Maybe Blue 第三部 誰かのために
靑嵐5
ぬいぐるみやポスターのない白で統一されたシンプルな部屋に通されて、萌子は悩んでからベッドに腰かけた。飾り気のない部屋が、そのままの祥子を表しているように思える。
初めて出会ったのは卒業式だったが、萌子には朔哉の印象が強すぎて、祥子のことは覚えていなかった。
声をかけられたのは、同じクラスになってから。初めは戸惑ったけれど、萌子がガードを作る前に、祥子は萌子の中にするりと入ってきた。
高校に入ってからはずっとサッカー部一筋だった萌子にとって、サッカー部関係者ではない祥子の存在はとても新鮮で、新たな世界を感じることのできる大事な存在だった。
だからこそ、どうして祥子がと、強く思ってしまう。
百合のことがあって、女友達を作ることをどこか怖がっていた萌子にとって、ようやくできた友達だったのに、と。
祥子のことを責める気持ちでいっぱいになりそうで、気を紛らわそうとぐるりと部屋を見回していると、机の上に写真立てが目に付いた。誰との写真なんだろうと萌子が立ち上がり、覗き込む。
それは朔哉の写真だった。朔哉の知らないところで撮ったであろうその写真は、文化祭のステージのものだ。その頃から祥子はずっと朔哉を好きでいたんだということが、萌子に少なからずショックを与えたところで、ティーカップを持った祥子が現れた。
「紅茶…でいいかな」
遠慮がちに祥子はそう言いながら、机にカップを二つ置くと、そのまま床に座った。その様子を見つめながら、動揺が続く萌子はどう話していいのか悩んでいた。
思えばこうして祥子と向き合うのも久しぶりな気がする。そういう状況にしたのは、萌子自身だ。
そして祥子の家に来たのも、時間があるかと家に上がったのも、萌子だ。
聞きたいことなら沢山あった。だが聞けずにいたのは、自分自身が傷つくのが怖かったからだった。
…だけどもう。失うものはない。
覚悟を決めて口を開こうとした萌子より先に、祥子が口を開いた。
「話が…あるんでしょう？私も、萌子に話したいことがあったの。教室じゃなかなか話せないから。
そもそも萌子の誤解なの。私と、成くんのことは。ただ成くんが優しいから―」
萌子よりも成のことを知っているかのような言い方に、思わず萌子はさっき押さえたはずの気持ちを爆発させていた。
「誤解？誤解って何が？成とは何でもないってそういうこと？
何もなくないわ。
成は祥子のことで、私に二回も嘘をついた。それだけで十分じゃない」
祥子の顔が強張る。だが何も言い返してこない祥子から顔を背けて、萌子は話し続けた。
「祥子のこと、親友だと思ってた。
それなのに、私には悩み事なんかないって言って、成には相談してた。
それだって、私に対する裏切りみたいなものじゃないの？」
頭で整理するより先に、次々と言葉が萌子の口からこぼれていく。
そしてついに萌子は、心の奥底に隠していた言葉を吐いた。
「祥子はっ…、祥子はどうして朔哉さんとか、成とか、私にって大切な人を奪っていくの？
他にもいい人、たくさんいるでしょう？
そもそも、朔哉さんと付き合いながら、成にも…。
祥子…本当は二人のどっちのことが好きなの？」
静まり返った部屋に、萌子の荒い呼吸が響く。
項垂れていた祥子だったが、ぽつりと呟いた。
「萌子は、本当に何も知らないんだね」
「え？」
すると祥子は顔をあげて、今にも泣き出しそうな表情になって真実を萌子に告げた。
「私と福山先輩は、何にもなかった。つきあってなかったの」
ミーティングルームのドアがしっかりと閉められたことを確認すると、窓のカーテンまで閉めてから美都は急いで自分のロッカーを開け、包みを出す。
そして、クラスメートで和美と同じ中学出身の女子に頼んだ卒業アルバムを取り出した。彼女は今日の午後から部活だとかで、入れ違いになる美都にわざわざ持ってきてくれたのだ。
和美は担任に呼び出されたとかで、今は職員室にいるはずだ。とはいえ十分もすれば戻ってくるだろうからと美都は急いでページをめくる。今日は、萌子が用事があると先に出て、理香も篤志と一緒に行くところがあるとかで、今は美都しかいない。部員もほとんど帰っているはずだった。
クラスメートに聞いた和美のクラスのページを捲り、今よりも少し線が細い、それでも変わらずへの字に曲がった口元を見つけて、美都は思わずくすりと笑った。
斜に構えてる感じも、相変わらずだ。
思えば、美都にとって高校生活の全ては、和美から始まった。
和美に出会って、好きになって、サッカー部まで追いかけてきて、怒鳴られて、付き合うことになって。
天邪鬼な和美の性格に振り回されることも少なくはなかったが、それでも大きな問題もなくやってこれた気がしていた。少しの不満くらい、きっと和美だって自分に対して思うところはあるだろうし、普通のことだと思っていた。
『つきあったのは、一カ月くらいだったけど。愛海はほんと北内のこと好きだったからさ』
『中学ん時のクラスメートだよ』
なかなか本心を言わないあの性格だから、今まで何度も誤解をすることはあった。けれどそれは恥ずかしがりやな和美の性格の裏返しで、美都はそんな和美も含めて好きだった。
けれど、今回は違う。
和美は、嘘をついたのだ。
他のクラスメートの写真を追いかけていた美都の目が、ふいに止まる。
小平、愛海。『アミ』だ。
ぱっと目を引くような可愛い顔立ちに、美都は息を呑みこんだ。
彼女が、アミ…。
想像していた以上に可愛らしい容姿と、明るそうな笑顔に美都はショックを受けた。
とその時、ドアが乱暴に開けられて、和美が顔を出した。
「おい、帰るぞ」
慌てて美都は立ち上がって、和美の方を振り返りながら、背中にアルバムを隠す。
「はっ早かったんだねっ。もう少しかかるかと思ってた。今、鞄持ってくるから―」
そう言いながら、アルバムの入っていた包みを上にかけようとしたところで、和美が「おい」と声を出した。
「何だ、それ」
「え？」
何でもないと美都が言う前に和美の手が伸び、卒業アルバムを手に取る。まじまじと表紙を見てから、和美は呟いた。
「つーか、ウチんじゃねぇかよ。どうして―」
そう言って美都を見つめた和美だったが、俯かせた美都を見て、声を震わせた。
「…誰のこと見てたんだよっ？」
壁に投げつけられたアルバムが落ちる音と、その怒鳴り声に美都の肩がびくんと跳ね上がる。だがそれで容赦するような和美ではない。
「ただのクラスメートっつったろ？何探ってんだよっ」
美都はいつもの癖で、慌ててごめんなさいと答えた。いつもであればここで引く美都だったが、和美につかれた嘘が気になって、思わず答えた。
「でも、森田さんが―」
「おまえ、あいつと会ったのかよ」
美都は震えながら小さく頷き、そのまま項垂れた。スカートの裾を掴む手が、僅かに震えた。ここまで怒鳴る和美は、付き合い始めてから初めてだった。
そもそもが他人に詮索されるのが大嫌いな性格なのだ。一度和美が答えたのに、それを無視した美都が許せないのだろうということは、美都にも想像がついた。しかし、そこで引けない理由が美都側にもある。
でも、だったらどうして、その時嘘をついたの？
「偶然なの。街で鉢合わせて―」
そうしたら彼女の話になって、聞いたのと違うから、気になって…。
しかし美都がそう言い訳する前に、大きなため息が美都の髪を揺らした。
「勝手にしろっ」
ドカドカと足音が響く。恐る恐る顔をあげた美都だったが、そこにすでに和美の姿はいなかった。
「…どうしよう…。あたし…」
そう呟きながら美都は両手で顔を覆うと、そのままずるずると床に座り込んだ。
ある計画の為に部活帰りにアルジャーノンへと向かっていた理香だったが、ふとした厳己の言葉に思わず声をあげた。
「何それ？そんな話があったの？」
成と祥子の浮気騒動だ。
篤志の必死の努力で隠し通りしていたというのに、それを知らない厳己がさらりと口にしてしまったのだ。
「まあ、ただのデマだったんだけどね」
「そうそう、ほら、まりっぺっておっちょこちょいだろ、それで―」
慌ててフォローする篤志の言葉を遮って、理香は興奮して答える。
「でも火のないところに煙は立たないっていうし。信じらんない、成くんってば。人のよさそうな顔して。最低」
「落ち着けって理香」
だがそう言う篤志の声も、理香の耳には全然入って行かないようだ。
「ごめん。あたし、今日の参加できない」
突然そう言うと、理香はアルジャーノンとは違う方向に歩き始めた。厳己たちが理香を引き留めるものの足が止まる様子はない。
篤志は厳己たちにごめんとだけ言って、理香の後を追いかけた。
「待てよ、理香」
だが理香は篤志の声に足を止めることもせずに、ずんずんと速足で歩きながら独り言にしては大きな声をあげた。
「やっぱり萌子には、朔哉さんがお似合いなのよっ」
「…それは、理香が決めることじゃないだろ？」
理香はううんと首を左右に振ると、力強く答えた。
「萌子だってきっと悩んでる。こうなったら教えてあげるべきだよ、朔哉さんの住所。それか、朔哉さんに今の萌子のこと話すとか―」
「余計なことするな」
篤志の宥めるような口調が諭す口調に代わって、理香の足がようやく止まった。
が、理香は篤志を思い切り睨みつけると怒鳴り出した。
「余計な事って何よ。私は、萌子のことが心配でっ―」
「朔哉さんは、萌子のことを成に託したんだ。それを無関係な理香が蒸し返してもしょうがないだろ」
「うまくいくと思って、そうしたの。でも現実はうまくいってない。だったら朔哉さんだって考え直すはずよ」
そう言ったところで理香は一息ついて、声色もいくらか落ち着かせて言った。
「…アッチだって、本当はそう思ってるんでしょう？今回ばかりは、朔哉さんはミスをしたって」
「違う」
そう答える篤志の言葉など聞こえないように理香は言いきった。
「朔哉さんのミスなら、朔哉さんがそのミスをカバーすればいい。
アッチこそ、関係ないじゃん」
正論を言われて篤志も思わず口ごもる。
理香が関係ないように、篤志も今回の当事者ではないのだ。
黙り込む篤志を見て、苛立った理香ははっきりと言い放った。
「それに、もしアッチが成くんから萌子奪うような真似しても、朔哉さんがアッチのこと認めてくれるわけじゃないじゃん―」
瞬間黒い影が頭上に見え、咄嗟に理香は目を瞑ると俯いた。だが、一向にその手が理香に振り下ろされる気配はない。理香がそっと目を開けると、篤志は理香に向かって手をあげたまま、唇をかみしめていた。
自分でも気づいていなかったことをずばり言われて、動揺して返せないようだ。
思わず理香は握りしめていた手で、篤志の頬を平手打ちする。
「あたしがどれだけアッチのこと見ていたか、わかってないんでしょう。
バカにしないでよね」
理香はそれだけ言い残すと、じんと痛む手を握りしめて、駆け出して行った。
「お疲れ様です。早坂先輩」
「おう、お疲れ」
部室に入ると、着替え終わった後輩たちがそう成に挨拶をして部室を出て行く。
来週から一週間練習ができなくなるというのに、今日の調子が絶不調だった成は、そのまま浜に出て軽く自主練習をしてから部室に戻ってきた。どうやら自分が一番最後らしい。一人になると、どこか気が抜けて、成はベンチに座ると深くため息をついた。
誰かを待たせているわけでもないし、すぐに着替える気にもなれずぼうっとしたままで汗を拭いていると、着替え終わっている湊とケンが顔を出した。
「ここにいたんだ、成」
「早く着替えて、メシ食いに行こうぜ」
気分的には一人でいたいと思う成だが、二人の気遣いもわかるから「ああ」とだけ答える。
そしてロッカーを開けたところで、思わず体が凍りついた。
何だ…これ。
ロッカーを開けたまま動かない成に気づいてか、ケンが横から顔を覗かせた。
「何それ。果たし…状？」
表に書かれた文字をケンが読んだところで、成はロッカーの中に貼られていたその封筒を手に取った。裏を見ると、友近知朗とお世辞にも綺麗とは言えない字が筆で綴られている。中には短い文章で、『練習後、アルジャーノンに来い』とだけ書いてある。
「なあ果たし状ってことはさ、勝負しろってことだよな？」
ケンがそう言うが、成は頷くことで精一杯だ。
知朗が俺に果たし状？
いったいどうして？
「けど理由なら、思い当たることあるんじゃねぇの？」
意味ありげなケンの言い方に成は顔をひきつらせる。
「知朗の奴、あれでずーっと萌子一筋だからなぁ。今回のお前の騒動、相当腹立ててたんじゃねぇの？」
ということは、もしかして殴られたりするんだろうか、俺。
そう思った成の肩を、湊がぽんと成の右肩を叩く。
「まさか、そんなことはしないよ。知朗だって。
それに俺たちついてるし、な」
「しゃーねぇなぁ。俺も付いてってやるよ。お前の骨くらい、拾ってやるからさ」
と、ケンが成の左肩を叩く。
どうやら逃げ出すことはできないらしい。
「わかった」
成はそう答えると、覚悟を決めて着替え始めた。
「つきあってなかったって…どういうこと？だって、卒業式の日―」
動揺が隠せない萌子を前に、祥子はベッドに座ると深いため息と共に口を開いた。
「そういえば、萌子とは福山先輩の話したことなかったね。萌子は聞きたくなさそうだったし、私も自分から嘘をついて自慢したくなかったから…惨めな気持ちになるだけだもの」
祥子はそう言うと、紅茶を一口飲む。
落ち着いている祥子の様子を萌子は黙って見つめていた。
「全部、話す。本当のこと。
私、好きだったの。福山先輩のこと。いつからかはわからないけれど、自覚したのは二年の時かな。でも遠い存在で、話したこともなかった。それに萌子がいたし、このまま先輩が卒業していくのを、遠くからじっと見てるだけなんだろうなってずっと思ってたの。
だけど、想い出が欲しくて、偶然街で出会った時に、告白した。
当然玉砕。でもその時、先輩に頼まれたの。卒業式の日に、皆の前で付き合ってるふりをしてほしいって。その代償として、自分ができることがあれば卒業までの間、私の希望には答えるって。
その時はびっくりして、なんて答えていいのかわからなかった。緊張してたし、頭が追いついてなかったんだと思う。
でも、私はその役を引き受けた。卒業前の何日か、デートしてもらうことを条件に」
体がぐらりと揺れたところで、萌子は机に手をかけ、なんとか立ち留まった。
ぼんやりとする頭でどう考えても、朔哉がそうまでした理由が、萌子にはわからなかった。
頭によぎるのは、あの卒業式のことだ。優しく、朝日を受けてキラキラと輝く海のような笑顔を見せた朔哉。
『俺が惚れた女なんだからさ』
あの後すぐに朔哉に駆け寄った女の子と二人仲良く学校を出て行ったと聞き、萌子はショックを受けた。しかし聞けば、朔哉が萌子に別れを切り出したあたり から、朔哉と他の女の子とのデート現場をいろんな人たちが見ていたことを知り、自分なりに朔哉の気持ちを納得していたつもりだった。
実際、祥子は朔哉に相応しい相手にも思えたし、自分の隣には気がつけば成がいた。
でもその祥子との関係が、ただの見せかけだけのものだとしたら、どうして朔哉はそんなことをしたのだろうか。
萌子の気持ちに気づいてか、祥子がじっと萌子の顔を見上げて訴えた。
「どうして先輩がそんなことをしたのか、わかる？萌子。
先輩は、萌子のことが好きだからよ」
『愛してるよ、萌子』
学校中に響き渡るような声でそう言った朔哉。萌子に別れを切り出したのは、それから一週間ほど後のことだ。
「好きって気持ちって残酷だよね。好きな人を見つめてると、その人の本当の気持ちが見えてきちゃうんだもの。それがどれほど自分を傷つけることになるのか分かっていても。
先輩は、萌子が成くんに惹かれている気持ちに気づいたのよ。だから、このまま卒業して、自分が萌子と付き合っていることが、いつか萌子の重荷になる時が 来るってことも。だってそうでしょう？いつか萌子が自分の本当の気持ちに気づいても、ましてやそれが両想いであっても、先輩という存在から萌子は自由にな れない。それに萌子には、そのことを相談できる相手もいない。だって二人は全校生徒の、ううん凪浜の憧れる恋人同士だった。皆の理想だった。それなのに、 もし萌子と成くんが付き合うようなことになれば、真実がどうあれ、周囲には萌子の浮気が原因で先輩と萌子が別れたとしか思えない。そうすれば、萌子は皆か ら非難を浴びる。自分が凪浜にいればそんなことからも萌子を守っていけたかもしれないけど、大学に行ったらそんなことできない。萌子のことを守り切れな い。それがわかっていたから、きっと自分から別れようと考えたんだと思う。非難の目を少しでも自分にぶつけることが、萌子を守って行くことになるって。
先輩は、それほど萌子のことを好きだったの。ううん、今でもきっとその気持ちは変わってない。
萌子のことが好きだから、萌子に幸せになってほしいから、だから成くんに萌子のことを託したの」
脳裏に、朔哉に言われた言葉が過る。
『今はわからないかもしれないけど、そのうちお互いのために一番よかったんだって思える時が来るから』
『萌子は、正しいよ。萌子が見つけた答えは、きっと正しい。だから、自信もって』
あの時はよくわからなかったその言葉の本当の意味が、今の萌子には痛いほどわかる。
無言の萌子に、祥子は小さく息を吐くと、僅かに笑みを浮かべて話を続けた。
「本当は…この話するつもりなんてなかった。だって、私も先輩のこと好きだったから。ずっと好きだったから。
だけど、先輩が本当に萌子のことを好きだってわかってしまったから、その気持ちを伝えられるのが私しかいないなら、そうするしかない。
でも、私ずっと萌子に言えずにいた。そのことでずっと悩んでた。言わなきゃいけない、でも私も先輩のこと好きだから言いたくない。そう思う自分が大嫌いになって。
そんな時に話を聞いてくれたのが成くんだった。彼しか、いなかった」
同じような想いを抱え、苦しみながらもその想いは成以外の誰にも話せないものだった。
「萌子がいま幸せそうなら、話さないままだったかもしれない。
でも…そうは思えないの、私には。私と成くんのことがある前から、近くで二人を見てずっとそう思ってた。違うかな？」
言われた萌子は答えることができなかった。
成が隣にいて嬉しいと思えた気持ちは、いつのまにかどうしてという疑心に変わった。
今までであれば、何事も話せていたのに、いつからか相手に話すことを選ぶようになっていた。
ベッドに座っていた祥子が、その時スッと立ち上がる。そして、萌子の正面に立って、口を開いた。
「さっき言ったよね、萌子。
福山先輩と成くん、どっちが好きなんだって。
萌子はどうなの？」
「え…」
正面から聞かれ、思わず萌子は口ごもる。
裏切られても、振りむかなくても、成を好きなのか。
それとも優しく見守っていてくれた朔哉さんが忘れられないのか。
わたし、と口を開こうとした萌子の声に被せて、祥子が言った。
「私は成くんのこと、好きよ」
その言葉に、思わず萌子は目を見開いて祥子を見つめる。祥子はその視線からさり気なく逃れると、決意を決めたように息を吐いて萌子を見つめ返した。
「萌子、もし福山さんのこと忘れられないんだったら、会った方がいい。会って、話して、そうすれば、きっと答えが見えてくる」
そして祥子は、萌子が寄りかかっていた机の引き出しを開けると、小さなメモ紙を取り出して、萌子に差し出した。
「これ、先輩の連絡先と住所。成くんからもらったの。余計な誤解与えちゃったみたいだったけど。
今は先輩怪我してるから、きっと家にいることが多いと思う」
渡された紙を受け取ろうとしていない萌子の手を取り、その紙をそっとのせ、祥子は言った。
「今まで、ごめん」
その瞳から、涙が一筋零れ落ちた。
初めて出会ったのは卒業式だったが、萌子には朔哉の印象が強すぎて、祥子のことは覚えていなかった。
声をかけられたのは、同じクラスになってから。初めは戸惑ったけれど、萌子がガードを作る前に、祥子は萌子の中にするりと入ってきた。
高校に入ってからはずっとサッカー部一筋だった萌子にとって、サッカー部関係者ではない祥子の存在はとても新鮮で、新たな世界を感じることのできる大事な存在だった。
だからこそ、どうして祥子がと、強く思ってしまう。
百合のことがあって、女友達を作ることをどこか怖がっていた萌子にとって、ようやくできた友達だったのに、と。
祥子のことを責める気持ちでいっぱいになりそうで、気を紛らわそうとぐるりと部屋を見回していると、机の上に写真立てが目に付いた。誰との写真なんだろうと萌子が立ち上がり、覗き込む。
それは朔哉の写真だった。朔哉の知らないところで撮ったであろうその写真は、文化祭のステージのものだ。その頃から祥子はずっと朔哉を好きでいたんだということが、萌子に少なからずショックを与えたところで、ティーカップを持った祥子が現れた。
「紅茶…でいいかな」
遠慮がちに祥子はそう言いながら、机にカップを二つ置くと、そのまま床に座った。その様子を見つめながら、動揺が続く萌子はどう話していいのか悩んでいた。
思えばこうして祥子と向き合うのも久しぶりな気がする。そういう状況にしたのは、萌子自身だ。
そして祥子の家に来たのも、時間があるかと家に上がったのも、萌子だ。
聞きたいことなら沢山あった。だが聞けずにいたのは、自分自身が傷つくのが怖かったからだった。
…だけどもう。失うものはない。
覚悟を決めて口を開こうとした萌子より先に、祥子が口を開いた。
「話が…あるんでしょう？私も、萌子に話したいことがあったの。教室じゃなかなか話せないから。
そもそも萌子の誤解なの。私と、成くんのことは。ただ成くんが優しいから―」
萌子よりも成のことを知っているかのような言い方に、思わず萌子はさっき押さえたはずの気持ちを爆発させていた。
「誤解？誤解って何が？成とは何でもないってそういうこと？
何もなくないわ。
成は祥子のことで、私に二回も嘘をついた。それだけで十分じゃない」
祥子の顔が強張る。だが何も言い返してこない祥子から顔を背けて、萌子は話し続けた。
「祥子のこと、親友だと思ってた。
それなのに、私には悩み事なんかないって言って、成には相談してた。
それだって、私に対する裏切りみたいなものじゃないの？」
頭で整理するより先に、次々と言葉が萌子の口からこぼれていく。
そしてついに萌子は、心の奥底に隠していた言葉を吐いた。
「祥子はっ…、祥子はどうして朔哉さんとか、成とか、私にって大切な人を奪っていくの？
他にもいい人、たくさんいるでしょう？
そもそも、朔哉さんと付き合いながら、成にも…。
祥子…本当は二人のどっちのことが好きなの？」
静まり返った部屋に、萌子の荒い呼吸が響く。
項垂れていた祥子だったが、ぽつりと呟いた。
「萌子は、本当に何も知らないんだね」
「え？」
すると祥子は顔をあげて、今にも泣き出しそうな表情になって真実を萌子に告げた。
「私と福山先輩は、何にもなかった。つきあってなかったの」
ミーティングルームのドアがしっかりと閉められたことを確認すると、窓のカーテンまで閉めてから美都は急いで自分のロッカーを開け、包みを出す。
そして、クラスメートで和美と同じ中学出身の女子に頼んだ卒業アルバムを取り出した。彼女は今日の午後から部活だとかで、入れ違いになる美都にわざわざ持ってきてくれたのだ。
和美は担任に呼び出されたとかで、今は職員室にいるはずだ。とはいえ十分もすれば戻ってくるだろうからと美都は急いでページをめくる。今日は、萌子が用事があると先に出て、理香も篤志と一緒に行くところがあるとかで、今は美都しかいない。部員もほとんど帰っているはずだった。
クラスメートに聞いた和美のクラスのページを捲り、今よりも少し線が細い、それでも変わらずへの字に曲がった口元を見つけて、美都は思わずくすりと笑った。
斜に構えてる感じも、相変わらずだ。
思えば、美都にとって高校生活の全ては、和美から始まった。
和美に出会って、好きになって、サッカー部まで追いかけてきて、怒鳴られて、付き合うことになって。
天邪鬼な和美の性格に振り回されることも少なくはなかったが、それでも大きな問題もなくやってこれた気がしていた。少しの不満くらい、きっと和美だって自分に対して思うところはあるだろうし、普通のことだと思っていた。
『つきあったのは、一カ月くらいだったけど。愛海はほんと北内のこと好きだったからさ』
『中学ん時のクラスメートだよ』
なかなか本心を言わないあの性格だから、今まで何度も誤解をすることはあった。けれどそれは恥ずかしがりやな和美の性格の裏返しで、美都はそんな和美も含めて好きだった。
けれど、今回は違う。
和美は、嘘をついたのだ。
他のクラスメートの写真を追いかけていた美都の目が、ふいに止まる。
小平、愛海。『アミ』だ。
ぱっと目を引くような可愛い顔立ちに、美都は息を呑みこんだ。
彼女が、アミ…。
想像していた以上に可愛らしい容姿と、明るそうな笑顔に美都はショックを受けた。
とその時、ドアが乱暴に開けられて、和美が顔を出した。
「おい、帰るぞ」
慌てて美都は立ち上がって、和美の方を振り返りながら、背中にアルバムを隠す。
「はっ早かったんだねっ。もう少しかかるかと思ってた。今、鞄持ってくるから―」
そう言いながら、アルバムの入っていた包みを上にかけようとしたところで、和美が「おい」と声を出した。
「何だ、それ」
「え？」
何でもないと美都が言う前に和美の手が伸び、卒業アルバムを手に取る。まじまじと表紙を見てから、和美は呟いた。
「つーか、ウチんじゃねぇかよ。どうして―」
そう言って美都を見つめた和美だったが、俯かせた美都を見て、声を震わせた。
「…誰のこと見てたんだよっ？」
壁に投げつけられたアルバムが落ちる音と、その怒鳴り声に美都の肩がびくんと跳ね上がる。だがそれで容赦するような和美ではない。
「ただのクラスメートっつったろ？何探ってんだよっ」
美都はいつもの癖で、慌ててごめんなさいと答えた。いつもであればここで引く美都だったが、和美につかれた嘘が気になって、思わず答えた。
「でも、森田さんが―」
「おまえ、あいつと会ったのかよ」
美都は震えながら小さく頷き、そのまま項垂れた。スカートの裾を掴む手が、僅かに震えた。ここまで怒鳴る和美は、付き合い始めてから初めてだった。
そもそもが他人に詮索されるのが大嫌いな性格なのだ。一度和美が答えたのに、それを無視した美都が許せないのだろうということは、美都にも想像がついた。しかし、そこで引けない理由が美都側にもある。
でも、だったらどうして、その時嘘をついたの？
「偶然なの。街で鉢合わせて―」
そうしたら彼女の話になって、聞いたのと違うから、気になって…。
しかし美都がそう言い訳する前に、大きなため息が美都の髪を揺らした。
「勝手にしろっ」
ドカドカと足音が響く。恐る恐る顔をあげた美都だったが、そこにすでに和美の姿はいなかった。
「…どうしよう…。あたし…」
そう呟きながら美都は両手で顔を覆うと、そのままずるずると床に座り込んだ。
ある計画の為に部活帰りにアルジャーノンへと向かっていた理香だったが、ふとした厳己の言葉に思わず声をあげた。
「何それ？そんな話があったの？」
成と祥子の浮気騒動だ。
篤志の必死の努力で隠し通りしていたというのに、それを知らない厳己がさらりと口にしてしまったのだ。
「まあ、ただのデマだったんだけどね」
「そうそう、ほら、まりっぺっておっちょこちょいだろ、それで―」
慌ててフォローする篤志の言葉を遮って、理香は興奮して答える。
「でも火のないところに煙は立たないっていうし。信じらんない、成くんってば。人のよさそうな顔して。最低」
「落ち着けって理香」
だがそう言う篤志の声も、理香の耳には全然入って行かないようだ。
「ごめん。あたし、今日の参加できない」
突然そう言うと、理香はアルジャーノンとは違う方向に歩き始めた。厳己たちが理香を引き留めるものの足が止まる様子はない。
篤志は厳己たちにごめんとだけ言って、理香の後を追いかけた。
「待てよ、理香」
だが理香は篤志の声に足を止めることもせずに、ずんずんと速足で歩きながら独り言にしては大きな声をあげた。
「やっぱり萌子には、朔哉さんがお似合いなのよっ」
「…それは、理香が決めることじゃないだろ？」
理香はううんと首を左右に振ると、力強く答えた。
「萌子だってきっと悩んでる。こうなったら教えてあげるべきだよ、朔哉さんの住所。それか、朔哉さんに今の萌子のこと話すとか―」
「余計なことするな」
篤志の宥めるような口調が諭す口調に代わって、理香の足がようやく止まった。
が、理香は篤志を思い切り睨みつけると怒鳴り出した。
「余計な事って何よ。私は、萌子のことが心配でっ―」
「朔哉さんは、萌子のことを成に託したんだ。それを無関係な理香が蒸し返してもしょうがないだろ」
「うまくいくと思って、そうしたの。でも現実はうまくいってない。だったら朔哉さんだって考え直すはずよ」
そう言ったところで理香は一息ついて、声色もいくらか落ち着かせて言った。
「…アッチだって、本当はそう思ってるんでしょう？今回ばかりは、朔哉さんはミスをしたって」
「違う」
そう答える篤志の言葉など聞こえないように理香は言いきった。
「朔哉さんのミスなら、朔哉さんがそのミスをカバーすればいい。
アッチこそ、関係ないじゃん」
正論を言われて篤志も思わず口ごもる。
理香が関係ないように、篤志も今回の当事者ではないのだ。
黙り込む篤志を見て、苛立った理香ははっきりと言い放った。
「それに、もしアッチが成くんから萌子奪うような真似しても、朔哉さんがアッチのこと認めてくれるわけじゃないじゃん―」
瞬間黒い影が頭上に見え、咄嗟に理香は目を瞑ると俯いた。だが、一向にその手が理香に振り下ろされる気配はない。理香がそっと目を開けると、篤志は理香に向かって手をあげたまま、唇をかみしめていた。
自分でも気づいていなかったことをずばり言われて、動揺して返せないようだ。
思わず理香は握りしめていた手で、篤志の頬を平手打ちする。
「あたしがどれだけアッチのこと見ていたか、わかってないんでしょう。
バカにしないでよね」
理香はそれだけ言い残すと、じんと痛む手を握りしめて、駆け出して行った。
「お疲れ様です。早坂先輩」
「おう、お疲れ」
部室に入ると、着替え終わった後輩たちがそう成に挨拶をして部室を出て行く。
来週から一週間練習ができなくなるというのに、今日の調子が絶不調だった成は、そのまま浜に出て軽く自主練習をしてから部室に戻ってきた。どうやら自分が一番最後らしい。一人になると、どこか気が抜けて、成はベンチに座ると深くため息をついた。
誰かを待たせているわけでもないし、すぐに着替える気にもなれずぼうっとしたままで汗を拭いていると、着替え終わっている湊とケンが顔を出した。
「ここにいたんだ、成」
「早く着替えて、メシ食いに行こうぜ」
気分的には一人でいたいと思う成だが、二人の気遣いもわかるから「ああ」とだけ答える。
そしてロッカーを開けたところで、思わず体が凍りついた。
何だ…これ。
ロッカーを開けたまま動かない成に気づいてか、ケンが横から顔を覗かせた。
「何それ。果たし…状？」
表に書かれた文字をケンが読んだところで、成はロッカーの中に貼られていたその封筒を手に取った。裏を見ると、友近知朗とお世辞にも綺麗とは言えない字が筆で綴られている。中には短い文章で、『練習後、アルジャーノンに来い』とだけ書いてある。
「なあ果たし状ってことはさ、勝負しろってことだよな？」
ケンがそう言うが、成は頷くことで精一杯だ。
知朗が俺に果たし状？
いったいどうして？
「けど理由なら、思い当たることあるんじゃねぇの？」
意味ありげなケンの言い方に成は顔をひきつらせる。
「知朗の奴、あれでずーっと萌子一筋だからなぁ。今回のお前の騒動、相当腹立ててたんじゃねぇの？」
ということは、もしかして殴られたりするんだろうか、俺。
そう思った成の肩を、湊がぽんと成の右肩を叩く。
「まさか、そんなことはしないよ。知朗だって。
それに俺たちついてるし、な」
「しゃーねぇなぁ。俺も付いてってやるよ。お前の骨くらい、拾ってやるからさ」
と、ケンが成の左肩を叩く。
どうやら逃げ出すことはできないらしい。
「わかった」
成はそう答えると、覚悟を決めて着替え始めた。
「つきあってなかったって…どういうこと？だって、卒業式の日―」
動揺が隠せない萌子を前に、祥子はベッドに座ると深いため息と共に口を開いた。
「そういえば、萌子とは福山先輩の話したことなかったね。萌子は聞きたくなさそうだったし、私も自分から嘘をついて自慢したくなかったから…惨めな気持ちになるだけだもの」
祥子はそう言うと、紅茶を一口飲む。
落ち着いている祥子の様子を萌子は黙って見つめていた。
「全部、話す。本当のこと。
私、好きだったの。福山先輩のこと。いつからかはわからないけれど、自覚したのは二年の時かな。でも遠い存在で、話したこともなかった。それに萌子がいたし、このまま先輩が卒業していくのを、遠くからじっと見てるだけなんだろうなってずっと思ってたの。
だけど、想い出が欲しくて、偶然街で出会った時に、告白した。
当然玉砕。でもその時、先輩に頼まれたの。卒業式の日に、皆の前で付き合ってるふりをしてほしいって。その代償として、自分ができることがあれば卒業までの間、私の希望には答えるって。
その時はびっくりして、なんて答えていいのかわからなかった。緊張してたし、頭が追いついてなかったんだと思う。
でも、私はその役を引き受けた。卒業前の何日か、デートしてもらうことを条件に」
体がぐらりと揺れたところで、萌子は机に手をかけ、なんとか立ち留まった。
ぼんやりとする頭でどう考えても、朔哉がそうまでした理由が、萌子にはわからなかった。
頭によぎるのは、あの卒業式のことだ。優しく、朝日を受けてキラキラと輝く海のような笑顔を見せた朔哉。
『俺が惚れた女なんだからさ』
あの後すぐに朔哉に駆け寄った女の子と二人仲良く学校を出て行ったと聞き、萌子はショックを受けた。しかし聞けば、朔哉が萌子に別れを切り出したあたり から、朔哉と他の女の子とのデート現場をいろんな人たちが見ていたことを知り、自分なりに朔哉の気持ちを納得していたつもりだった。
実際、祥子は朔哉に相応しい相手にも思えたし、自分の隣には気がつけば成がいた。
でもその祥子との関係が、ただの見せかけだけのものだとしたら、どうして朔哉はそんなことをしたのだろうか。
萌子の気持ちに気づいてか、祥子がじっと萌子の顔を見上げて訴えた。
「どうして先輩がそんなことをしたのか、わかる？萌子。
先輩は、萌子のことが好きだからよ」
『愛してるよ、萌子』
学校中に響き渡るような声でそう言った朔哉。萌子に別れを切り出したのは、それから一週間ほど後のことだ。
「好きって気持ちって残酷だよね。好きな人を見つめてると、その人の本当の気持ちが見えてきちゃうんだもの。それがどれほど自分を傷つけることになるのか分かっていても。
先輩は、萌子が成くんに惹かれている気持ちに気づいたのよ。だから、このまま卒業して、自分が萌子と付き合っていることが、いつか萌子の重荷になる時が 来るってことも。だってそうでしょう？いつか萌子が自分の本当の気持ちに気づいても、ましてやそれが両想いであっても、先輩という存在から萌子は自由にな れない。それに萌子には、そのことを相談できる相手もいない。だって二人は全校生徒の、ううん凪浜の憧れる恋人同士だった。皆の理想だった。それなのに、 もし萌子と成くんが付き合うようなことになれば、真実がどうあれ、周囲には萌子の浮気が原因で先輩と萌子が別れたとしか思えない。そうすれば、萌子は皆か ら非難を浴びる。自分が凪浜にいればそんなことからも萌子を守っていけたかもしれないけど、大学に行ったらそんなことできない。萌子のことを守り切れな い。それがわかっていたから、きっと自分から別れようと考えたんだと思う。非難の目を少しでも自分にぶつけることが、萌子を守って行くことになるって。
先輩は、それほど萌子のことを好きだったの。ううん、今でもきっとその気持ちは変わってない。
萌子のことが好きだから、萌子に幸せになってほしいから、だから成くんに萌子のことを託したの」
脳裏に、朔哉に言われた言葉が過る。
『今はわからないかもしれないけど、そのうちお互いのために一番よかったんだって思える時が来るから』
『萌子は、正しいよ。萌子が見つけた答えは、きっと正しい。だから、自信もって』
あの時はよくわからなかったその言葉の本当の意味が、今の萌子には痛いほどわかる。
無言の萌子に、祥子は小さく息を吐くと、僅かに笑みを浮かべて話を続けた。
「本当は…この話するつもりなんてなかった。だって、私も先輩のこと好きだったから。ずっと好きだったから。
だけど、先輩が本当に萌子のことを好きだってわかってしまったから、その気持ちを伝えられるのが私しかいないなら、そうするしかない。
でも、私ずっと萌子に言えずにいた。そのことでずっと悩んでた。言わなきゃいけない、でも私も先輩のこと好きだから言いたくない。そう思う自分が大嫌いになって。
そんな時に話を聞いてくれたのが成くんだった。彼しか、いなかった」
同じような想いを抱え、苦しみながらもその想いは成以外の誰にも話せないものだった。
「萌子がいま幸せそうなら、話さないままだったかもしれない。
でも…そうは思えないの、私には。私と成くんのことがある前から、近くで二人を見てずっとそう思ってた。違うかな？」
言われた萌子は答えることができなかった。
成が隣にいて嬉しいと思えた気持ちは、いつのまにかどうしてという疑心に変わった。
今までであれば、何事も話せていたのに、いつからか相手に話すことを選ぶようになっていた。
ベッドに座っていた祥子が、その時スッと立ち上がる。そして、萌子の正面に立って、口を開いた。
「さっき言ったよね、萌子。
福山先輩と成くん、どっちが好きなんだって。
萌子はどうなの？」
「え…」
正面から聞かれ、思わず萌子は口ごもる。
裏切られても、振りむかなくても、成を好きなのか。
それとも優しく見守っていてくれた朔哉さんが忘れられないのか。
わたし、と口を開こうとした萌子の声に被せて、祥子が言った。
「私は成くんのこと、好きよ」
その言葉に、思わず萌子は目を見開いて祥子を見つめる。祥子はその視線からさり気なく逃れると、決意を決めたように息を吐いて萌子を見つめ返した。
「萌子、もし福山さんのこと忘れられないんだったら、会った方がいい。会って、話して、そうすれば、きっと答えが見えてくる」
そして祥子は、萌子が寄りかかっていた机の引き出しを開けると、小さなメモ紙を取り出して、萌子に差し出した。
「これ、先輩の連絡先と住所。成くんからもらったの。余計な誤解与えちゃったみたいだったけど。
今は先輩怪我してるから、きっと家にいることが多いと思う」
渡された紙を受け取ろうとしていない萌子の手を取り、その紙をそっとのせ、祥子は言った。
「今まで、ごめん」
その瞳から、涙が一筋零れ落ちた。