THE FLOWER GARDEN
水仙の章01
成瀬日向(なるせひゅうが）は一人、講堂の二階から外の景色を眺めていた。もうすぐ日が暮れようとしていて、空は赤く染まっている。静かな講堂にやってきたのは、自分の周りが騒がしかったからだ。ここにくれば、彼らは追っては来れない。
「どうするんですかっ、隊長っ」
ついさっきまで、ひとつの部屋に皆が集まって苛立つ気持ちを抑えきれないといった様子で日向を囲んでいた。その先頭に立って、石崎が日向を説得しようと必死になっていた。
「ついに菫も逸材を見つけ、姫が決まっていないのは、うちだけですよ。わがまま言ってないで、宮内真理恵にしましょう。運良く、宮内は薔薇と手が切れている状態ですし」
「駄目だ」
「だからどうして駄目なんですかっ？」
石崎の声が一段と高くなる。日向は軽く溜息をつくと、答えた。
「勘だ」
「勘ってそんなっ。とにかく日がないんですよっ。明後日ですよっ、正式発表はっ」
日向は大人しく黙り込んだ。石崎の言っていることは確かに当っている。
「だいたい隊長は、遅いんですよっ。薔薇と百合、菫が白鳥華夜乃に接近したときだって、無関係な顔をして、何も動こうともしないしっ、百合のように常に動く気配もなく、菫の松村梢のような掘り出し物なんて、もう探してもいやしませんよっ」
「鞍馬の真似はしても仕様がないだろう。何度も言わせるな」
立ちあがった日向を追いかけるように背中に石崎の声が響く。
「だったら宮内でいいじゃないですかっ。宮内も承諾してくれたんですよっ」
「駄目だ」
「どうしてですか？」
女のヒステリーのようだと日向は耳を塞ぎたくなる。
「お前ら、勝てない駒でゲームをするか？」
「いいえ」
「そう。最高の駒を持ってから、ゲームはするべきだ」
しびれを切らしたように石崎が叫ぶ。
「だったら、始めから白鳥華夜乃に接近してればよかったんですっ。隊長と彼女はー」
「石崎」
隣にいた相川が石崎をなだめた。石崎もハッとして口を閉じた。しかし日向の表情は全く変わっていない。
「…すみませんでした。しかしですね、いったい明後日までにどうするんですか？」
「さぁ。何とかなるだろ」
「何とかって…」
「いいから俺に任せておけ」
そう言って抜け出してきたものの、これといったいい案はない。校内の女生徒は、内外全て目を通したはずだった。といっても、日向はそれだけで判断するつもりはなく、ほとんど見ずに石崎に返したのだが。
さあ、どうするかな。
そんなとき、講堂によく通る声がした。
「雅？いるんだろ？」
随分と荒い言葉遣いだと、中をのぞいた日向は、それが誰だかすぐにわかった。長い髪をひとつに結び、凛とした輝きと強さを持つ瞳が辺りを見まわしている。きゅっと結ばれた大きすぎない唇は、艶があって、思いのほか紅い。
確か、名前は西御寺しずか。
百合の男３人を倒した凄腕。
「雅？いるんだろ？」
初めての雅からの手紙は、しずかの部屋の扉に挟まっていた。牢屋から戻ってきて、みつけたのだ。
「５時に講堂で」
最後に雅の名前が書かれた短い手紙に、しずかはほっと安心していた。
やっぱり雅はこの学園のどこかにいるんだ。
そう思い、雅の忘れていったリボンを握り締めた。時計を見ると、もう５時になりそうだった。しずかは慌てて講堂まで走ってきた。
「雅？」
もう一度声を掛けてみる。しかし講堂には、まだ雅は来ていないようだった。
と、突然カーテンが引かれて、しずかは不気味な気配を感じたが、それが何かを感じ取る前に、暗闇がしずかを襲った。広いフロアの真中で、しずかは自然と身構えたが、武器になるようなものを何も手にしていないことが、少し心細い。
ふと足音がして、しずかの前のあたりで止まる。
次の瞬間、しずかは僅かな殺気を感じて体を右に避ける。
空気の切れる音がして、しずかは左腕に鋭い痛みを覚えた。触るとシャツが裂けて、浅いが切れているのがわかる。
「誰だっ」
叫んでみたが、相手が答えることはない。そして二度目の鋭い音がした。
後ろに下がったしずかは、剣から逃れることができたものの、暗闇で相手がどこにいるのかはっきりとわからない。しかし、不思議と相手にはしずかの場所がわかるようだった。
気配だけで何とか逃げるしずかだったが、スカートに剣先がからみ、ビリッと切れるのがわかった。
そして、右足にも痛みが走る。思わずしずかはしゃがみこんだ。
まずい。
しずかはそう感じた。長く暗闇にいて、ようやく目が慣れ始めた頃合だ。しずかは相手が大きく剣を振り上げるのを感じた。
その時、まばゆいばかりの光が、スポットライトのように相手を照らした。ふいをつかれて思わず目が眩んだようだった。
「お前…」
光りに照らされた男を見て、しずかは呟く。
雅を襲った連中の一人だ。
今日はあの黒いマスクを被ってはいなかったが、しずかはあの時振りかえった男の背格好を忘れはしなかったのだ。顔を見られた相手は、はっとしたように急いで暗闇の中に隠れた。そこからまた、すぐに光が消えて、しずかは再び暗闇の中に立っていた。
「おいっ。雅をどこに連れていったんだよっ。あいつを、どうしたんだよっ」
叫んでみたが、相手は答えない。
「お前らが何かしたんだろっ？」
耳を澄ましてみても、自分の声の反響のせいか、足音は聞こえてこない。
畜生っ。
相手にはしずかがわかるようだが、しずかには相手がわからない。
何でだ？
その時背後に気配がして、急いでしずかは左に避けるが、髪が絡まって切れるのがわかった。
落ち着け。落ち着くんだ。
集中して、音と気配を感じ取るんだ。
しずかはそっと目を閉じた。微かに聞こえる衣擦れの音。相手の息遣い。
ここだっ。
しずかは大きく右足を振り上げて、回し蹴りをする。すると見事に手応えがあった。それは相手の予想外でもあったようで、剣の落ちる音がした。
やりっ。
相手が立ちあがるタイミングを待って、もう一度蹴り上げようとしたしずかだったが、何故か相手はしずかの足を避けた。
何っ？
そしてしずかの軸足が蹴られ、バランスを失ったしずかはそのまま床にどすんと尻餅をついた。
「いっ…た」
腰をさすっていたしずかだが、鼻先につきつけられた剣に息を呑んだ。
やばい、やられる…。
覚悟を決めて目を閉じたとき、眩い光が再びしずか達を照らした。同時に扉が開かれる大きな音がした。
味方か、それとも敵か？
光の中に映し出されたシルエットで判断できたのは、それが背の高い男だということだけだった。
「お前達の、大事な威厳はどうしたんだ？」
低く、どこか小ばかにしているような男の声がして、全てのカーテンが開かれる。講堂は一気に夜明けを迎えたように明るくなる。
しずかに剣を振り上げていた敵は、はっと後ろを振り返った。
徐々にはっきりと見えてくる低い声の男は、前に見た軍隊のように制服に装飾がなされていた。
それでも、はっきりと違いが分かる。男の胸には、一際大きな紋章がついていたし、制服は鬱金色だった。細いというよりは引き締まった体に、整った顔立ち。自然なのかそれとも計算なのか微妙なバランスでたれている前髪からのぞく瞳は、にやけているようでありながら、鋭い目つきであった。
「女に勝ったくらいで、何になる」
卑下した言い方にしずかはむっとする。しかし、敵は剣をしずかではなく、その謎の男に向けていた。
「それにその格好は何だ」
迫力から言えば、謎の男の方が圧倒的だった。しかしその男が腰に剣を携えていても、敵はすでに剣を抜いているのだ。
それでも、謎の男には余裕があった。
「誇りさえも、捨てたのか？」
それが合図になってようにして、しずかの目の前にいた敵は、その男に向かって剣を振りかざし、向かって行った。
「危ないっ」
しずかはそう叫んだ。
二人は交差するように体をすれ違わせ、次の瞬間倒れたのは敵の方だった。しずかにはわけがわからなかった。
ただ、すれ違っただけなのに？
男は呆然としているしずかにつかつかと歩いてきた。
「殺したのか？」
しずかがそう尋ねると、男は手を出して軽く笑った。笑うとひどく幼い。綺麗な手だとしずかは思った。
「まさか。気絶しただけだ。立てるか？」
実際は剣の柄をみぞおちにくらわせただけだった。しずかは自分に向かっているその手を払って、立ちあがった。
「お前は誰だっ。こいつらと同じ軍団かっ」
「違う。まあ、同じような身分だけどな。結構、傷は深いようだな」
男の手がしずかの左腕に伸びてきて、慌ててしずかは振り払う。その時右足が少し痛んだ。
「こんなのすぐ治る。…それにしても、何であたしの居場所がわかったんだ？あいつ」
今までこんな情けない喧嘩をしたことがなかったしずかは、いわば他人に助けられたことが許せなかった。そのしずかの呟きを男は聞いていた。
「凄腕の女剣士も気付かなかったようだな。
制服の襟に蛍光塗料が塗られている。それが暗闇で光って、居場所を教えていたんだ」
急いでしずかはブレザーを脱ぐ。見た目ではわからないが、手で暗くすると緑に光るのが分かる。
「畜生っ」
床に投げつけたブレザーを男が拾う。そしてしずかに返しながら聞いた。
「雅という女を捜しているのか」
「そうだ。…お前、知っているのか？雅のこと」
伸ばしかけていた手をしずかは止めて聞き返す。しかし男は言った。
「いや」
しずかは舌打ちをする。そして唇をかみ締めた。
「会えると思ったのに…。あ、こいつっ、こいつに聞けば何かわかるかもしれない」
「無駄だ」
倒れている敵に駆け寄るしずかに、男は冷たく言った。
「もう死んでいる」
その言葉にしずかは驚く。そして、ゆっくりと敵の喉元に触れてみる。脈は途絶えていた。気分が悪くなり、自然と手で口を押さえていると、またあの花の匂いがした。不審がるしずかの視線に、男が答える。
「俺じゃない。自害だ。自分の名誉を守るため…といえば聞こえがいいが」
しずかは息を呑む。
どうなってるんだ、ここは。
一歩後ずさりしたしずかに、男は平然と尋ねた。
「お前の探している女は、本当にその男に誘拐されそうになったのか？」
「ああ。他にも二人いた。…お前この男の正体を知ってるのか？」
しずかの問いに男は答えない。しかし、こう言った。
「誘拐されたとしたら、探すのは諦めたほうがいい。安心しろ。殺されてはいない。
…しかし、どうして彼女を探す？」
しずかは凛とした態度できっぱりと答えた。
「大事な預かり物があるんだ。それを渡さないといけない」
「預かり物？」
「そうだ」
しずかは、手首に巻いているリボンに触れた。自然と雅の笑顔を思い出す。
男は、そんなしずかを興味深げに見ていたが、ふいに問い掛けた。
「もし、彼女が今幸せだとしても、それでも追いかけるのか。この学校の生活は厳しいだけでつらいだろう」
「幸せかどうかは、本人が判断するものだ。お前じゃない」
そういってしずかは男からブレザーを受け取ろうとしたが、男はそんなしずかの手からブレザーを遠のけて言った。
「今のお前は、幸せか？」
「…お前には、関係無いだろ」
そんなこと、考えてもなかった。そのくらい、ここに来てからは毎日が慌しく過ぎていっていた。ブレザーを取り返すと、講堂を出ていこうとするしずかに男が言った。
「今夜１０時、噴水の前に来い。その時までに、今の返事を考えておけ」
「なんであたしが行かなきゃなんねんだよ。じゃな」
一瞬心を見透かされたような気持ちになったしずかは、そう言い残すと講堂を出ていった。成瀬日向は、その後姿が見えなくなるまでじっと見ていた。