Maybe Blue 第二部 凪より愛をこめて
秋霖9
声援を背に受けながら、朔哉はステージを降りた。
舞台裏でため息をつこうとすると、後ろから慌てて追いかけてきた俊平に、肩を叩かれた。
「二曲目のサビ、１番と２番間違えただろ」
ばれてたのか、と思いつつ、朔哉は視線を伏せる。
「…悪い」
その様子を見て、俊平は大きくため息をつく。
「まぁ一応、ばれてないみたいだったからいいけど。お前さ」
「え？」
腕を引っ張られるようにして、朔哉は俊平に引き寄せられると、小声でずばっと言われた。
「わかりやす過ぎ。沢木がいないから、ミスするなんて」
…これだから、俊平には隠しごとができない。
「ごめん」
謝ると、さっきよりも大きなため息が返ってきた。
「…ガキじゃねぇんだからさ。あいついなくても、ちゃんとやれよ」
俊平の言うことは、さっきから最もだ。
「そう、だよな」
後夜祭の熱もあり、生徒達は浮かれたように朔哉たちの演奏する曲に聞き入っていた。
来るように言っていたもののやってこなかった萌子の姿を、探すあまりに思わず歌詞を間違えた。それでもなんとかごまかし、無事３曲終えて、アンコールも受けてもう一曲演奏したものの、萌子の姿はどこにも見当たらなかった。
だからと言って、文化祭限定とはいえ、今年が最後になるこのバンドの演奏に、泥を塗ってはいけなかった。
背後で抱き合うメンバーの姿を見て、朔哉は反省した。
だけど…。
「でも…ごめん」
ぽつりと呟いた朔哉の言葉に、戸惑ったのは俊平の方だった。
俯きがちに朔哉は、独り言のように話を続ける。
「隣にいなくても、ミスをしないことはできるけど。
だけど萌子が隣にいると、きっと俺は、いつもの何倍も頑張れると思うんだ」
はぁーっと大きなため息の後、朔哉はゴンと頭を小突かれた。
「いってぇ…」
そう呟いて振り返ると、俊平が顔をひきつらせながら叫んだ。
「御馳走様っ。
つーかあいつ、どこに行ったわけ？このあと、コンテストの発表あるんだろ？」
投票はすでに締め切られていたけれど、結果はすでに見えている。
朔哉は空を見上げてから、ふわっと微笑んで答える。
「来るよ。必ず」
フォークダンスの輪は、大きく回り始めていた。
陽も傾き、ファイヤーストームが仲良くフォークダンスを踊る生徒たちを照らしている。
その中で右京は、踊る男女からは少し離れたところでじっとファイヤーストームを見つめていた。その先には、踊る生徒たちを嬉しそうに見つめながら、曲に合わせて軽く体を揺らしている紗依がいる。
凪浜に来る前は、周囲などどうでもよかった。
何より、自分の領域に踏み込まれたくなかった。
そうして作っていた壁を壊したのは、萌子だった。
それは小さな穴だったかもしれない。
しかし、それから右京は限られた部員ではあるが、自分の領域に踏み込んでくることを許すようになった。
だがそれでも、自分の領域を出て、他人に踏み込もうとは思わなかった。
興味がないと言えばそれまでだが、実際にその通りであった。
萌子に関しても、興味がある存在というのとも違った。
ただ、お互いの底辺に流れているいうなれば水脈が、不思議と心の奥底で繋がっているような、そんな存在だった。
だが、紗依はそれとはまた違う存在だった。
その人のすべてを知ってみたい、と、右京にとってサッカー以外のもので初めて欲求をもった相手だった。
楽しそうに微笑む紗依の姿が、炎越しに揺らめいている。
右京は、自然と昨日手に入れた御守をポケットの中で握りしめた。
小さなことだとは思うが、何か同じものを持っているということは、どこかでつながっているのだと思うことができた。
『試合とか、あと恋愛にも効くそうですっ』
右京にプレゼントしてくれた女子生徒が言っていたことだ。
恋愛…。
恋人は、いるんだろうか。その相手と、うまく行ってないのだろうか。
右京は今まで、試合に臨む時に御守を手にしたことはない。
そんなものを持つくらいなら、練習をした方が結果がでるのだと思っていたし、頼ろうと思ったこともなかったのだ。
頼りたいという気持ちは、概して状況がうまくいっていない時に出てくるものだから、紗依は恋愛が思うようにいっていないということになる。
聞いてみようか。
ふいにそう思いつき、右京は一歩踏み出そうとしたところで、足を止めた。
紗依がふいに横を向いたのだ。
そうして、笑顔で声を出す。どうやら誰かに話しかけているらしい。
誰だ…。
その視線を追いかけた右京は、相手を見つけたところで思わずごくりと唾を飲み込んだ。
相手は、サッカー部の監督である石橋だった。
石橋は、いつもと大して変わらない表情ではいたが、紗依は小走りに駆け寄ってまで、話しかけていた。
ゆったりと幸せの笑みを湛えるその表情は、今までに右京がみたことのない紗依の表情だった。
どういう、ことだ。
思わず後ずさりしながら、視線を左右に揺らした右京はその時、目に映った女子生徒たちの表情に初めて気づいた。
皆、紗依と同じように陶酔したような表情を浮かべて、一緒に踊っている男子生徒を見つめている。
頬を赤らめ、たまに相手から視線を外しながらも、すぐにその視線を男子生徒に向ける。
幸せが溢れている。
つまり…。
両手を握りしめると、自然と御守も握りしめていた。
右京はそれをポケットから出すと、一瞥したのち、無言で火の中に投げ込んだ。
御守は空を舞い、炎の中に消えていく。
数人のカップルがそれに気づき、右京の方を軽く見つめたが、グランドを出ていく右京を追いかけることもなく、すぐに二人の世界に入っていった。
軽く握った厳己の手は、思ったより大きかった。
曲に合わせて二人は踊るものの、間に会話はなかった。少し先に、美都と和美が見えたけれど、二人は理香に気づくことなく、完全に二人の世界に入っていた。
美都たちだけではない。他のカップルも同じように、誰も理香の隣が篤志ではなく厳己であることに問いかけてくる生徒はいなかった。
また厳己も、言葉を交わしたのは最初だけで、踊りが始まると何も言わなくなった。
『固く考えなくていいからさ、別に踊ったからってつきあってるとか思わないし、ただ、せっかくだし、文化祭楽しみたいから』
そう厳己は言ったけれど、本当にこのままで、何も変わらずにこれから厳己と向き合っていけるのだろうか。
厳己だけじゃない。
篤志とも。
その名前を思い起こし、理香が俯いた時、流れる音楽に合わせることなくザクッと地面の砂を踏む足音がした。
それに合わせるようにして、厳己が足を止める。
前に進もうとする理香は、思わず厳己から手を離した。
どうしたのだろうと顔を上げたところで、理香は思わず息をのんだ。
篤志が、肩で息を吸いながら、二人の前に立っていた。
理香の視線に気づいた篤志は、そのままじっと理香を見ていた。それがあまりにまっすぐで、思わず理香は顔をそらした。
「ちょっと、進んでよ」
ふいに後ろのカップルからそう言われた。
フォークダンスは、ぐるぐると輪になってファイヤーストームを旋回するので、誰かが足を止めると、後ろがつかえるのだ。
どうしよう。
そう思う理香の耳に、篤志の声が聞こえる。
「すみません」
それが、後ろのカップルに言っているのだと理香が気づいた時には、篤志は厳己にこう言っていた。
「悪い、厳己」
厳己の返事はなかったものの、誰かが去っていく足音が聞こえ、理香は背後から再び手をつながれた。
アッチ…。
手をつながれただけで、理香はそれが篤志であることがわかった。
ずっと自分が欲していた手だ。
間違えるわけがない。
いつだって自分から手を伸ばして掴んでいたその手が、今は篤志の方から掴んでくれた。
少しして、篤志の声が理香の耳元に聞こえてきた。
「考えてみたんだ。オレたちの関係。何何だろうって」
理香はごくりと唾を飲み込んだ。
それが理香の問いかけに対する、篤志の答えだということが、理香にはもちろんわかっていた。
明るい音楽にのせて、篤志のいつになく真剣な声が、理香に響く。
「友達？恋人？家族？仲間？…色んな言葉が頭の中をぐるぐる回るんだけど、どれもしっくりこないんだ」
恋人じゃない。
その事実だけが理香の心に残った。
やっぱり、篤志はあたしのことを好きなわけじゃなかったんだ。
ほろりと涙があふれてきたが、篤志はそれに気付くことなく話を続ける。
「だけど、ひとつだけわかったことがある。
理香がいないと、オレてほんとダメなんだってこと。
つまり、オレたちの関係って、全部何だと思う。
友達だし、仲間だし、家族だし、恋人…でもある。
それじゃ、ダメかな」
曲が進み、理香は篤志を向かい合う形になり、すっと手が離れる。
通常ならば、ここでパートナーチェンジだ。
「あたしは―」
理香はそれだけ言うと、こみあげてくるすべてのものを吐き出すように言った。
「あたしは、アッチのこと好きだから」
あふれ出てくる涙を拭おうとした理香の手を、篤志がそっと取る。
涙はもはや哀しい涙ではなかった
「わかってる。ずっと前から」
篤志はそういうと、ポケットから何かを差し出した。
それは、理香が篤志に投げつけた御守だった。
静まりかえった教室には、朗らかなフォークダンスの曲が流れていた。
その中で、カタンと静かに教室のドアが閉められる。
教室にはただ一人、由太が残されていた。
一馬に言われ、亜紀子を由太は探し、亜紀子の教室で無事見つけることができた。
問いただし、一馬のことは自分の誤解だということを、由太はすぐに理解した。
外では騒がしいバンドの演奏も終わっていたし、早く行かねば後夜祭のダンスが始まってしまうと亜紀子の手を取ろうとしたところで、亜紀子は全てを語りだした。
その言葉には、迷いがなく、由太の言葉に耳を貸す猶予すらなく、宴の終わった教室にさびしく響いた。
後に残ったのは、由太だけだ。
亜紀子は誤解しているのだと伝えたかった。
出会いはどうであれ、亜紀子の告白を由太が受け入れた時、責任感がなかったとは言わない。
だが、それだけで付き合ったわけではないことは、この2年間が物語っている。
亜紀子だってわかっていたはずじゃないのか。
だが、軽いショックを受けながらも、由太が亜紀子を追いかけなかったのは、今の自分の気持ちにある。
仮に追いかけ、説得し、これ以上付き合い続けても、由太自身が二年前の由太には、もう戻れないのだ。
二年前には誰もいなかった心の奥には、今はひっそりとだが確かに萌子がいる。
…もしかして、気づいてたのか、あいつ。
ふとそう思い、由太ははっと顔を上げ、亜紀子を追いかけようとした。
が、そこで足を止める。
謝ってどうなるというのだ。
許してもらえるというのか。
そうして、誰が楽になれるというのか。
答えは明白だ。
楽になれるのは自分だけ。
例え由太の気持ちに亜紀子が気づいていようといまいと、付き合い続けることは、亜紀子を裏切り、傷つけるだけなのだと。
「…畜生」
由太は小さく呟くと、目の前にあった教卓を蹴倒した。
大きな音と埃が、静まりかえった教室いっぱいに広がった。
舞台裏でため息をつこうとすると、後ろから慌てて追いかけてきた俊平に、肩を叩かれた。
「二曲目のサビ、１番と２番間違えただろ」
ばれてたのか、と思いつつ、朔哉は視線を伏せる。
「…悪い」
その様子を見て、俊平は大きくため息をつく。
「まぁ一応、ばれてないみたいだったからいいけど。お前さ」
「え？」
腕を引っ張られるようにして、朔哉は俊平に引き寄せられると、小声でずばっと言われた。
「わかりやす過ぎ。沢木がいないから、ミスするなんて」
…これだから、俊平には隠しごとができない。
「ごめん」
謝ると、さっきよりも大きなため息が返ってきた。
「…ガキじゃねぇんだからさ。あいついなくても、ちゃんとやれよ」
俊平の言うことは、さっきから最もだ。
「そう、だよな」
後夜祭の熱もあり、生徒達は浮かれたように朔哉たちの演奏する曲に聞き入っていた。
来るように言っていたもののやってこなかった萌子の姿を、探すあまりに思わず歌詞を間違えた。それでもなんとかごまかし、無事３曲終えて、アンコールも受けてもう一曲演奏したものの、萌子の姿はどこにも見当たらなかった。
だからと言って、文化祭限定とはいえ、今年が最後になるこのバンドの演奏に、泥を塗ってはいけなかった。
背後で抱き合うメンバーの姿を見て、朔哉は反省した。
だけど…。
「でも…ごめん」
ぽつりと呟いた朔哉の言葉に、戸惑ったのは俊平の方だった。
俯きがちに朔哉は、独り言のように話を続ける。
「隣にいなくても、ミスをしないことはできるけど。
だけど萌子が隣にいると、きっと俺は、いつもの何倍も頑張れると思うんだ」
はぁーっと大きなため息の後、朔哉はゴンと頭を小突かれた。
「いってぇ…」
そう呟いて振り返ると、俊平が顔をひきつらせながら叫んだ。
「御馳走様っ。
つーかあいつ、どこに行ったわけ？このあと、コンテストの発表あるんだろ？」
投票はすでに締め切られていたけれど、結果はすでに見えている。
朔哉は空を見上げてから、ふわっと微笑んで答える。
「来るよ。必ず」
フォークダンスの輪は、大きく回り始めていた。
陽も傾き、ファイヤーストームが仲良くフォークダンスを踊る生徒たちを照らしている。
その中で右京は、踊る男女からは少し離れたところでじっとファイヤーストームを見つめていた。その先には、踊る生徒たちを嬉しそうに見つめながら、曲に合わせて軽く体を揺らしている紗依がいる。
凪浜に来る前は、周囲などどうでもよかった。
何より、自分の領域に踏み込まれたくなかった。
そうして作っていた壁を壊したのは、萌子だった。
それは小さな穴だったかもしれない。
しかし、それから右京は限られた部員ではあるが、自分の領域に踏み込んでくることを許すようになった。
だがそれでも、自分の領域を出て、他人に踏み込もうとは思わなかった。
興味がないと言えばそれまでだが、実際にその通りであった。
萌子に関しても、興味がある存在というのとも違った。
ただ、お互いの底辺に流れているいうなれば水脈が、不思議と心の奥底で繋がっているような、そんな存在だった。
だが、紗依はそれとはまた違う存在だった。
その人のすべてを知ってみたい、と、右京にとってサッカー以外のもので初めて欲求をもった相手だった。
楽しそうに微笑む紗依の姿が、炎越しに揺らめいている。
右京は、自然と昨日手に入れた御守をポケットの中で握りしめた。
小さなことだとは思うが、何か同じものを持っているということは、どこかでつながっているのだと思うことができた。
『試合とか、あと恋愛にも効くそうですっ』
右京にプレゼントしてくれた女子生徒が言っていたことだ。
恋愛…。
恋人は、いるんだろうか。その相手と、うまく行ってないのだろうか。
右京は今まで、試合に臨む時に御守を手にしたことはない。
そんなものを持つくらいなら、練習をした方が結果がでるのだと思っていたし、頼ろうと思ったこともなかったのだ。
頼りたいという気持ちは、概して状況がうまくいっていない時に出てくるものだから、紗依は恋愛が思うようにいっていないということになる。
聞いてみようか。
ふいにそう思いつき、右京は一歩踏み出そうとしたところで、足を止めた。
紗依がふいに横を向いたのだ。
そうして、笑顔で声を出す。どうやら誰かに話しかけているらしい。
誰だ…。
その視線を追いかけた右京は、相手を見つけたところで思わずごくりと唾を飲み込んだ。
相手は、サッカー部の監督である石橋だった。
石橋は、いつもと大して変わらない表情ではいたが、紗依は小走りに駆け寄ってまで、話しかけていた。
ゆったりと幸せの笑みを湛えるその表情は、今までに右京がみたことのない紗依の表情だった。
どういう、ことだ。
思わず後ずさりしながら、視線を左右に揺らした右京はその時、目に映った女子生徒たちの表情に初めて気づいた。
皆、紗依と同じように陶酔したような表情を浮かべて、一緒に踊っている男子生徒を見つめている。
頬を赤らめ、たまに相手から視線を外しながらも、すぐにその視線を男子生徒に向ける。
幸せが溢れている。
つまり…。
両手を握りしめると、自然と御守も握りしめていた。
右京はそれをポケットから出すと、一瞥したのち、無言で火の中に投げ込んだ。
御守は空を舞い、炎の中に消えていく。
数人のカップルがそれに気づき、右京の方を軽く見つめたが、グランドを出ていく右京を追いかけることもなく、すぐに二人の世界に入っていった。
軽く握った厳己の手は、思ったより大きかった。
曲に合わせて二人は踊るものの、間に会話はなかった。少し先に、美都と和美が見えたけれど、二人は理香に気づくことなく、完全に二人の世界に入っていた。
美都たちだけではない。他のカップルも同じように、誰も理香の隣が篤志ではなく厳己であることに問いかけてくる生徒はいなかった。
また厳己も、言葉を交わしたのは最初だけで、踊りが始まると何も言わなくなった。
『固く考えなくていいからさ、別に踊ったからってつきあってるとか思わないし、ただ、せっかくだし、文化祭楽しみたいから』
そう厳己は言ったけれど、本当にこのままで、何も変わらずにこれから厳己と向き合っていけるのだろうか。
厳己だけじゃない。
篤志とも。
その名前を思い起こし、理香が俯いた時、流れる音楽に合わせることなくザクッと地面の砂を踏む足音がした。
それに合わせるようにして、厳己が足を止める。
前に進もうとする理香は、思わず厳己から手を離した。
どうしたのだろうと顔を上げたところで、理香は思わず息をのんだ。
篤志が、肩で息を吸いながら、二人の前に立っていた。
理香の視線に気づいた篤志は、そのままじっと理香を見ていた。それがあまりにまっすぐで、思わず理香は顔をそらした。
「ちょっと、進んでよ」
ふいに後ろのカップルからそう言われた。
フォークダンスは、ぐるぐると輪になってファイヤーストームを旋回するので、誰かが足を止めると、後ろがつかえるのだ。
どうしよう。
そう思う理香の耳に、篤志の声が聞こえる。
「すみません」
それが、後ろのカップルに言っているのだと理香が気づいた時には、篤志は厳己にこう言っていた。
「悪い、厳己」
厳己の返事はなかったものの、誰かが去っていく足音が聞こえ、理香は背後から再び手をつながれた。
アッチ…。
手をつながれただけで、理香はそれが篤志であることがわかった。
ずっと自分が欲していた手だ。
間違えるわけがない。
いつだって自分から手を伸ばして掴んでいたその手が、今は篤志の方から掴んでくれた。
少しして、篤志の声が理香の耳元に聞こえてきた。
「考えてみたんだ。オレたちの関係。何何だろうって」
理香はごくりと唾を飲み込んだ。
それが理香の問いかけに対する、篤志の答えだということが、理香にはもちろんわかっていた。
明るい音楽にのせて、篤志のいつになく真剣な声が、理香に響く。
「友達？恋人？家族？仲間？…色んな言葉が頭の中をぐるぐる回るんだけど、どれもしっくりこないんだ」
恋人じゃない。
その事実だけが理香の心に残った。
やっぱり、篤志はあたしのことを好きなわけじゃなかったんだ。
ほろりと涙があふれてきたが、篤志はそれに気付くことなく話を続ける。
「だけど、ひとつだけわかったことがある。
理香がいないと、オレてほんとダメなんだってこと。
つまり、オレたちの関係って、全部何だと思う。
友達だし、仲間だし、家族だし、恋人…でもある。
それじゃ、ダメかな」
曲が進み、理香は篤志を向かい合う形になり、すっと手が離れる。
通常ならば、ここでパートナーチェンジだ。
「あたしは―」
理香はそれだけ言うと、こみあげてくるすべてのものを吐き出すように言った。
「あたしは、アッチのこと好きだから」
あふれ出てくる涙を拭おうとした理香の手を、篤志がそっと取る。
涙はもはや哀しい涙ではなかった
「わかってる。ずっと前から」
篤志はそういうと、ポケットから何かを差し出した。
それは、理香が篤志に投げつけた御守だった。
静まりかえった教室には、朗らかなフォークダンスの曲が流れていた。
その中で、カタンと静かに教室のドアが閉められる。
教室にはただ一人、由太が残されていた。
一馬に言われ、亜紀子を由太は探し、亜紀子の教室で無事見つけることができた。
問いただし、一馬のことは自分の誤解だということを、由太はすぐに理解した。
外では騒がしいバンドの演奏も終わっていたし、早く行かねば後夜祭のダンスが始まってしまうと亜紀子の手を取ろうとしたところで、亜紀子は全てを語りだした。
その言葉には、迷いがなく、由太の言葉に耳を貸す猶予すらなく、宴の終わった教室にさびしく響いた。
後に残ったのは、由太だけだ。
亜紀子は誤解しているのだと伝えたかった。
出会いはどうであれ、亜紀子の告白を由太が受け入れた時、責任感がなかったとは言わない。
だが、それだけで付き合ったわけではないことは、この2年間が物語っている。
亜紀子だってわかっていたはずじゃないのか。
だが、軽いショックを受けながらも、由太が亜紀子を追いかけなかったのは、今の自分の気持ちにある。
仮に追いかけ、説得し、これ以上付き合い続けても、由太自身が二年前の由太には、もう戻れないのだ。
二年前には誰もいなかった心の奥には、今はひっそりとだが確かに萌子がいる。
…もしかして、気づいてたのか、あいつ。
ふとそう思い、由太ははっと顔を上げ、亜紀子を追いかけようとした。
が、そこで足を止める。
謝ってどうなるというのだ。
許してもらえるというのか。
そうして、誰が楽になれるというのか。
答えは明白だ。
楽になれるのは自分だけ。
例え由太の気持ちに亜紀子が気づいていようといまいと、付き合い続けることは、亜紀子を裏切り、傷つけるだけなのだと。
「…畜生」
由太は小さく呟くと、目の前にあった教卓を蹴倒した。
大きな音と埃が、静まりかえった教室いっぱいに広がった。