THE FLOWER GARDEN
百花繚乱の章21
戸田は二人の部下を伴い、桜王宮の奥地にある牢獄を訪れていた。
目的は、華夜乃の殺害である。
もともと戸田は華夜乃が嫌いだった。美人なことは認めざるを得ないが、時に男を小馬鹿にしたような態度が、許せなかった。
特に夏目に対するその態度は顕著で、その度に戸田は華夜乃を追い出そうと思っていた。
だが、その過去からも華夜乃が妃候補として最有力候補だということは認めざるを得ず、夏目の説得もあって実行することはなんとか我慢していた。
ところが、だ。
王妃を決める為の投票をしているその当日、同じ館内で、男と、しかも戸田と同じ副隊長の富樫と逢引をしていたのだ。
本人が捕えられるだけならまだしも、その罪は薔薇組にもおよび、結果として隊長である夏目がその責任を負うことになるのは必須だ。
有世のめでたい席だからということで公式に辞意を表明してはいないものの、今日の式典が終われば、夏目はその辞意を有世にも、部下である薔薇の騎士たちにも伝えることを決めていた。戸田は、次期隊長に任命するという理由で、他の騎士たちよりも早く教えられた。
当然戸田は引き留めた。しかし、夏目の意志は固く、戸田の説得には応じない。
それが余計に戸田の華夜乃に対する憎悪に火をつけた。
隊長は何も悪くない。
悪いのは、あの女なんだ。
この世界からいなくなればいいのは、あの女なんだ。
そう思った戸田の行動は素早かった。
やるならば、王宮内が式典の準備で忙しく、警備も手薄になる当日しかないと、二人の部下をつれ、華夜乃のいる牢獄にやってきたのだ。
華夜乃は他の囚人の刺激になるからと、奥の独房に入れられていた。どうやってそこに向かおうかと考えていた戸田だったが、意外にも看守はおろか、奥の独房以外の監獄には誰もいなかった。
「どういうことだ？」
思わずそう呟くと、部下の一人が答えた。
「挙式後のパレードを見物するからじゃないでしょうか？」
挙式自体は、桜王宮の中で一定階級以上のものしか参加できないが、その後有世はしずかを伴い、王宮内をパレードすることを決めていた。式に出られない者たちは、そこで有世としずかの幸せな姿を拝めることになっているのだ。より近くで見たいというものが、我先にと場所取りを始めるのは、たしかにない話ではない。
しかしと思う戸田を、もう一人の部下が急かした。
「戸田さん、先に行きましょう。時間がありません」
すべて終わったところで、式典に間に合わなければ意味がない。
戸田は浮かんできた疑問をすべて頭の中で流した。
独房へと続く洞窟を歩いていると、その奥からは風の抜ける音に混じって、人の声も聞こえてきた。
少し高めな男の何かを叫んでいる声に混じるように、小さな声ではあるが、男女の話し合う声が反響して聞こえてきた。
「戸田さん。あれ、もしかして…姫と男の声、じゃないですか？」
その声と、先ほど誰ひとりいなかった牢獄にピンときた戸田は、更に腹を立てた。
「だとすれば相手はおそらく富樫だろう。
こんな場所でも逢引するとは、どこまでも薔薇の名を汚す男だ。
構わん、二人とも斬れ」
押し殺した戸田の声に、二人の部下も剣を鞘から抜いた。戸田自身も剣を抜き、構えながら牢屋へと向かう。
目の前の角を曲がれば、その先がすぐに牢屋となっているはずだ。
息をのみ、一気に駆け抜けると、牢屋の扉が開いたままで、戸田に背を向ける形で華夜乃と抱き合っている男が見えた。
深紅の制服は、薔薇の騎士である証だ。
「おのれっ、富樫っ」
戸田は一気に剣を振りおろす。だが、目の前の男は、その直前に戸田に気づき、華夜乃を守るように背を丸めると、僅かに体をずらした。しかしそれでも戸田の剣は男の肩を掠め、小さくだが鮮血が飛沫となって上がる。
やった、と戸田が思った次の瞬間、男が後ろを振り返った。
「っ…戸田…」
「たっ隊長っ、どうしてっ！」
戸田の目の前にはいるはずのない夏目がいた。華夜乃の背中に回していた腕がだらりと下り、小さく華夜乃が悲鳴をあげる。
夏目は戸田の質問に答える前に、がくんと床に膝を落とした。
隊長と叫び夏目を抱える戸田に、夏目は苦しそうに尋ねた。
「お前こそ、どうしてここにいる？
おまけに剣を抜くとは…」
夏目はそこまで言うと、そのままがくっと床に倒れそうになった。戸田がその直前で支えたものの、夏目の肩から流れ出た大量の血は、床を赤く染めあげていた。
「隊長っ、隊長っ！…姫？」
ようやく医者を見つけて、他の騎士二人を伴い部屋に戻ってきた但野は、扉を開けた途端、その場に立ちつくしてしまった。
ベッドには、安らかな表情で目をつぶった鞍馬に、寄り添うようにして梢が横たわっていた。
辺りには青紫色の小さな花、菫が散っている。
梢は笑顔であった。
片方の手を鞍馬の胸に、もう片方の手を鞍馬の掌の中に置き、固く目を閉ざしていた。
但野は恐る恐る近づくと、その口元に手をあてて確認をする。
やはり、息はない。
菫の花に隠れるようにして、床には小瓶が転がっていた。その栓はなく、中の液体は床にこぼれてしまっている。
但野はその小瓶を手にしながら、じっと梢の表情を見つめていた。
咲かせた花も小さければ、その咲き誇っている時期も短い人だった。
鞍馬と出会い、それまでとは違う道を生きることになった梢は、果たして幸せだったのだろうか。
そう尋ねることができたら、梢は何と答えるのだろうか。
その思ったところで、但野はそれが愚問だと、梢の表情を見て気づいた。
それでも幸せだと、この姫なら言うだろう。
愛する人の為に生き、愛する人と共に死んだのだから。
遅れてかけつけた騎士のひとりが中の様子に息をのみ、その早まる鼓動を落ち着かせることなく但野に尋ねる。
「但野副隊長…、どういうことですか？」
ノックの後、
「姫、準備はできましたか？」
という声をとともに碓井が顔を出した。鏡に映ったその顔を見て、雅はほっと安心しながら答える。
「はい、大丈夫です」
王妃の決定を受け、雅を含めた百合組の騎士たちは、桜王宮を出て白百合館へと戻った。
全ては、速水の失態を受けてのことだ。
森は、そのまま有世としずかの結婚式にも参加を辞退しようと考えていたのであるが、有世の強い要望と、副隊長である碓井の意見もあり、雅を伴って百合組は参加をすることになっていた。
立ちあがった雅の姿を見て、碓井はひとりため息をついた。
本来であれば、今日の陛下のお相手は、この人であるはずだったのだ。
純白のドレスはウエディングドレスにも見えたし、何より雅もそれを望んでいた。
だが、有世はしずかを選び、
雅もそれを認め、しずかの友人としてそれを祝福している。
本当ならば参加するのも辛いだろうに、姫は本当に強くなられた。
まじまじと眺めていると、雅がそんな碓井に小首をかしげて見せた。
「では、参りましょう。ここからですと、少し時間もかかりますし」
碓井は慌てて笑顔になって、そう言う。
そして扉を開けようとしたところで、突然森がノックもなく現れた。
「森…何だ。私と姫は、これから陛下の式典に参加するために、桜王宮へと向かわねばならな―」
「その必要はない」
バタバタと森を囲む様に数人の百合の騎士が現れた。その手には、剣を携えている。
碓井は咄嗟に、背後で雅を隠すように守ると、森に問いただした。
「どういうことだ？」
「姫にはここで自害してもらう」
そう言ったところで、森は鞘から剣を抜きながら、にやりと笑ってさらに言葉を続けた。
「いや、そういうことにさせてもらう。我が百合組の尊厳を守るために」
窓の外を眺めていると、ふいに蓬が日向に声をかけてきた。
「日向様。しずか様のご準備が整いましたよ」
それでも日向が動く気配を見せずにいると、蓬は日向の腕を取り、無理やりしずかの部屋へと連れて行った。
扉を開けると、薄紅のドレスをまとった後姿が見え、それから、鏡の前に立つしずかの姿が見えた。
「本当にお綺麗なこと」
うっとりとした声をあげて、蓬が独り言のようにそう言う。
しずかはというと、ただじっと、鏡に映った日向をにらみつけるように見つめていた。
薄紅のオーガンジーを幾重にも重ねた繊細なドレスを決めたのは、有世だ。
今までにない柔らかなそのドレスを着たしずかは、美しくはあったが、まるで着せ替え人形のように思えた。
二人が黙り込んでいるのを見かねて、蓬は日向の背中をぽんと叩きながら口を開く。
「日向様も、照れてないでほめてあげてくださいよ。
しずか様もそんな顔しないでください。日向様だって、娘を嫁にやる父親の心境みたいなもので、照れてるんですよ」
「んなことねぇよ」
綺麗に引かれた口紅を歪めて、吐き捨てるように言ったしずかに、蓬は首を振って答える。
「ありますって、ね。日向様」
蓬に促された日向だが、それには何も答えなかった。そうこうしているうちに、石崎に呼ばれて蓬は部屋を出てしまった。
広い部屋には、日向としずかだけだ。
「何だよ」
噛みつくようにしずかは言った。
近づきもせず、出ていかず、口も開かず、かといって視線を逸らさない日向に戸惑ったのだ。
だが日向は、しずかがそう言っても、何も答えずに、ただじっとしずかを見つめている。
それに耐えきれず、視線をそらしたのはしずかだった。
「どうせ馬子にも衣装とかって言う―」
「綺麗だな」
突然出た日向の言葉に、しずかは最初自分の耳を疑った。
思わず振り返って顔をあげると、確かに自分を見つめながら日向が口を開いた。
「綺麗だ」
二人の視線が確かに絡み合う。
その時ようやくしずかは日向の目に、哀しみが宿っていることに気づいた。
日向？
だが、その理由を尋ねる前に、扉が開いて相川が顔を出した。
「ご準備できましたか？しずか…様」
そして日向がいることに気づくと、相川は気まずそうに唇をかみしめてそっぽを向いた。
するとその相川の肩を叩き、日向が口を開いた。
「相川。悪いがしずかと一緒に先に宮殿に向っててくれないか。ちょっと所用ができた」
「わかりました」
日向は相川の返事を聞く間もなく、踵を返して部屋を出て行った。
桜王宮の広間では、有世が苛立った様子で椅子の前を行ったり来たりを繰り返していた。
「いったいどうしたというのだ。他の騎士団は」
というのも、集まっているのは日向以外の水仙組の騎士だけなのだ。
薔薇も、百合も、菫も、隊長はおろか、騎士さえいない。
わかっていることではあったが、花族としても楓子爵しかおらず、他の四つの席は空席だった。
すると、ざわめきが聞こえたかと思った次の瞬間、扉が開き、青い制服を纏った菫の副隊長である但野が先頭をきって現れた。
しかし、当然いるはずの鞍馬も梢も、そこにはいない。
「遅れて申し訳ございません」
但野は真先に有世の元に向かうと、平伏してそう告げた。見れば、次々と現れる菫の騎士たちも、どこかざわめいている様子だ。
青ざめたその表情に、有世はいくらか同情し、声を和らげて尋ねた。
「但野。…鞍馬はどうした？菫の姫は」
すると、はいと詰まった声のあとで、但野はその頭を床にこすりつけんばかりの勢いで言った。
「隊長と姫は…。自害されました」
「自害？」
思わず水仙組の先頭に立っていたしずかがそう聞き返す。
但野はぎこちなくだが二度、大きく頷いた。
「どうして…？」
有世が力の抜けた声を出す。
すると但野は、声を所々で詰まらせながら答えた。
「…隊長と姫は…、互いを思い合っていたのです。深く、深く。
ですが、陛下に背く行為だと悩まれて、そしてこの罪を償うには、死しかないと…」
何とかそこまで言うと、有世がそんな但野の声をかき消すように叫んだ。
「そんな馬鹿なっ。王妃はすでに決まっていたし、私は二人のことを認めていたというのにっ…」
有世は大きく天を仰ぐと、その顔に両手をのせ、そのままよろよろと椅子に座り込んだ。
日向は目的の場所に向っていた。
約束をしていたわけではないが、おそらくそこに行けば会えると踏んでいた。
しかし馬を走らせていると、遠くの方から慌てた様子で馬を走らせている数人の薔薇の騎士が見えた。
「戸田っ。…夏目っ、どうした？」
思わず声をかけたところで、薔薇の副隊長である戸田が慌てて馬を止める。その背後に、ぐったりした夏目の姿が見え、日向は思わず声を上げた。
「あの…」
馬から降りて、夏目に駆け寄る日向に、戸田は何も言えなくなる。
日向は夏目に触れながら、矢継ぎ早に戸田に質問を浴びせた。
「誰にやられたんだっ、他の組にか？それとも侵入者か？それとも別の？」
その勢いに負けて、戸田はしゅんと肩をすくめて答えた。
「あの…違います。私が富樫と間違えて…。あいつが、あの女のところで逢引してたと勘違いして…」
殴りつけたい気持よりも、夏目の様子の方が気になった。
深紅の制服の肩には、べっとりと血が付いている。
「傷は？」
「意識が朦朧としています。出血も…かなり」
戸田も、その後ろに控えている騎士たちも、混乱しているようだ。日向は口早に指示した。
「わかった。ひとまず桜稜殿に運べ。誰かに頼んで医者を呼んでもらえ。
戸田。お前は夏目の代わりに式典に参加するんだ。
陛下が広間でお待ちだぞ」
しかし、戸田は心配そうな視線を夏目に向ける。
「でも―」
「夏目は大丈夫だ。このくらいでくたばらない。安心しろ」
「…はい」
戸田がそう答えたところで、掠れた声が聞こえてきた。
「ひゅ…うが？」
「夏目？
おい大丈夫か？いったい何があったんだ」
夏目は体を起こすと、自分を支えた日向に向って僅かに微笑んだ。
「ちょ…と、気を、抜きすぎた。
駄目だな、俺。やっぱり。
やっぱり、誰かの上に立つような、人間じゃ―」
「あまりしゃべるな。夏目」
日向はそう言って、戸田に目配せをした。
いくら気丈とはいえ、出血の量からすれば、一刻も早い治療が夏目には必要だった。
しかし夏目は強いまなざしを日向に向けると口を開いた。
「日向。それより…頼まれてくれないか？」
「何だ」
夏目は苦痛に顔を歪め、大きく深呼吸をしながらも、はっきりと日向に先ほど自分が見てきたことを話した。
「牢獄が、空だ。
看守が奥で殺されていた。
それに、囚人のほとんどが、逃げだしてる」
「遅くなりました」
広間に響いたその声にいち早く反応したのは、有世だった。
「日向！」
笑顔の有世に対して、日向は儀礼的に深く頭を下げると、水仙の先頭でありしずかの隣の場所に立ちながら、じろりと周囲を見回してから傍らにいる相川に尋ねた。
「鞍馬は？」
「それが、姫と心中を謀ったとかで」
心中？と日向は呟く。
そして、更に視線を馳せる。
薔薇組の先頭で、戸田が日向に気づいて僅かに頭を下げている。
その様子に、日向は夏目が助かったとほっと安心する。
そして、日向は再び相川に尋ねた。
「…百合は？」
いつもならば真先に並んでいるはずの百合組の姿は、どこにもない。
桜王宮から白百合館に戻ったとはいえ、規律を第一に重んじている百合が遅刻することなど考えにくいと日向は思っていた。
「それが―」
表情を曇らせて、相川が答えようとしたところで、突然ドンドンと、二発の乾いた爆発音が響いた。
騎士や近衛たちがその音に騒ぎ出す。
「祝砲？」
「いやしかしタイミングが早すぎる」
「今のは違うだろう。第一、音がずいぶんと遠くから聞こえてきた」
いくらか広間が落ち着きを見せ始めたものの、しずかはその中で一人目を見開いて立ちすくんでいる日向に気づいた。
「日向？おい？」
話しかけてみるが、反応はない。
どこか遠くに視線を馳せながら、その表情は徐々に強張っていく。
日向？
「どうかしたのかよ？」
思わずしずかが日向に腕を伸ばしかけたところで、広間の扉が勢いよく開けられる。
外から飛び込んできたのは一人の近衛だった。
「陛下っ」
その近衛は、わき目もふらず、騎士たちをかき分けて有世の前に向かうと、平伏して声を張り上げた。
「申し上げますっ、百合組で内部紛争が起こったようです」