15過去

「片桐さん、今日アイスクリームでも食べていかない？」

　有希にそう言われ、繭はいいねと答える。
　結局、美術部に入部しなかったものの、繭は有希と一緒にいる時間は日増しに長くなっていった。
　梅雨の合間の晴天ということもあり、今日は久しぶりに日差しが強く気温も高い。何か冷たいものを口にしたい気がしていた。
　二人は参考書を団扇代わりに、有希がお勧めだと言うカフェへと向かっていた。
　通りかかった交差点で、信号が赤になり、自然と二人は足を止める。ふと視界に入った道端に置かれた花瓶を見て、そういえばと繭は思いだす。
　そこは大樹が繭との勉強会の後に百合の花束を置いた場所だった。
　亡くなったのは恋人かと思ったが、単なる知人だと大樹は答えた。
　大樹の百合の花束がその花瓶の脇に置いてはあったが、すでに百合は枯れてしまっていた。あの華やかな匂いは排気ガスに紛れ、もう感じることはない。

「二年くらい前に、事故があったんだよ」
　繭の視線に気付いて、有希が答える。
「うちの高校の先輩だったんだ」
「知り合い？」
「ううん。三つ上だったし、私は接点なかったけど。友達が…」
「兄妹だったとか？」
　じゃなくて…と言い澱んでから、まあいいかと有希は話しだした。
「中学の時、友達が好きな人の家に行って告白するから、一緒に来てって頼まれて行ったの。その時のお隣さんだった人なんだ。その時、通りかかったからよく覚えてるの」
　ただ通りかかった程度で、顔をよく覚えているものか繭にはわからなかったが、それを尋ねる前に信号が青になり、有希は歩き始めてしまう。その後を少し遅れて繭は追いかけた。

　有希の言うカフェは、ちょうどその横断歩道を渡った先にあった。店の中はほどよくクーラーが聞いていて、繭たちは空いていた席に座る。少し年配の女性 が、柔らかい声で注文を取りに来て、二人ともアイスクリームを頼んだ。種類はシンプルで、バニラとストロベリーと抹茶の三種類。これにクッキーがついてき て、アイスを救うようにして一緒に食べると美味しいのだと言う。

　出てきたアイスを食べながら、ふと会話が途切れたところで繭はさっきまで話していた有希の中学時代の友人の話を続けた。
「そう言えばさっき話してた中学の友達の告白は？うまくいったの？」
「ううん。もう時効だと思って話すと、その彼が門のところまで出てきてくれて、さあ告白って時に、そのお隣さんが通ってね。そうしたら、彼、友達そっちのけでそのお隣さんのこと追いかけて行っちゃったの」
　アイスを食べていた繭は思わず顔を上げて有希に尋ねた。
「二人は恋人だったってこと？」
　自宅にまで女の子が来ていれば、その用件は何となく想像がつくだろう。男の子は自分の好きな相手に誤解されるのが嫌だったのかなと思って繭は尋ねた。
　すると有希は、たぶんと答えた後で、だけどと言い加えた。

「じゃなくて彼の完全なる片想い。年も三つ離れてたし、背も同じくらいで、一緒に居ても姉と弟にしかみえなかったよ。
　あっちも玉砕だったけどね。でもあれはちょっとかわいそうだったかな」
「かわいそう？」
「最初は私も結構怒ってて。だって、ひどい話でしょう？友達は必死の気持ちで告白しに家まで行ったのに、直前になって、いきなり姿を消しちゃうのって。だからね、思わず二人の様子を観察してたの。
　ちょうど修学旅行のすぐ後で、彼はお土産の御守を渡してた。受験の御守だったみたい。でもそれがね、お隣さん、受け取ったかと思うと、袋から中身を取り 出して庭にポンと投げ捨てちゃったの。ひどいでしょう？おまけに、それを探そうとした彼には、人の家に勝手に入るなって怒鳴りつけて」

　あれ見てて、私も友達も怒ってたのもすっかり忘れて、可哀そうって思っちゃったんだよね、と有希は言った。
　有希はそうしてアイスを最後まで食べきると、呟くように言った。

「きっとあの人のせいなんだよね。水谷君が女嫌いになったのって」

　突然出てきた笙の名前に、繭はアイスを食べようと開けた口をそのままにして有希のことを見つめた。有希は、少し気まずそうな表情を浮かべて、声をひそめて話を続ける。

「これも時効だと思って話すと、その彼、水谷君なんだ。
　お隣さんは道重さんって人で、確かにすごく綺麗な人ではあったんだけど、結構ツンケンしてて、評判がいい人じゃなかったんだよね。通りかかった時も、睨まれたのよく覚えてるし」

　そう言った有希は、そっかと声を上げた。

「どうかしたの？」
「こんな話の後じゃ、片桐さん嫌がるかもしれないけど、片桐さん、その道重さんに似てるんだ。だから、どこかで会った気がしたんだ、私」

　突然自分がその話に加わることになり、繭は戸惑った。

「道重…さん」

　思い返して繭は、その名前を呟く。
　笙が好きだった人。
　事故に遭い、今はもうこの世にいない人。

「道重綾南さん。私たちより三つ年上。事故にあった時は、高三だった。時期もちょうど今ぐらいの梅雨だったと思う」

　そう説明する有希の声を聞きながらも、繭は笙の部屋で見つけた家族写真のことを思い出した。
　年は三つ上。
　すごく綺麗な人。
　写真には、笙より少し年上の女の子が映っていた。姉だと思ったその人が、綾南だったのだ。
　場所はどこかの家の前だった。
　もしかしたら隣でお互い仲のいい家族だったのかもしれない。
　家族写真を一緒に撮れるくらいには。

「私に、似てる…」

　うろ覚えになっている女の子の顔を何とか思い出そうとするが、どちらかといえば笙の方ばかり見ていて、その女の子が自分に似ていたかまでは思い出せない。
　そう言えば、以前大樹は、じっと繭の顔を見つめて言っていた。
『繭ちゃんと何処かであったことがあるような気がしてね』

　黙りこんだ繭を見て、有希が申し訳なさそうに言った。

「ごめん、やだよね。変な話した後にこんなこと言われて」
「ううん、いいの。それより、その道重さんって人の写真って見れたりしないかな」

　交差点で大樹の知人は事故で死んでいる。二年前となると、大樹はまだ大学生だ。
　道重綾南はまだ見えないけれど、彼女が笙と大樹を繋げる細い糸のような気がして、繭は少し興奮していた。
　繭の言葉に、腕組みをして考え込んでいた有希だが、ああと思い出したように言った。

「二年前のことだし、同級生は卒業しちゃってるけど…もしかしたら写真部が持ってるかも。写真部が毎年撮ってる体育祭とか学園祭とかの写真の中に写ってるかもしれない」