかというと、それも違う。
「石崎様はかなり熱心でした。でも成瀬隊長が首を縦に振らなかったと聞いてます。でも私、しずか様が姫でよかったと思います」
しずかが照れている間に、手当ては終わり、今度は君江の手当てをするとしずかが包帯を手にしたのだが、うまくいかずに結局君江が自分で自分の手当てをすることになった。
しずかは困った表情を浮かべ、器用に君江が巻いていく包帯を見ていた。
「とにかく姫。他の生徒に手を出すのは止めてください」
「反省室なんかくそくらえだ」
「反省室？こちらにはそんなものはございませんよ」
君江がそっと言う。
日向のやつ…。
「嘘つきやがって」
そう呟いたしずかだったが、君江ははっきりと答えた。
「姫の行動は、すべて水仙の行動でもあります。そして、姫のなさったことの責任は、すべて水仙の、つまりは成瀬隊長の責任にもなります」
その言い方に、しずかは聞きかえす。
「君江は…。日向に惚れてるわけ？」
君江は顔も上げずに首を振って答えた。
「お慕いはしてます。もちろん、水仙の隊長として」
しずかはふーんとだけ答えると、椅子から立ちあがった。今の君江の言葉が、今朝の相川に似ていたことを思い出した。
そんなに、いい奴とは思わないけどな。
だが、しずかにも、日向が一度出会えば強烈な印象を残すに違いないことはわかっていた。
けど。あたしの印象は。最低最悪の男だ。