THE FLOWER GARDEN
序章2
「全く、あてになんないよなっ」
昨晩の出来事を訴えにきたしずかは、舎監室を出たとたんにそう叫んだ。宥めるように雅が言う。
「でもちゃんと警備を強化してくれるということですから」
「いや、あの舎監は何か知ってる。だって昨日言ってただろ？花の香りには気をつけろって。何か隠してるよ」
頑固に言い張るしずかに、雅は微笑みながら済まなそうに言った。
「私も不注意だったんです。鍵も窓も閉め忘れて眠ってしまったんですから」
「何か思い当たるようなことは本当にないのか？例えば親父さんが大富豪だとか」
雅はくすくすと笑った。
「父は普通の会社員です。…もしかしたら、誰かと間違われたのかもしれませんし。舎監さんが言っていたように、金銭目的の泥棒だったかもしれないわ」
雅は納得したようだったが、しずかはその泥棒説は頷けなかった。あの時、確かに連れ去っていこうとしていたのは、ほかならぬ雅だったのだから。
しずかは改めて雅を見つめる。
きっと、いいとこのお嬢サンで、人に裏切られたことなんかないんだろうな。人に傷つけられたことも、人を傷つけたこともなくて。
よしっ、としずかは決心すると、雅の前に立って言った。
「わかった。あたしが雅の事守ったげる。こう見えても、腕には結構自信あるんだ」
こぶしを見せたしずかに、雅は楽しそうに微笑む。
「昨日の夜、ちゃんと見させてもらいましたわ」
「まかしてよ」
二人は笑いながら、教室へとづつく緑のトンネルを歩いていた。あ、と雅が言って、教科書を探してから諦めたように言った。
「忘れ物をしてきたみたい。取ってきますから、しずかさんは先に行ってて」
「うん。あ、雅」
しずかはそう言って、雅に向かって光るものを投げた。雅は慌ててそれを受け取る。
「やるよ。昼は一緒に食おうな」
舎監室に乗りこんでいたために二人は朝食を逃してしまっていた。雅が手のひらを広げると、そこには昨日、しずかがお守りといっていたロケットがあった。ただ、ちょっと新しさを感じる。
「おそろい、なんだ」
１５の誕生日に、母親からもらったものだった。大事な人が出来たらその写真をいれるようにといわれていた。
「ありがとう」
雅はそう返事をして、小走りに消えていった。しずかはそんな雅の後姿をじっと見ていたが、見えなくなったところで、教室に向かって歩き始めた。
結局、そのまま雅との昼食はなくなってしまった。それどころか、雅は部屋からも姿を消してしまったのだ。
「速水が手を引いた？」
突然の知らせは、辺りをざわつかせた。その中にいて、男は頭を抱えた。プライドの高い速水が、負けを認めるように自らの手を引くというのは、どういうことなのか。答えを見つける前に、ドアが急にノックされて、男の部下が入ってきた。
「白鳥様がいらっしゃいました」
それもまた突然のことで、男は慌てふためいた。
約束もしていないというのに、どうしたんだろうか。断りの話なのだろうか。もし、白鳥が駄目なら、他を当らねばならない。しかし、そんな人物がいるのだろうか。
いろいろ考えていると、来客を告げた男が言った。
「隊長。落ちついてください。目が泳いでます」
半分はからかうような声だったかが、それでも男は何も言わずに大きく深呼吸をした。男の側で控えていた人間が、まだ笑みを浮かべている男に冷ややかに言った。
「口を慎め、富樫」
二人の間に火花が散る。それに気付いた男は、そっと言った。
「戸田。姿勢を正せ」
富樫をにらみつけていた戸田はしゅんとした。その正面で富樫がほくそえむのがわかる。富樫は何度も手を拭う男に向かって言った。
「自信を持ってください。我々は、薔薇組なんです。夏目隊長」
その言葉に夏目はぐっと顔を上げる。ドアがゆっくりと開かれた。
最低だ。
しずかは痺れる足を引きずるようにして歩いていた。今の今まで、正座を３時間もさせられていたのだ。その理由は、しずかの遅刻にある。
雅と別れ、道に迷ったしずかは、森の向こうに大きな塀のようなものをみつけた。その向こう側に校舎があるんじゃないかと、伺っていると、
「おい、お前。何をしている」
意味もなくぎくりとしてしずかが振りかえると、そこには昨日見た紫紺の制服をきた男が馬に乗っていた。やはり制服の色は普通のそれとは違って、胸に光っていたのはまるで軍服の勲章のようであった。
「道に迷っちゃってさ。校舎ってこの先？」
男はしずかの校章をちらりと見ると、塀とは別の方向を指した。
「お前の校舎は向こうだ」
それだけ言うと、さっさと踵を返してしまった。
「なあ、この塀って何？」
塀の中が気になるしずかだが、男は答えることなく森に消えていく。ふと、何かが匂ってきた。
いい匂いだ。また、花の香り？昨日とは違うみたいだが。
その時チャイムがなって、結局しずかは１０分遅刻した。少々の説教で済むかと思いきや、教室に入る時間もなく、反省室というところに連れていかれて３時間正座。朝食を食べていなかったために腹の虫が鳴った。しかし、声を上げても誰も反応しない。しずかは、自分がどうしてこの学園に入れられたのかを理解し
た。
絶対に、根を上げたりなんかするもんか。奴らの思う壺にはならない。
その強い意志で、なんとか３時間を耐え、開放されたしずかは、雅の教室をのぞいた。
ところが、そこに雅はいなかった。
教師に聞いてみたところ舎監に聞くように言われ、舎監に聞くと教師に聞くように言われた。もういちど教師を問い詰めてみると、学校にはやってきてないという返事が来て、舎監に確認すると昨晩のことがあって、雅は学園を出ていったのだと言うのだ。驚いて、しずかが雅の部屋に行ってみると、そこは確かに空き部屋になっていた。
本当に、学園を出ていったのか？
しずかは急に寂しくなって、空っぽになった部屋を歩き回った。雅の存在そのものが、まるで幻に思えた。
ほんの数時間一緒にいただけだというのに、お互いにタイプの違う人間だったというのに、すべてが分かり合えるような予感がしたのだ。
落胆して、しずかがベッドに座りこむと、ふと紺色のリボンが床に落ちているのが見えた。母親の形見だと言っていたものだ。しずかはそっと拾い上げる。
仮に雅が自分の意志で出ていったとしても、これは忘れるはずはない。
いや、きっと。雅はまだ学園にいるはずだ。
そしておそらく、昨夜の男たちが雅を連れ去ったに違いない。
しずかは雅と最後に交わした約束を思い出す。
「あたしが、雅のこと守ったげる」
しずかは、その言葉とリボンをしっかりと心に刻んだ。
「待ってください、隊長」
部下が引きとめる声を無視して、鞍馬は部屋を出ていった。荒荒しくドアを閉め、建物を後にする。そこかしこに咲いている菫の花を、蹴散らしたい気分になったが、敢えて止めた。今の鞍馬が菫を踏みつけることは、自虐行為に等しい。しかし、気持ちは収まらない。
どうしてだっ。
仕方なく無言のままに、近くに生えている草木に当る。力強くゆすられて、葉が何枚か落ちていく。
どうして、白鳥華夜乃は、薔薇を選んだっ。
今度は地面の草にも当る。緑が舞って、鞍馬は思い出したように右手に鋭い痛みを感じた。木で切ったのか、赤い鮮血が流れている。しかしその赤さえ、今の鞍馬には薔薇を連想させる。
薔薇に、どんなメリットがある？
今の薔薇など、夏目の率いる薔薇など、薔薇である意味もない。なのに何故だっ。
足もとの草を蹴り上げると、近くにいた鳥が驚いて、飛び立った。
何もかもうまくいくはずだったのだ。第一、白鳥華夜乃はあの時、笑顔で答えたはずだ。
「ええ、考えておきます」
あの笑顔は贋物だったのか。
薔薇、百合には、俺と張り合える人物などいなかったのに？
ふと、鞍馬は誰かの気配を感じて振り返った。
「誰だっ」
思ったよりも大きな声が出たらしい。立っていた人間は、その声に震え上がっていた。鞍馬は相手が女生徒だと気付くと、すぐに笑顔をつくり、それまでの自分を隠すように優しい声を出した。
「ごめん、びっくりさせちゃったかな」
そしてたちすくんだままの女生徒に近づいていく。相手は必死に首を左右に振った。
「い、いえ。あの、私が悪いんです。勝手に、入り込んで…ごめんなさい」
鞍馬は目の前の女生徒を見ていた。分厚い眼鏡に、きつく編んだ三つ編み。野暮ったいという印象しか与えない。
「いや、いいんだよ。それより、今見たことは、内緒にしてくれるね？」
思いきり女性とは頷く。その頬は微かに赤い。女とは簡単なものだと鞍馬はため息をつく。それじゃあ、と歩き出そうとした鞍馬を、女のか細い声が引きとめた。
「あのっ。右手が」
鮮血は、もうすでに固まり出していた。女はすぐにハンカチを出すと、鞍馬の傷口に当てて、きつくしばる。鞍馬がその様子をじっと見ていると、頬が更に赤くなっていく。
純情な女だ。
その時ふと、鞍馬は女の手が透き通るように白く、また細長く。すべすべとして艶のあることに気付いた。よく見れば、あごのラインも綺麗でなだらかな曲線
描いている。少し弱弱しい感じがするが、純情さと相俟って華奢な感じにも取れる。眼鏡の奥からはつぶらな瞳が、鞍馬を気にしながらも、手当てに専念しようとしているのがわかる。
「終わりまし…」
治療が終わった途端に、鞍馬は左手でそっと眼鏡を外してみた。
「あの…」
鞍馬は自然と笑いがこみ上げてくるのを感じた。
天は我を見放していなかった。
確かに白鳥華夜乃は、美人だが、プライドが高すぎる。
百合の女も品のある美人だが、似すぎている。
あの二人にはないものが、ここにある。そう、純真さだ。
左胸の校章も、まだ銀色のままだ。
戸惑った女に、鞍馬は優しくお決まりの笑顔を見せた。
もし雅がまだ学園にいるとすれば、あの塀の中が怪しい。
しずかはベッドに座って考えていた。手にはフェンシングの剣を持ち、壁によりかかっているものの、いつ現れるか分からない敵のことを思うと、横にはなれなかった。静まり返った寮では、微かな衣擦れの音でさえ、今のしずかには大きな音に聞こえる。
まったく、どうなってんだ、この学校は。
さすがに転校初日に挨拶ができないのも困ると言うことで、しずかは最後のＨＲだけ教室に入れさせてもらった。何人もの人が自分の方向に顔を向けている。
だが、誰一人としてしずかを見る者はいなく、話を聞いているものもいない。かといって、おしゃべりをしているわけでもなくただ、生徒がそこにいるだけなのだ。生徒、というよりは人形と言ったほうが近いかもしれない。皆が皆、同じ制服を着、同じような髪型をし、無表情なのだから。その異様な風景は、ＨＲ時間だけにとどまらず、休み時間の教室でも、廊下でも、もちろん寮でも同じであった。公共の場での無駄話禁止という校則を皆が守っているのだ。
あの、塀が気になる。そうだ、明日はあの塀を越えてみよう。
ふと、馬の蹄の音がして、しずかはそっと窓の外を眺めた。遠くで森の木々が揺らいで、紫紺の制服をまとった人間が馬に乗っているのが微かに見えた。
あいつら、何なんだ。
しずかは朝出会った同じ紫紺の制服の男子生徒を思い出す。異なった色の制服に、馬。剣。
何かの軍団なんだろうか。自警団とでもいうのか？
それからしずかの脳裏にいろいろなことが浮かんでは消え、気付けば眠りについていた。
いっちょ、やってみっか。
しずかは立ちはだかる蔦の絡まる塀を前に、そう決意をすると、その蔦を手にとって引っ張る。しずか一人の体重くらいは持ちこたえてくれそうだ。辺りを見
わし、しずかはその蔦を頼りに塀を登り始めた。朝、校舎へと向かう途中で、昨日の記憶を頼りにこの塀までやってきたのだ。３階分くらいまででその塀は途切れている。塀の天辺に座りこむようにして、しずかは辺りを見渡した。
しっかし、すっげぇ緑だな。
しずかの、後ろも前も右も左も、緑の海が広がっている。樹海とはこんな感じかとさえしずかは思った。その中に、何やら建物が見えていた。それは、どことなく、校舎にも見えた。するすると塀の中へ降りてくると、また強い花の匂いがした。
これは…。あの時匂った…。
気を抜いた瞬間、蔦がしずかの体重を支えきれずにぶちっと切れる。しずかは体勢を崩しながらも、なんとか着地をする。少し足首が痛んだが、おそらく捻挫程度だろう。すると誰かが後ろから声をかけてきた。
「おい、貴様」
貴様などと呼ばれたしずかはむっとする。呼ばれたほうを振りかえると、一人の男がしずかに向かって歩いてきた。男は例によって紫紺の制服だ。昨日の男は、勲章が一つしかなかったが、この男は二つあった。
階級があるのかもしれない。
男はしずかをじっと見ていると、高圧的な態度のままに言った。
「何をしてる」
しずかは沸き立つ気持ちを抑えて、わざと明るく言った。
「悪い、悪い。道に迷っちゃってさ」
「だったら、さっさと戻れ」
しずかは自分の右頬がひきるつるのがわかった。それでも明るい声で返事をした。
「はぁーい」
男は納得したのか、しずかに背を向けた瞬間、しずかは足元に落ちていた枝でもって、男の頭を思いきり殴りつけた。男はうっと声を上げると、地面に倒れこんだ。
「悪いね」
しずかはその枝で自分の肩をぽんぽんと叩くと、雅を探すために歩き出そうとした。しかしその時、木の陰から今度は同じ制服の男が二人現れた。そしてすぐにしずかを見つけると、慌てて駆け寄ってきた。
「何をしてるっ」
そしてしずかの後ろで倒れている男を目にすると、はっとして腰に携えていた剣を抜いた。
「何者だ」
それはこっちの台詞だと言いたいのを我慢して、しずかは咄嗟に隠していた枝を握り締めた。剣は太陽の日差しを浴びて、きらりと輝いていた。仕方ないとしずかが決心して、その枝を構えた時、相手の剣が振り下ろされて、しずかは唖然とした。枝は見事にしずかの手元より十センチほど先で切り落とされたのだ。
真剣だ。こいつら、まじかよ。
剣を抜いていないほうの男がすばやくしずかのうしろに回って、手を捕らえていた。しずかは舌打ちをする。どうにもできなかった。
「牢屋につれていけ」
ガシャンと音がして、しずかは慌てて閉められた鉄柵にしがみつく。
「何だよ。こんなとこ連れてきてっ。どうゆうつもりだよっ」
「ここでしばらく反省するんだな。おとなしくしていれば、明日の昼には釈放してやる」
しずかに剣を向けた男はそういってにやりと笑った。
「釈放？冗談じゃねえよっ。何でこんなとこに閉じ込められなきゃなんねぇんだよっ」
「違反を犯したものが罰せられるのは、当然の理だ」
男はそれだけ言うと、さっさとしずかの前から消えていく。
「おいっ。待てよっ。お前ら何の権利でこんなことすんだよっ。いいと思ってんのかよっ。お前ら何者だよっ」
重い鉄の扉が閉まる音がして、しずかの声がこの地下牢に虚しく響く。畜生と呟いて、しずかは辺りを見回した。捉えられてやってきたのは、暗い地下牢だっ
た。明かりも差し込まないような暗く、三方が石の壁で作られた部屋は牢屋そのものだった。ひんやりとした空気。ふとしずかは足元に汚れた器に入った水を見つけて、蹴り上げる。それが飲料水だとでもいうのか。
「ざけんなよ」
呟いた声に重なるようにして、器の転がる音がした。
「おい、お前」
ふいに別の男の声がして、しずかは顔を上げる。しかし、鉄柵の向こうには誰もいない。
「奥の牢屋だ。俺がいるのは」
しずかは見えないが、男がいるといった方の壁を見つめた。男の声は低く、落ち着いている。
「新入りだな。名前は？」
偉そうな男の態度にしずかはむっとする。
一度約束をしたら、守り抜くこと。
そして自分の名前に誇りを持つこと。
それがしずかの二つの信条だ。そしてしずかは、名前を尋ねられるといつもこう言っていた。
「人に名前を聞くときは、自分から名乗れ」
するとハハハッという豪快な笑いが聞こえてきた。
「いい性格してんな。俺は道木だ」
仕方なくしずかも答える。
「西御寺しずかだ」
「西御寺か。お前、いつこの学校に来た」
「昨日だ」
すると道木はまたも笑い声を上げた。
「するとお前か。初日から反省室に二度も入れられたって噂の転校生は」
馬鹿にされたとしずかは怒って答える。
「それがどうしたっ」
「そうカッカするな」
「うるせーっ」
その時、ガチャンと音がして、紫紺の制服をまとった守衛が顔を出して叫んだ。
「お前ら何話をしている。私語厳禁だ」
何か言い返そうとしたしずかだったが、守衛が手に剣を持っているのを見て黙り込む。おとなしくなった二人を見て、守衛は納得したようにまた自分の場所に戻っていった。
「何だってんだよ」
しずかの呟きに道木が答える。その声は低く、真剣だった。
「軍隊さ、ひとつのな」
軍隊？としずかは思わず道木の話に耳を傾ける。
「この学園はあの軍隊が全てを管理している。逆らえば、捕まるし、抵抗すれば、もっと酷い仕打ちを受ける」
しずかは、石の壁をにらみながら考える。昨日は捕まらなかったのに、今日捕まったのは塀を越えたことにありそうだ。
「ここは塀の中か？」
「外だ。というよりは、中間というべきか。ここの入り口は塀の中で、出口は外だからな」
「塀の中には、何があるんだ」
「ある生徒は、夢のような御伽噺の世界があるという、また別の生徒は、生々しい世界があるという。どちらにしても、一度入ってしまえば、その夢は一生覚めることができなくなる」
御伽噺としずかは呟く。もしかしたら、雅はそこに迷い込んでしまったのかもしれない。
「どうすれば、奴らに気付かれずに入れるんだ？」
すると道木の声は、また元の明るい声に戻っていった。
「それがわかれば、俺はここにいないはずだ」
「例の女が牢屋にいるのか」
「どうも姫を探しているようです」
それを聞いて、速水は舌打ちをする。そして今自分の目の前で跪く男に言った。
「お前が女に負けたという噂が、すでに広がり始めている。これは我が組にとって、誠に不名誉なことだ」
言われた男は唇をかみ締める。一昨日負傷した右肩が痛み始める。しかし、あのとき一緒だった二人は、今ごろこんな痛みも感じなくなっているのだと思うと、男は震えを感じた。痛む肩に、女を担いだ自分を褒め称えたいと思った。
「最後のチャンスをやろう」
はっとして顔を上げると、目の前で自分を見下ろしている速水が、氷のような微笑を浮かべているのが分かった。
「失敗すれば、どうなるか。わかるな」
速水が笑う時。それは、周りの人間が最も恐れている瞬間だった。震える声ではいと返事をすると、速水は再び笑う。
「百合の名誉にかけて」
そういって、男はくるりと速水に背を向けた。