THE FLOWER GARDEN
水仙の章04
「おはようございます」
突然の大きく、爽やかな声とまぶしい日差しにしずかが目を開けるとそこには見知らぬ女が立っていた。制服を着ているということは生徒なのだろう。
しずかはゆっくりと身を起こした。女はもう一方のカーテンを開けた。
「今日から姫様のお世話をさせていただきます、斎野君江と申します」
君江はそう無垢な笑顔をしずかに向ける。しずかは少し戸惑い気味に答えた。
「ああ」
そして大きく伸びをして辺りを見まわし、ようやく今自分がどういった場所にいるのかを思い出してきた。
そうだった、あいつにはめられたんだ。成瀬日向。
しずかが日向の顔を思い出して、むっとしていると、君江が驚いて大声を上げた。
「姫様っ、どうなさったんですっ。そんな格好のままでお休みになるなんてっ」
言われたしずかは自分の服を見つめた。
確かにきったねーな。
闘いの時の泥もついていれば、しわにもなっていた。しかし、それでもしずかは日向の用意したものを着たくなかったのだ。それらは全て、日向に投げつけたままに床に散乱している。君江はそれを一つ一つ取り上げていきながら、その声を震わせて言った。
「お気に召していただけなかったんですか？」
驚いてしずかが見ると、君江の目には涙が浮かんでいた。
「そんなんじゃなくて…その…」
おそらくあの服は、君江が選んだものだったことをしずかは悟った。まずい、と他の言葉に言い換える。
「着なれてるもの、着たいんだ。なあ、あたしの荷物は？」
君江は涙を拭いながらそうですか、と答え、笑顔を作るとしずかに向けた。
「そちらにございます」
相川といい、君江といい、このどんな雰囲気でも和らげてしまうような笑顔に、しずかは戸惑っていた。自分のペースがつかめないのだ。
ふうと溜息をつき、しずかは立ちあがって、君江の指した自分のボストンバックに駆け寄る。そして、雅のリボンを確認するとホッと安心した。寮に置いてきたままだったのが、昨夜から気がかりだったのだ。顔を上げると、正面のガラスに、自分の姿が映っていた。
こりゃ、まずいな。
思った以上に服の汚れはひどく、しかも髪もぐちゃぐちゃだった。
君江は綺麗にたたんであった制服をしずかに差し出した。
「さ、姫様。お着替えになってください。隣にお食事をご用意しておりますから。それともこちらに持ってきましょうか？」
「いや、いいよ。行くから」
よく考えてみればわけのわからないことになったものだとしずかは思っていた。
雅を探してただけなのに、こんなところに入り込んじまって、しかも姫様に、妃候補。豪華なベッドに召使。
しずかがじっと制服を見つめていると、君江がそっとしずかに光るものを差し出した。
「これを、忘れずお付けください」
それは昨日、日向が投げてよこした紋章だった。受け取りながら顔を上げる途中、しずかは同じ物が君江の胸にもついていることに気付く。
「あ…えと…。さい…」
思わず名前が出ないでいると、君江が答えた。
「君江と呼んでください」
しずかは少し躊躇して呼ぶ。
「君江…も、姫なわけ？」
「何をおっしゃってるんですかっ。滅相もないっ。違いますし、第一、組に姫は一人と決まってます」
大きく手を振るといった慌てぶりに、しずかも逆に驚いた。
「だって、これ」
思わずそう言って紋章を指すと、君江はその紋章に優しく触れながら説明してくれた。
「この紋章は、水仙の一員の証拠なのです。あるとないとでは大違いですから」
「それじゃ君江も、剣を持ってるわけ？馬に乗ったりして、軍隊みたいなことしてるの？」
日向はもちろんのこと、相川も、あの石崎ですら、剣を腰に携えていたはずだ。
思えば、今までしずかが見たあの軍隊のような集団は全て男だった。それが単なる偶然であるなら、むしろそっちの方が自分に合っている。
しかし、君江は当然といったように首を振る。
「いいえ。この学園の秩序を守るのは男の方の役目です。私はこういった組の方のお世話をしてるんです。この紋章は大事なものですから、無くさないでくださいね」
しずかはそっと紋章を手にとってみたが、その重みは全く感じられず、ただの金属の塊にしか思えなかった。
着替えを終え、食事も終えたしずかは、君江に髪をとかされた後で、授業へと向かうために向かいにやってきた相川の後をついていくと、そこには一台の馬車があった。
「冗談だろ？相川」
扉を開けた相川は、しずかに乗るよう指し示し、当然と言う顔をした。
「何をおっしゃってるんですか。さあさあどうぞ乗ってください」
手伝った君江にもなかば押し込められるようにして中に入ると、そこには足を組んだ日向がすでに座っていた。おはようとも言わずに日向は言う。
「昨日はよく眠れたようだな」
しずかはわざと日向から一番遠い斜め前の席を選んで座りながら答えた。
「おかげさまでな」
相川が乗りこむと、馬車は走り出した。外を眺めていると、流れる景色と同じほどの優雅さを感じ、しずかは自分に似合わない居心地の悪さを感じた。黙り込んでしまったしずかに日向が話しかける。
「授業はさぼるなよ。さぼったら、また反省室行きだ」
「お前だって、出てるのかよ」
相変わらずの偉そうな口調に、しずかがそういうと、日向が真剣に答えた。
「俺は必要無い。それに授業以外にやらねばならないことがある」
なに冗談言ってんだよ、と言いかけたしずかに、相川が元気良く口を開く。
「着きましたよ、姫」
日向には言いたいことが山ほどあったが、あえて何も言わずに馬車を降りると、そこにある建物は、昨日自分が通っていたものとは違っていた。
「校舎、違ってるけど」
白塗りの壁に、まるで昔のヨーロッパの宮殿を思わせるような入り口。高い柱、大きな扉。
相川は馬車の扉を閉めると、にこやかに答える。
「もちろんです。姫はあちらの人間と一緒に授業を受けるわけにはいきませんから」
開けられた扉の向こうに広がる景色も、昨日とは全く違う。広い廊下に、豪華なシャンデリア。まるで、美術の教科書に出てくる美術館のようだった。
そうだ、昨日の建物を見たときと同じ。学校のものとは思えないような豪華絢爛な建物。廊下には絨毯まで引かれていた。
上を見上げているしずかの前を、相川は歩いていく。その後ろには、さらに水仙の紋章を付けた男二人が付き従っていた。ふと、しずかは相川が気になった。
「相川たちも一緒に来るわけ？」
聖桜花学園は男女共学だが、男子部と女子部にきっちりと分かれていて、校舎も別で、立ち入り禁止になっていたはずだとしずかは思い出した。それも、昨日いた世界での話だが。
「もちろんです。私は姫の護衛役ですから。とはいえ、教室には入れない規則になっておりますので、廊下までご一緒させていただきます」
歩き出した相川の後を追っていくと、しずかは何人かの女生徒とすれ違った。彼女たちは皆、しずかの姿をみとめると、お喋りしていた口を閉ざして何も言わずにただじっと見つめてきた。その視線があまりに無骨なので、しずかは思わずムッとして、その一人に向かって言った。
「何見てんだよっ」
慌ててしずかの右についていた男がしずかを押さえる。
「お止めください、姫」
「だって、こいつらがあたしのころジロジロ見てんだぞ」
しずかに睨まれた女生徒は、さらにしずかに睨まれて怯えて逃げ去ってしまった。相川は男にしずかから腕を離すように指示すると、穏やかに答えた。
「それは姫だからですよ」
意味のわからないしずかは、ぷうと頬をふくらます。
「姫は、騎士団で最後に決まった姫だからです。みな、どんな方が姫になったのか知りたがっているんですよ」
「それじゃ水仙はとんだ貧乏籤を引いたって思ってんだろな」
冗談めかして言ったしずかに、相川は真剣に言う。
「何を言ってるんですか。姫は立派な姫、我が水仙の誇りとなる方です。成瀬隊長の目に狂いはありませんっ」
いつも笑顔の相川の表情が真剣になって、しずかは驚いた。が、そう言った相川が一呼吸おくと、その表情はまた元の穏やか顔になっていた。
「みな、姫に期待してるんですよ」
そう言われてしずかは何も言えなくなった。
しかし、日向のことはどうも解せない。そんなしずかの心を知ってか、相川が言った。
「姫の友人のことですが、どうやら急な病により、病院で休養なさるということです」
しずかが顔を上げると、相川はにこやかに答えた。
「隊長は、姫との約束をきちんと守るつもりです。だから姫も約束してください」
それでもしずかは何も言わなかった。約束するということは、しずかにとっては守るべきことであり、嘘でもいいから頷くという心境にはなれなかったのだ。そして何よりも、雅のことが大きなショックであったのだ。
だったら、連絡ぐらいしてくれても、よくないか？雅。
何も言わないしずかを見て、相川はしばらく無言で歩いていたが、ある教室の前で立ち止まった。
「ここが姫の教室です。お付きの君江もこのクラスです」
その時になって、しずかは自分が何も持っていないことに気付いた。
「どうかしました？」
「寮に忘れ物してきた」
「私が取ってきます。何ですか？」
教科書、としずかが言うと、相川はすでに手配済みで、しずかの机にあるのだといった。
「他にはなにかございますか？」
しずかはしばし考える。もともと小さなボストンバッグ一つの身だった。何も無いような気はするが、と考え込むしずかに、相川はさらりと言った。
「もしあるのでしたら遠慮なさらずに言ってください。姫はあの世界には、もう行けませんから」
「え？」
驚いてしずかが顔を上げると、相川は忘れていましたと付け加えてい言った。
「姫はこの校舎と、水仙の領地以外の場所は原則として出入禁止なんです」
「なんでだよ」
「外の世界はいわば無法状態です。姫が一人で行くには危険すぎます」
その危険な中に、昨日まで自分はいたんだと言おうとしたしずかだったが、相川が先に話を続けた。
「水仙以外の領地は、それぞれの騎士団が治めています。今は妃候補がいるために、どんな侵入者に対しても、かなりの不審感をもっております。もし、どうしても用があるというのなら、私に言ってください」
そんな約束は日向としていていないと言おうとしたしずかだが、またも相川が先に口を開いた。
「それでは、わたしたちはここで失礼します。基本的には廊下で何某かが待機しておりますので」
残されたしずかの耳に、授業開始のチャイムが聞こえた。
しずかは自分が鳥かごに入れられた雀のような気持ちになった。今までの生活は忘れろと言った、日向の言葉が嫌に思い出された。
夢の世界、か。
しずかは授業を聞き流しながら、そう思っていた。
ここでは、昨日までの無機質な学校とは違う風景があった。休み時間に交される、他愛も無い友人同士の会話。授業中に回される小さな手紙。笑顔。笑い声。
しずかは自然と自分の友人のことを思い出していた。毎日ばかなことばかりしていたと思う。でもそれが幸せだった。いつから、それが変わったんだろう。義父さんに会ってからだったんだろうか？
ふとそう思った時に、しずかは自分に向けられた声をはっきりと聞き取った。
「あんなのが妃候補なんて。日向様の目も曇ってしまったのかしら」
振りかえると、自信ありげにしずかを睨んでいる少々きつく整った顔の女生徒がいた。
他の騎士団からの中傷や裏切り、罠には気をつけろ。
そういった日向に、しずかは言い返したくなった。
ついでに、他の女たちもな。