THE FLOWER GARDEN
水仙の章03
「私は相川と申します。これから姫の護衛をさせていただきますので、よろしくお願いいたします
そしてまた、あの張り詰めた雰囲気を壊すような笑顔を浮かべる。
しずかはその笑顔につられそうになりながらも、今の自分の状況を思い出し、顔を強張らせて言った。
「こんなとこ連れてきて、どうするつもりだよ。だいたいその姫ってのも何なわけ？」
「姫は、姫ですよ」
そういって相川は笑う。しずかが連れてこられたところは、あの塀を越えた場所である。門兵に敬礼をしただけで、しずかはそこを通りぬけ、この場所にやってきた。距離で言えば噴水からは５００メートルと離れていないだろう。
そこは、一角が六角形になっている２階建ての建物だった。その六角形の一階は、５つの壁が全てガラス張りになっているテラスで、そのすぐ下には小川が流れて、池を造っていた。どうもこの池の水が、そのままあの噴水に流れ着いているようだ。ガラスに小川に反射した月光が映し出されて、テラスには、何とも言えない輝きがみられた。テラス以外の部屋でも、黄色を基調としたインテリアが、まるで光の中にいる錯覚をおこさせる。エントランスの天井の見事なシャンデリアに、しずかが惚けている前で、相川は螺旋階段を上って行く。
名前を呼ばれて しずかが慌てて階段を駆け上ると、相川が、一番奥の部屋の扉を開けていた。
「こちらは姫の寝室です」
そこはまるで小さい頃聞かされたおとぎばなしのお姫様の寝室だった。天蓋付きのキングサイズのベッドには、繊細なレースのカーテンが靡いていた。しずかは思わず生唾を呑み込んだ。
「姫にはここで生活してもらいます。お付きの人間は、明日にでも紹介させていただきます。必要なものがあれば、私かその者にお申し付けを」
しずかはまるで自分が本当の姫になった気分になりそうになった。
でも、閉じ込められるなんて、冗談じゃない。
揺れる心に戸惑うしずかに、相川は説明しつづける。
「校舎には、ここから私どもがお供いたします。それから放課後にはダンスや礼儀作法などのレッスンがはいるかもしれません」
「レッスン？」
「王妃としての勉強です。詳しいことは隊長がお決めになることですが」
相川はそう言って、テーブルにいけられた水仙を整えた。
「その王妃っての何？姫とか、妃候補とか、水仙とか。あたしにわかるようにイチから説明してよ」
強気なしずかに、相川は部屋を一人で綺麗に整えながら聞き返した。
「隊長から何も？」
「ああ。聞いてないよ、つーか何か言ってたけど、わかんなかった」
「そうですね。姫は転校したてでしたね。では、初めから説明させていただきます。
まず、この学校聖桜花学園は、旧華族桜小路家が建てられた学校です。故に桜小路一族を、ここでは皇族と呼んでいます。実際にこの学校の全てのことは桜小路家の一存で決定されます。この学園は桜小路家の一つの帝国と思ってくだされば、分かりやすいかと思います」
「じゃあ、あんたたちが陛下って呼んでるのも、その一族の人間なわけ？」
「はい。桜小路家のご長男、有世（ありせい）様です」
しずかは腕組しながら、心の中で頷いた。そんなしずかを見て、相川は次に話を進める。
「そして、陛下の手足となり、またこの学園の秩序を守るのが、四組の騎士団の役目なのです」
「騎士…団」
「薔薇、百合、菫、そして我が水仙の四つの組です。それぞれが割り当てられた地区を守っています。それぞれの地区を、わたし達は、薔薇の園、百合の丘、菫の草原、そして水仙の泉と呼んでいます」
「その騎士団の奴らは、あんたみたいな軍服みたいのを着てるのか？」
しずかは、ふいに今までに見た紫紺の変形している制服を思い出す。
目の前の相川も、同じような制服だ。ただ、ラインの黄色が今までとは違う。
「そうです。薔薇は赤、百合は白、菫は青、そして水仙はこのように黄色のラインが入ってますし、それぞれの紋章をつけることが団員である証拠です。今、姫が持っているのはうちの紋章ですよ」
相川は、しずかの手にしていた日向から手渡されたものを、目敏く見つけてそういうと、自分の胸に付けてあるものも見せた。紋章は、品ある黄色の水仙を形どっていた。
「あたしのこと、妃候補って言ってたよな。それって、さっきの桜小路有世って皇帝陛下の妻ってこと？」
「はい。といっても、実際に結婚するわけではございません。この学園の中の話です。本当ならば、実際にもご結婚するはずだった佳乃（よしの）様がお亡くな
りになられて、陛下があまりにも悲しんでいらっしゃいました。そのため次の王妃を選んでいただこうではないかという菫からのご提案がありまして、騎士団が代表してそれぞれの組から一人ずつ候補を選ぶことになったんです。そこから陛下にお決めいただこうと。そして、我が水仙では姫を選んだというわけな
んです」
「まるで、なんかのおとぎばなしみたいだな。姫とか、妃とか、騎士とか、陛下とか」
馬鹿にしたしずかの言い方にも、相川は笑顔で答える。
「こう思えばいいのです。この学園は夢の世界だと」
ふいにしずかは道木という男が同じことを言っていたのを思い出した。
塀の中は夢物語の世界。
確かに、ここはしずかのいた寮や教室のあの無機質とはちがう、息遣いというものを感じることができる。
夢でありながら、どこか人間臭さを感じるのだ。
続きを説明しようとした相川だったが、突然男の甲高い怒鳴り声がして、話は中断された。
「ちょっと待ってくださいっ、隊長っ。西御寺しずかといえば、この学園にそぐわない問題ばかり起こすとかで外の世界からも追放されかかってる人間という噂じゃないですか。確かに、運動神経はいいのかもしれませんが、そんなことは王妃に関係ありません。あんなじゃじゃ馬、私は反対ですっ…。いたのか、相川」
開いている扉の向こうに相川が見ても、話を続けようとした男だったが、しずかまで顔をのぞかせたので、そこで一旦話を切った。
よく転がりそうだな。
しずかはその男を見ながらまずそう思った。男は小柄で、太っていたのだ。制服の首がつらそうだった。
「あいつ、誰？」
しずかは男の視線が自分に刺々しく向けられているのに気付く。男の方はしずかを気にしながらも、一応顔は部屋の奥でどっかり座っている日向に向いていた。しずかの小声の質問に、相川も囁くように答える。
「水仙組副隊長の石崎です」
「副隊長。へぇ。偉いんだな」
しずかは嫌味で言った。
「あいうえお順で決めました。だから一応私も副隊長なんです」
しずかはふーんと答える。ただじっと、しずかを見ていた石崎だったが、ふと思いついたように手を叩くと日向に向かって、早口で言った。
「なるほど、わかりました。菫の村松梢のように大変身させて皆をあっと言わせようというのでしょう。それなら、私にお任せを。言葉遣いから、何から直してみせますっ」
日向は面倒そうに答える。
「それは有難い申し出だが必要ない。何も変えない。あのままだ」
「あのままって…隊長っ」
「言っただろ？鞍馬の真似はしない」
あくまでも目の前の石崎とは別のことを考えているように見える日向。そんな日向にしびれを切らしている石崎。しずかはもう一度、二人には届かない声で相川に聞いた。
「鞍馬って誰？」
「菫の隊長のことです。鞍馬櫂人（くらまかいと）隊長。薔薇は夏目優（なつめすぐる）隊長、百合は速水恭介隊長が、それぞれ勤めております」
ふーんと答えて、しずかは怒りに震えている石崎を見つめた。
「ねえ、相川。あいつとあたし、どっちが偉い？」
「それはもちろん姫ですよ。姫の地位は隊長の次ですから」
怒りを何とか抑えた石崎だったが、何も答えない日向についに堪忍袋の緒が切れたように部屋に響く大声を轟かせた。
「冗談言わないでくださいっ。そんなことをすればー」
そのときしずかは相川を押しのけて部屋に入り、そして石崎の言葉を遮って話しかけた。
「石崎」
驚いた石崎が、しずかの方を振りかえる。
「はっはいっ」
「少しは黙れよ、あんたのそのキンキンした声聞いてると、むかむかして殴りたくなるんだよっ」
しずかのその言葉に、石崎は青筋を立てて、わなわなと震えている。一方のしずかはしてやったりの顔だ。
全く、これは一筋縄ではいかないな。
日向は溜息をつく。そして、しずかに何か言い返そうと歩き出そうとした石崎を、椅子から立ちあがって止めると優しく言った。
「石崎、とりあえず今日はもう部屋に戻ってくれ。明日またゆっくり話を聞く」
石崎は日向としずかを交互に見ていたが、ついには肩を落として言った。
「はい…。わかりました」
そして、日向は相川にも部屋に戻るように言った。
「事情はわかったか？」
部屋には日向としずかしかいない。しずかはベッドに座り、日向は林檎を手で遊びながら窓辺に立っていた。
「まぁね」
「妃が決まるのは２ヶ月後だ。それまでは俺との約束を守ってもらう」
しずかは敢えて答えずにいた。日向は声を鋭くする。
「言っておくが、平穏無事に暮らせると思わない方がいい。それぞれの騎士団はみな往々に自分のところの姫を妃にと思っている。中傷はもちろんだ。裏切りや騙しには気をつけろ」
何も答えないしずかを見ていた日向だったが、その表情をふっと緩めると、冷たい瞳で言った。
「礼儀作法は全く知らないところで育ったようだな。今までに４回補導、２回退学させられている」
「調べたのかっ」
しずかは思わずベッドから立ちあがる。日向は至って平然とした顔をしていた。
「陛下の妃候補だ。素性は知っておかないとな。３ヶ月前に母親が再婚して西御寺グループの社長に嫁いだ。小さなスナックのママから、見事な玉の輿だ」
「別に金が目当てで結婚したんじゃねぇよ」
しずかは日向をにらみつけながら思い出す。義父を紹介した時の母の本当の笑顔を。
しかし、周囲の人間は日向と同じように考えた。友人だった智広までも。
そして、義父の家族は反対した。
興奮気味のしずかと対照的に、日向は冷静なままだ。
「本人は違っていても周りはそうは思ってない。だろうな」
しずかは顔を背ける。
「どうでもいいだろ、そんなこと」
おとなしくなったしずかを無視し、日向は続ける。
「そこそこの美人だから、素直に親の見合いを受けていればよかったのに、家出したのが運のつきだったな」
「なんでその話っ、見たこともねぇだろ！」
「お前の大事なロケットに入ってただろう？写真」
「勝手に見たのかよ！」
怒鳴るしずかに、日向は火に油を注ぐかのごとく話し続ける。
「実父は５年前に別れたものの、未だに金をせびりにやってくるアル中」
「オヤジのことは関係ないっ」
そう叫んで自分の方に勢い込んだしずかを見て、日向はテーブルに林檎を置く。
「そんな親を見て、男には頼らないと決めたのか」
日向に届く、１歩手前でしずかは足を止める。
「しかし、女は男に守られるもの。体格、体力、何を取っても男には勝てない」
「そんなことないっ。あたしはあの男たちに勝ったんっ…」
ついつい主張して広げた右手を日向が捕らえる。力の差は歴然だった。
「でも俺に負けた。お前は女だ。女の幸せは男が決める」
「あたしは男なんかに頼らないっ。守られたくもないっ。一人で立派にやってける」
「本気でそう思っているのか？本気で力だけでも勝てると思っているのか？」
日向はしずかににじり寄ってくる。しずかは懸命に右手を離そうとするが、無理だった。
「やめろよ」
しずかは自然と顔をひきつらせていた。足がベッドにぶつかる。ここにはもう誰もいない。声を出しても、誰も来ないだろう。その前に日向に逆らえる奴がいるんだろうか。すぐ前の日向がにやりと笑った。
「所詮力では勝てない」
最後に振り上げた左手も掴まれ、しずかはそのままベッドに押し倒された。ベッドのスプリングが軋んで音を立てる。
「やめろっ」
日向の不気味に笑った顔がしずかに近づいてくる。必死になって、日向の下でしずかがもがこうとしていると、お互いの鼻先があとわずか５センチというところで、日向の動きが止まり、すぐに横を向くと声を上げて笑い出した。
「クックックッ…」
しずかはからかわれたことに気付いて顔を真っ赤にして、日向の体を突き飛ばすと起きあがった。日向はベッドに転がって、まだ笑っている。
「じょ、冗談じゃねぇよ、誰がこんなとこにいるかっ。出てってやるよ、こんな学校くそ食らえだっ。やめてやるっ」
「やめると母親は悲しむだろうな」
しずかは驚いた表情で、はっと日向の顔を見つめた。
「お前は母親のためにも、義父のためにも、この学園を退学することはできない。それが母親の入籍の条件だ」
なんでそんなことまで。誰が。
怒りで震える手を、しずかはぎゅっと握りしめた。自分が今まで守ってきたものが、まるで安物ソープオペラのような言われ方が許せなかった。そしてまた、日向は軽く溜息をつくと、簡単に言う。
「ずいぶんと馬鹿げた賭けをしたんだな」
「うるせぇっ」
賭けではなく、約束だ。
つい出てしまった大声にも、日向は余裕を持って答える。
「安心しろ。この学園からは逃げることができない、特にこちらに来るとな。
今日はもう休め。着替えはそこに用意しておいた。好きに使うといい」
しずかは日向の視線の先の服を取ると、全部日向に投げつけた。息が上がっている。服に塗れた日向を見ていると、それでも少しは気が済んだ。 日向は顔にかかっていたシャツを取り除くと、しずかに向かって言った。
「お前の探している友人、雅とか言ったな」
「それがどうした」
しずかは悔しくなった。もともと雅を探すためにこうして日向に勝負を挑んだのに、負けただけじゃなく、こんなことになるなんて。そっぽをむいたしずかに、日向は言った。
「俺が調べてやってもいい。ただし結果がどうであろうと、お前は逃げ出さないことが条件だ。それから」
日向の鋭い視線を感じて、しずかが顔を向けると、日向は強く、そして絶対的に言った。
「少なくとも、ここにいる間は、今までの生活のことは忘れろ」
自分の部屋に戻った日向は、首のホックを外すと、椅子に身を投げ出した。一息つくとすぐに扉がノックされ、一人の男が姿を現した。日向はゆっくりと体を起こしながら尋ねる。
「百合の姫の情報は、手に入ったか？」
「いえ。どうやら百合は襲名式まで姫を表には出さないようです。百合の館の警備は普段よりも手厚くなっていますし、姫がいると思われる部屋のカーテンも引かれたままです」
男が出してきた資料を日向は受け取る。そして、思い出したように言った。
「そうか。すまないが、雅という女のことを調べてくれないか。しずかと同日に転校してきているはずだ。百合に監禁されてる可能性が高い。慎重に頼む」
「承知しました」
頭を下げ、出ていこうとしている男に日向は付け足すように言った。
「それがどんな情報であっても、しずかには流すな。常に捜査中だと答えるよう相川にも言っておけ」