THE FLOWER GARDEN
水仙の章16
「なんだよ、コレ」
しずかは目の前に降ろされた御簾を指して言った。
その向こうでは騎士たちによる競技会が行われている。あくまで競うことが目的なので、使われているのは真剣ではなく、木刀であった。見ていたしずかは、腕がうずいて参加したい気持ちでいっぱいになっていた。
石崎が得意そうに答える。
「こちらの顔を隠すためのものです。高貴な人間は、簡単に下の人間に顔を見せるものではございませんからね。よく言いますでしょう。深窓のご令嬢って」
石崎の説明を聞き流しながら、日向は速水の策を考えていた。
確かにこうすれば、顔が外に出ることにはならない。
つい今しがた、百合の間にも、速水と姫が到着したという情報が入っていた。しかし、姫はヴェールのようなものをかぶり、顔を隠していたと言う。
「ふーん」
興味なさそうに答えたしずかは、ふいにその端を掴んで、一気に開けようとして石崎に止められた。
「止めて下さいっ、姫っ」
「だってコレがなくても見えるんだから、必要ないだろ？」
確かに、しずか側からすれば、外の様子は見えるのだ。しかし、石崎は急いでしずかの掴んだ端を元に戻して言った。
「こっち側からだけ見えるようになってるんですっ。向こうからは見えませんっ」
ここ暫く問題も起こさずにいるから、しずかの行動に安心していた石崎は、もしや自分の教育が影響を与え始めたのだと思いこんでいたのだが、それはしずかからすれば、何も問題が起きないだけのことであった。
「ふーん」
しずかは隣に座っている日向に視線を移した。何か考え事をしているようだ。
今回の、急な競技会。何があるというのか。
それに、百合が姫を連れてくると言うのにも、何かあるというのか？
「あ。鞍馬だ」
何の反応もしない日向を見ていてもつまらないので、前を向いたしずかの視界にやってくる鞍馬の姿が映った。
鞍馬は御簾の前で一礼してから、笑顔を見せた。
「首尾はいかがかな、水仙組成瀬隊長」
しずかの声で鞍馬が来ていることはわかっていた日向だが、口を開く前にしずかが答えた。
「いつもと変わんねぇんじゃねえの？」
「姫っ」
慌てて石崎がしずかの口を塞ぐ。鞍馬は笑顔を崩さずに続けた。
「水仙の姫も、相変わらずお元気のようだ」
「まあな。お前も元気そうだな」
石崎の手を振りきって、しずかは答える。石崎は大きく溜息をついた。
「ははは。これはどうも」
声をあげて笑う鞍馬にしずかは質問を投げかける。
「ところで、お前んとこの姫…村松だっけ？どうした？あれ以来、授業に出てこないけど」
「ちょっと体調を崩し気味でね」
実際梢は、授業に出たがった。しかし、それを鞍馬が反対したのだ。
二度と、今回のようなことがないよう。常に俺の目の届くところにおいておく必要がある。
それにもちろん、梢は反論しなかった。
鞍馬は何の反応もない日向が気になった。
「競技大会の急な変更、問題はなかったかい？連絡に行き違いがあって、水仙に知らせが行ったのは一昨日と聞いたが」
実際それを聞いて、慌てたのは日向ではなく石崎であった。
「別に。こっちは失うものは何もないからな」
さらりと答えられ、鞍馬は悔しくなった。それを隠すように、更に笑いかける。
「それより、用件はなんだ。鞍馬」
鞍馬が動く裏には、必ず何か意図があるはずなのだ。ただこちらの様子を見に来ただけではないはずだ。
「いやはや、君は気が早いな。
…ところで、百合の姫のことなんだが」
初めはそれまでと同じく明るく答えた鞍馬だったが、最後は声を潜めた。
鞍馬の目的の輪郭だけでもわかり、日向もいくらか安心したように言った。
「存在しないんじゃないかという噂も、これで一掃されたな」
あまりに表に出てこないため、実は期間内に百合は姫を見つけられなかったのではないかという噂が、実際に学園内では流れている。
そう言って、速水を脅したのは鞍馬だった。その噂も流したのも鞍馬である。
そして、今回の競技会への参加を呼びかけた。速水も、頷くしかなかったのだ。
鞍馬は自信ありげに答えた。
「とても美しい女性だったよ。いかにも、百合らしい。おそらく君も気に入るだろうね」
鞍馬の厭味を無視し、日向は聞き返す。
「見たのか？」
日向の声色が変わる。実物の百合の姫を、日向は見ていなかった。おそらく姫は、拉致され、そのまま白百合館に監禁状態になっているままのはずだった。この競技大会に出てくるまでは。
「ああ、ちらり、とな」
それまで泳がせていた視線を、鞍馬は見えるはずのないしずかに向ける。そして、はっきりと言った。
「左の口許に、ほくろがある。くらいしかわからなかったがな」
それまで自分には関係ないと思っていたしずかが、そこで顔を上げ、すぐさま立ちあがった。
「あっ、姫っ」
そしてしずかは、相川が止めるのも聞かずに御簾を払いのけると、水仙の間を飛び出していった。出たところですれ違った鞍馬には、叫ぶように言い残して。
「サンキュッ、鞍馬」
外は競技会の最中だった。突然激しい動きがあって、競技者たちは一旦動きを止めて、水仙の間を見つめる。
鞍馬は満足げに、走り去るしずかの背中を見ていた。立ちあがった日向は、しずかを追いかけることはせずに鞍馬を睨んでいた。鞍馬の本当の目的は、そこにあったのだ。
だから、１ヶ月後の競技会をこんなに早く持ってきたんだ。
３週間後の姫の披露式で、例えしずかと遠山雅があっても、今回のようなことはできないはずだ。
そして、しずかは飛び出していった。もう取り返しはつかない。
慌ててしずかをおいかけていく相川達を見て、鞍馬は更に微笑んだ。
まったく、くだらない。こんな競技会なんて。
華夜乃はゆったりと長椅子に寝転びながら、騎士が仰ぐ団扇の風を受けていた。富樫は、今は競技中である。
「暑苦しいわ。もっと扇いで」
華夜乃がそう命令すると、騎士は必死になって仰ぎ始めた。その風が華夜乃の髪を揺らし、華夜乃は機嫌を損ねる。
「違うわ。違うのよ。人が暑苦しいの」
困り顔の騎士に代わって、夏目が華夜乃に話しかける。
「もう少々我慢ください。競技会は、そこまで長引きませんので」
夏目の困り顔を見ると、華夜乃はツンとそっぽを向く。
「どうして私まで見学しなければならないのかしら？」
確かに華夜乃のいうことには一理ある。
しかし、姫同伴を条件にしたのは鞍馬であった。
「騎士たちは、姫が見てくれていると思うと意欲が沸くのですよ」
夏目がそう答えているところで、表で警備していた騎士の、何者っという小さな声がしたかと思うと、ばたばたと音がして、御簾の前を知った顔が走り抜けていった。
「あら、今のって」
華夜乃も思わず声をあげる。
しずかだった。
夏目が御簾を上げると、そこには剣を抜いて茫然とした顔の騎士が立っていた。
「何事だ？」
「いえ…。その…。うちには関係ないようです…」
駆けて行くしずかの前方には、百合の旗が靡いていた。
「雅っ」
しずかはそう叫ぶと、百合の旗を目指して走り抜けていった。
途中、薔薇の騎士が剣を抜いていたが、しずかはそれを気に留めることもなく、走り去った。
「雅っ、いるんだろっ？」
百合の間にやってくると、そこにいた護衛の騎士が、剣を抜いた。
「お前、何者だっ」
しずかは下に落ちていた枝を見つけて拾い上げると、まずそれで一人目の腕に振り下ろした。男は声をあげて、剣を落とす。その後ろからやってきた二人目は、
大きく肘を突いてみぞおちに当てると、膝から崩れていった。そして、正面の３人目が剣を振り上げているところの腹に、しずかは一人目の男が落とした剣を拾い上げると柄でついた。男は後ろにそっくり返っていく。その途中ひっかけたのは御簾である。簡単に作られた小屋の、簡単にあてがっただけの御簾は、一気に剥がさ
て行く。
そこで、周囲からのざわめきが起こった。
それまでヴェールに隠されていた、百合の姫・遠山雅の顔が、大衆の前にさらされたのだ。
「これはっ…」
「佳乃様っ」
「しかし佳乃様は亡くなったはずではっ」
しかし、そんな声も、しずかには聞こえなかった。
その奥に、ずっと探し続けていた雅の姿しか、声に反応してしずかを見つけた雅しか、見えていなかった。
「雅っ、雅っ」
確かに、百合の間の、象牙色の男たちに囲まれた中にいたのは、雅だった。