Maybe Blue 第二部 凪より愛をこめて
夏影9
夕食が終わり、いったん教室に戻った萌子と美都は、部員たちの洗濯物を畳んでいる理香に気づいて、思わず入り口で足を止めた。
それに気づいた理香は、振り返って「お帰り」というと、まだ戸惑っている二人に深々と頭を下げた。
「ごめんね。萌子。美都」
そう言って、にっこりと微笑む理香は、いつもの元気だった理香に思えて、萌子も美都も、畳み掛けるように尋ねた。
「大丈夫なの？」
「無理、してない？」
だが理香は、向日葵を思わせる満面の笑みを浮かべると、元気に答える。
「うん。大丈夫。平気。ご飯もがっつり食べちゃったの、実は」
「そうじゃなくて―」
篤志のこと、とは言えずにいる萌子に、
「いいの、もう」
と理香は言い切った。一瞬張り詰めた雰囲気を、理香は笑顔で壊すと、すっきりとした表情で答えた。
「峠は越したから。麻疹みたいなもんで、たまになるんだよね。
でも、もう大丈夫。だから、二人もアッチに変なこと言わないでね」
「…でも」
結局、二人の関係は変わってないんでしょ？
そう言いたそうな美都に、理香は洗濯物を畳みながら、さらりと答える。
「別に今に始まったことじゃないの。
アッチって、昔から面食いで、一目ぼればっかりで。
いつも高嶺の花の女の子ばかり狙って、ふられるの。
ふられて、自分で納得したら、そうしたら、いつものアッチに戻るの。
そうやってもう何年も、ずっと同じ繰り返してきたんだもん。
合宿が終われば、きっと元に戻ってる」
萌子と美都は顔を見合わせた。
確かに、理香に昨日までの焦りは見られない。
だからといって、先ほどからの言葉が、言いながら自分を言い聞かせているようにも、思えてしまうのだ。
それに、これが麻疹というのであれば、また次がないとも限らない。
「だけど、理香―」
萌子の言葉を遮って、理香は鞄の中からごそごそと何かを取り出すと、二人に向かって、封筒を差し出した。
「これ、迷惑かけた二人へのお詫び」
「え？」
受け取って、中を開けると、写真が二枚入っていた。
青空の下、朔哉と共に写っている自分がいる。
「球技大会の時に、撮った写真。
フィルム余ってて、合宿でも使うかなって持ってきてたんだけど、使わなさそうだったから、学校抜け出して、現像してきちゃった。
二人とも、いい顔してるでしょ」
「う…ん」
確かに朔哉は、空に負けないくらいの爽やかな笑顔を浮かべている。
その隣に立つ自分は、というと、視線も正面に向いているのではなく、どこか戸惑いつつも、笑顔を浮かべていた。
確かに戸惑っていたんだ、あの時は。
校内を二人で歩いていると、たまに写真を撮らせてほしいと言われることもあった。
そもそも、萌子は写真が苦手で、できれば断りたいと思うのだが、朔哉はそういったことは快く引き受けるタイプだった。
この時も、理香に乗せられるようにして、数枚写真を撮られていたら、他の知らない生徒たち数人までやってきて、理香に便乗するように写真を撮り始めたのだ。
怖くなり、逃げ出そうとする萌子の腰は、しっかりと朔哉に捕らえられており、結局萌子はそのまま無理やりな笑顔をつくり、我慢するしかなかった。
数分後、撮影会は終わったものの、萌子は疲れきってしまったことを覚えている。その反面、朔哉は変わらず清々しいまでの笑みを浮かべていた。
あの時、おそらく萌子は初めて感じたのだ。
アイドルとまで呼ばれる朔哉の存在を。
「ごめん、美都のは、和美君が目つぶっちゃってたね」
理香は、美都の写真を覗き込んでそういった。萌子もちらりと見ると、確かに和美の顔がこわばっている。
「仕方ないわ。和美君、写真嫌いだから、普通にとっても、顔が怖いし。
その点、萌子はいいなあ」
「え」
話が突然自分に振られ、萌子が戸惑っていると、理香が萌子の持っていた写真を一枚取り上げた。
「このままポスターにも使えそうだね」
「凪高の入学者募集のポスターなんか、どう？」
「いいね、あ、それならサッカー部の部員募集に使おうか？」
盛り上がる二人を尻目に、萌子はため息をつきながら視線を落とすと、次の写真も、ついさっき手にしていたものと同じ写真だった。
「あれ？二枚入ってる」
すると、理香がニヤニヤと笑いながら答えた。
「勿論。二人とも、大好きな彼氏に渡してくださいっ」
「げげ、蟻地獄・近藤が、渡り廊下のあたりうろついてる。
誰かの待ち伏せかよ」
校舎からシャワールームに、向かおうとしていた樹生は、渡り廊下付近で立っている良恵に気づいて、思わず柱の影に隠れた。
大げさにも思える樹生に、思わず望が口を開く。
「蟻地獄、って。ミッキー、さすがにその言い方は失礼なんじゃない？」
「そんなこといってっと、お前がターゲットにされるぞ」
えっ、と言ったまま、望もそのまま口を噤む。
偶然通りかかっていた成は、二人のその様子に思わず口を挟んだ。
「気になってたんだけどさ、その蟻地獄とか、寄生虫とかって、何？」
確か、樹生は、その寄生虫が、萌子を狙っているとか言っていたはずだ。
樹生はまるで子犬が尻尾を振っているように、嬉しそうな表情で話し始めた。
「聞いた話なんですけどね。
あいつ、一人じゃ何にもできないとかで、いつも誰かと一緒にいたがるらしいんすよ」
「だけど、そういう奴って普通にいるだろ」
逆もまたしかり、とチームメイトの顔を思い出しつつ成は答える。
すると樹生は、それだけじゃない、と力説した。
「それがただの仲良しこよしだけじゃなくって、もうひどいらしいっすよ。
話は一方的だし、くだらないし、色んな事お願いする割には、こっちが頼むと断るし。
だけど、あいつの作戦は、最初は、そんなことは微塵も感じさせないようにして近づいて、さりげなく周りから孤立させて、相手の逃げ場を無くしてから、そうするんだって。
おかげで、今もテニス部からはハブられてんですよ、あいつ。
仕事もやんないし、練習だって平気で休むし、あんなマネージャーいらないって、皆言ってるらしいっすよ。
だけど、あいつが辞めないから、この合宿で、徹底的に無視すれば、いい加減辞めるだろうって思ってたのに、なぜか萌子さんと仲良くなって。テニス部も、相手が萌子さんだから、何も言えなくないって困ってたし」
「詳しいね、ミッキー」
「つーか杉浦がさ」
「杉浦？」
聞いたことのない名前に、思わず成が尋ねると、何故か樹生は気まずそうに答えた。
「あ…、同じクラスの女子テニス部の奴です」
名前を聞いても、誰かもわからなかった成だが、
「別にテニス部が萌子に気を使うことないだろ」
と言うと、望がそれに答えてくれた。
「それは、早坂先輩だからですよ。
僕ら一年からすると、やっぱり萌子さんって、すごいですもん」
「すごい？」
確かに、サッカーに懸ける情熱はすごいかもしれない。
だけど、成からすると、萌子はもっと気さくな相手だった。
美人ではあるが、ツンとしている雰囲気もないし、おそらく自分がそう認めてないからだろうか、オーラを自ら発しているタイプではない。
しかし、望は興奮した口調で、予想していなかった答えを口にした。
「だって、あの福山先輩の彼女ですよ。しかも、それを誰からも認められてるなんて、すごくないですか？」
手にした封筒を見つめて、萌子は小さくため息をついた。
理香からもらったのだから、写真を朔哉に渡そうと思って渡り廊下まで来たものの、どうやって呼び出せばいいのかもわからない。
そういえば、今まで会えたのは、ここで朔哉さんが待ってくれていたからだった。
誰かが通るの、待ってればいいのかな。
それとも、校舎の窓辺に向かって、叫ぶとか？
朔哉のいる教室の場所は、萌子もわかっている。悩みながら、校舎の近くに行こうとすると、男子生徒の小さく怒鳴ったような声が聞こえてきた。
渡り廊下は、東西に２つあるのだが、今いる東側ではない、西側のようだ。
そろりそろりと近づくと、北校舎の柱に隠れるようにして、会話をしている美都と和美が見えた。
「ざけんなよっ、何だよ。この写真」
そういって美都に背を向けた和美の手には、写真が握られているのがわかる。
考えることは同じらしい。
美都は、そうやって恥ずかしがる和美に、くすくすと笑いかけると、自分は写真を大事そうに胸の前で握り締める。
「でも、私。この写真、大事にする。だって、和美君と一緒に写ってる写真だもん」
「バカッ、どうせなら…、もっといいのにしろよ」
「いいのって？」
「だからっ…もっと、ましなヤツ」
そうやって恥しがる和美を、美都は嬉しそうに見つめている。
おそらく、あの大きな目には、和美しか映っていないのだろう。
美都の心にも。
用事が済んだのか、和美は、軽く一言美都に言うと、そのまま駆け足で南校舎に戻っていった。
嬉しそうに小さく手を振っていた美都だったが、その背中が校舎に消えた途端、小さくため息をついた。それから、持っていた写真をじっと眺める。
それが、萌子にはしばらく会えない恋人を思う姿に見えて、思わず声をかけた。
「また明日会えるじゃない」
「萌子っ、いつからいたの？」
「ついさっき」
美都は萌子に驚きながらも、嬉しさを隠しきれない、といった表情のまま萌子の前までやってきた。
「全然気づかなかった。言ってくれればよかったのに。
写真ね、やっぱり和美君気に入らなかったみたい。そうよね、だって目、瞑っちゃってるから。でも、これでもまだ写りいい方だと思うのよ。
…どうしたの？萌子」
何も答えない萌子に気づき、美都は尋ねた。
萌子は、小首をかしげた美都に、微笑みながら答える。
「うん。美都、かわいいなと思って」
「え？そんなことないよっ」
萌子はゆっくりと首を左右に振った。
「和美と一緒にいて、幸せそうだった」
それに美都は、和美との話になると、饒舌になる。
本人は気づいてないようだが、それが美都の幸せのバロメーターでもあるのだ。
「萌子だってそうでしょう？福山先輩と一緒にいるときは」
急に話を振られて、萌子は首を傾げながら答える。
「そう、かな。どうだろ」
確かに、灯りのない家の前で別れるときは、もっと一緒にいてほしいと思う。
たまに、母親が気を使って朔哉の分までご飯を用意しており、一緒に食べれるときは、ほっと安心をする。
それでも、美都のように、朔哉だけしか見つめていないことがあっただろうか。
恍惚とした表情で、ただじっと見つめ続けたことがあっただろうか。
美都は、黙り込んだ萌子に向かって、その迷いを捨て去るように珍しくきっぱりと答えた。
「そうだよ。女の子は、好きな人と一緒にいるときが、一番幸せなんだよ。
理香だって、萌子だって。誰だって」
屋上に来たのは、考えごとをしたかったからだ。
いつまでも、未来を先延ばしにすることはできない。
あと一週間ほどすれば、インターハイは始まるし、
あと半年もすれば選手権が、
それから二ヶ月もすれば、俺たちは卒業していくのだ。
卒業。
今まで意識せずにおいた言葉が、急に目の前につきつけられた朔哉は、心の中でそうつぶやいた。
「決めたのか、進路」
突然響いた声に、朔哉は驚きもせず答えた。
「お前は？俊平」
屋上への入り方を知っているのは、ごく限られた人間だけだ。
サッカー部で言えば、朔哉と司、そして俊平だけが先輩たちから教わった。
「え」
自分にふられると思っていなかったのか、俊平の戸惑った声が聞こえた。
朔哉は振り返り、手にしていた手すりに、背をもたれて立ち尽くしている俊平に更に尋ねた。
「お前だって、大学のこととか考えてるんだろ。
地元か、それとも東京か。宮尾はどうするんだ？」
宮尾と聞いた俊平は、にやりと笑うと、朔哉の隣に向かいながら答えた。
「あいつは、ああみえて親思いだから、たぶんこの近くの大学にすると思う。
俺は…推薦の話もらったら、たぶんその呼ばれた大学に行くよ」
実際の話は未だらしいが、インターハイの活躍如何では、推薦の話は来るだろうというのが石橋の予想だった。おそらく俊平も、そう思っているのだろう。
「不安、ないのか？」
「お前はあるのか？」
逆に質問で返され、朔哉は答えに詰まった。
言葉にされると、そうだと思った。
不安だからこそ、卒業後のことを考えられないのだ。
サッカーではない。
萌子とのこと。
「自信持てよ、朔哉。コウさんなんか、好き勝手やってるじゃねぇか」
二代前のキャプテン・菊地光一は、確かに誰に気遣うことなく、自分の進みたい道へと進んでいる。恋人の美智子を置いて。
けれど、美智子は、それでも光一の隣にいる。
『周りの環境で、流されるようにしたくないし、そうしなくても、大丈夫だと思うから。ミチとなら』
ドイツに行くといった光一は、美智子とのことをそう言っていた。
確かにそうなのかもしれない。
だが、自分が同じように萌子のことを、言える自信はまだない。
黙りこんだ朔哉に、ため息をついて俊平は答えた。
「お前が沢木のために、凪に一年残るなんて言ったら、それこそ沢木は別れるっていうぜ。あいつは、そういう奴だ」
確かにそうだろう。
萌子は、自分の為だけに、朔哉に何かを強制することは無い。
練習で忙しく、デートができなくても、それでも何も言わない。
でも。
たまに思う。
無茶を言ってほしいって。
俺に我侭を言ってほしいって。
萌子にそう願うことは、間違っているんだろうか。
俺は、欲張っているんだろうか。
小さくため息をつくと、俊平に背中をバンと叩かれた。
「自分の惚れた女だろ。信じろよ。
信じなきゃ、何も始まらないだろう」
俊平、とその顔を見ると、照れたのか、俊平は腕組みをして顔を正面の海に向けて答えた。
「その上で、何か相談したいことがあれば、聞いてやる」
そのへそ曲がりな言い方しかできない俊平の優しさに、朔哉は微笑んで口を開く。
「偉そうだな」
「グランドの上じゃ、えばれないからな。いいだろ、屋上でくらいは」
屋上だけじゃないだろ、と思う気持ちを隠して、朔哉は夜空を見上げて答える。
「きっと、一年の頃だったら、プロを選んでたと思う。何も考えずに。
…なあ、俊平。神に選ばれた人間って、いるんだな」
「藤原か？」
すぐさま答える俊平に、朔哉は一度だけ頷いた。
「あいつには勝てない気がする」
「勝つって、ポジションも違うのにか？第一俺たちは同じチームだぜ」
「そういうことじゃない」
じゃあ何なのだ、と言われると、朔哉としてはうまく言葉が出てこない。
黙りこんでいると、俊平が朔哉に向かって言い返した。
「それは、お前だって、同じだ」
風呂上り、右京は一人で南と北校舎の間の道を歩いていた。
合宿という団体行動の見本とも言えるこの生活は、一人でいることが好きな右京にとっては、少し苦痛で、夜はこうして一人で夜風に吹かれることも多かった。
見上げる空には、星が瞬いている。
『藤原君もどう？』
頭の中を紗依の言葉が過った。
社交辞令なのはわかっていたけれど、それでも嬉しいと思ってしまう自分に、少し右京は苛立っていた。
「あっ、藤原先輩っ」
ふいに甲高い声で名前を呼ばれ、右京は視線と落とした。
見知らぬ女子生徒が、あわてたように自分に向かって駆け寄ってきた。
「これ、洗っておきました」
彼女はそういうと、右京が今朝萌子に渡したはずのＴシャツを差し出してきた。
右京は受け取らず、怪訝そうにその女子生徒の顔を一瞬見ると、彼女は慌てて話し始めた。
「あの、私っ、テニス部のマネージャーの近藤良美っていいます。
萌子さんとも仲がいいんですけど、サッカー部のマネージャーさん、色々あって大変そうだから、この洗濯も手伝ってあげることにしたんです。あ、他にも何かあればお手伝いします！」
にっこりと微笑む良恵から、右京はさっとＴシャツを奪うと、そのまま南校舎に入ろうとした。
「あのっ」
何も答えない右京に、不安を覚えたのか、良恵は右京の後を追いかけながら更に焦って叫んだ。
「あのっ。ほんと、何でも言ってくださいっ。洗濯でも、料理でも、買出しでも―」
「出て行け」
「え」
驚いている良恵に、右京は良恵の足元を指差して答えた。
「女子禁制だ」
「あ」
片足の半分が、南校舎にまで入り込んでいた。
慌てて一歩下がる良恵を無視して、右京はそのまま南校舎に消えていった。
足音に気づいて萌子が振り返ると、思ったとおりに成がそこに立っていた。
成のほうも、振り返った萌子に驚く様子も無く、むしろ目が合った途端に、お互いがくすっと笑い出してしまった。
笑い声は、目の前で響く海の波音にも負けずに、しばらくの間続いていた。
ひとしきり笑いあったところで、萌子は成に尋ねた。
「どうしたの？成」
あー、と小さくつぶやいた成は、頭をぽりぽりとかいて答えた。
「海が見たくなったから、なんとなく。
萌子は？」
「…私も」
そうしてまた二人は同時に笑い出す。
昨日と同じく、今日も月が綺麗だった。
笑い終わったところで、どちらともなく防波堤に座り込む。
足をぶらつかせながら海を見つめている萌子を見ていた成は、ふと萌子が手にしている封筒に気づいた。
「何それ？」
「これ…？写真」
萌子は封筒をあけて、その中から一枚の写真を抜き出し、成に手渡した。
理香の撮ってくれた写真は、朔哉との２ショットだけではなく、他にもいろいろあって、成にはサッカー部で撮った写真を渡した。
「苦手なんだよね、写真。撮られるのって」
「俺も」
「でも、たまに校内新聞に載ってるじゃない。成は」
サッカー部自体が注目されているということもあるのか、成はわりとよく新聞部が発行している校内新聞に写真が掲載されることがあった。
「あれは、サッカーやってるとこだからさ。意識してないだろ。だから」
「あ、そうか」
素直にそう答えると、ひどいな、と成が苦々しい顔で言った。
「ごめん」
「いやいいよ。ほんとだし」
そう言って成が返してくれたその集合写真も、確かに成の写りはいいとは言えない。
「そっちは？」
あ、と思っている間に、成は萌子が渡さずにいた写真を手にしていた。
そして、朔哉との写真を見つけると、しばし動きを止めていたが、萌子の真摯な眼差しに気づいて、慌てて言った。
「かっこ、いいね。やっぱり。福山さん。
萌子も…、似合ってる」
「ほんとに？」
軽く言ったつもりの言葉に、萌子が必死な表情でそう尋ねてきた。
「…萌子？」
どうかしたのか。
そう思って成が、名前を呼ぶと、萌子は自分の両膝を抱き寄せて、小さくなるとぽつりとつぶやいた。
「最近たまにね、息苦しくなる気がするの。
笑顔でいなきゃいけないし、
誰にも優しくしなきゃいけないし、
ミスもしちゃいけない。
理想のカップルなんて言われて、いつどこで、誰が見てるのかも、わからないから、気も抜けない。私−」
「それは、…福山さんの恋人だから？」
成の呟きに、萌子は突然立ち上がった。
「もえ−」
引きとめようとする成を振り返りもせず、
「ごめん成。今の、聞かなかったことにして」
萌子はそう言い残すと、成が言うのも聞かずに、足早に去っていった。
それに気づいた理香は、振り返って「お帰り」というと、まだ戸惑っている二人に深々と頭を下げた。
「ごめんね。萌子。美都」
そう言って、にっこりと微笑む理香は、いつもの元気だった理香に思えて、萌子も美都も、畳み掛けるように尋ねた。
「大丈夫なの？」
「無理、してない？」
だが理香は、向日葵を思わせる満面の笑みを浮かべると、元気に答える。
「うん。大丈夫。平気。ご飯もがっつり食べちゃったの、実は」
「そうじゃなくて―」
篤志のこと、とは言えずにいる萌子に、
「いいの、もう」
と理香は言い切った。一瞬張り詰めた雰囲気を、理香は笑顔で壊すと、すっきりとした表情で答えた。
「峠は越したから。麻疹みたいなもんで、たまになるんだよね。
でも、もう大丈夫。だから、二人もアッチに変なこと言わないでね」
「…でも」
結局、二人の関係は変わってないんでしょ？
そう言いたそうな美都に、理香は洗濯物を畳みながら、さらりと答える。
「別に今に始まったことじゃないの。
アッチって、昔から面食いで、一目ぼればっかりで。
いつも高嶺の花の女の子ばかり狙って、ふられるの。
ふられて、自分で納得したら、そうしたら、いつものアッチに戻るの。
そうやってもう何年も、ずっと同じ繰り返してきたんだもん。
合宿が終われば、きっと元に戻ってる」
萌子と美都は顔を見合わせた。
確かに、理香に昨日までの焦りは見られない。
だからといって、先ほどからの言葉が、言いながら自分を言い聞かせているようにも、思えてしまうのだ。
それに、これが麻疹というのであれば、また次がないとも限らない。
「だけど、理香―」
萌子の言葉を遮って、理香は鞄の中からごそごそと何かを取り出すと、二人に向かって、封筒を差し出した。
「これ、迷惑かけた二人へのお詫び」
「え？」
受け取って、中を開けると、写真が二枚入っていた。
青空の下、朔哉と共に写っている自分がいる。
「球技大会の時に、撮った写真。
フィルム余ってて、合宿でも使うかなって持ってきてたんだけど、使わなさそうだったから、学校抜け出して、現像してきちゃった。
二人とも、いい顔してるでしょ」
「う…ん」
確かに朔哉は、空に負けないくらいの爽やかな笑顔を浮かべている。
その隣に立つ自分は、というと、視線も正面に向いているのではなく、どこか戸惑いつつも、笑顔を浮かべていた。
確かに戸惑っていたんだ、あの時は。
校内を二人で歩いていると、たまに写真を撮らせてほしいと言われることもあった。
そもそも、萌子は写真が苦手で、できれば断りたいと思うのだが、朔哉はそういったことは快く引き受けるタイプだった。
この時も、理香に乗せられるようにして、数枚写真を撮られていたら、他の知らない生徒たち数人までやってきて、理香に便乗するように写真を撮り始めたのだ。
怖くなり、逃げ出そうとする萌子の腰は、しっかりと朔哉に捕らえられており、結局萌子はそのまま無理やりな笑顔をつくり、我慢するしかなかった。
数分後、撮影会は終わったものの、萌子は疲れきってしまったことを覚えている。その反面、朔哉は変わらず清々しいまでの笑みを浮かべていた。
あの時、おそらく萌子は初めて感じたのだ。
アイドルとまで呼ばれる朔哉の存在を。
「ごめん、美都のは、和美君が目つぶっちゃってたね」
理香は、美都の写真を覗き込んでそういった。萌子もちらりと見ると、確かに和美の顔がこわばっている。
「仕方ないわ。和美君、写真嫌いだから、普通にとっても、顔が怖いし。
その点、萌子はいいなあ」
「え」
話が突然自分に振られ、萌子が戸惑っていると、理香が萌子の持っていた写真を一枚取り上げた。
「このままポスターにも使えそうだね」
「凪高の入学者募集のポスターなんか、どう？」
「いいね、あ、それならサッカー部の部員募集に使おうか？」
盛り上がる二人を尻目に、萌子はため息をつきながら視線を落とすと、次の写真も、ついさっき手にしていたものと同じ写真だった。
「あれ？二枚入ってる」
すると、理香がニヤニヤと笑いながら答えた。
「勿論。二人とも、大好きな彼氏に渡してくださいっ」
「げげ、蟻地獄・近藤が、渡り廊下のあたりうろついてる。
誰かの待ち伏せかよ」
校舎からシャワールームに、向かおうとしていた樹生は、渡り廊下付近で立っている良恵に気づいて、思わず柱の影に隠れた。
大げさにも思える樹生に、思わず望が口を開く。
「蟻地獄、って。ミッキー、さすがにその言い方は失礼なんじゃない？」
「そんなこといってっと、お前がターゲットにされるぞ」
えっ、と言ったまま、望もそのまま口を噤む。
偶然通りかかっていた成は、二人のその様子に思わず口を挟んだ。
「気になってたんだけどさ、その蟻地獄とか、寄生虫とかって、何？」
確か、樹生は、その寄生虫が、萌子を狙っているとか言っていたはずだ。
樹生はまるで子犬が尻尾を振っているように、嬉しそうな表情で話し始めた。
「聞いた話なんですけどね。
あいつ、一人じゃ何にもできないとかで、いつも誰かと一緒にいたがるらしいんすよ」
「だけど、そういう奴って普通にいるだろ」
逆もまたしかり、とチームメイトの顔を思い出しつつ成は答える。
すると樹生は、それだけじゃない、と力説した。
「それがただの仲良しこよしだけじゃなくって、もうひどいらしいっすよ。
話は一方的だし、くだらないし、色んな事お願いする割には、こっちが頼むと断るし。
だけど、あいつの作戦は、最初は、そんなことは微塵も感じさせないようにして近づいて、さりげなく周りから孤立させて、相手の逃げ場を無くしてから、そうするんだって。
おかげで、今もテニス部からはハブられてんですよ、あいつ。
仕事もやんないし、練習だって平気で休むし、あんなマネージャーいらないって、皆言ってるらしいっすよ。
だけど、あいつが辞めないから、この合宿で、徹底的に無視すれば、いい加減辞めるだろうって思ってたのに、なぜか萌子さんと仲良くなって。テニス部も、相手が萌子さんだから、何も言えなくないって困ってたし」
「詳しいね、ミッキー」
「つーか杉浦がさ」
「杉浦？」
聞いたことのない名前に、思わず成が尋ねると、何故か樹生は気まずそうに答えた。
「あ…、同じクラスの女子テニス部の奴です」
名前を聞いても、誰かもわからなかった成だが、
「別にテニス部が萌子に気を使うことないだろ」
と言うと、望がそれに答えてくれた。
「それは、早坂先輩だからですよ。
僕ら一年からすると、やっぱり萌子さんって、すごいですもん」
「すごい？」
確かに、サッカーに懸ける情熱はすごいかもしれない。
だけど、成からすると、萌子はもっと気さくな相手だった。
美人ではあるが、ツンとしている雰囲気もないし、おそらく自分がそう認めてないからだろうか、オーラを自ら発しているタイプではない。
しかし、望は興奮した口調で、予想していなかった答えを口にした。
「だって、あの福山先輩の彼女ですよ。しかも、それを誰からも認められてるなんて、すごくないですか？」
手にした封筒を見つめて、萌子は小さくため息をついた。
理香からもらったのだから、写真を朔哉に渡そうと思って渡り廊下まで来たものの、どうやって呼び出せばいいのかもわからない。
そういえば、今まで会えたのは、ここで朔哉さんが待ってくれていたからだった。
誰かが通るの、待ってればいいのかな。
それとも、校舎の窓辺に向かって、叫ぶとか？
朔哉のいる教室の場所は、萌子もわかっている。悩みながら、校舎の近くに行こうとすると、男子生徒の小さく怒鳴ったような声が聞こえてきた。
渡り廊下は、東西に２つあるのだが、今いる東側ではない、西側のようだ。
そろりそろりと近づくと、北校舎の柱に隠れるようにして、会話をしている美都と和美が見えた。
「ざけんなよっ、何だよ。この写真」
そういって美都に背を向けた和美の手には、写真が握られているのがわかる。
考えることは同じらしい。
美都は、そうやって恥ずかしがる和美に、くすくすと笑いかけると、自分は写真を大事そうに胸の前で握り締める。
「でも、私。この写真、大事にする。だって、和美君と一緒に写ってる写真だもん」
「バカッ、どうせなら…、もっといいのにしろよ」
「いいのって？」
「だからっ…もっと、ましなヤツ」
そうやって恥しがる和美を、美都は嬉しそうに見つめている。
おそらく、あの大きな目には、和美しか映っていないのだろう。
美都の心にも。
用事が済んだのか、和美は、軽く一言美都に言うと、そのまま駆け足で南校舎に戻っていった。
嬉しそうに小さく手を振っていた美都だったが、その背中が校舎に消えた途端、小さくため息をついた。それから、持っていた写真をじっと眺める。
それが、萌子にはしばらく会えない恋人を思う姿に見えて、思わず声をかけた。
「また明日会えるじゃない」
「萌子っ、いつからいたの？」
「ついさっき」
美都は萌子に驚きながらも、嬉しさを隠しきれない、といった表情のまま萌子の前までやってきた。
「全然気づかなかった。言ってくれればよかったのに。
写真ね、やっぱり和美君気に入らなかったみたい。そうよね、だって目、瞑っちゃってるから。でも、これでもまだ写りいい方だと思うのよ。
…どうしたの？萌子」
何も答えない萌子に気づき、美都は尋ねた。
萌子は、小首をかしげた美都に、微笑みながら答える。
「うん。美都、かわいいなと思って」
「え？そんなことないよっ」
萌子はゆっくりと首を左右に振った。
「和美と一緒にいて、幸せそうだった」
それに美都は、和美との話になると、饒舌になる。
本人は気づいてないようだが、それが美都の幸せのバロメーターでもあるのだ。
「萌子だってそうでしょう？福山先輩と一緒にいるときは」
急に話を振られて、萌子は首を傾げながら答える。
「そう、かな。どうだろ」
確かに、灯りのない家の前で別れるときは、もっと一緒にいてほしいと思う。
たまに、母親が気を使って朔哉の分までご飯を用意しており、一緒に食べれるときは、ほっと安心をする。
それでも、美都のように、朔哉だけしか見つめていないことがあっただろうか。
恍惚とした表情で、ただじっと見つめ続けたことがあっただろうか。
美都は、黙り込んだ萌子に向かって、その迷いを捨て去るように珍しくきっぱりと答えた。
「そうだよ。女の子は、好きな人と一緒にいるときが、一番幸せなんだよ。
理香だって、萌子だって。誰だって」
屋上に来たのは、考えごとをしたかったからだ。
いつまでも、未来を先延ばしにすることはできない。
あと一週間ほどすれば、インターハイは始まるし、
あと半年もすれば選手権が、
それから二ヶ月もすれば、俺たちは卒業していくのだ。
卒業。
今まで意識せずにおいた言葉が、急に目の前につきつけられた朔哉は、心の中でそうつぶやいた。
「決めたのか、進路」
突然響いた声に、朔哉は驚きもせず答えた。
「お前は？俊平」
屋上への入り方を知っているのは、ごく限られた人間だけだ。
サッカー部で言えば、朔哉と司、そして俊平だけが先輩たちから教わった。
「え」
自分にふられると思っていなかったのか、俊平の戸惑った声が聞こえた。
朔哉は振り返り、手にしていた手すりに、背をもたれて立ち尽くしている俊平に更に尋ねた。
「お前だって、大学のこととか考えてるんだろ。
地元か、それとも東京か。宮尾はどうするんだ？」
宮尾と聞いた俊平は、にやりと笑うと、朔哉の隣に向かいながら答えた。
「あいつは、ああみえて親思いだから、たぶんこの近くの大学にすると思う。
俺は…推薦の話もらったら、たぶんその呼ばれた大学に行くよ」
実際の話は未だらしいが、インターハイの活躍如何では、推薦の話は来るだろうというのが石橋の予想だった。おそらく俊平も、そう思っているのだろう。
「不安、ないのか？」
「お前はあるのか？」
逆に質問で返され、朔哉は答えに詰まった。
言葉にされると、そうだと思った。
不安だからこそ、卒業後のことを考えられないのだ。
サッカーではない。
萌子とのこと。
「自信持てよ、朔哉。コウさんなんか、好き勝手やってるじゃねぇか」
二代前のキャプテン・菊地光一は、確かに誰に気遣うことなく、自分の進みたい道へと進んでいる。恋人の美智子を置いて。
けれど、美智子は、それでも光一の隣にいる。
『周りの環境で、流されるようにしたくないし、そうしなくても、大丈夫だと思うから。ミチとなら』
ドイツに行くといった光一は、美智子とのことをそう言っていた。
確かにそうなのかもしれない。
だが、自分が同じように萌子のことを、言える自信はまだない。
黙りこんだ朔哉に、ため息をついて俊平は答えた。
「お前が沢木のために、凪に一年残るなんて言ったら、それこそ沢木は別れるっていうぜ。あいつは、そういう奴だ」
確かにそうだろう。
萌子は、自分の為だけに、朔哉に何かを強制することは無い。
練習で忙しく、デートができなくても、それでも何も言わない。
でも。
たまに思う。
無茶を言ってほしいって。
俺に我侭を言ってほしいって。
萌子にそう願うことは、間違っているんだろうか。
俺は、欲張っているんだろうか。
小さくため息をつくと、俊平に背中をバンと叩かれた。
「自分の惚れた女だろ。信じろよ。
信じなきゃ、何も始まらないだろう」
俊平、とその顔を見ると、照れたのか、俊平は腕組みをして顔を正面の海に向けて答えた。
「その上で、何か相談したいことがあれば、聞いてやる」
そのへそ曲がりな言い方しかできない俊平の優しさに、朔哉は微笑んで口を開く。
「偉そうだな」
「グランドの上じゃ、えばれないからな。いいだろ、屋上でくらいは」
屋上だけじゃないだろ、と思う気持ちを隠して、朔哉は夜空を見上げて答える。
「きっと、一年の頃だったら、プロを選んでたと思う。何も考えずに。
…なあ、俊平。神に選ばれた人間って、いるんだな」
「藤原か？」
すぐさま答える俊平に、朔哉は一度だけ頷いた。
「あいつには勝てない気がする」
「勝つって、ポジションも違うのにか？第一俺たちは同じチームだぜ」
「そういうことじゃない」
じゃあ何なのだ、と言われると、朔哉としてはうまく言葉が出てこない。
黙りこんでいると、俊平が朔哉に向かって言い返した。
「それは、お前だって、同じだ」
風呂上り、右京は一人で南と北校舎の間の道を歩いていた。
合宿という団体行動の見本とも言えるこの生活は、一人でいることが好きな右京にとっては、少し苦痛で、夜はこうして一人で夜風に吹かれることも多かった。
見上げる空には、星が瞬いている。
『藤原君もどう？』
頭の中を紗依の言葉が過った。
社交辞令なのはわかっていたけれど、それでも嬉しいと思ってしまう自分に、少し右京は苛立っていた。
「あっ、藤原先輩っ」
ふいに甲高い声で名前を呼ばれ、右京は視線と落とした。
見知らぬ女子生徒が、あわてたように自分に向かって駆け寄ってきた。
「これ、洗っておきました」
彼女はそういうと、右京が今朝萌子に渡したはずのＴシャツを差し出してきた。
右京は受け取らず、怪訝そうにその女子生徒の顔を一瞬見ると、彼女は慌てて話し始めた。
「あの、私っ、テニス部のマネージャーの近藤良美っていいます。
萌子さんとも仲がいいんですけど、サッカー部のマネージャーさん、色々あって大変そうだから、この洗濯も手伝ってあげることにしたんです。あ、他にも何かあればお手伝いします！」
にっこりと微笑む良恵から、右京はさっとＴシャツを奪うと、そのまま南校舎に入ろうとした。
「あのっ」
何も答えない右京に、不安を覚えたのか、良恵は右京の後を追いかけながら更に焦って叫んだ。
「あのっ。ほんと、何でも言ってくださいっ。洗濯でも、料理でも、買出しでも―」
「出て行け」
「え」
驚いている良恵に、右京は良恵の足元を指差して答えた。
「女子禁制だ」
「あ」
片足の半分が、南校舎にまで入り込んでいた。
慌てて一歩下がる良恵を無視して、右京はそのまま南校舎に消えていった。
足音に気づいて萌子が振り返ると、思ったとおりに成がそこに立っていた。
成のほうも、振り返った萌子に驚く様子も無く、むしろ目が合った途端に、お互いがくすっと笑い出してしまった。
笑い声は、目の前で響く海の波音にも負けずに、しばらくの間続いていた。
ひとしきり笑いあったところで、萌子は成に尋ねた。
「どうしたの？成」
あー、と小さくつぶやいた成は、頭をぽりぽりとかいて答えた。
「海が見たくなったから、なんとなく。
萌子は？」
「…私も」
そうしてまた二人は同時に笑い出す。
昨日と同じく、今日も月が綺麗だった。
笑い終わったところで、どちらともなく防波堤に座り込む。
足をぶらつかせながら海を見つめている萌子を見ていた成は、ふと萌子が手にしている封筒に気づいた。
「何それ？」
「これ…？写真」
萌子は封筒をあけて、その中から一枚の写真を抜き出し、成に手渡した。
理香の撮ってくれた写真は、朔哉との２ショットだけではなく、他にもいろいろあって、成にはサッカー部で撮った写真を渡した。
「苦手なんだよね、写真。撮られるのって」
「俺も」
「でも、たまに校内新聞に載ってるじゃない。成は」
サッカー部自体が注目されているということもあるのか、成はわりとよく新聞部が発行している校内新聞に写真が掲載されることがあった。
「あれは、サッカーやってるとこだからさ。意識してないだろ。だから」
「あ、そうか」
素直にそう答えると、ひどいな、と成が苦々しい顔で言った。
「ごめん」
「いやいいよ。ほんとだし」
そう言って成が返してくれたその集合写真も、確かに成の写りはいいとは言えない。
「そっちは？」
あ、と思っている間に、成は萌子が渡さずにいた写真を手にしていた。
そして、朔哉との写真を見つけると、しばし動きを止めていたが、萌子の真摯な眼差しに気づいて、慌てて言った。
「かっこ、いいね。やっぱり。福山さん。
萌子も…、似合ってる」
「ほんとに？」
軽く言ったつもりの言葉に、萌子が必死な表情でそう尋ねてきた。
「…萌子？」
どうかしたのか。
そう思って成が、名前を呼ぶと、萌子は自分の両膝を抱き寄せて、小さくなるとぽつりとつぶやいた。
「最近たまにね、息苦しくなる気がするの。
笑顔でいなきゃいけないし、
誰にも優しくしなきゃいけないし、
ミスもしちゃいけない。
理想のカップルなんて言われて、いつどこで、誰が見てるのかも、わからないから、気も抜けない。私−」
「それは、…福山さんの恋人だから？」
成の呟きに、萌子は突然立ち上がった。
「もえ−」
引きとめようとする成を振り返りもせず、
「ごめん成。今の、聞かなかったことにして」
萌子はそう言い残すと、成が言うのも聞かずに、足早に去っていった。