THE FLOWER GARDEN
桜の章17
月が明るいということは、しずかの目指す女子寮を明るく照らし出すと同時に、そこへ向うしずかの姿も照らし出すことになる。しずかは、警備にあたっている騎士たちに見つからぬよう何とか暗闇に隠れながら、向うことになった。
おまけにしずかが女子寮に入ったのは今までに二度しかなく、しかもあまりいい思いをしたことがない。
だが、それぞれの組の騎士たちも、桜王宮に借り出されている為なのか、思ったほど警備は厳しくなく、三十分ほどして、しずかは女子寮に忍び込むことが出来た。
『女子寮の地下室にいると聞いたことがあります』
空いていたトイレの窓から忍び込むと、しずかは辺りを伺いながら一階を歩き始めた。
夜中とあって、さすがに寮は静まり返っている。
それにしても、地下室なんて、いったいどこにあるんだ？
女子寮の階段は、玄関にひとつあるだけで、しかも２階に続く螺旋の階段しかない。ぐるりと回ってみたものの、廊下の突き当たりに階段などなく、そこにはただ古ぼけた壁が立ちふさがるだけだった。
思えば君江も、実際菊島ヨネ本人に会いに行ったという言い方ではなかった。
…聞く相手、間違えたかな。
壁を前にそう思ったところで、突然背後から物音がして、慌ててしずかは僅かにある柱の影に隠れる。
「素敵な夜だったわ」
かすかに聞こえてくる女の甘い声は、聞き覚えのある声だった。衣擦れの音がして、風に乗って男の声もしずかの耳に届く。
「同感です。真理恵さん。また明日の夜もお会いできますか？」
真理恵って、宮内のことか？！
しずかは思わず身を乗り出す。確かに、窓越しに会話をしているのは、あの宮内真理恵であった。相手の男は月の明りが逆光になってよくは見えないが、いい体つきをしているようだし、恰好からしても、おそらくどこかの騎士であることには違いなさそうだった。
日向がいいとか言ってたくせに、別の野郎と逢引か。せわねーな。
宮内は、しずかのため息に気づくこともなく、口許に手を当ててオホホと笑うと、男の耳元に口を近づけて囁いている。
「ええ。喜んで。今度は朝までご一緒するわ」
その身代わりの早さにしずか辟易したところで、動かした肘が壁に当たって、ゴツッと物音をたてた。
途端に宮内がしずかのいる方を振り返る。
「誰？」
宮内の鼻にかかった声が、廊下にわずかに響く。
しずかは柱に身を潜める。
ここで宮内に見つかったりでもしたら、すべておじゃんだ。
薬も今夜中には持って帰れないし、
それに桜王宮を抜け出したことがばれる。
カツンと足音がして、宮内がこっちの方に歩いてきている。しずかは、ごくりと唾を飲み込んだ。
どうする？
ここは廊下の突き当たり。逃げる場所なんかない。
ばれるまえに、宮内を気絶させる？
けど、そうしたら、相手の男にばれる。男が騎士であれば、あたしを見逃したりしないだろうし。
それに男を倒すにしても、こっちは何もないけど、騎士だったらあっちには剣があるはずだ。それに、妙にいい体してたから、そう簡単にはいかないかもしれない。
じゃ、いっそ、見逃してもらうか？
いや、無理だろう。
たとえ土下座しても、あいつじゃあたしのこと見逃したりするもんか。
足音だけが近づいてくるものの、しずかの答えは出てこない。
ついに宮内の影が、しずかの足元に届くところまで来たところで、しずかは思わず息を潜めた。
「どうかなさいましたか？」
男の声が、低く廊下に響いて、宮内の足がぱたりと止まった。
「いいえ。何でもないですわ。さあ、誰かに見つかる前に、お帰りになって」
男に別れを言うためか、宮内の足音はしずかから遠ざかっていった。
ふぅ。助かった。
ため息をついたしずかが、ゆっくりと後ろの壁にもたれかかった途端、その壁がぐらりと歪む。
「あ」
しずかの体はそのままに壁に吸い込まれるように倒れていく。
そうして、壁が歪んだのではなく、隠し扉がここにあったのだ、としずかが気づいた時には、しずかの体は宙に投げ出されていた。
追手の攻撃は、一通り終わったのか、とりあえず矢が飛んでくることはなくなった。
夏目は一息つくと、木の影で腰の剣をそっと抜く。
とはいえ、追手がこの辺りに潜んでいるのは確実なのだ。
矢の数から、おそらく相手は一人だろう。
何故、自分としずかを襲ったのかは、夏目にもわからなかった。
だが相手がどこの誰であっても、このようなところを見られているわけだから、そのまますんなりとは帰せまい、と心を決めた時、カサッと地面の葉を踏む音がして、夏目は剣を構えて飛び出した。
だが、その剣を相手の鼻先に突きつけたところで、夏目は思わずその腕の力を抜いた。
「戸田…。どうして、こんなところに」
剣の先にいるのは薔薇組副隊長の戸田で、彼は夏目が最も信頼している部下だった。
慌てて夏目が剣を下ろすと、戸田は勢いよく言った。
「戻りましょう、夏目隊長。我らの桜王宮に」
「もしかして、追いかけてきたのか。…すまないが、私は―」
俯き、戸田に返事をしかけた夏目だったが、戸田はその夏目の言葉を遮ると、強く言い寄った。
「どうしたんです？隊長。
おかしいですよ、特に今日の舞踏会でのあの振る舞い。しかも、水仙の姫と桜王宮を抜け出すなんて、いったいどうしてしまったのですか？」
だが夏目は何も答えることができない。
戸田が言っていることが正しいということは、誰よりも夏目がわかっていることなのだ。
だが戸田は、いつまでも答えない夏目の肩を掴むと、そのまま強く揺さぶった。
「戻りましょう。隊長。
今回のことに気づいたものは、私以外まだ誰もおりません。今ならば、今桜王宮に戻るのであれば、隊長が罰せられるようなことにはなりません」
夏目は小さく首を左右に振ると、自分の肩におかれた戸田の手を肩から下ろした。
「すまない、戸田。今、戻ることは出来ない」
そうして、桜王宮とは反対の方向に夏目は歩き出した。その先にあるのは、薬師である菊島ヨネがいる女子寮だ。
夏目も、何の考えもなしに、このような行動に出ているわけではない。
しずかに手を差し出した時に、すでに覚悟は決めていたのだ。
そんな夏目の背中を、戸田の声が追いかける。
「あなたは薔薇の隊長です。そして、西園寺しずかは水仙の姫です。しかも、妃候補のひとりなんです！」
「そんなことは、わかっている」
静かににそう言って、夏目は足を止めた。
そう、わかっていた。
出会った時から、決してしずかとは結ばれない運命だということは。
夏目は空を仰いだ。
月が綺麗だと思った。
そういえば、しずかと初めて出会ったのは、満月が綺麗な夜だった。
夏目は、心に決めたことを戸田に告げることにした。
「私に、隊長の任は向かないのだ。
現に薔薇組を支えているのは、お前たちなんだ、戸田。
今回の妃選びが終わったら、私は隊長から降りるつもりでいる」
「隊長！」
声を張り上げた戸田を諭すように、夏目は最後まで続けた。
「勿論、隊長である限り、薔薇の名を穢すようなことはしない。だが、今回だけは、許して欲しい。頼む」
陛下をお守りする立場である自分に、陛下以上に守らねばならない人が出来たのだから、隊長の任を降りることは当然のことなのだ。
しずかに手を差し出したのも、あの仔猫を助けようとしているのも、それを躊躇する自分に決断をさせたかったからでもあった。
風にそよがれ、木々たちがざわめく中で、小さなため息が聞こえた。
「わかりました。隊長。
ですが、私はあなただからここまでついてきたのです。成瀬日向でも、鞍馬でもない、あなただからこそ。それは、他の幹部も同じ気持ちです」
そう言って、敬礼をする戸田に、夏目はゆっくりと微笑む。
「私もお前たちを部下に持てたことが、唯一の誇りだ」
階段はゆっくりと弧を描いていた為に、しずかは階段だけではなく、壁にもぶつかりながら、その先にあった扉に勢いよくぶつかり中に入ったところで、ようやく止まる事ができた。
「ってぇ」
体のあちこちが痛い。
しずかは腰や膝をさすりながら、ゆっくりと立ち上がると、そこはまるで洞窟のような鬱蒼とした雰囲気で天井には大きな蜘蛛の巣がはられており、また床にはうっすらと埃が積もっている。かろうじて不快ではない程度の匂いが漂う中で、奥にひっそりとランプの灯りらしきものが見えた。
なんだ？ここは。
しずかがぐるりと辺りを見回していると、突然灯りがしずかに向けられた。
「誰だ？こんな夜中に。騒がしい客だこと。
どこの誰だい？」
しゃがれた声は、確かに女性の声だ。しずかは、腰をさすりながら立ち上がった。
光の眩しさにしずかが目を瞑ったところで、同じしゃがれた声が、
「あんた、誰だ」
と言って、しずかから灯りが外される。
しずかの目の前にいるのは、顔に皺がたくさん刻まれ、背中の曲がった老婆であった。しずかは大きく深呼吸をすると、口を開いた。
「西園寺しずか。あんた、菊島ヨネ？」
途端に老婆の顔が歪む。
「人の名前を尋ねるときに、そういう言い方はないだろう」
しずかはコホンと咳払いをすると、
「失礼ですが、菊島ヨネさんでいらっしゃいますか？」
と言い直した。目の前の老婆は、しばらくじっとしずかの顔を見ていたが、ふとしずかに背中を向けて言った。
「確かに菊島ヨネはわしじゃが…。よくもまあ、猫かぶってられるねぇ、あんた」
「うっせーな。ババァ」
思わずしずかが言い返すと、菊島ヨネはニヤリと笑った。
「それが本性か。
まあいい。そのほうがこっちの性にもあっておる。
で、西園寺しずかさんが何用だい？」
しずかは力強く頷くと、その弱弱しい肩を力強く掴んだ。
「頼みがある。薬を作って欲しいんだ」
だが力が入りすぎたのか、ヨネの悲鳴があがり、しずかは慌てて手を離す。
「いたたた…。まったく、こっちは年寄りなんだから、もっと大事に扱ってほしいもんだね。
それに、人に頼みがあるときには、そういう言い方はないだろうに」
ニヤリと笑うヨネが、年寄りでも薬師でもなかったら、絶対に殴りかかってるだろうなと思いながら、しずかは再びコホンと咳払いをした。
「お願いごとがありまして、その…あー！もう時間ねぇんだよ！
頼むから、薬作ってくれよ、薬」
「何の薬だ」
「猫を助ける薬だ」
「猫だぁ？」
呆れた声をヨネがあげる。
しずかは必死に説明をした。
親猫と一緒だった仔猫が、悪い野郎に矢で射抜かれたこと。
辛うじて死んではいないものの、息も絶え絶えになってきていること。
ヨネであれば、仔猫を助ける薬を作れるといわれて、ここまでやってきたこと。
自分の椅子に座り、一通り話を聞いていたヨネは、しずかの説明が終わると、何度か頷いて答えた。
「ふむふむ、そりゃ結構難儀な薬だな。悪いが諦めて帰ってくれるか、西園寺しずか」
あっさりと断られ、しずかは再びヨネに怒鳴る。
「どうしてだよ」
「わしがもう寝る時間だからじゃよ」
「まじかよっ」
冗談だと思うしずかだが、ヨネは本気のようで、部屋にあるいくつかのランプの火を消し始めた。
チッとしずかは心の中で舌打ちをすると、その場で土下座した。
「お願いです。どうか、薬を作ってくれませんか？お願いします」
「一応ここは寮なんだから、そう大きな声で夜中に騒がないでくれんかねぇ」
だがしずかは頭をあげずに、もう一度お願いしますと言った。
しばらくして深いため息がこぼれた後、ヨネが口を開いた。
「で、代金はどうする？」
「え？」
「薬の金だよ。こっちだって慈善事業ってわけじゃないんだから、取るもの取らないと、やっていけないからね。別に本物の金でも、宝石でもいいんじゃが、あんた、何か持ってるのかい？」
しずかは戸惑った。
ヨネのいうことは、確かに正しい。
だが、金も宝石もしずかにはなかった。
慌ててポケットを探したりしたところで、しずかは、思い出したかのように胸ポケットからブローチを取り出した。
それは日向からもらった水仙の紋章だった。
どうせ、あたしがもっていても意味がない。
「これで、どう。かな」
差し出された紋章を受け取った途端、ヨネは小さく声をあげた。
「これは…。あんたまさか。でも、女で騎士ってのは聞いたことないし、だけど…。あんた、水仙の女騎士なのかい？」
「いや」
「じゃ、どうしてこれを」
「日向がくれた」
決して間違ったことは言っていなかった。
だがその瞬間、ヨネは大きな声をあげると、
「日向！あ、あんたがまさか…。水仙の、姫？」
今までにない呆然とした顔で、しずかを見つめたのだった。
「まあ、奇抜だとは思っていたけど、まさかこんな趣味だったとはねぇ。まあ、黙ってりゃ見れなくもないが、前妃とは雲泥の差だよ、こりゃ」
ブローチが効いたのか、はたまたしずかが水仙の姫であった為か、それとも日向なのか、とにかくヨネは薬を作ってくれることになった。
「あのさ、口はいいから手、動かしてくれよ。時間ないんだから」
夏目との約束の時間まで、あと２時間を切っていた。あの場所に戻るには、徒歩でならば１時間近くかかる。
だが、ヨネは先ほどからブツブツ言っては、手を止めて、しずかをじっと観察していのだ。
「おやおや、もらえるとわかった途端に態度がでかくなった。日向も大変だろうよ。このような姫様が相手だと」
「さっきから、日向日向って言ってっけど、バァさん知り合い？」
「バァさん？ヨネお姉さんとお呼び、このお転婆娘」
しずかは、真夜中だというのにヨネのこの元気さに半ば呆れていた。
「ヨネオバサン、日向と知り合いなわけ？」
「日向は、初恋の人によく似てるんじゃよ。あの人も日向のように、惚れ惚れするようないい男じゃった。笑った顔はまるで少年のように純粋でのぅ」
「日向のどこが」
「お前さん、男を見る目ないのぅ。あれだけ真摯な男、わたしゃ知らん」
真摯ときいて、しずかは首を傾げる。
「毎週、愛する人の為に薬をとりに来ては、もって行っていた。雨の日も、嵐の日も、変わらず。それを真摯といわず、なんと言う」
しずかは肩を回しながら、流すように軽く言い返す。
「白鳥の話か？」
「ばかもん、あんなあばずれ女なわけないじゃろう。
佳乃様だよ、前妃の森宮佳乃様だ」
思わずまわしていた肩を止めて、繰り返した。
「よし、の？」
ヨネは平然とした表情で続ける。
「そうじゃよ。
まったく前妃を呼び捨てするなんて、あんたくらいのもんじゃよ」
それは、単純に知らない人間だからだ、と言い返す気力は、最早しずかにはなかった。
それよりも、今聞いたことが、気になっていた。
日向が、森宮佳乃と恋人だった？
「けど、森宮佳乃は…」
「陛下がいらっしゃる。だから、秘めた恋なんじゃ」
ヨネはそう言い切ると、小さく息を吐いて、首を回した。先ほどから机の上で、薬草のようなものを混ぜ合わせているのだが、調合に神経を使うらしく、度々こうして緊張をほぐしているのだ。
そうしてずり落ちた眼鏡を引き上げて、ヨネは薬を混ぜながら続ける。
「だがね、ここだけの話。佳乃様も、日向にお心があったんじゃないかって話もあるんじゃよ」
「つまり…」
恋人同士だった。
そういうはずだったが、しずかは言葉を無くす。
どうしてか、言葉にすることが出来なかった。
ヨネは事の重大さに、しずかが黙り込んだのだと思い、話を続ける。
「だが、仮にそうであったとしても、二人とも、陛下には篤い忠誠心があったから、あくまでもお互いの心の中だけの恋だったはずじゃよ。
一旦は王宮を出た日向が、再びこっちの世界に戻ってきたのも、佳乃様を看取るためって話じゃがそれでも変わらず陛下にお仕えしておった」
「それじゃ、白鳥の話は…」
ヨネは平然と答える。
「熱をあげてたのは、白鳥の方じゃ。日向は、佳乃様の為に、白鳥を引き取ったんじゃよ。
日向は、愛する人の為ならば、命も惜しまない。そういう男なんじゃ」
どういうことかを、尋ねるのは簡単だった。
だが、しずかは戸惑っていた。日向の知られざる一面に、そうしてそれに動揺している自分に。
「ほれ」
「へ？」
呆然としているしずかの目の前に、ふいに小さな布袋が差し出された。手にしているヨネはにこっと笑うと、
「お待ちかねの薬じゃ。こいつを傷口に塗っておやり。それから水をたくさん与えること。
二日も寝ずに見てりゃ、一週間後にゃ、親猫のもとに戻れる」
と説明した。目の前で揺れる袋を、慌ててしずかは手に取ると、即座に立ち上がった。
「サンキュッ。じゃ、これ」
だが、差し出した紋章に、ヨネはゆっくりを首を左右に振る。
「いらん」
「さっき言ったじゃねぇか。ただでは薬はやらんって。悪いけど、あたしが持ってるもので金目のものってこれくらいだからさ」
それでもヨネは首を振る。そうして、両手で差し出されたしずかの手を包み込むと、そのままそっとしずかにつき返す。
「それはあんたが思っているよりもずっとずっと大切なもんなんじゃよ」
しわがれた手が、その言葉を更に深くしずかの心に響く。しずかは、軽く頷くと、紋章をそっと胸ポケットに入れなおした。
「あんた、結構がめついと思ってたけど、タダでくれるなんて結構いいババァなんだな」
「誰がタダでやると言った」
「へ？」
ヨネはニヤリと笑うと、戸棚から別の布袋をしずかに差し出した。
「日向にこれ、渡してくれればやる」
「何だ？これ」
見た目は、先にもらった薬よりも、小汚く思える。
ヨネはしずかの質問に答えることなく、話を続けた。
「それと、たまにはここに顔を出すようにと伝えといてくれ。わしゃいい男と話すことだけが生きがいなんじゃ」
「…わかった。伝えておく」
しずかが袋を受け取ると、ヨネはくるりを背を向けて、しずかに出て行くよう促した。
扉を開けたしずかの背に、ヨネの今までにない真剣な声が響く。
「棘の宮には、気をつけるんじゃぞ」
「棘の宮？」
「そう。誰が呼んだか、あの王宮をそう呼ぶ。しかも、その棘には、毒が塗ってある」
毒、としずかは呟いた。ヨネは言葉を繋げた。
「毒と言っても、様々じゃ。
人の命だけじゃなく、心を奪う毒もある。
あんたも、その毒を食らわんように気をつけるんじゃぞ」
ガタン、という音と共に、馬車が動き始めていた。
夏目はそれを木陰から見つめながら、しずかが現れるのを待っていた。
『離れ離れになったとしても、その時は、一人で戻ること』
そう約束をしたのは、自分だが、やはりしずかを置いて桜王宮になど戻れない。
結局戸田との攻防戦があった為、女子寮にいく時間がなくなってしまった夏目にとっては、しずかだけが頼りだった。
馬車は徐々にその速度をあげる。
もはや、これまでか。
夏目が諦めかけたところで、遠く後方からパタパタと足音が聞こえてきた。振り返るとしずかが何かを手にして走ってきていた。
「待てっ、待ってくれってっ！」
夏目は慌てて、馬車の後ろに飛び出した。
「しずかっ」
「夏目っっ」
並びかけたところで、夏目はしずかに手を伸ばした。しずかも、走りながらもその手を捕らえる。そして、夏目は思い切りその腕を引き寄せると、そのまましずかを馬車の荷台にまで引っ張った。
「乗れっ、早くっ」
しずかは大きくジャンプする。馬車はわずかに揺れたが、怪しんで止めるようなことはなかった。
「ほらっ、夏目もっ」
馬車に乗ったしずかが、そう言って夏目に手を差し伸べる。夏目はその手をとることに一瞬躊躇ったものの、気合を入れてその手を掴むと、全速力で馬車に乗り込んだ。
「大丈夫だったか？夏目」
「ああ。しずかこそ。薬は？」
しずかは大きく頷くと、手にした袋を取り上げた。
「戻るぞ、桜王宮へ！」