Maybe Blue 第三部 誰かのために
五月闇3
「ったく、ふざけるなっつーの」
突然呟いた和美の言葉に、美都は慌てて反応する。部活が終わり、いつものように裏門へと続く道を歩いている時だった。
「え？」
考え事をしていたせいで、隣を歩く和美のことは気にかけておらず、返事をしていなかったことを怒ったのかもしれない。
「ごっ、ごめんなさいっ」
と慌てて謝りながら和美の顔を見ると、和美は、眉をひそめて美都を見つめていた。
「お前じゃねぇよ。萌子だよ、萌子。試合よりミスコン選ぶくらいなら、部活やめろっつーの。今がどんな時期かあいつが一番わかってんだろうが」
自分の考え事を見抜かれた気持ちがして、美都は思わず足を止める。
萌子が関東大会について行かないのは、法事ではなくミスコンに出るためだと知った理香はその理由を言わない萌子に苛立ち、グラウンドを出て行って、今日は戻ることはなかった。萌子の頼みで追いかけた篤志は、結局理香を説得して戻すことはできなかったのだ。
その後誰に理由を問われても、何も答えない萌子を、自然と他の部員たちもどこか遠巻きに見つめるようになり、今日の部活は微妙な空気のままに練習を終えていた。
美都としても、萌子がどうして出場を決めたのかはわからない。
だが、きっかけを作ったのは自分だとわかっているからこそ、複雑な気持ちで萌子を見ていた。
つい出来心で美都が萌子の推薦状をミスコンの大会事務局に送ってしまったのは、一カ月近く前のことだった。
萌子に自分が送ったのだというべきなのかどうか悩みながらも、その反応が怖くて、萌子に近づくこともできずにいたのだ。
どうしよう…。
ちゃんと話した方がいいのかな、やっぱり。
それで謝るべきなのかな。
「おい」
ふいに話しかけられて美都は慌てて顔を上げる。
気付けばかなり先を歩いていた和美が振り返って美都に言った。
「ぼさっとしてんなよ。電車、乗り遅れるぞ」
そういうと、和美は美都を待つことなく歩き始める。美都は慌ててそんな和美を追いかけた。
一生懸命走って追いついたところで、美都はふと斜め前にある和美の横顔を見つめた。
…やっぱり、正直に話すべきなのかな。
和美にそれを相談しようかとふと思った。
しかし険しい横顔を見ると、その気持ちはしゅんとしぼんでいった。
きっと相談すれば、和美君の中にある萌子への怒りの気持ちが、全部私に向かってくるだけ。
…ごめん、萌子。
ごめんね。
「来たぞっ」
電車の近付く音に気付き、そう叫んで走り出した和美の背中を、美都も慌てて追いかけた。
ざわつく部室の中で着替えをしながら、興仁が声を上げた。
「うちの校長、ミーハーだとは思ってたけど、ここまでとは思ってなかったな」
「萌子の出るコンテスト、全国規模のミスコンで、制服も着るし高校名がバンバン出るんだってさ。いい宣伝になるとも思ってんじゃないの」
厳己の言葉に思い出したように篤志が答える。
「そういえば、少し前に誰が応募したとかいって、理香のところに萌子来てたんだった」
「他薦ってこと？」
「萌子が自分から応募なんかしないよ」
「じゃ誰が応募したのかな、知朗とか？」
厳己や篤志たちの視線が一斉に知朗に向けられる。
しかし、聞こえているはずの知朗はそれを無視して淡々と着替えを済ませていた。そして、挨拶もせずに、部室を一人後にする。
「違う…みたいだな」
気まずくなった篤志が代わりにそう言って場をつなぐ。咄嗟になぁと近くにいた右京に声をかけてはみたものの、右京はどこか視線を泳がせたままで、篤志のことなど気にも留めていない様子で着替えを済ませると、誰ともなしに頭を下げて部室を出て行ってしまった。
「だね。じゃあ誰かなあ」
固まった空気を少しでも和ませようと厳己がそう言った瞬間だった。
バンッと大きな音がして、部室が静まり返る。
その中で、ロッカーを叩くように閉めたケンが低い声で言った。
「誰が応募しようと関係ねぇよ。断りゃいいんだから。
何だよ、萌子の奴。
俺たちよりミスコンの方が大事っつーのかよっ」
萌子に対する明らかな厭味が発せられるのは理香を除いて、初めてだった。練習中も、こそこそと萌子を見ながら今回の話を部員たちはしていたのだが、石橋の鋭い視線を向けられ、公に話すことはできずにいたのだ。
再び張りつめてしまった空気を少しでも変えようと、篤志が笑顔を作りながら明るく言う。
「なんか今のケンの言い方、嫉妬してる恋人みたいだな」
しかし再び、大きな音が上がる。
今度は、出した鞄をケンがロッカーの扉に思い切りぶつけた音だ。
「そういうことじゃねぇよっ。
関東大会だぞ。勝ち上がれば、全日本ユースに行ける大事な試合なんだぞ？
おまけに俺たちにとっては最後の関東大会だって言うのに、ミスコンなんて行ってる場合かよっ」
流石の篤志もそこで口を閉ざす。
しんとしたところで、成の柔らかな声が響いた。
「仕方ないよ。萌子には萌子の事情があるんだろう。そうじゃないと、監督がそれを許すはずがない」
ケンは隣でそう言った成を思い切り睨みつけると、わっかんねぇなあと呟いてから叫んだ。
「どうしてそこでお前は許せるわけ？萌子をっ。
怒れよ、もっとあいつのこと。
お前にはその権利がある！
だってあいつはお前を裏切って、川城に寝返った女だぞっ」
手の伸ばし、成の胸倉を掴んだケンの腕を慌てて篤志が止めに入る。
「ケン言いすぎだって」
しかしケンは篤志を振り払うと、そのまま成の背をロッカーに押し付け、睨みつけながら言った。
「だいたいどうしたんだよ、あの後！
俺たちの前で、誓った後、お前は自分の気持ちを伝えたのかよっ」
それは部室にいる大勢の部員たちも、気になっていたことだった。
てっきり成と萌子はよりを戻すのだと思っていたのに、聞こえてきたのは萌子がライバル校のキャプテンと付き合うことになったという話だった。
どういうことだとは思いつつ、誰も聞けずにいたことを今ケンが口にしたのだ。
部室にいた誰もが固唾をのんで見守る中で、成はケンの視線から逃げず、冷静に答えた。
「…伝えたよ。でも今川と付き合うって言われて、ふられた。
仕方ないよ、そうさせたのは俺なんだから―」
「だったら、お前が今川から奪えばいいっ」
大きな音がして、ケンは掴んだ胸倉を締め上げるようにしてそう叫んだ。
「おいケンッ」
流石にやばいと湊が間に入る。
ケンは大して抵抗もせず、二人の体は離れたが、目線だけはしっかりと絡み合っていた。そんな中で成は、心配する湊を無視するようにケンだけに穏やかな口調で言い返した。
「奪ってどうなる？
体だけ引き留めても、心は正直だ。変わらないよ、萌子の気持ちは」
二人はしばらく睨みあっていたが、ふいにケンが自分を抑えていた湊の腕を離すと、成に背中を向けた。
「…お前がそんなんだから、萌子を川城に取られるんだぞっ」
やってらんねぇと、床に落ちていた鞄を拾い上げ、部室を出て行こうとするケンに、首元を触りながら成が答える。
「川城じゃない。今川だよ。
萌子だってちゃんとわかってる。
川城のキャプテンだから、萌子は今川と付き合うことにしたわけじゃない」
しかし、ケンからの返事はなく、乱暴に閉められたドアの音だけが部室に響き渡っていた。
翌日の昼休み、由太は職員室の前の廊下を歩いていた。
今朝の朝練には、理香は顔を出した。だが、無断で部活を早退したことへの謝罪はなく、また萌子とは会話をしようともせず、ぎくしゃくした雰囲気は変わらなかった。ムードメーカーの理香がそのような様子とあって、萌子を遠巻きに見つめている空気は、そのまま波紋のように部員たちにも広がっていた。
大事な試合を前に、こんなまとまりがない状態では、いいわけがない。
部長である自分が、だから収拾をつけるべきだ。
本心を隠し、由太は自分自身にそう言い訳をすると、目指していた校長室のドアをノックした。
中にいた校長は、入ってきた由太の姿をみると、おやと下がりかけていたメガネをかけなおした。
「お話があるんですがよろしいでしょうか」
礼儀正しい由太の言葉に、校長も目の前のソファに座るようにと促した。
由太はいつもの通り、私情をはさまず、手短に今回のことを話した。
つまり、萌子はサッカー部にとって重要な存在であるマネージャーであり、選手と同じで代わることのできない存在でもある。
その萌子が全国大会につながる大事な試合に来れないというのは、サッカー部にとっても痛手であり、できれば、同日に重なったミスコンの出場は見合わせてほしい。
理路整然と語る由太の言葉を校長は、時に相槌を打ちながら聞いていたが、話が終わったところで、うむと首をかしげた。
「聞いてないのかね。石橋君からも」
「沢木の出場を校長が要望している以上のことは何も」
それ以上、何かあるんでしょうか？
そう訴えかける由太の前で、校長は大きく息をついてから不意に立ち上がり、由太に背を向けた。
「それが石橋君の判断なら、私から話すのもおかしいことだろう」
話が終わったと判断されたと感じた由太が、慌てて口を開く。
「自分が知らない話が聞きたいわけではありません。
僕は、校長が望まれて沢木がそのコンテストに出場することになったと言うのであれば、その願いを取り下げてもらいたいんです」
萌子の性格からすれば、自分から出場したいというわけがない。
少なくとも自分が見てきた沢木萌子は、そういう人間だった。
だから、すべてはこの校長が今回のことを取り消せば、少なくとも火種の一つは消せるはずなのだ。
しかし由太の言葉に、校長は振り返ると、少し演技がかった表情を見せてから言った。
「誤解されているようだから、言わせてもらうがね、高岡君。
確かに、私は出場してほしいとは言った。
けれど、最終的に決めるのは彼女自身だよ。いくら校長の私でも、出場を強要できるものではないからね」
放課後のグラウンドには怒号が響き渡っていた。
「小森っ、そういうことはグランドの外！」
「はい！」
しかし怒鳴られたのは選手ではなく、マネージャーの千鶴だ。Aチームの担当になって、一週間ほどが経ったのだが、千鶴はまだAチームに慣れずにいた。
試合が週末に控えているということもあって、最近の選手たちの空気はぴりぴりしていた。
なるべく邪魔をしないように、なるべく素早く。
そう思う千鶴の行動は、どうしてか裏目に出てしまう。
今もグラウンドに投げられたジャージを邪魔になるかと拾い上げていただけなのに、気付いたらグラウンドの真ん中に立っていた。
「小森っ、邪魔！お前どこ歩いてんだよっ、それじゃシュート打てねぇだろうがっ」
「はい！すいませんっっ」
ボールを持っていた樹生に怒鳴られて、慌てて千鶴はグラウンドを走り去る。
その途中でも、パスに出したボールが目の前に飛んできて、千鶴は思わず尻もちをついた。
「大丈夫？小森」
パスを出した方の湊に言われて、思わず千鶴は顔を赤らめる。
「だっ、大丈夫です！」
慌てて立ち上がると、逃げ出すようにして駆けだした。そんな千鶴に、グラウンドから樹生の声が追いかけるようにして聞こえてくる。
「まったく、どうしてあいつがAチームなんだよ。大野の方が使い勝手いいってのに」
「ミッキー！聞こえるだろうっ」
「馬鹿だな、望。聞こえるように言ってんの！」
唇をかみしめながら、千鶴は何とか部室まで駆け込んだ。
拾い上げたジャージを、その持ち主のロッカーの前に畳んで置いておく。
最後の一人のジャージは、樹生だった。
それに気付いた瞬間、耐えきれず涙がこぼれおちた。
どうしてあたしなんだろう。
新田先輩のいう通り、まりの方がいいに決まってる。
サッカー部の為にも、その方がいいはずだ。
千鶴は顔を拭うと、そのままグラウンドへは戻らずに体育教官室に向かった。
石橋はまだグラウンドには出てきておらず、そこにいるはずだった。
萌子に相談すれば、また説得されてしまいそうだし、ひそかに憧れていた萌子にお願いと言われたら、断りきれないような気がしていたのだ。
その点石橋なら、きっと冷静に判断をして、千鶴を外してくれるだろう、と。
ノックをしようと思った教官室だったが、ちょうど中をのぞける程度にドアが開いていた。
「あのぉ…」
小さな声でそう言いながら中をのぞくと、ちょうど部屋の奥に石橋と萌子の姿が見えた。
よくはわからなかったが、何か白い封筒を、石橋が萌子に手渡しているようだ。
「…これで」
そう言った石橋と封筒を見比べて、萌子はでも、と言葉を口にする。
「でも監督。これって持ち出しですよね、監督の」
持ち出しって何だろう？
話の見えない千鶴は、視線とそこで足を止めてしまった。
心配そうな萌子を見て、石橋は更にその封筒を差し出した。
「心配するな。ああ見えて、校長は約束は守るタイプだ。
インターハイの頃になれば、ちゃんと補助金は支給される」
校長の約束？
それに補助金って？
首をかしげる千鶴に気付いていない石橋と萌子は、そのまま会話を続けた。
「それより…、すまない沢木」
「謝らないでください。監督。私が校長に持ちかけた話なんですから」
どういうことなんだろう。
もっと話を聞かないと、わからない。
そう思う千鶴の体は自然とドアに寄りかかり、必然ドアが勢いよく開いた。
「誰だっ」
グラウンドでもよく響く石橋の声がした。
そして、思わず支えを失くしてバランスを崩し、床にしゃがみこんでしまった千鶴を萌子が見つけて、その名を呼んだ。
「千鶴ちゃん」
結局、千鶴は萌子に連れられる形で部室へと戻ることになった。
すりむいた膝の手当てをしながら、萌子は先ほどの話はせずに、千鶴に尋ねた。
「何かあったの？千鶴ちゃん」
「え？」
さっきの石橋と萌子の会話が気になっていた千鶴だったが、急に話を自分に振られて戸惑った。
「だって、私も監督もいなくて、今Aチームみてるのは、千鶴ちゃんしかいないのに、グラウンドを出るなんて。
責任感の強い千鶴ちゃんらしくないなって」
そうだったと反省すると同時に、この人はよく自分のことを見てくれているんだなと思うと、一気に千鶴の気持ちが緩んだ。
「萌子さん、やっぱり私…無理です」
ジャージを握りしめながら、そうぽたぽたと涙を流す千鶴に、萌子はハンカチを取り出すと差し出した。
「急でびっくりしたよね。
でもね、初めて会った時から考えてはいたことなのよ。
だっていつかは私たちも引退するわけだし、そうしたら千鶴ちゃんとまりちゃんがこのサッカー部を支えていくことなるでしょう」
「でも私は背が高いだけで、邪魔でとろくて。まりの方が絶対に向いてると思います。ちゃきちゃき動くし、元気だし」
「まりちゃんの動きは、確かに私もすごいとは思うけど、でも千鶴ちゃんにはまりちゃんにはないいいところがあるでしょう」
「そんなことありません。
少なくとも…新田先輩には、まりの方がいいって」
つい言ってしまってからはっと気付いた千鶴だったが、萌子はそれを告げ口だとは思わなかったようだ。
「樹生君はね、別に千鶴ちゃんが嫌でまりちゃんがいいわけじゃないのよ。
今、スランプでしょう、彼。きっと、誰かに八つ当たりしてるだけ」
言われてみれば、その通りだった。
千鶴がAチームの担当になってから、過去の試合のスコアブックを見せてもらった時、気付いていたことだった。
ここ何試合も、樹生は点を取れていないのだ。
「だからと言って、マネージャーに八つ当たりしてもいいわけじゃないわ。
不安なんだと思う。今のチームの状態もあまりよくないからばれてないけど、いつか自分の状況がばれるんじゃないかって。樹生君」
あれで意外とプレッシャーに弱いのよ、と言って萌子は軽く笑った。
「犬も苦手だし」
「え？自分が犬みたいなのに？」
思わず千鶴がそう言うと、萌子はくすくす笑って、そうよねと言った。
「成の後を追いかける姿なんて、仔犬そのものなのにね」
たしかに思いっきり尻尾を振る仔犬みたいだ、と思うと千鶴の口からも笑みがこぼれた。
「千鶴ちゃんはそうやって、ちゃんと選手のことを見てくれてる。
今回、誰にAチームを任せるかって話した時、私も監督も同じ意見だったのよ。
Aチームの担当には、千鶴ちゃんが向いているって。
ほら、Aチームって時々殺伐とした雰囲気になるじゃない。そう言う時にね、千鶴ちゃんみたいなマイペースな存在がいると、皆も自分を取り戻して、気持ちも落ち着くことができるの」
「でも…」
口ごもる千鶴に、萌子はそれにと言葉を繋げた。
「それに、私は行くことができないから。少しは聞こえてたんでしょう？さっきの話」
隠すことでもないので、千鶴が素直に頷くと萌子はきちんと説明をしてくれた。
今年に入ってから、今までサッカー部に支給されていた補助金がなくなったこと。補助金は今までの遠征費に充てられており、その遠征が今の凪高を作り上げてきたのだということ。
しかし部費で負担するわけにもいかずに、石橋が皆に内緒で個人で費用を払っていたということ。
偶然それを知った萌子が、ミスコンに出場してほしい校長の願いをかなえる代わりに、その補助金を出してもらえるよう話をつけてしまったこと。
「…その話、他に誰が知ってるんですか？」
「誰も。私も監督も、そう言うことで選手の気持ちを乱してほしくないの。選手の皆には、サッカーにだけ専念してもらいたいの」
「でも、皆は…そんな風には思ってないです」
だいいちそれじゃ、萌子だけが悪者だ。
そう言おうとした千鶴の言葉を、萌子は遮った。
「今の部の雰囲気、よくないでしょう？」
それは千鶴も感じていることだった。頷くと、萌子も同じように頷き返す。
「今のチームにかけてるのは、チームワークなの。もし私が悪者になって、それで皆がひとつにまとまるんであれば、それでもいい」
確かに不思議な話ではあるが、萌子が試合に行けない理由がミスコンだとわかってからの方が、練習にもまとまりが出てきているのは確かだ。
「でも」
でもそれは、どこか陰気を帯びたもののように思える。
何より、萌子はそれでいいのだろうか。
千鶴の心を見透かしたように、萌子は千鶴の目をじっと見て訴えた。
「選手の皆には試合に集中してもらいたいの。
部費のこととか、そういうことで心配掛けさせたくないのよ。私も監督も」
でも、と繰り返す千鶴に、萌子はにっこりと微笑みかける。
「大丈夫。
私、結構打たれづよいタイプだから」
その笑顔に、千鶴は萌子の決意を感じ取った。
それに、これは自分に対する要望なんかじゃなくて、命令だ。
「…わかりました」
千鶴がそう答えると、ありがとうと萌子が言った。
波の音は、心地よく萌子の心に響いていた。
部活は終わったけれど、萌子の気持ちは相変わらず落ち着かなかった。
いつもだったら一緒に帰る理香だが、萌子が話しかけても、結局無視されて、先に帰られてしまった。
他に一緒に帰るメンバーたちも、萌子に話しかけられると迷惑そうに、素気なく対応するだけだった。
わかっていたはずなのに、と萌子は気持ちを引き締める。
決めたのは、自分だ。
史央と付き合うと皆に嘘をついたのも、
ミスコンに出ることを決めたのも、
全てを皆に隠すと決めたのも。
千鶴に話すことにしたのも、決して理解してほしかったからではない。
まりの時のように、勝手に推測されてしまうのを避けるためだ。それに千鶴ならば、むやみに部員に話すこともないだろう。
燃えるように赤い夕陽が、ほんのわずか海に浮かぶ景色を眺めながら、萌子は深く息をついた。
膝を抱え、海を見ながら、ふいに教えられた話を思い出す。
『波の音はね、地球が鼓動している音なんだ。地球が力強く、生きている音。
一人じゃない。今のままで大丈夫だ、頑張れって、地球が言ってくれてるんだ。それを確かめたくて、人は海にやってくる』
「…私は一人じゃない」
小さくそう呟いてみるが、心もとない声は波音にかき消されてしまう。
大丈夫。
大丈夫だから。
自然と掌に力を込めたところで、砂利を踏みつけるような音がして、萌子は振り返る。
そして、そこに立っている姿を見て、一息をついた。
…馬鹿だな。私。
どうして、ここに成がいると思ったんだろう。
成のこと、傷つけたのは私なのに。
思い描いた成の姿をかき消して、萌子は目の前に立つ人物に改めて話しかけた。
「どうしたの？由太」
由太は直接ふきつける海風に髪を揺らしながら、淡々と答えた。
「暗くなる前に、帰った方がいい。この辺り、夜は治安が悪くなる」
確かに見上げると、すでに星が輝き始めていた。
「もうこんな時間か。うん、もう帰る」
下に置いていた鞄を拾い上げ、歩き出そうとした萌子に、由太は尋ねた。
「何を隠してる」
「え？」
思わず萌子が振り返ると、由太は一歩萌子に近づきながら、その目をじっと見つめたままで尋ね続けた。
「何があった？
何があって、コンテストに出場なんかする。
お前なら、何があっても試合を優先するはずだ。
校長と何を約束したんだ」
真剣な表情に、これ以上はぐらかすことも、嘘を重ねることもできないと萌子は思った。
「ごめんね。由太」
強張っていた由太の表情が一瞬だけ和らいだ。
しかし、萌子の決意は変わらなかった。
「今はまだ、言えない。いつかは言えると思うけど…でも…ありがと」