Maybe Blue 第二部 凪より愛をこめて
冬燈4
部活が終わると、湊はひとりアルジャーノンに来ていた。
頼んだカフェオレを一口飲み、ふぅ、と一息つく。
一馬は今日はバイトが入ってないらしく、店にはマスター以外、湊の知っている顔もなかった。
だが湊には、逆にその方が助かった。
どこにいても、サッカー部の誰かがいることは、寂しさを感じることのない分、時に疲れることもある。
そういう時、湊はこのアルジャーノンに来て、カフェオレをのみ、一息ついているのだ。
部の雰囲気が、ここ最近はずっと張りつめている。
原因は、由太のワンマンっぷりなのだが、正しいことを言っているだけに、誰も口出しできない。
そうすると、皆が湊に訴えてくるのだ。
「由太のこと、なんとかしてくれよ、湊」
「和泉先輩、高岡先輩、ちょっと厳しすぎますよ。もう少し緩くしてくれないと、こっちもついていけません」
いつもであれば、快く仲介役をかってでる湊だが、今回は違った。
そんな湊を見て、頼ってきた連中がこっそり言っているのがわかる。
「やっぱり湊も副キャプテン外されたことに腹立ててるんだよ」
「監督も、どうして高津先輩なんか選んだんだろう」
監督がどうして興仁を選んだのかは、湊は知らない。
だが、自分が副キャプテンを外された理由は、なんとなくわかっている。
「お前のサッカーは、どういうサッカーだ。和泉」
新チームの発表の前、練習の時に石橋に呼び止められてそう聞かれたことがあった。
湊は戸惑いながら聞き返した。
「どういうサッカー？監督、それはどういう意味でしょうか」
すると石橋は、湊の質問に満足そうな笑みを浮かべて聞き返した。
「つまり、お前の長所は何だ。得意なプレー、好きなプレーは何だ」
「それは…」
そう言ってはみたものの、次の言葉が出てこない。
得意なプレー、それは後方から駆け上がったサイドからの攻撃だったはずだ。
だがここ最近、湊はそういうプレーをしていない。
上がって成功すればいいが、逆に敵にボールを取られれば、いるべき湊のスペースに空きができ、そこを敵が攻めてくる。カバーするのは自分がバックに残してきた選手たちだ。
それに、サイドからのセンタリングは、自分ではなくてもできる。
そう思うと、どうしてか湊は上がることができずに、前方にボールを蹴りだしてしまっていた。
だけど、全員が攻撃をすればいいとよいというわけではない。
それぞれの役割があって、自分には今のポジションが、プレー的にも、部的にもいいと思っている。
そう思った湊の気持ちを見透かしたように、石橋は言った。
「確かにな、あれだけ個性の強いメンバーばかりだ。お前みたいに仲介役がいなけりゃ、やっていけないのもわかる。
だが、お前はその役に徹しすぎて、自分を見失っている。
俺はそう思ったが、お前自身はそう思わんか？」
その言葉を思い出し、湊はじっと手に持ったカップを見つめる。
俺のプレー。
俺の長所。
俺って…。
その時、ドアの開く音と、少し遅れて、あ、と誰かに気づいたような声が聞こえてきた。
反射的にその方向を見ると、美都が一人で立っていた。
「湊くん、珍しいね。一人なんて」
「ああ。成はちょっと用事ができたみたいだったからさ。
俺より、椎名の方こそ、一人なんて珍しい」
「理香が担任に呼ばれてたのを思い出したみたいで、職員室に顔出してるの。
それまでここで待っててって」
そういうと、美都は隣に座っていいかと湊に尋ね、頷くと素直に座った。
マスターがやってきて、美都の注文を聞く。その間、ドアが開いて凪浜の制服を着た女子高生が二人入ってきて、ちらりと湊と美都の方を見た。湊は知らない 顔だったが、その視線が一瞬湊と美都の間を探る視線だったような気がして、湊はカップを下ろすと、なんとなく美都と距離を置くように椅子にもたれかかっ た。
自分は何を言われても構わないが、美都は違う。
和美という恋人がいて、おまけに和美はやきもち焼きだ。
喫茶店で湊とはいえ男と二人でお茶をしていたなんて聞いたら、それこそ美都を怒鳴りつけるに違いない。
…早く小池、来ないかなあ。
湊は少し弾んだ気持ちを抑え、そう思いながらため息をついた。
すると、それに気づいた美都が心配そうに言った。
「湊くん、ここ最近元気ないね」
「え？」
美都はそう言うと、それって…と口ごもってから、決心したように言った。
「やっぱり、副キャプテンなれなかったこと、気にしてるの？」
「いや、それは―」
「皆ね、湊くんがなるべきだったって思ってるよ。別に、高津君が悪いってわけじゃないけど。
やっぱり向き不向きってあるし、
それに高津君じゃ、高岡君とまともに話できないでしょう？
理香も言ってるの。監督に抗議すべきだって」
そう言った美都に、湊は口元を引き締める。
確かに、心配そうに自分を見つめる美都を見て、鼓動が弾んだ。
気にかけてもらえていたことに、湊は喜んだのだ。
けれど、美都の言っていることは、周囲が勝手に噂していることで、湊自身はそうは思っていない。だが、それを信じていた美都には、少しがっかりした。
そうしてそうやって一喜一憂している自分に気づき、湊は心の中でため息をついた。
それで、自分はどうしてもらいたいというのだ。
何も求めない。
ただ自分だけが抱えていればいい感情。
そう思ってはいたのに、自分をわかってくれてほしいと、心の底では思ってる。
自分勝手、だな。
湊はひとり自嘲気味になりすぎないように微笑むと、首をゆっくり左右に振った。
「そんなことないよ。興仁だって、ちゃんと由太と話は出来る。
ただ、今は由太に余裕がないだけ。
監督も考えて決めたことなんだし、俺は納得してるよ」
「でも―」
「言われたんだ。監督に。
仲介役に徹しすぎて、自分を見失ってないかって。
正直、答えられなかった」
「湊くん」
美都が励ますように自分の名前を呼んだ。
それで十分じゃないか。
仲間という関係で、いいと。
同じ夢を見ることのできる、仲間でいいと。
そうして彼女を影から支えていければいい。
そう思ったのは自分なのだ。
そうして湊はふと気づく。
「結局、怠惰なだけかなって思ったんだ。
監督の言葉を聞いて」
そう、惰性。
部活のことも、
椎名のことも。
相手のことを思ってだなんて、偉そうに言っていたくせに、
本当は自分のためだったんだ。
「今まで通りやれば、何も問題が起きない。
平穏無事にやっていける」
そうやって、新しいことからもすべて逃げてきていた。
新しいサッカースタイル、
新しい環境、
新しい、恋。
「だけどそれじゃ、前進することはできない」
湊がそう言って立ち上がると同時に、再びドアが開いて、息を切らせた理香が顔を出した。
「ごめん、美都。遅れちゃった。あれ？湊くん？」
湊は理香ににっこりとほほ笑むと、マスターに二人分の代金を渡して、座り込んでいる美都に向かって言った。
「それじゃ椎名、お先に。お疲れ様、小池」
萌子がミーティングルームをのぞくと、由太が一人椅子に座って何か書き物をしている。
おそらく部誌のチェックだろう、と萌子は思った。
その日の練習メニュー、部員達の調子など、今まで萌子たちマネージャーが書いていたものに、最近見慣れない字が書き加えられることが多々あった。
それが由太だと言うことに気づいたのは、今のところ萌子だけのようで、理香や美都はそれについて何も言っていない。
人に厳しく言うだけあって、由太は由太で努力をしているのだ。
一人遅くまで残って、その日の反省をする。
次の日は一番早くに部室にやってきて、部室の空気を入れ替える。
それは小さなことだが、毎日続けるのはとても大変であることは、それまでやっていた萌子にはよくわかる。
だが由太は、そういう姿を他人に決して見せない。
格好悪いというのもあるだろうが、それよりもそうやって自分の必死な面を隠さないと、部を統率できないと考えていることは、萌子もなんとなく気づいていることだった。
だからこそ、今まで萌子は何も言わずに由太に従っていたのだ。
その方が、由太のためだと思ったから。
でも―。
軽くノックをして、萌子はドアを開ける。
「おつかれさま」
ちらりと視線だけ萌子に向けると、あぁと小さく答え、すぐさま視線を手元へと戻す。
その様子に、一度はため息をついた萌子だったが、小さく息をはいて気合いを入れると、つかつかと中に入り、由太の前の椅子に座った。
「由太」
そう声をかけてみるが、由太の顔はぴくりとも上がらない。
「ねぇ、由太」
「話は聞いてる」
淡々とした声だけが返ってきたが、相変わらず視線は萌子に向かず、ペンも止まる様子がない。
萌子はくじけそうになる気持ちを抑えて、声を張り上げた。
「それじゃ、こっち向いて」
「耳は向いてる。要件は何だ」
遠まわしに聞いても、はぐらかされるだけだと思った萌子は、直球で聞くことにした。
「私、由太の気に障ることしたかな？
ここ最近ずっとそうじゃない。
新しいチームになってから、ずっと。
由太、私と顔を合わせようとしてくれない。
どうして？」
一瞬だけ、由太の手が止まった。
やっぱり、何かあるってこと？
そう思う萌子の前で、しかし由太は再び手を動かし始めると、顔も上げずに答えた。
「そんなことはない。
お前の勘ぐりすぎだ―」
由太の声はそこで息をのみ、止まる。
「何…、だ」
書き物をする由太の右腕を、萌子が止めたのだ。逃げようとする由太の腕を萌子は椅子から立ち上がると両手で押さえた。
「頑張りすぎよ、由太。
部誌は私たちがつけてるし、
わからないことがあれば、聞いてくれれば答える。
備品の管理も、ちゃんとできる。
何もかも一人でやろうとしないで。
そんな調子で一年間持たないわ。
興仁を見て」
「あいつは気を抜きすぎてる」
「由太」
冗談じゃないと言うように由太は言うと、再び手を引こうとした。
慌てて萌子が声を上げる。
「監督が湊じゃなくて興仁を選んだ理由は、きっと由太にあるのよ」
はっとしたように、由太が顔を上げる。
その瞬間を萌子は逃がさなかった。
「自分に一番欠けてるもの。
緩めること。
気持ちも、体も、部の統率も。
もちろん加減が重要―」
だが萌子が言い終わる前に、由太は無理矢理自分から萌子の手を振り払うと、自分の鞄を掴み、苛立ったように部室のドアノブを握りしめた。
「由太―」
「そういう話なら、もう十分だ」
バタンと音をたて、ドアが閉まる。
残された萌子は、一人深いため息をついた。