THE FLOWER GARDEN
水仙の章15
しずかが疾風の背に触れたとき、一筋の光が差し込み、甘い声が響いた。
「昨日は姫が迷惑をおかけしたようで」
月明かりを背に、鞍馬は微笑みつづけている。
馬鹿らしい。
しずかはそう思った。
「話ってのは、そのことか？」
疾風はしずかに撫でられて気持ちよさそうな顔をしている。飼主と違って、しずかは疾風が気に入った。鞍馬はしずかの隣にやってくると、顔を覗きこむようにして言った。
「誤解を解きたいと思ってね」
誤解？と顔をしかめたしずかに、鞍馬は１通の封筒を差し出した。
「何だよ。これ」
「僕がきちんと君のことを想っているという証拠、でもあるかな」
おどけた言い方に、しずかは呆れながらもその封筒をさっと奪い取って中を見た。それは一枚の写真だった。その顔は、たった数時間一緒にいただけなのに、強烈に欲している顔であった。
「…雅」
呟くしずかを見て、鞍馬はにやりと心で笑った。ねらい通りだ。
「君の友達？」
嬉しそうな鞍馬を見て、しずかはもっとじっと写真を見つめた。
その写真は、どこか古びていた。
それに、何だか雅とは雰囲気が違う気がしている。
「…でも、ちょっと違うかも。そうだ、雅には、ほくろがあったんだ。口許に。左側だったかな」
「…そう」
馬鹿ではないのだな、と思いながら鞍馬は満足した。それでもしずかは必死になってその写真を見つめていた。
「でも本当に似てるな。雅に姉貴がいたら、こんな感じかもしれない」
目の前の写真をさっと鞍馬に取られて、しずかはあっと思った。もう少し、写真を眺めていたいと思ったのだ。あれだけ会いたいのに、人の記憶というものは、まるで砂のように掌から少しずつ零れ落ちていく。もっと自分の記憶の中に雅の顔を刻み付けたいと思った。
残念だねと言って、鞍馬はしずかに聞き返した。
「君のところの隊長は、それで捜索してくれてるの？」
「知るか、あんな奴」
昨日以来、日向とは顔を合わせないようにしている。時期を待てなんて、言い訳にしか聞こえないし、会話するなんてもってのほかだ。
「それよりさ、あんたんとこの姫。大事にしてやれよな。あの子…。あんたのこと好きみたいだからさ」
小さな親切、大きなお世話。
そう言われてもしずかはあの一途な梢の瞳が忘れられなかった。
「そう」
「興味ないわけ？」
鞍馬の返事に、しずかは聞かなければ良かったと後悔をした。
「姫は妃候補だ。いづれ陛下のものとなる。そして、君は妃にはなれない。妃候補を降りることを決めてくれたかな」
どいつもこいつも、猿芝居うちやがって。
「うっせー」
しずかはそれだけいうと、疾風にさよならと言った。
全て、計画通りだ。
日向はそう思っていた。
しかし、最後に見せたしずかの表情が、日向の心を波立たせていた。
君江にすら、笑顔を見せなくなったしずか。
黄仙館で二度ほどすれ違ったが、日向の顔を見ようともしなかった。
そう、これは計画通りなのだ。
自然と日向の足は、泉の前にやってきていた。
「久しぶりね、日向」
呼ばれた日向は振りかえって、軽く微笑んだ。そこには一本の深紅の薔薇をもった華夜乃が立っていた。夜中の木陰にいながらも、輝くような姿に、日向は変わってないと感じた。
「こんなところにやってくるとは、敵情視察？姫自ら」
「そんな必要ないわ。私が選ばれるのは周知の事実よ。残念ながら、あなたの予想は今回初めて外れることになるの」
華夜乃は手にした薔薇を日向に差し出した。しかし、日向は受け取ろうとしなかった。
「決めるのは陛下だ。生徒ではない」
華夜乃は軽く微笑むと、その手を自分に戻して薔薇の匂いをかいだ。そして、日向を上目遣いに見た。
「自信、あるのね」
「でなければ、ここにはいない」
そういった日向の周りには、水仙の花が咲き誇っている。
自惚れ。自信家。
華夜乃は水仙の花言葉を思い出して、日向が何故水仙を選んだかを納得した。そして、日向の脇をすり抜けて、咲いている水仙を一本手に取った。
こんな貧相な花よりも、薔薇の方が何倍も美しくて、輝いているのに。
そして、今度は水仙を押しつけるように日向に差し出した。
「私が西御寺しずかに劣っているところ、是非教えていただきたいものだわ」
日向はその水仙を、今度は素直に受け取った。
「妃としては、君の方が何倍もふさわしい」
華夜乃はかつての日向のことを思い起こした。
いつも何を考えているのかわからなかった。
言葉の真実も、嘘も、その奥にある考えも。
結局、日向も変わってはいない。
無理やり作った笑顔が、かすかに強張っているのを華夜乃は感じた。
「では何故私を選ばなかったの？薔薇も、百合も、菫も、是非にと言ったわ。
私、どうしてもと言えば、あなたについていくつもりでしたのに」
小首をかしげる華夜乃を、日向は美しいと思った。
そして、華夜乃自身もそう思ってるに違いないことも知っていた。
「それはどうも」
「馬鹿にしてるの？」
華夜乃の声がきつくなる、日向は素直に謝った。
「そう聞こえたのなら、謝る」
赤い唇をかみしめて、華夜乃は軽く日向をにらんでいたが、くるりと背を向けた。
「今回の妃選びは、本当は何がかけられているのか、もちろんご存知なんでしょう？あなた、勝ちたくないの？」
華夜乃の肩が小刻みに震えている。怒りを押さえこんでいるのだ。
少しは大人になったようだ。
日向はそんな華夜乃の後姿を見て思う。しかし。
「そんな男だと思うか？」
突き放した言い方に、華夜乃は思わず振りかえった。カールされた髪が、綺麗に弾む。
「じゃあいったい、何がしたいというのっ」
華夜乃は期待していたのだ、かつてプライドを傷つけられても、どこかで日向の気持ちがまだ自分にあるということに。だから、富樫との約束も遅らせてまで、この水仙の領地に一人でやってきたのだ。
「陛下のために働きたいと思っている。ただそれだけだ」
華夜乃は手にしていた薔薇を、日向に投げつけた。花びらがぱっと散る。そして日向の前から去っていく華夜乃に、日向は言った。
「君は美しく、輝いている。自分の魅力も知っていて、最大限にそれを活かす術も知っている。少々子供っぽいところもあるが、素直で愛らしい。ただ、男におぼれるのだけはやめろ。その魅力が台無しだ」
早めていた足を止めると、振りかえった華夜乃は、日向を強くにらみながら言った。
「そうね。あなたの時のようなことは、二度としないようにするわっ」
駆け出した華夜乃を見て、日向はまた懐かしそうに微笑んでいた。
突然、目の前に顔が現れて、しずかは驚いた。
「あ」
困ったような顔の夏目は、軽く腕組をしていた。
「ここって、薔薇？」
菫を後にして、しずかはちゃんと水仙に戻ってきているはずだったのだが、どうも途中でまた道を間違えていたらしい。
「友達探し？」
聞き返されて、しずかは首を振る。
「いや。友達は見つかった。百合にいる」
「百合…？」
夏目の顔が険しくなったことに、しずかは気付かずに、昨日のことを全て説明した。
おまけに日向のことまで話していた。
「証拠はないけど、でも絶対に百合にいるはずだ」
百合は、薔薇とならび伝統のある騎士団である。どちらかといえば、薔薇は規律が少々乱れるときもあるのだが、百合に限ってはそれはありえないことなのだ。もともとの騎士団の性質である、厳格さもそうなのだが、今は隊長が速水であるが故、その気質がいっそう強くなっていた。
だからこそ、女性問題にも一際厳しいのも百合なのである。今現在、百合の紋章を与えられている女生徒は、数人しかおらず、その人間が変わることもないことから、夏目はその女性達の顔と名前を全て把握していた。敵を知るならそこまで知っておかねばならない。
ただその中に、遠山雅という女性はいなかった。そして、最近転校してきたしずかの知り合いというのだから、こちらに来たものごく最近のはずだ。
もしかして。
夏目にはピントとくるものがあった。
たしかに、期間的には全て合っている。
しずかの転校してきた翌日の遠山雅の失踪。
そして百合の、いつにも増しての厳戒体制。
もしそうであったら。
夏目は目の前で、すがすがしく伸びをしているしずかを見つめた。
そうであったら、二人は。争わなければならない。
「そう…。でも、見つかってよかった」
夏目がそう言うと、しずかも自然と笑みをこぼしていた。
「サンキュ、夏目」
その笑顔が、夏目には少し辛かった。
「お前たち、剣の腕はどうだ？」
突然鞍馬より収集がかけられたかと思うと、この質問で、明らかに菫の騎士たちは戸惑っていた。
もともと、鞍馬の言い出すことに、菫の騎士たちは反応が鈍い。
「あの。どうかといわれても…」
戸惑いながら但野がそう言うと、鞍馬は高らかに宣言をした。
「姫も決まり、お前たちも目標をなくしているころかと思う。よって、１ヶ月後の騎士団による競技大会を、１週間後に催す」
大人しく聞いていた騎士たちはざわめき出した。
しかし、それを無視して鞍馬は話しつづける。
「競技会での初戦敗退者は、退団してもらう。その覚悟で練習に勤しむように。以上」
ざわめきがいっそう大きくなる中で、鞍馬は踵を返した。
この前の汚名の借りは、返してもらうぞ、成瀬。
競技会の話は、もともと予定されていたものだった。それを急遽決行することになったのは、すでに薔薇にも百合にも伝えてあった。余裕の薔薇に対して、姫のことで厳戒体制となっている百合がぐずったが、鞍馬が手練手管を使って、了承を得た。
水仙に話が行くのは、競技会２日前だ。
せいぜい、焦るがいい。