THE FLOWER GARDEN
水仙の章13（菫）
「やっぱり素敵ね。鞍馬様」
「あの笑顔。私にも微笑みかけてほしいわ」
去っていく鞍馬の背中を見つめながら、梢の後ろで女生徒たちが騒いでいた。
肩を叩かれた梢が振り向くと、そこには加藤友紀がいた。友紀は鞍馬が用意した教室内での梢の用心棒である。体つきも筋肉質で、運動神経はいいと聞いた。
「姫、入りましょう」
有紀に促されて教室に入った梢は、そこで向けられる視線が以前とは違っていることにすぐ気付く。前は、存在さえもないに等しかったのに、今向けられているのは賞賛の目である。
席についた梢を、周りの生徒達がわっと囲む。
「いいわね、梢様は。鞍馬様とずっと一緒にいられて」
「羨ましい限りですわ」
思わず梢の顔は赤くなる。しかし、そのとき別の方向から冷たい声がした。
「あら、でもいくら一緒にいられても、一緒になることはできなくてよ。私は仮初めのお相手でもいいの。一度でいいから鞍馬様の優しい胸に抱かれてみたいわ」
生徒の名前は曽田。以前から梢を馬鹿にしていた鞍馬のファンだ。曽田も微かに姫を狙っていたのである。
こんな子がここまで綺麗になれたってことは、私ならば、より美しくなれたはずなのに。
心の奥でそう思っているのが梢にもよくわかる。
何か言い返したい梢だが、言葉がうまく出てこない。加藤がせめてもと立ちあがったときだった。
「ばっかじゃねぇの？あのスケコマシのどこがいいんだよ」
その乱暴な声は、水仙の姫西御寺しずかだった。
この方が、水仙の姫。私…ライバル。
「あーら、西御寺さん」
曽田は梢を無視して、しずかを睨む。
しずかはあっけらかんとした顔で、こう言った。
「抱かれたいんならさっさとあいつんとこいって、服脱げばいいだろ？あいつのことだから、来るもの拒まずなんじゃねぇの？
あ、あんたもさ。あいつのことあんまり信用しない方がいいぜ。
優しいこと言ってるのはきっと今だけなんだからな。妃が決まれば、あとは捨てられるだけだぞ」
しずかが同じ姫という立場から、曽田に厭味を言ってくれるものだとばかり思っていた梢は、突然に鞍馬の悪口を言われ、続いて自分のことまで卑下されて、驚いた。
おまけに、鞍馬のことを知ったように話すしずかに疑問を抱いた。
鞍馬様は、西御寺さんと会ったことがあるのかしら。
曽田はしずかに掴みかかりそうな勢いで言った。
「あなたに関係ないでしょっ、だいたい、何なのその口ぶりっ。新米で、この学園のことなんて何もわかってないくせにっ。
いい気にならないでよっ」
「お前こそ、鞍馬の本当の姿を知ってるっていうのかよ」
しずかも負けてはいない。
梢はしずかの言葉にひっかかった。
本当の、姿？
しかし梢を無視して、二人は言い争いを続ける。
「ええ。あの方は紳士ですわっ。成瀬様とは違ってねっ」
教室の隅で、宮内が立ちあがりそうになった。しずかはケッと小さく笑って言った。
「日向の悪口は、言いたきゃいえよ。あたしも是非参加させてもらうからさ。
あいつは最低だ。紳士じゃねぇよ。だけど、鞍馬が紳士だってのは、頷けねぇな。あいつは、そうぶってるだけだよ。優しいフリしてるだけだ」
教室の視線がしずかに寄せられた。梢もまっすぐにしずかを見つめている。
そして、曽田が口を開いた。
「どういうこと？」
静まり返った中で、しずかの凛とした声が響いた。
「昨日、あいつあたしにキスしようとしたんだ。ばっかじゃねぇの？それであたしをモノにできると思ってさ…」
言い終った途端にしずかは目の前がくらっとした。パシッという音が響いていた。頬に鋭い痛みを感じる。
目の前には、梢がものすごい目つきでしずかを睨んでいた。
しずかを叩いた右手が、開いたままで震えていた。
扉がノックされた。梢が返事もしないでいると、そっと扉が開く。
顔を上げると、困った笑顔を浮かべる鞍馬がいた。
「いったい何があったんだい？驚いたよ。うちと水仙が一触即発になってると聞いて。しかも発端は、君と水仙の姫との喧嘩だっていうし」
「…ごめんなさい」
梢は謝ると俯いた。騒動の最中、梢は入ってきた但野に無理やり教室の外に出されて、そのまま青菫館に連れ戻されていた。
「怪我はなかったからよかったものの、一体どうしたっていうんだい？」
「ごめんなさい…」
話せなかった。話せば、鞍馬の悪口を本人に伝えることになる。
あんなものは、水仙の姫の嘘でしかないのに、それを信じることもできなかった。
何よりそのことを梢は恥じていた。
しばらく梢が何か言わないかと待っていた鞍馬だったが、どうも口を割りそうにないと溜息をつく。
「何も話してくれないんだね」
鞍馬を困らせていると感じた梢は、慌てて言った。
「西御寺さんと、昨日会ったんですか？」
「西御寺しずかと？ああ、偶然にも、会ったことはあったけど？」
「櫂人様は、西御寺さんのことが好きなんですか？西御寺さんに…。キス、しようとしたんですか？」
余計なことを。
鞍馬は梢に見えないように拳を握り締めた。
そんな話をしたとは。しかも、教室という公衆の面前でか？
鞍馬は、ぎこちなくだが笑みを浮かべた。
「それは全くの誤解だよ。困ったものだね、水仙の姫にも」
鏡越しに、梢がはっと顔を上げたのを確認して、鞍馬は言う。
「彼女とは、この菫の領地で会ったんだ。彼女、お忍びで遊びまわっているみたいでね。他の姫だけど、大きな問題だから注意したときに、誰かがやってきて、
思わず隠れたんだ。彼女はそのことに気付かなくて、僕が無理やりしゃがませたから、そのとき偶然顔が近づいたんだろう。それで彼女が誤解したんだよ、僕がキスしようとしてるって」
いつものことだ。真実に、ちょっと脚色を加えるだけでいい。
「誤解？」
梢がまっすぐに鞍馬を見つめていた。
「もちろんだよ。彼女のこと、好きとかそういう存在じゃない。悪いけど、僕は成瀬のように悪趣味じゃないんだ。彼女は女性の魅力のカケラもない。
それに今、僕が一番気になっている女性は、君だけなんだから」
梢の顔が、赤くなった。もう一押しと、鞍馬は梢の肩を抱く。
「安心して。ね」