THE FLOWER GARDEN
水仙の章02
幸せ、なんだろうか。
「いいな、しずか。シンデレラみたいじゃない？」
前の学校の友達はそう言っていた。智広ですら、
「お前って、ついてるよな」
と言っていた。でも、幸せだったんだろうか。そして、今も。
でも、少なくとも、母さんは幸せなんだ。
ふいに懐かしくなって、しずかはブレザーの内ポケットを探したが、それはなかった。
畜生っ。
しずかは舌打ちをし、ブレザーをベッドに投げつけるとその上に転がった。いつも持っている生徒手帳が見つからないのだ。
思い当たるのは、あの時だ。
そう、あの変な男がブレザーを拾ったとき。あいつが盗んだに違いない。
しずかには、生徒手帳そのものが重要なのではなかった。中には入っている例のお守りが問題なのだ。
『今夜１０時、噴水の前に来い』
名前も知らない男とのつながりはそこだけだ。時計を見ると、ようやく１０時を過ぎようとしている。消灯時間も過ぎ、寮はしんと静まり返っていた。
それに、雅のことも聞き出さないといけない。わからなくても、この学校の仕組みには詳しいに違いない。
今日は最低だ。
しずかはそう思った。
広い校内に迷い、監視をくぐりながらしずかが噴水にたどり着いたのは、もう１１時になろうとしていた。噴水は、校内の奥、森の手前にあった。噴水の横の木に寄りかかるようにして月を見上げていた男は、しずかに気づいて木から身を起こした。
「俺は１０時と言ったはずだ」
「話をしに来たわけじゃない」
しずかはそういうと、持ってきた木刀を男の前に投げて落とした。自分も一本手にしている。
「何だ？」
「あたしの生徒手帳盗んだろ。返せよ」
すると男は胸ポケットから紺色の手帳を出した。そして中からロケットも取り出してしずかに見せる。
「これか？装飾品は持ち歩いてはいけない規則のはずだが」」
「うるさいっ。お前に関係ないだろっ、早く返せよ」
しずかはさっと手帳とロケットを取り返した。そして大事にポケットにしまう。そして、顔を男に向けた。黒のタートルに黒のスリムパンツは、引き締まったしずかの体のラインをはっきりと現していた。男はそんなしずかを吟味するように見てから、足元に置かれた剣を見つめた。
「で、この剣は何だ」
「お前と勝負したい」
「勝負？何故だ」
「今日のことを貸しにしたくない。それに雅の居所も知りたい。あんただったら何か掴めるだろう。あたしが勝ったら、貸し借りもなし。雅の居所をつきとめてもらう」
声を上げて微笑む男を見て、しずかは腹を立てた。男は一通り笑い終わると、こう聞いてきた。
「俺が勝ったら？俺はこの勝負に何のメリットがあるんだ？」
「それは…」
しずかは黙り込んでしまった。
まずった、いつもこうだった。いつも突っ走って、後から問題が出てくる。
黙りこんだしずかを見て、男は反対に切り出した。
「俺が勝ったら、俺の言うことを何でも一つ聞いてもらうってのはどうだ？」
「何でも？」
しずかの顔が曇る。男はそれを見て、当然だとでもいうように、小さく頷いた。
「そうだよな。自信ないんだろ。脚も怪我をしてるしな。負けても当然だ」
「違うっ。わかった、なんでも言うこと聞いてやろうじゃんかっ。ただしあたしが負けたらだぞ」
してやったりという男の表情に、興奮しているしずかは気付かない。
「よし、取引成立だ。ただし、俺はこの木刀は使わない。そうだな…」
男はそういうと、寄りかかっていた木の枝を折ると、しずかが差し出した木刀よりも短い長さにして構えた。
「これで充分だ」
「ばかにしてるのかっ」
しずかは怒鳴る。しかし男は飄々とした顔で言った。
「怪我を負っている女に勝っても、何の自慢にもならん」
その言葉がしずかの心に火をつける。
絶対に、負かしてやるっ。
「その言葉、後悔させてやるからな」
「俺は事実を言ってるだけだ。女とは、男の付属品でしかない」
「てめぇ」
「さ、どうぞご自由に」
男はそういうと、おどけるような格好をしてみせた。
ふざけてんじゃねぇそっ。
しずかは剣を構えると、男をにらみつけ、突進していった。
確かに、しずかは怪我をしていた。が、その怪我はそれほど大きな怪我ではなかったとしずかは思っていた。いや、実際に痛みはほどんど感じなかった。しかし、全く歯が立たないと言っても良かった。それほど、男は強かったのだ。
飛び込んでいったしずかの剣を、真っ向からは受けずに避け、枝を剣代わりに次々としずかが振り下ろすところを正確に受け止めた。やっという声と共にしずかが大きく剣を振り下ろしてもきちんと受け止め、そこからつばぜり合いになっても、必死なしずかに比べて、男は余裕の笑みすら浮かべている。
むかつくっ。
ささっと男から体を離すと、再びしずかは剣を構えた。自分だけ息が上がっていることに気付いて、動くのを止めて呼吸と気持ちを何とか落ち着けようとする。
「ばてたのか？」
男のその言葉に、思わずしずかはカッとして、何も考えずに飛び込んで行った。一瞬男のにやけた笑みを見たと思うと、男はしずかの剣を受け、さらに手首を返すように巻き込んだ。しずかは痛みと共に剣から思わず手を離す。まずいと思った瞬間に、しずかの剣は空を舞い、そして音を立てて後ろの噴水に落ちていった。
「俺の勝ちだな」
驚きで呆然としているしずかは、なんとか言い返した。
「…聞いてやろうじゃんか、お前の願い」
何でもやってやろうじゃんかよっ。
…でも、まさか。危ないことには、ならないよな。
それだけは母さんと約束したんだから。でも…。女に二言はないんだ。
こいつが言うことには従わないといけない。
しずかがぎゅっと目を瞑ると、意外にも男の至って冷静な声がした。
「俺は成瀬日向。水仙の隊長だ。お前には、水仙の姫として、陛下の妃候補になってもらう」
予想外で、しかも聞いたことのない言葉で、しずかはよく聞き取れなかった。
「妃…候補？」
ってどういうことだ？
しかし、そんなしずかを無視して日向は話を続ける。
「部屋も水仙の泉に替え、約２ヶ月間俺の管轄下で生活をしてもらう」
「お前の管轄だって？」
ある意味でそれはしずかにとって拷問に近い。今だって、校則は厳しいものの誰かの管轄なんてことはなく、それは生徒たちにとっては平等なものであった。しずかは誰かに監視され、しばりつけられるようなことが何より辛い。
日向は持っていた水仙の形をした紋章を、しずかに投げてよこした。
「言っておくが、お前は俺の部下だ。俺の命令には絶対服従」
「何だって？！」
そんなんじゃ、永遠にいいなりになるじゃないか。
そんなしずかの心を見透かしてか、日向は微笑んで言った。
「ただし、正式に妃となれば、俺はお前の部下になる。そうなれば、俺がお前の命令に従わねばならない」
「妃…？」
わけもわからない状態のしずかを無視して、日向は森の方向に声を掛けた。そこにはいやに親しみやすい笑顔を浮かべる男がいた。
「相川、後は頼んだ。うちの大事な姫様だ。丁重に扱うように。それから傷の手当てもしてやれ。脚と、左腕だ。あんな手当てじゃ治るものも治らない」
「はい、隊長」
「ちょっとっ」
自分の手当てをけなされて、しずかはムッとして、去ろうとしている日向を呼びとめた。しかし日向は振り返って言うだけだった。
「それからお前というのもなしだ。一応、お前の上に立つ人間だ。成瀬でも、日向でも、隊長でもいいが、敬意を払って呼べ」
それでも、しずかが追いかけようとすると、日向は突然振り返った。
「まだ名前を聞いてなかったな」
戸惑うしずかだったが、素直に答えていた。
「西御寺しずか」
「しずか…か。いい名前だな」
そうして日向は暗い森の中に消えていった。