THE FLOWER GARDEN

百花繚乱の章26

　木々は切り倒され、花々は踏みにじられていた。いたるところで煙も上がっている。黄仙館も形は残っているものの、その庭にも建物にも戦いの傷跡が残されていた。流れ出ていた水仙の泉の水も止まり、おまけに夏目たちが踏み込む際に倒した人たちがその中に倒れたまま浮かんでいる。
　以前の華やかな風貌と変わり果てたその様子を見つめている日向に、しずかが声をかけた。　
「日向、行くぞ」
「ああ…」
　馬に乗っていた日向はその声に手綱を握り締めた。
　夏目は、戸田に緋薔館には立ち入らないようにと警告する一方で、ひそかに別の騎士に各地の状況について偵察させていた。
　その結果、緋薔館も青菫館もすでに敵の手に落ち、白百合館に至っては、敵味方入り乱れての騒乱になっていることがわかった。黄仙館も、夏目らの襲撃によって敵は一人もいなくなったものの、以前のような美しさは欠片も残されていなかった。
　道木と言う船頭を失った敵は、それでも桜王宮に向かっているという。
　目的だった日向の確保を終えた夏目の次なる任務は、この状況を一刻も早く有世に伝えることだった。
　日向が向き直るのを待っていたかのように、先頭の夏目は馬を走らせ始めた。しずかも日向もそれに従う。
　しずかは並走する日向に、尋ねた。
「ひとつ聞いてもいいか？」
「断ると言っても、お前なら聞くんだろう」
　思わずしずかは小さく舌打ちをした。
「いちいちうるさい男だな。
　…どうして、学園を潰そうとしたんだ？
　ここを潰したら有世は居場所がなくなる。
　お前は、有世を破滅させたかったのか？」
　しずかの質問に、日向は少し馬を走らせてから答えた。
「…佳乃様からの遺言だ。
　陛下を、自由にさせてやってほしいと」
　自由に？と眉間にしわをよせるしずかに、日向はああと小さく頷いた。
「道木の言う通り、この学園は陛下にとっての鳥かごだ。
　今抜け出さなければ、一生この中でしか暮らせなくなる。だから佳乃様は、その鳥かごを壊すことで陛下を解放してほしいと言ったんだ。
　陛下も、最初の頃は苦しむかもしれない。だがそれでも、今のような苦しみは味わうこともなく、新たな喜びを見いだせるからとそう俺に言った。
　自分がそんな陛下の傍にいて、支えることができないことだけが心残りだ、とも」
　しずかの脳裏に、佳乃の死が自分にあると言っていた有世の表情が過る。
「…有世のこと、本当に好きだったんだな」
　ぽつりと呟き、しずかは思った。
　そして有世も、同じように佳乃のことを愛していたのだと。
　しずかの言葉に、日向も頷いて話を続けた。
「体は弱かったけれど、心は強い方だった。
　どんな時でも、陛下の為に自分の気持ちを押し殺していた。そのせいか、体はますます弱くなっていったが、それでも愚痴一つこぼさないような方だった」
　ちらりと横目で日向を見ると、自分を責めていた有世と同じような表情をしている。
　確かに言われてみれば、二人は似ていないくもないのかもしれないとしずかは思った。
「有世は、知ってるのか？お前との関係」
「いや。他には誰も。ただ」
「ただ？」
「佳乃様には、俺と陛下が似てると言われたことがあった。
　もしかしたら、気付いていたのかもしれないな」
　その時を思い出してか、日向の表情が柔らかくなった。
　見たこともないその表情に、しずかは嫉妬を覚えた。
　嫉妬？
　どうして？誰に？
　日向にこんな表情をさせる佳乃にとでもいうのか？
　冗談言うな。
　あたしは、憎んでるんだ。こいつのこと。
　自分の気持ちを憎しみに変えようと、しずかは話を切り替える。
「…結局は、全部お前の目論見通りってわけだな。
　学園の崩壊も、
　あたしがこの世界に染まったことも、全部」
　道木の言葉と、あの時感じた怒りと動揺と思い出す。
　だがそれを、日向は否定した。
「それは違う」
「え」
「お前がこの世界に染まると言ったのは、道木だ。
　俺は、染まらないと答えた」
　それなのに、あたしに似合いもしないドレスを着せ、作法を学ばせ、妃としての教育を受けさせたというのか？
　しずかは声を押し殺して尋ねた。
「…それじゃ、どうしてあたしを妃に仕立て上げようとした？」
　しずかの問いに、日向はゆっくりと顔を上げると、しずかの方を見て答えた。
「お前が…お前なら、陛下をこの世界から連れ出せると思ったからだ」
　陽の光に照らされたその瞳が潤んだように見えたのは、気のせいだろう。
　しずかはそれでも、日向の言葉に少しほっとしていた。
　自分は日向の復讐の駒ではなかったと、初めて感じることができたからだった。
　日向、そうだろう？
　しずかがそう尋ねようとした時、先を行く夏目たちが馬を止めているのが見えた。
「どうした？」
　近づいていき聞くと、夏目は声を潜めるようにと人差し指を口に当ててから、先の方を指さした。
　制服姿にスコップから奪い取った剣まで持った生徒たちが何十人と歩いているのが見える。
「やつらだ。思った以上に桜王宮に近づいているらしい。
　見つかると厄介だから、少し遠回りをする。こちらは馬で、あっちは徒歩。追いつかれることはないだろう。
　だが急がなければならない状況に変わりはない」
　夏目は口早にそう言うと、戸田らに指示をしてから方向を変えて走り始めた。その様子を見ているだけの日向に気づき、手綱を掴んだしずかは、その手を緩めると日向に尋ねた。
「日向、お前はどっちに付くんだ？
　この学園を潰すのか、守るのか。
　その答え次第では、さっきの道木の話をあたしは夏目に話す」
　今のところ、夏目は水仙の騎士を助けに黄仙館に戻ろうとした日向が道木たちの一派に捕らえられたのだと信じている。
　それが違うどころか、日向が彼らと一緒になってこの世界を崩壊させようとしていたことを知れば、すんなりと桜王宮に入れるはずはない。
　日向は、じっと正面を見ていたかと思うと、小さく頷いて答えた。
「俺は、陛下のお考えに従う」




　夏目からの報告に、桜王宮内は混乱を極めていた。
　大勢の前では余計混乱すると、一部の騎士たちだけを部屋に集めての報告ではあったが、そのざわめきは地響きのように体を揺らし、不安を募らせた。
　彼らが朱雀門まで到達するのに、夏目が見積もった時間は一時間ほどだった。
　その前に結論を出さねばならない。解放か戦いか、いずれにしても痛手を負うのは確かであった。
　その中央で、有世は左右に行ったり来たりしていたところで、ふいに足を止めて夏目の後ろに立っているしずかを見つけて問いかけた。
「どうしたらいい？しずか。
　私は、どうしたらいいのだ」
　周囲の視線が自分に集まるのを、しずかは感じた。有世の表情に余裕はなく、周囲の誰よりも不安そうな表情を浮かべている。
　縋るように見つめられたしずかは、日向の言葉を思い出していた。
『お前なら、陛下をこの世界から連れ出せると思ったからだ』
　確かに、今の有世ならば、簡単にしずかの意見を取り入れるだろうとは、感じていた。
　しずかが意見を言うのは簡単だ。
　だが、有世が何も考えずその意見に盲目的に動くのは、仮にも陛下として君臨する立場として、どうなのだろうかと迷う気持ちもあった。
　それに…。
『陛下を、自由にさせてやってほしいと』
　学園の崩壊が、即ち有世の自由へと結びつくのかどうか、しずかには疑問だった。
　仮に今、学園が崩壊しても、有世は一人で旅立っていこうとはせず、周囲に流されるようにして生きていくだけじゃないのか。
　大事なのは、そういうことじゃない。
　有世が、自分の力で、自分の未来を決める。
　そういうことじゃないのか？
「それは…有世が決めることだ。そうだろう？」
　そう言ったしずかを、有世は一瞬衝撃を受けたように見つめた。
　だが自分を見つめるしずかの視線が、決して突き放したものではないと気づき、有世はごくりと唾を飲み込んだ。
　そして、小さく頷くと呟くように答えた。
「…では、戦おう」
「陛下」
　夏目がそう声をかける。他の騎士たちもそれに倣い、次々に有世の名前を呼んだ。
　その中で、有世は顔を上げると、宣言するかのように大きな声で言った。
「私たちが生きる、この美しい世界を守ろう！」
　するとその声を後押しするかのように、部屋中の騎士や近衛たちが両手を挙げて一斉に叫んだ。
「皇帝陛下、万歳！有世様、万歳！」
　やむことのないその声は、大きな力となり、有世を包む。
　その中央で、自信に充ち溢れていく有世の表情を見つめていたしずかは、傍でしずかが受け取るティアラを持っていた近衛に近づくと、ティアラを手に取り、雅の前に立った。
「…しずかさん？」
　両手を叩きながら、恍惚とした表情で有世を見つめていた雅がしずかに気づき、その手を止める。
　しずかはにっこりと笑うと、そのティアラを雅の頭に乗せた。
「これ、雅にやるよ」
「え？」
「あたしには、やっぱり似合わないからさ。こういうティアラも、ドレスも。
　雅の方が、似合ってる。
　それに約束したじゃないか」
　あ…と雅の口から声がこぼれた。
　ロケットとともに託されたしずかからの手紙。
『約束は、永遠だ。
　あたしは、雅を守る。
　だからあたしが、雅を傷つけるようなことはしない。
　絶対に』
　しずかさん、と呼びかける雅だが、その声は涙でくぐもって声にならなかった。しずかはそんな雅を励ますようにして、肩をぽんと叩いた。
「しずか…」
　震える声がして、しずかは顔を上げる。そこには、先ほどの自信が砕け散ったような表情の有世が立っていた。
「ごめん、有世。
　あたしには窮屈すぎて、やっぱり駄目だ」
「ではこの先どうすると？」
　必死な有世に、しずかはそうだなぁと軽く息を吐いて答えた。
「この学園を出て行こうと思う。
　母さんの遺灰も海に捨てなきゃいけないし」
　しずかの飄々とした雰囲気に、石崎が激しく言い返した。
「出ていく？どうやって？
　この桜王宮より他は、戦場と化しています。危険なことはしずか様も十分知っておいでのはず」
　だがその裏にある確かな愛情を初めてしずかは感じながら、笑顔で返した。
「大丈夫、疾風がいるし。なんとかなるさ。
　あいつらが来る前に朱雀門を出とかないとな…それじゃ行くよ」
　そう軽く言って、部屋から出て行こうとするしずかを、二人の声が引き留めた。
「「しずかっ」」
　しずかがゆっくりと振り返る。
　そこには、日向と有世が立っていた。
　二人は互いの顔を見合わせていたが、ふいに日向が一歩前に出て、しずかに言った。
「俺も、一緒に行かせてくれ」
「日向」
「隊長っ」
　その声に、夏目と相川たちが声を上げた。だが日向は、彼らに向かって手を広げ、黙るように指示すると、しずかに向かって答えた。
「俺のすべきことは、もうここにはない」
　その表情が真剣なことに気づき、しずかは思わずにやりと笑いかけながら言った。
「ここを出たら、あたしとあんたは対等だ。どっちが上とかしたとか、関係なくなる」
　それでもいいのか？
　そう問いかけるしずかに、日向は力強く頷いた。
「わかってる」
　そう答えると日向は笑った。
　その笑顔は、まるで少年のように無邪気に見えた。
「よし」
　しずかはそういうと、日向と一緒に扉を開けた。



　小高い丘の上から見えるその風景を、しずかは振り返り、もう一度強く心の中に焼きつけた。
　ところどころから煙が立ち上がるその景色は、以前のものとは比べ物にならないほど焼けつくされていた。けれど、それでも緑が青々と茂り、太陽の陽を受けた花々が色とりどりに咲き誇るその景色は、確かにしずかの中にあった。
「しずか？」
　ふいに名前を呼ばれて、しずかは正面に向き直ると、そこには首をかしげる日向の姿があった。
「戻るなら、今だぞ」
　二人は桜王宮を出て、かつての百合組の領地に入ってきていた。
　学園を抜けるまで、あと少しの距離だ。
　途中見つかりそうになったものの、疾風と日向のおかげで、しずかはなんとかここまでくることができた。
　しずかは日向の見据えた方向を、振り返って同じように見つめた。
　そこにはひと際大きな煙が立ち上がっている。
　それだけ善戦していると言うことなのだろうか。
　それとも苦戦を強いられているのだろうか。
　気にならないわけではない。
　無事でいてほしいと思う。
　感謝もしていた。
　愛してもいた。
　だけど、ここはあたしのいる場所じゃないと思うから。
　あたしの進むべき道は、他にあると思うから。
「いや」
　しずかはそう答えると、乗っている疾風の背をなでた。
「悪いな、疾風。あと少しだけ、我慢してくれよ」
　気持ち良さそうに疾風が鼻を鳴らす。その様子にしずかは笑みをこぼしながら、日向に言った。
「じゃ、行くか」
　ああ、と日向も答える。
　夕陽を受けた二つのシルエットは、重なるようにして走り出した。