THE FLOWER GARDEN
百花繚乱の章25
「全部こいつに話すんだ」
背後から聞こえてくるその声に耳を貸しながら、しずかは目の前で息をのみながらこちらの様子をうかがっている日向に向かって尋ねた。
「どういうことだ？
お前ら、仲間だったのか？
日向っ」
しずかに名前を呼ばれた日向だったが、しずかの鋭い視線から逃げるようにして俯いた。
それが日向の答えなのだと、しずかは唇を噛みしめて日向を睨みつける。だが、日向になんといっていいのかわからず、しずかも、また日向も黙りこんだ。
二人の様子をじっと見ていた道木が、ため息をつくと日向に話しかける。
「どうした？話せないのか？
だったら俺が話してやる。お前は黙って座ってろ」
日向は目を見開いて道木をにらみつけたが、しずかの首元で光るナイフを見て、諦めたように道木が顎で指したソファに座り、腕組みをした。苛立ったように靴底を鳴らす音が響く。そんな日向を軽く鼻で笑いながら、道木はしずかに話し始めた。
「こいつの父親は、有名な財閥の会長だ。
母親は、その愛人。
そう聞くと、哀れな存在に思えるが、こいつは違った。
父親が引退した後で出来た子供で、実権は長男に譲っていたし、他の家族もそれぞれに独立していて、それほど口を挟まなかった。
母親も利口だったんだな。財閥の名前を一切使わない代わりに、十分すぎる遺産を生前に貰って、おまけに相続問題には一切関わらないという誓約書を取り交わしていたんだ。
だから、本家からは切り離された状態で、隠居した父親と共に愛情に包まれたまま、何不自由なく育てられた。
そして父親が死んだ時にある秘密を知ったことで、こいつはここに来た」
靴音がぱたりと止まる。
「秘密って？」
しずかがそう尋ねると、道木は声を張り上げて日向にも聞こえるように言った。
「父親には、実は自分以外にも愛人との子供がいた。そいつは、父親の命令で、ある場所に閉じ込められるようにして生きていたんだ。
それが、桜小路有世だ。
興味本位で、こいつはこの学園にやってきた。当然、この世界もすぐに見つけて、もぐりこんだ。そして―」
話を進めようとする道木に、目を見開いたしずかが思わず振り返って尋ねる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ…。
ってことは、有世は日向の―」
混乱したしずかの頭を見透かしたように、道木がはっきりと答える。
「腹違いの兄だ」
思わずしずかはかすれた声を上げる。
「…冗談、だろ」
「冗談で言える話か？」
笑いもせずに道木が答える。しずかは日向の方に振り返って尋ねた。
「じゃあ、貴緒も同じ腹違いの妹だってのかよ」
だが日向はしずかから顔を逸らしたままで、じっと黙りこんでいる。代わって道木が答えた。
「あいつは違う。あいつの母親は、父親が会長だと言い張ったらしいが、実際は誰の子かすらわからないらしい。桜小路家の中で相手してるのは、同じく部外者扱いされてる有世だけだ」
黙り込んだしずかだったが、はたと気づく。
「…けど、愛人の子供ってどういうことだよ？有世は、桜小路家の跡取り息子じゃないっていうのか？」
たしか相川は、有世を桜小路家の長男だと言っていたはずだ。
「戸籍上はな。だが、父親が有世を拒否した」
「どうしてそんなことっ―」
「本当の父親が、自分ではなく自分の父だと知ったからだ」
「え？」
混乱した頭の中で、つまり有世が祖父である会長と、その嫁の子供であるとしずかが理解した時、道木はさらに話を進めた。
「生まれてきてはいけない子供だと思った母親は、有世を産み落とした後自殺を計った。命を取り留めたが、精神を病んで、結果的に死んだ。
その時全てを知った会長が、この学園を作り、そこに有世を幽閉した」
「幽閉―」
「そうだ。高い塀の中に偽りの楽園を作り、護衛のふりをして監視している騎士たちに囲まれた暮らし。まさしく幽閉だろう？」
黙り込むしずかを道木は鼻で笑いながら、話を続ける。
「そして父親が作った秘密の花園で暮らす有世の存在を知った日向は、興味本位でこの学園に転校してきた。
こいつのことだ。ひと通り遊び尽くしたら戻るつもりだったんだろう。だが、現実は見事に抜け出せなくなったんだ、この偽りの世界から」
道木はそう言うと、しずかに向けていたナイフを日向に向けた。
きらりと光るナイフの先で、日向が立ち上がりながら答える。
「道木、俺は―」
「違うと言えるのかっ？
今のお前に」
激しい道木の声に、日向は黙り込むと、再び腰をおろした。
どうやら二人の関係は、対等もしくは道木の方が若干上のようだ。
それにしても、としずかは頭を抱えながら口を開く。
「…で、どうして二人が知り合ったんだ。
住む世界が違うなら、知りあえるわけないだろう？」
今まで日向が有世に見せていた態度をしずかは思い出していた。
あれもすべて嘘だったのか？
心の中ではほくそ笑んでいたのか？
しずかの問いかけに日向は応じることなく、道木が答える。
「お前も知っているとおり、こいつは一度俺達の世界に戻ってきている。
出会ったのはその時だ。
何度も壁をよじ登ろうとして捕まる俺に、日向が声をかけてきた」
「じゃ、お前はどうして一度抜け出したんだよ。あの世界から。
どうしてっ」
「それは―」
思わず顔を上げた日向の言葉を遮って、道木の低い声が響く。
「逃げ出したんだ。目の前の出来事から」
「どういう意味だ」
思わずしずかが振り仰いで道木を見ると、にやりと笑いながら道木は答えた。
「惚れた女を、自分が忠誠を誓った男が傷つけ、だけどそれでも男を愛する女と、自分の意思を持てない男に、嫌気がさしたんだ」
「違う！」
いつになく激しい日向の声が響いた。
思わず日向を見つめると、諦めたように頭を抱えながら日向は少しずつ話し始めた。
「…あの頃、桜小路財閥の社長が倒れた。陛下の戸籍上の父親だ。
社長には娘はいたが、息子はいなかった。
次期総裁探しに躍起になった一部の改革派が、陛下を…呼びつけた。
陛下にとっては、初めて知る父親や親戚だった。ずっと一人だった陛下は、初めて自分の居場所を見つけたのだと思って、この世界を一度出た。
けれど、彼らは陛下が期待していたようには受け入れなかったんだ。
当然だ。自分の存在を脅かすものだからな。
だが、陛下には、それが耐えられなかった。
そして、この世界に戻ってきた。
だがそれを、佳乃様は非難した。
もちろん、本心で陛下を責めたわけではない。
ただ、外の世界に戻れるのならば戻った方がいいと陛下のためを思った佳乃様の言葉だ。
だが、陛下はそうは受け取らなかった。
そんな時、白鳥華夜乃が新しい妃候補として現れた。
拒否しない陛下に、佳乃様は心を痛め、そして体調を崩された。自分の思いが、陛下に通じていなかったと思ったんだ。
だが実際は、陛下の意思には関係なく、花族とりわけ桂公爵の強い意向だった」
日向は俯くと、そこで口を閉ざした。
かわりにと、道木が口を開く。
「それで日向が、森宮佳乃の、ひいては桜小路有世の為に、白鳥華夜乃を強奪したんだ。
それがわかっているから、桜小路有世もこいつに重罪を架すことはできなかったけどな。
この話は全部、俺が日向から引き出した話から総合して考えた結論だ。だがそれほど外れてはないようだな、日向」
にやりと笑う道木を、日向はにらみ返しもせずに、ただ俯いていた。
その先は、しずかも聞いたことのある話だ。
偽りの愛に気づいた華夜乃は日向と喧嘩を繰り返す。その中で佳乃は再び病に倒れ、華夜乃の入宮説が取りざたされるようになると、日向はそれを反対した。
華夜乃が欲しかったわけではない。
すべて、佳乃を守るため。
その結果、日向は不敬罪であるとされ、ならばと薔薇組を脱退して、秘密の花園を抜け出し、学園に戻ってきたところで道木と出会う。
でも…としずかは、もう一つの疑問を再び口にした。
「でもどうして…お前は、それからまた桜王宮に戻った？
失望したんだろ？佳乃と有世に。
なのにどうして、水仙組を立ち上げた？」
ゆっくりと日向が顔を上げる。
しずかと向き合ったところで、日向は大きく息を吸った。黙ってその答えを待とうとするしずかの耳に、道木の声が聞こえてきた。
「森宮佳乃が、いよいよ危ないってなったからだよなぁ、日向。
そう有世がお前を呼び寄せたんだ」
途端に、日向が顔を逸らした。
道木は、それにと話を続けた。
「それに俺たちの計画を進めるためにも、誰かが中の世界に入って、新しいアジトを作ることが重要だった。
水仙組がそれだ。計画の為にも、新しい騎士団が必要だった」
「計画？」
道木の顔を見つめるしずかに、自信たっぷりに笑うと、道木は堂々と言い放った。
「この世界の崩壊だ」
崩壊と呟くしずかに、道木はああと頷いて答えた。
「夢の世界は、あくまでも幻想。だけど、現実からは逃げられず、俺たちはそれに立ち向かっていかなければならない。そうわからせてやるということだ」
その時小さな破裂音が聞こえたかと思うと、突然に大きな爆音が降りかかってきた。思わずしずかが音のする方を見つめると、泉に面した窓ガラスが、一瞬にして白く変わり、粉々に散った。
キラキラと太陽の陽を浴びて輝くガラスの破片を見て、しずかは一瞬だが、美しいと思った。
だが次の瞬間には、爆風がしずかを襲っていた。
「危ないっ」
日向の声が聞こえたが、その手が届く前に、道木ががしずかを抱き抱え、その破片からしずかを守った。
パラパラと破片の落ちる音と同時に、しずかは耳元で道木の喉を詰まらせたような声を聞いた。と同時に、しずかの背に回していた手が小さく震える。
「お…い？」
どうしたと聞こうとしたところで、その手がするりとしずかの体を離れたかと思うと、道木は崩れるようにその場に倒れこんだ。
「おい？道木…」
倒れこんだ道木を見て、思わずしずかは息をのんだ。
道木の脇腹には深く矢が突き刺さっていたのだ。
バリバリとガラスを踏みしめる音と共に、
「大丈夫か？」
と夏目の声が響いた。振り返ると、他にも薔薇組の騎士たちが次々と顔を出す。
目の前で起きた出来事についていけず呆然としているしずかの手を夏目は引き、道木の周りを他の騎士たちが取り囲む。
戸惑っているしずかに、夏目が安心させるように笑いかけた。
「一人で行くなといっただろう。陛下からもお守りするよう命ぜられているのに―」
だがすべてを夏目が言い終わる前に、日向がその騎士たちの間を割って道木に急いで駆け寄り、その肩を揺さぶると叫んだ。
「おい、道木っ、道木っ」
道木はにたりと笑いながら苦しそうに答えた。
「揺らすな…、傷に…響く」
だが日向は道木を無視して、自分たちを見下ろしている夏目を怒鳴りつけた。
「おい夏目っ、至急こいつの手当しろっ」
その言葉に反応したのは、手に弓矢を持った戸田だった。
「ちょっと待ってください、成瀬隊長。
こいつは敵の親玉だ、それをどうして助けなきゃならないんですかっ」
戸田が言うことは最もだった。
学園を崩壊させようと道木が思っているのであれば、学園を守る立場の騎士たちからすれば、戦うことはあっても助ける義理はない。
それとも日向は、道木が仲間だからそう言っていると言うのだろうか？
やはり、この学園を崩壊させようとしているからなのか？
そう思い、日向の答えをしずかも待つ。
日向は小さく舌打ちをすると、声を押し殺して答えた。
「こいつが、親玉だからだ。
他の奴らもこいつが扇動している。
こいつがいなきゃ、鎮圧しようにも時間がかかる。時間がかかれば、それだけこっちも深手を負う」
日向に鋭く睨みつけられた戸田は、思わず黙り込んだ。
その中で、震える低い声が聞こえた。
「…無理だ」
「道木？」
日向がはっとして道木を見つめる。
道木の脇腹からは大量の血が流れ出ていた。顔からも血の気が失せている。
本来ならば気を失ってもおかしくない状態の中で、道木が口を開いた。
「俺たちは甘かったんだよ、日向。
あいつらは、俺がいなくても、この学園をぶっつぶすつもりだったんだ。
俺はその理由を作っただけだ。
まあ相手が学園なのか、現実の社会なのか、わからねぇけどな。
もう誰にも止めることはできない」
そう言って道木は弱弱しく笑った。
「だからお前との約束も守れなかった。すまん」
そう言うと、道木はゲホッと咳払いをした。すると、その口から赤い血がだらりと垂れてきた。
「道木っ、しっかりしろっ」
小刻みに震え始めた道木の肩を揺らしながら、日向が叫ぶ。
道木はもう一度咳払いをすると、血で汚れた口許を拭くことなく言った。
「選択しろ、日向。
この秘密の花園を、解放するのか、守りぬくのか。
守るんだったら…死ぬ気で戦え」
言い終わったところで、道木の手が力なく床に広がる。
それを見たしずかが慌てて駆け寄った。
「道木っ」
だがその目は固く閉ざされている。
しずかはその手を掴むと、強く揺さぶって言った。
「おいっ、死ぬなよっ。
あたしのこと助けておいてっ、貸しを作ったままにさせるなよっ」
すると、うっすらと道木の目が開いた。
「…西園寺、しずか」
「何だよっ」
「俺は、日向と賭けをしていた。
お前が、この世界に染まるか染まらないのか。
勝ったのは、日向だったな」
「え？」
その意味を聞こうとするしずかをまっすぐに見据えて道木が言った。
「お前は、お前の道を行け」
「なんっ―」
何言ってんだ。
そう言おうとしたしずかの前で、道木は目を閉じると、首をかくんと床に落とした。
「道木！」
そう叫ぶ日向の声が、響き渡った。