Maybe Blue 第二部 凪より愛をこめて
神無月1
右京の手術の日取りが決まった一方で、凪高は選手権の県大会予選の決勝トーナメントの準々決勝を、二対〇で勝ち進めていた。
点数だけ見れば、順当に勝ち進んでいるとも思えるが、実際はぎりぎりのところでの勝利だったと、朔哉は思っていた。
相手の深田商業は守り中心のチームではあったが、もう少し足の速いトップの選手がいて、凪浜にも成という優秀なディフェンダーがいなければ、同点にされていただろうし、もし格下の相手に同点にされたとなれば、その影響が確実に凪高のチームワークを乱していただろう。
そうなれば、結果がどうなっていたか。
そう思うと朔哉の悩みは深かった。
右京の代わりに朔哉がゲームメーカーのポジションになり、朔哉の元のポジションには和美が入った。
夏の大会でも、右京のスタミナが切れるとこのフォーメーションでやっていたからと、あまり気にしていない部員もいたようだが、選手としては意識が違っていた。
そもそも、右京のスタミナが切れるのは、後半半ば過ぎで、その頃にはたいてい凪浜には得点があり、リードしていることの方が多かったのだ。
この点差を守り切れば勝利できるというのと、点を取りに行かないと勝利できないというのでは、明らかに試合の運び方が違う。
またその時間が、二十分ほどと、八十分ほどでは、さらに違う。
加えて、右京不在の影響力というのは、朔哉の想像した以上に選手にダメージを与えていた。
右京は、チームのムードメーカーではなかった。むしろ、その逆で、淡々と我が道を突き進んでいたタイプだったはずだ。
しかし、朔哉の出したパスがほんの少し長すぎたことでも、ボールはすぐ相手にカットされたり、アイコンタクトがうまくいかなくて、パスが通らなかったりが続く。
ひとつのミスが、他の選手のミスも誘い、苛立ちが凪高イレブンを覆いこむ。
結果、前半は〇対〇。
後半開始早々、焦った朔哉は、無理やり自分で持ち込み一点を奪った。
当然、観客達は歓声を上げる。選手たちでさえ、どこかほっとした表情を見せていた。
だがその中で、朔哉は一人きりだった。
…こんなやりかた、通用するのはここまでだ。
全国はもちろん、次の県大会の準決勝あたりからは、通用しなくなる。
苛立ちを落ち着かせようとしたのに、逆にその焦りは募り、朔哉が項垂れたところで、いきなり背中を誰かに軽く蹴られた。
「って」
思わず振り向くと、不機嫌だと顔に浮かべた司が自分を睨んでいた。
「何だよ―」
「だからっ、お前ひとりでモテんなっつってんだろ」
「え？」
冗談みたいな言葉とは真逆に、真剣そのものの司の表情が、朔哉を混乱させた。
「俺が絶対決めてやるから、次からは俺様にパス出せよ」
ニヤッと笑うと、司はさっさと自陣へと戻っていく。
その様子に唖然としていた朔哉は、風になびくユニホームには不釣り合いの長髪を見ながら、思わずくすりと笑っていた。
決めてやるから、か。
肩の力が抜けた朔哉のパスは、その後つながるようになり、そうして、つながったパスから、司はシュートを決めた。
「言っただろ？」
ニヤリと笑う司を見て、朔哉も素直に頷き返した。
そして、凪高は次の試合にコマを進めたのだ。
司の評価は、真っ二つに分かれる。
肩につくほどの茶髪で、上下関係にも時間にも女にもルーズな司を、最低という人間は、教師にも部員にも、クラスにもいる。
その一方で、練習は真面目に出てくるし、サッカーのことは誰よりも愛していることを知っている人間は、いいやつだと評価している。
少なくとも、自分と俊平と監督は、そう評していると朔哉は思っていた。
「…朔哉さんがそう言うのもわかるけど…。でも、もう少し女の人にも真面目になった方がいいんじゃない？」
放課後、正門から第二グランドに向い歩いている時にこの話をしたところ、そうだけどと前置きをした後で、萌子はそう答えた。
サッカー部の活躍を期待してか、選手権が終わるまで、サッカー部は第二グランドを専用的に使えることになったのだ。第二グランドは、学校から少し歩くもののそれなりの広さもあるし、何より専用で使えることは練習に集中できる。
司の話になると手厳しい萌子に苦笑いしながら、朔哉は答える。
「それはまあそうかもしれないけど」
「かもしれないじゃなくて、絶対そう。だから他の人が苦労するのよ。理香たちだって」
萌子が言っているのが、文化祭での出来事だというのは朔哉にもわかる。
「でも…。正直そういう司って見たことない」
萌子が大きくため息をついた。
「じゃあ大槻先輩って本当に人を好きになったことがないのね、きっと」
「…そうかもしれないな」
昔は自分も司と変わらないようなことをしていたと思う。
だけど萌子と出会ってからは、そういうことを愉しめない自分がいた。
あの頃を振り返ると、本当に中身のない人生だった。
朔哉はそう思いながら、改めて隣を歩く萌子を見つめた。
「ん？なに？」
朔哉の視線に気づいた萌子が、朔哉を見つめ直す。
「いや、何でも―あ。忘れた」
萌子が首をかしげていると、朔哉がため息をつきながら答える。
「第二グランドの倉庫の鍵」
倉庫には、ライン引きや石灰が入っている。今日の練習には必要だった。
「先に行ってていいから」
「荷物、持って行っておく」
萌子はそう言うと、朔哉のバックに手を伸ばす。
朔哉の肩には、大きなバッグがかけられていた。中に入っているのは、ビブスやコールドスプレーが入っているのだ。
「重いぞ」
「大丈夫。誰か部員が通りかかったら、手伝ってもらうし」
萌子はにっこり笑ってそう答えた。
ミーティングルームでは、理香と美都が互いに練習の準備をしている最中だった。
「藤原くんの手術の日、決まったんだって？」
美都の問いかけに、理香が手を動かしながら答える。
「今週の金曜日だって。みんな練習あるから、代表で萌子とアッチがお見舞いに行くことになってるみたい」
「早くチームに戻ってこれるといいね。藤原君」
「ほんと。奇跡が起きて、すぐ治ったりしないかなあ。
伝染するみたいに、スランプになってる人多いしさ。ケンケンとか、由太チャンとか」
由太の名前が出たところで、美都は複雑そうな表情を浮かべた。
「高岡君は、彼女のことが影響してるんじゃない？」
由太が亜紀子と別れた話は、サッカー部全員が知っていたものの、どこかピリピリとした雰囲気の由太を前に、誰も直接そのことで話しかけてはいなかった。
理香は由太の話になったところで、語気を荒くして言う。
「由太チャンもほんと、バカよ。亜紀ちゃんみたいないい子と別れるなんて」
その言葉に、思わず美都が手を止めて理香を振り向く。
「え？…あたし、彼女が高岡君のことふったって聞いたけど」
しかし理香は思い切り頭を振った。
「別れを切り出したのは、亜紀ちゃんかもしれないけど、悪いのは由太チャンよ。絶対」
「でも―」
「亜紀ちゃんはね、本当に由太チャンが好きなのよ。それでも別れるっていうんなら、きっとそれは由太チャンのため。
だから悪いのは由太チャンなの。その証拠に、受け入れてるでしょう？由太チャンも。
まあ、プライド高いから別れたくないなんて言えないのかもしれないけど」
苛立ちながらもはっきりとそう言う理香を見ていて、美都の頭はますます混乱した。
「…じゃあ高岡君はどうして」
理香は無言のままタオルを積み重ねていく。
ずっと付き合っていた二人。うまくいっていたように思えていても、何か小さな歪が、時間とともに大きな溝になっていったのだろうか。
長すぎる春が原因だった？
それとも？
「…浮気、とか？」
ぽつりと呟いた美都の言葉に、理香は更に大きく首を振った。
「由太チャンに浮気は絶対ありえないよ。するくらいなら、自殺してると思う」
その言葉に思わずくすりと美都は笑う。
「自殺って、理香。大袈裟ね」
そうね、それに高岡君みたいな真面目な人が浮気なんて、考えられない。
くすくす笑う美都の隣で、理香はぽつりと呟いた。
「ほんと、大バカだよ、由太チャン」
そうだな。
俺は、ほんとに馬鹿だな。
…だけど。
どうしようもなかったんだ。
ミーティングルームのドアを前に、由太は振り上げていた手を下すと、ドアに寄りかかった。
部室に向って走っていた朔哉は、目の前を女子生徒と歩く司に気づいた。
今まで一緒にいたところを見たことがない相手のようだから、新しい司の彼女の『一人』、なのかもしれない。
「ああ司っ」
「おう」
「これからグランド行くんだろ？」
「そうだけど？」
息を切らせて口早に話す朔哉とは対照的に、司はあくまでものんびりしている。朔哉の雰囲気を察知したのか、新しい彼女はそれじゃあと司から離れて行った。
「萌子が正門あたりにいると思うからさ、荷物運ぶの手伝ってやってくれよ」
「は？何で俺が」
「荷物は練習に使う用のものだから、お前だって立派な部員の一人だろ」
「あいつだって立派なマネージャーの一人だよ。大丈夫、お前が思ってるほど軟弱じゃないから、あいつ」
「けど―」
すると打って変って、司は人差し指を朔哉の顔に突きつけて鋭く言い放つ。
「だいたいな、お前はあいつを甘やかしすぎなんだよ。もっと放っておけよ」
「それは…無理だな。危なっかしくて放っておけない」
そういって、くすりとほほ笑む朔哉を見て、司はうへーっと息を吐く。
「ご愁傷様。ったくさ、お前、一人だけ相手しててよく飽きねぇよな。ほんと」
その言い方に、思わず朔哉も言い返す。
「萌子の言ったとおりだ」
「へ？」
「お前も恋をしたらわかるさ」
「はい？」
「じゃ、荷物頼んだからな」
じっと自分を見つめる司の肩を軽くたたき、朔哉はまた走り出した。
朔哉が去り、試しに荷物を持ち上げようとした萌子だったが、思った以上の重さに、仕方なく他の部員が現れるのを待つことにした。
幸いすぐに、ふらふらとやってくる司の姿が目に付いた。
「大槻先輩っ」
「おう」
司は軽く手をあげると、そのまま萌子の前を通り過ぎて行こうとする。慌てて萌子は引き留めた。
「おう、じゃなくて。あの、すみません、これ運ぶの手伝ってもらえませんか？」
「俺のか弱い腕で、そんなもん持てるかよ」
「練習で使うんです」
「大丈夫、部員は他にもいるから」
そう言いながら正門を出て行こうとしたところで、思わず萌子はその腕に手を伸ばす。
「待って下さいよっわっっ」
しかしそれに気づいた司が腕をあげ、空を切った萌子の手はそのまま司のジャージを勢い良く掴んでいた。
前に進もうとしていたところで、ふいに後ろに引き戻される形になった司は、思わずその場に尻もちをついた。
「って。おいっ、何すんだよっ」
「ご、ごめんなさい」
萌子はそう謝っているが、司は無視して立ち上がろうとする。そして、掌に痛みを感じて見つめると、尻もちをついた時にどうやらすりむいたらしく、僅かに血がにじんでいた。
ったく。
ジャージでその血を拭こうとした司の前に、突然白いハンカチが差し出された。
「あの、大丈夫ですか？」
思わず顔をあげると、逆光の中に、見知らぬ女の子が自分を覗き込むようにして見つめていた。
化粧もしていない綺麗な肌に、黒目がちで、少し目じりの下がりうるんだ目が、心配そうに自分をじっと見つめている。
「あ。…ああ、別に」
「血が出てます。あの、これ。使ってください」
「…サンキュ」
ハンカチを取らないと、彼女の方も引っ込みがつかないようなので、司が受け取ると、彼女はほっとしたような笑顔を見せた。
今時珍しく、セーラー服のスカート丈もひざ丈で、髪も黒く、二つに結えている。
だけど、野暮ったいわけじゃない。
なんつーか…清純派？
司がじっと彼女を見つめていると、ふいにその視線が自分の上に向かう。
「あの、凪高のサッカー部の方ですか？」
その言葉が、自分ではなく後ろにいるジャージ姿の萌子に向っているのだと司が気づいた時には、萌子が答えていた。
「はい。…そうですけど」
「二年に早坂成くんっていますよね」
「早坂、成？」
言い淀んでいる萌子に代わって、司が答える。
「いるけど？」
それを聞いて、彼女はほっと安心した表情を浮かべた。
「よかった。ちょっと、話があるんですけど―」
「ごめんなさい。これから練習だし、ファンの人にはそういうことお断りしてるんです」
萌子は口早にそう答えると、座りこんだままの司の腕を引っ張り上げ、立ち上がらせるとその腕を引っ張ったままで、彼女の脇をすっと通りぬけようとした。
成だけに限らず、朔哉や右京のファンが、たまに仲介をマネージャーである萌子に頼もうとすることはあったが、萌子はそれを公平であり続けるために断り続けている。
しかし、彼女はそんな萌子を引き留める。
「違います、わたし―」
「瑛子？」
思わず振り返った萌子の視線の先に、目を見開いた樹生がいた。
「…樹生くん…」
瑛子と呼ばれた彼女も、こわばった表情で樹生の名前を呼んでいる。
が、すぐに樹生の表情は険しくなって、瑛子の前につかつかとやってきた。
「お前どうしてこんなところに来てるんだよ」
「早坂君に用事があって―」
すると、樹生は瑛子の言葉が言い終わる前に、急に瑛子を責めたてた。
「何考えてんだよっ、おい、ちょっとこっちに来いよっ」
樹生は有無を言わさぬ強さで瑛子の腕を取ると、正門をさっさと出て姿を消してしまった。
あまりに突然の出来事に、萌子は首をかしげた。
「何だったんだろう。結局」
その隣で、司も茫然とした表情でぽつりと呟いた。
「…御園女子か」
「え？」
「…いや、何でもない」
「え？大槻先輩？」
しかし司は萌子が呼び止めるのも聞かずに、ふらふらと正門を出て行く。
え？怪我は大丈夫なの？
それに荷物は？
「ちょっ…もう」
荷物を抱えたままでため息をついていると、ふいに後ろから声をかけられた。
「どうかした？萌子」
振り返ると湊が、そしてその隣に成とケンがいた。
「ああ湊…よかった。これ、一緒にグランドまで運んで行ってもらえないかな」
「わかった」
三人はにこやかに荷物を持ち上げる。
そのまま四人は第二グランドまで歩きだしたのだが、途中思いだしたように萌子が成に尋ねた。
「ねえ、成って御園女子に知り合いいる？」
「御園女子って言えば、お嬢様学校じゃん。すげぇな、成」
「いや、知りあいなんていない、けど」
首をかしげた成に合わせるように萌子も首を傾げる。そして、さっき成のことを訪ねてきた女の子の話をした。
「…知らないなあ」
瑛子という名前や、樹生とも顔見知りらしかったこと、清純そうな女の子だったことを伝えようとする前に、ケンが口を挟んだ。
「なあそれ、成のファンじゃねぇ？」
「最近知らない人から寮にも電話かかってくるしね」
湊がにこやかにそう答える。
「へぇ」
思わず萌子がそう呟くと、成は恥ずかしそうに顔を背けて答えた。
「別に電話には出ないよ」
「出ればいいんだって」
ケンがそう答えるが、成は頑なに首を振った。
「だって何話すんだよ。知らない相手だぞ」
「これだから。成はもっと積極的にならなきゃ」
「いいんだよ、別に」
成は、そう言うとそっぽを向き、そのままグランドにつくまで口を開かなかった。
住宅街の路地に入ったところで、瑛子は思い切り樹生の腕を振り払った。
「痛いわ、樹生くん。離してよっ」
腕をさする瑛子を睨みながら、樹生は激しい口調で尋ねた。
「お前いったいどういうつもりなんだよ。こんな時に凪浜にきて、しかも成さんに用事だなんて」
すると、瑛子の口元が、ニタリと歪んだ。
「知らなかった？あたしね、御園女子なの。一応、学区一緒なのよ。
凪高も、もう少し内申あれば受験したんだけどね」
豹変した瑛子に、樹生は身構えるように大きく息を吸い込んで答えた。
「…お前がどういう魂胆で、ここに来たのか知らないけどな、いいか。
成さんには会うなよ、絶対に」
瑛子は無言で樹生を睨みつけていたが、それでも樹生は怒鳴るように言った。
「絶対だぞ。破ったら、俺は今度こそお前のこと許さないからなっ」
練習前のストレッチをやっている時だった。
「おい、新田」
パートナーの望が監督に呼ばれているところで、樹生は珍しく司に話しかけられた。
「なんすか？つかっちゃん」
「てめー、今度そう呼んだら殺す」
「じゃ、話は終わりってことで」
さっさとストレッチを続けようとする樹生を、しかし司は引き留めた。
「ちょっと待て」
引き留めた割に、司の次の言葉までには間があった。
「さっきの女の子…知り合いなんだろ？」
「さっきの？」
わからないという表情の樹生に、司が苛立った声を出す。
「校門のところでお前が引っ張ってった」
その言葉に、樹生は顔を歪めた。
「…ああ、瑛子のこと」
「瑛子ちゃん、って言うのか」
ストレッチを続けながら、樹生はぶっきらぼうに答える。
「中学校時の知り合いっすよ。学校は違ったけど」
「で、今は御園女子か」
何度も小さく頷く司を見て、樹生は一息つくときつい口調で言った。
「言っとくけど、俺はあいつのこと紹介したりしないぜ、先輩」
その言葉に司は、目を見開いた。
「俺は別にそういうこと頼んでんじゃない。
…ちょっと、彼女の物を預かっちまったから、さ」
司はそういうと、ジャージのポケットから白いハンカチを覗かせる。
「じゃ、俺が返してやるから、それ、貸して下さ―っ」
ハンカチを奪い取ろうとする樹生を見て、司はそそくさとそれをポケットに戻した。
「いい。自分で返す。
それよりお前、あの子に惚れてるんだろ？
だから俺と会わせたがらないんだろっ？そうだろっっ？」
「違うっ」
喧嘩を売るようなその言い方に、思わず司もカッして言い返す。
「何だ、その態度。おい、新田。テニス部の女子はどうした？たしか、杉野とか杉浦とか言ったよな。
文化祭でも仲良く二人で歩いてたようだけど、その女のことお前好きじゃ―」
杉浦夏実のことを言われ、樹生は顔を真っ赤にして逆上すると、司を怒鳴りつけた。
「俺が紹介しないっつってんのは、あいつが最低の女だからだよっ」
「なんだと？」
思わず司が樹生に掴みかかったところで、それに気づいた朔哉が声をあげて近づいてきた。
「おい、司。何してるんだ？」
司は樹生から手を放すと、朔哉の方に歩いてきて、そのまま脇を通り過ぎた。
「あぁ。…わりぃ、朔哉。何でもねぇよ」
次の日、同じように正門を出て、第二グランドに向かおうとした司は、道路を挟んだ向かいの壁に隠れるように、佇むセーラー服を見て、思わず声をかけた。
「瑛子ちゃん…だったっけ？」
肩を弾ませて瑛子が振り返る。うるんだ瞳がまっすぐに司を見つめて、あ、と小さな声が上がった。
「昨日の。怪我大丈夫でしたか？」
「あのくらい、全然。で、どうしたんだっけ？うちの部に用があるんだった？」
すると瑛子は俯いて、元気なく答えた。
「…早坂君に、ちょっと…」
「もう少ししたらここ通るだろうけど、こんなところじゃ見えねぇんじゃねぇの？」
瑛子は言葉を詰まらせて、小声で司に言う。
「でも、樹生君が…あ。ごめんなさい、なんでもありません」
咄嗟に口を押さえる瑛子を見て、司は樹生に腹を立てた。
「新田のことなんか気にするな。俺が早坂呼んでくるから、ここで待ってな」
司は優しくそう言うと、校内に戻ろうとしたが、そこで校門の前で立ち尽くしている樹生に気づいた。
樹生も司たちの方を見つめながら、呟く。
「…瑛子。お前、やっぱり」
駆け寄り、その腕をつかもうとする樹生の腕を、司は止める。
「新田、邪魔するな。彼女が早坂に会いたいっつーんなら、会わせてやってもいいだろ、別に」
「ダメだ、絶対ダメっ」
「何でだよ」
頑なな樹生に司がそう尋ねると、樹生は言葉を詰まらせる。その視線の先で、瑛子は顔を俯かせている。
「それは…つかっちゃんには、関係ねぇことだろ」
ぶっきらぼうな言い方が、昨日のこととオーバーラップして、思わず司の手が樹生の襟元に伸びる。
「何だと？」
そこに、通りかかった朔哉が慌てて駆け寄ってきた。
「また喧嘩してんのか。どうした、二人とも。昨日からおかしいぞ」
隣にいた萌子も、同じように駆け寄ってくる。
「そうよ、何してるの、こんなところで。あ…どうも」
萌子は瑛子にも気付き、一応頭を下げる。そんな萌子をじっと見ていた樹生は、突然目を光らせると、自分を掴んでいた司の手を振り払い、萌子の腕を捕まえると、瑛子の正面に立たせて言った。
「瑛子っ、いい機会だから、よく聞け。
もう金輪際成さんには近づくなっ。
この人はな、成さんの彼女なんだっ」
最後の言葉に固まったのは、萌子だけではない。
「へ？」
「ちょ、ちょっと樹生くん？」
「…新田？何言ってるんだ、萌子は俺の―」
彼女だと言おうとした朔哉や、当然反論しようとした司や萌子にも、樹生は大声で怒鳴りつける。
「シャラーップッッ！」
その鬼気迫る勢いに押され、三人は思わず口を閉じる。その間に、樹生は瑛子を睨みつけて言う。
「わかったか、瑛子。もう帰れ。でもって二度と来んなっ」
静まりかえったところで、瑛子はゆっくりと頷いた。
「…わかったわ。バイバイ、樹生くん…」
去っていく瑛子の後姿が見えなくなったところで、樹生は大きく息を吸う。
「はー助かった」
その背後に、朔哉の低い怒りを含んだ声が響く。
「新田…今のはどういうことだ？」
振り返ると、三人が三人とも、自分をじっと睨んでいる。
樹生はぎこちない笑みを浮かべたかと思うと、慌てて走り出した。
「あ、おいっ、待てっ」