Maybe Blue 第二部 凪より愛をこめて
秋霖10
「あれ？成。踊らないの？」
曲が始まったところで、いつまでも隣にいる湊がそう言った。
だから成も思わず答える。
「それはこっちのセリフ」
お互い、この文化祭中に女子生徒に後夜祭を誘われたことは、知っていた。
その結果が、ここにある。
湊がくすりと笑った。
「まあ、なんとなく予想してた展開だけどね」
「確かに」
フォークダンスには大きく分けて二つの輪があり、カップル用とは別に、一般用の輪もあるのだ。
基本は、全員参加だが、成も湊も、入りたいとは思っていない。だからひっそりと校庭の隅に移動していた。
その二人の隣にいたケンが、ふいに前の方を指して言う。
「お、厳己だ」
「お帰り」
「ただいま。…なんでみんなここにいるわけ？」
ケンがにやりと笑って言った。
「厳己を待ってたんだよ」
一瞬、目をぱちくりとさせた厳己だったが、すぐに笑顔になって答えた。
「ははは。まあ、予想されてた通りになったけど。でも、すっきりした」
「それはよかった」
「そういえば、知朗の風邪は？」
思い出した厳己が誰とはなしに尋ねた。
後夜祭は萌子と踊ると息巻いていた知朗だったけれど、昨日から原因不明の発熱で、文化祭自体休むことになってしまった。今朝はそれでも蒲団から這い出して、熱が引いたら、絶対に後夜祭に行くと赤い顔して言っていたのだ。
「来てないってことは、結局治らなかったってことじゃないのかな」
穏やかにそういう湊に、ケンが意地悪そうに言う。
「まあ、あいつはいない方がいいんじゃねぇの？」
それが萌子と朔哉のコンテストの優勝のことを言っているのは明らかだったが、成はそれには答えずに、近づいてきている選手権の予選のことを口にした。
「試合の方に全力投球してもらわないとね」
一気に現実を思い出したところで、厳己が楽しそうに言った。
「なんか、負け犬集団みたいだね、僕ら」
その言葉にムッとしたのはケンだ。
「何だと、厳己？そういうしみったれたこというんじゃねぇよ、ってか、俺は少なくとも負け犬じゃねぇしっ」
「まあまあ、落ち着いてケン」
「少しは怒れよ、湊。負け犬呼ばわりされたんだぞ」
睨むケンに、湊はさらりと答える。
「いや別に。勝ちか負けかなんてのは、自分が決めればいいことかなと」
それに便乗したように、厳己が言う。
「そうそう、そういうこと。彼女が来なかったんだから、ケンだって負け犬なんだよ」
「厳己の区分けだとね」
湊がフォローするようにそう言ったけれど、ケンは語気を荒くして言い返した。
「冗談じゃねぇよっ、亮子は法事で来れなかっただけだっつーの！」
その様子に、思わず成も口をはさんだ。
「本気にするなよ、ケン」
「何だ成。お前まで余裕こいて―」
ケンの矛先が成に向いた時、そこにいきなり大声が響いた。
「ちょっとそこの男子っ」
「うわっ、はいっ」
見ると、四人の目の前には、後夜祭実行委員と思しき女子生徒が、仁王立ちになって立っていた。
「せっかくなんだから、輪の中に入ってよ。
男子の人数が少なくて、割り振り合わなくて、大変なんだから」
「え？だって。カップルで参加するんじゃないんすか？」
思わずケンがそう答えると、先ほどよりも二倍以上の勢いで女子生徒は、ケンに怒鳴りつけた。
「それは、あっち。私が言ってるのは、そっちの輪。あんたたち負け犬にはそっちで十分よ。
みんな出会いを期待してるんだからっ。ほらっ早くしてっ」
ステージの裏側では、進行役の後夜祭実行委員が顔をひきつらせていた。
「福山先輩。あの、流石にこれ以上引き延ばすのは、ちょっと…」
ステージでは司会役の生徒が、なんとか話をつないでいるものの、主役の一人である萌子は変わらず姿を見せない。
終わりの時間は決まっているからと、十位から発表をしているものの、最後の一位の発表ができない状態だったのだ。
「いや、きっと来る、絶対来るからもう少し―」
その時、カツカツと騒々しい足音とともに、萌子が姿を見せた。
「ごめんなさいっ、朔哉さん。靴が慣れてなくて…」
朔哉がしてやったりの笑顔を見せる。
「ほら来た。…萌子、着替えは？」
制服姿の朔哉とは違い、萌子は今日の舞台で来ていた白いドレスのままだ。
「時間なくて…」
他の生徒たちも、制服姿の中で、明らかに萌子は目立つ。
とはいえ、着替える時間もない。
「ま…いっか」
腕組みをしていた朔哉がそう言ったのが合図のように、進行役の生徒が朔哉たちに言った。
「福山先輩っ。早くっ」
「わかった。じゃ行こう萌子」
朔哉はそう言うと、カーテンを開けて、萌子に声をかける。
そうなったところで萌子ははたと気づいた。
「そう言えば、これからステージで何するの？詳しいこと、何も聞いてないんだけど」
「いいよ。萌子はただ、俺の隣にいてくれればいいから」
一瞬、不安そうな表情を見せた萌子に、朔哉は手を差し出した。
「ほら」
萌子は小さく微笑んで、朔哉の手を取った。
「何だ？あの格好」
待たされた挙句、ようやく現れた萌子を見て、思わず和美がそう呟く。
隣で美都が答えた。
「舞台の衣裳よ。萌子ってば着替えられなかったのかな」
ドレスはシンプルな白いドレスだったけれど、舞台上ではひときわ輝いて見えている。
「でも、ウエディングドレスみたいで、…綺麗」
ベストカップルの証として、玩具のティアラを頭に付けた萌子は、まさしく花嫁のように見えた。
と、そんな萌子をいきなり朔哉が抱えあげる。
黄色い悲鳴が轟いた。
「…派手すぎだ、福山先輩」
和美がそう呟く隣で、美都もうっとりした表情で呟いていた。
「いいなあ、萌子」
遠くから見ても、萌子の頬は赤くなってはいたけれど、幸せがにじみ出ているのがわかった。
何より、お姫様だっこは、女子生徒にとっては、憧れなのだ。
「…今できるわけねぇだろ」
ぽつりと呟いた和美に、美都はハッとして言い訳をする。
「違うのっ、別にっ、そんなつもりじゃなくて―」
「…まあ、練習終わって、体力残ってたら、できるかもしんねぇけど」
その言葉に、美都は思わず聞き返した。
「ほんと？」
すると和美は顔を赤らめるとぷいっと横を向いて答えた。
「けっけどよ、体力残ってたらだぜ？試合近いし、文化祭で時間とられてたから、今日の練習メニュー厳しいはずだし」
美都は思わず大きな声で答えた。
「うん、がんばる！」
「…頑張るのは俺だろうが」
表彰式も終わり、萌子は一旦教室に戻って制服に着替えていた。遅い時間にはなっていたが、それでもこのあと軽く練習を行うことになっている。
朔哉と一緒に部室に向かおうとしたところで、萌子は声をかけられた。
「萌子さん、おめでとうございます」
「亜紀子ちゃん、ありがとう。どうかしたの？」
立ち去る様子のない亜紀子に、萌子はそう尋ねる。
「ちょっと。いいですか？」
亜紀子はにっこりと答えた。
けれどその笑顔にどこかぎこちなさを感じつつも、萌子は頷いた。
「うん。あまり時間ないけど。ごめん。朔哉さん。先に行っててくれる？」
「了解」
そう答えた朔哉の背中を見送る萌子に、亜紀子は尋ねた。
「今日も練習なんですか？」
その質問に萌子は違和感を覚える。
今までの亜紀子は、部外マネージャーのように、サッカー部の練習や試合の予定はほとんど頭に入っていた。
由太が望んだことかどうかはわからなかったが、そんな亜紀子が今日の練習の予定を知らないなんて、由太が言い忘れたのかしら、と思いつつ萌子は答える。
「うん。なにせ来週だからね。試合。
どうしたの？話って」
「あーっ、発見！」
いきなり大声が響いたかと思うと、追いかけてきた理香に、思わず司は背中をそむけた。理香はその背中を軽く、ぽこぽこと叩く。
「うわっ、何だよ小池」
「大槻先輩のせいですよっもうっ」
「あー、瑞希のことか？まあ、なんつーか。女ってこえーよな」
理香の手が止まってところで、隣の篤志が呟いた。
「…まとまってないんですけど。しかも反省する気ゼロだし」
「だって、あいつが勝手にやったことじゃねぇか。俺関係ねぇもん。
それに、なんだかんだつって、お前ら、逆にまとまったんじゃねぇのか？
だったら俺はむしろキューピットってヤツだろ？責められるべきじゃなくて、むしろ感謝される存在だ」
胸を張ってそう言われた理香は大きくため息をついて言い返す。
「大槻先輩って、恋する女の子の気持ち、全然わかってないんでしょう」
「残念ながら俺は男なもんでね」
はぁと大きなため息が響いた後で、その様子を見ていた俊平が代わりに答えた。
「ってゆーか本気で人を好きになったことないからな、こいつ」
その言い方に司はむっとしたように言い返す。
「俺はね、恋とか愛とか、そういうあいまいなものはいらないの。
この手で確かめられるものが好きなの」
理香は思わずイーっと顔をゆがめてから言い返した。
「いつかぜーったい、女の子に泣かされますよ」
「俺が？なかしてやったことは山ほどだけどな」
ニヤニヤと笑う司を見て、理香はもう一度キッと睨み返した。
まあまあと宥めた篤志は、ふと朔哉の隣にいるべき萌子がいないことに気づいた。
「あれ？萌子は？」
「いや、ちょっと呼び出されてさ」
「え？告白？」
驚いた表情でそう言った理香に、朔哉は自然と笑みを浮かべる。
「違う違う。相手は女子だよ、女の子。ああほら、高岡の彼女だ」
嘘でしょう、と言いたい言葉を押し殺し、萌子は目の前の亜紀子を見つめた。
しかしにっこりと微笑み返す亜紀子が、嘘をついているようには到底思えない。
萌子は真っ白になりかけた頭の中を、一旦整理しようともう一度聞き返す。
「ちょっと待って、どうして―」
どうして、由太と別れるの？
萌子の知るかぎり、由太と亜紀子は順風満帆に思えていた。
亭主関白の由太と、その後ろを三歩歩いてつき従う亜紀子。
目に余るほどのアツアツぶりではないにしても、二人の間にはそれでも静かに流れる愛情があった。
どうして？
何があったの？
だが、その全てを笑顔でかわし、亜紀子ははっきりと答えた。
「決めたんです。先輩にも、もう伝えてきました」
「でも―」
恋人たちが別れる理由は様々だ。
よくあるのが、心変わり。
だが、二人にとってそれはないだろうと萌子は自分の中で納得する。
だとしたら、他に理由があるのだとしたら、話くらいは聞いてあげれるし、もしかしたら何かアドバイスに乗ってあげられるのかもしれない。
私だけじゃない。みんなが、絶対にそうする。
しかし、亜紀子はその全てを拒否するように、萌子にきっぱりと告げた。
「先輩のことお願いします。ああ見えて、不器用だから」
萌子は何か言い返そうとしたが、亜紀子は深々と頭を下げたまま、萌子がいいと言うまで頭を上げなかった。
その日の練習は、軽めに切り上げられた。
明日からは通常通りの練習が始まるからと、二日続いた文化祭で疲れきった体を休める為でもある。
が、その多くは、クラスの打ち上げに参加するために、これ幸いとばかりに、学校を後にした。
その中で一人、右京はそれでもフリーキックの練習を続けていた。
流石に疲れているのか、いつもなら八割で決まるシュートも、今日は五割ほどにしかならない。
あらゆる苛立ちが右京を襲っていた。
「…畜生っ」
三連続外し、思わず右京はそう叫びながらボールを蹴る。
しかしそのようなシュートが決まるわけもなく、ボールはバーに当たって跳ね返ってきた。
畜生っ。
右京は両手をぐっと握りしめると、そのまま跳ね返ってきたボールを蹴ろうと、軽く前に向かう。
コロコロと転がってきたボールを蹴ろうと、まさしく右足を振り上げた時だった。
「っつっ！…」
今までにない痛みを左膝に感じ、思わず右京はグランドに倒れ込んだ。
蹴られるはずだったボールは、勢いをなくしながら、そのまま右京の脇を通り過ぎていく。
しかし右京にはそのボールを追いかける余裕はなかった。
膝の痛みは、インターハイから度々感じることがあったが、それでもこれほどの痛みはなく、少しすればまた元に戻る程度だった。
だから、誰にも言ってはいない。
そもそも、来週末からは、ほぼ毎週試合が組まれ、二ヶ月後には選手権の出場をかけた県大会決勝が、その二ヶ月後には本選である選手権大会が始まるのだ。
治してる暇などない。
それに、きっと。
少しすればまた元に戻る。
そう思う一方で、右京は今までにない不安にかられていた。