Maybe Blue 第二部 凪より愛をこめて
春光4
全員がセンターラインに並んだのを見て、朔哉はボールをポンと目の前の樹生に蹴ると、こう言った。
「キックオフは一年から。好きなエンドも選んでくれてかまわない」
馬鹿にしやがって、と思わず睨み返した樹生の肩を押えて、キャプテンとなってしまった伊東が言う。
「ありがとうございます。俺たち、こっち側でお願いします」
思わず樹生が伊東を睨むと、黙っていろと逆に睨まれてしまった。
「ラッキー」
その隣では、素直に望が喜んでいる。
望の隣の允彦は、見るからに緊張して肩に力が入りすぎているし、その向こうに並んでいるメンバーも、緊張と戸惑いを隠していない。
やる気あんのかよっ。
樹生は小さく舌打すると、審判となった厳巳のホイッスルに従って、一礼した。
「宜しくお願いしますっ」
保健室に鍵をかけた紗依が、職員室に戻ろうと廊下を歩いていると、ふいに後ろから名前を呼ばれた。
「あのっ、田波先生」
振り返ると、ジャージ姿の教師の姿がある。
年で言うと三十をかるく越えたくらいだろうか。
少しばかり頬を赤らめたその顔に、うっすらとした記憶はあるものの、名前が全くと言っていいほど浮かばない。
そういえば、この前の歓迎会で、話しかけられたような気がする。
凪高に来て、一週間以上は経っていたが、紗依は、生徒はおろか、教師の名前もなかなか覚えきれずにいた。
「あ。え…っと―」
「有田です。体育教師の」
名前を言ってもらったところで、紗依はほっと安心した。
「ああ、有田先生。ごめんなさい、まだ先生方のお名前、なかなか覚えきれてなくて」
すると有田の顔はパッと真っ赤に染まった。
「いえいえ。あの、今晩なんですけど、歓迎会の店の話、聞いてますか？」
先週、すでに学校としての歓迎会は行われていたものの、先日、若い先生だけで集まって、また歓迎会をやろうという話がもちあがっていたのだ。
紗依としては、自分の歓迎会という名目は、あくまで飾りであって、実際は単に飲み会を開くだけなのだと思っていた。実のところ、酒が飲めない紗依としては、できれば断りたいと思っていて、運よく今日、母親がやってくることになったのだ。
「はい。あの、でも。今日はちょっと予定があって―」
断ろうとした紗依の言葉を遮って、有田は一歩紗依に歩み寄ると、ぎこちない笑顔を作って言う。
「俺の店、なんです。うまいし、雰囲気も洒落てて。あの。何時に出ましょう？俺、先生をお連れしますから」
この前の歓迎会もそうなのだが、どうもこの有田という教師は、人の話を聞いてくれないらしい。紗依は、小さくため息をついて答えた。
「いえ。あの、だから―。
あら？何かしら」
急に歓声が聞こえてきた紗依は、思わずグランドに目を向けた。
グランドでは、紅白のビブスを着た選手たちが所狭しと駆け回っていた。
紗依の視線に気づいたのか、有田が面倒くさそうに答える。
「ああ。サッカー部ですか。
ただの練習ですよ、ただの。
たかが、去年の選手権で優勝したってだけで、浮かれまくってるんですよ。あいつら。
高校生のくせに、まるでアイドル気取りでキャーキャー言われやがって―」
「試合、するみたいですね」
窓枠に身を乗り出すようにして、グランドを見つめる紗依に、有田はくだらなさそうに答える。
「どうせ、客引きみたいなもんですよ。ギャラリー集めるための。
やつらは、目立つことしか考えてない。
全く、校長も石橋先生に甘すぎるからこんなことになるんだ」
その時、廊下の向こう側から柔道着を着た生徒が、野太い声で有田を呼んだ。
「あれ？有田先生、今日の練習、どうしていきなり休みになったんで―」
慌てたように有田は生徒の口を押さえると、ハハハと作り笑いを紗依に見せ、言った。
「とにかく、校門のところで待っててください。
後で迎えに行きますから」
そうして、生徒の口を押さえたままに、廊下を走っていった。
だが、紗依の耳には有田の声は届いてなかった。
ただじっと、グランドに見入っていた。
マネージャー希望の女子生徒たちは、そのままギャラリーと化した。気づけば、他の部の生徒たちまでが、グランドに注目していた。
「何だかすごいことになってるね」
萌子はそう答え、ぐるりと周囲を見回した。
グランドだけではない、校舎からも好奇に満ちた視線がグランドに注がれている。
仮入部すらしていない、それことまだ入る部活を探している時期だ。
もともと注目の高いサッカー部なだけに、ある種のエキシビジョンに思われたのかもしれない。
美都が心配そうに呟く。
「大丈夫かな、監督に内緒でこんなことして」
「大丈夫じゃないでしょ。ばれたら大目玉だよ。もしかしたら、朔哉先輩、責任取らされて出場禁止にしちゃうかも」
理香がそういったところで、思わず萌子が口許を引き締めたのが見えて、慌てて言い直す。
「あ、でもっ、朔哉先輩抜きで試合したら、勝てるわけないから、そんなことないねっ。
だから、大丈夫っ、萌子」
「…うん」
ぽつり、と萌子は答える。
だが、その視線の先にいるのは、朔哉ではなく相手チームとなる一年生のメンバーだった。
「…もしかして、萌子。
負けるかもって心配してるの？」
萌子以上に不安そうな美都がそういうと、慌てたように理香が声を張り上げた。
「何言ってるのよ、美都。
そんなことあるわけないじゃん。だって、レギュラーのチームだよっ」
「そう…だよね」
「絶対に二桁得点になるって。しかも、こっちは０点に抑えて」
力説する理香に押され、美都の頷きもだんだんと強くなっていく中で、萌子がポツリと呟く。
「…だといいけど」
「「え？」」
その言葉に、思わず理香と美都は顔をつき合わせた。
実際のところ、一年生の健闘ぶりは、理香たちをハラハラさせていた。
始まってわずか一分のところで、望のロングパスからあわやシュートというシーンがあったのだ。
「チェッ」
樹生は大きく舌打ちをする。望のパスを受け取ったものの、中に切り込もうとしたところで、成が立ちはだかり、呆気なくそのボールをクリアしたのだ。
まあ、そこが成さんでもあるんだけど。
引き上げようとしたところで、ふと樹生は成が側にいないことに気づいて、樹生とは違う方向に走っていく成に声をかけた。
「あれ？成さん。オレのマークじゃねぇの？」
「うーん、その答えにはマークじゃない、かな」
軽く腕組みして、成が答える。
センターフォワードの樹生に対して、センターバックともいえるポジションにいる成だ。樹生が攻め上がれば、そこに成がいるのは当然のこと。
「けど」
「樹生っ。何やってんだよっ」
だがその時、後ろの方から伊東の声が聞こえてきた。
成のクリアしたボールをそのまま受けた俊平が、ドリブルでまさに一年ゴールに向っているところだった。
馬鹿か、伊東は。
センターフォワードの俺が、他の奴等と一緒にディフェンスやってどうすんだっつーの。
樹生は足を止め、再び成に話しかけた。
「成さん。オレ、負けませんよ」
そこには樹生のひとつの賭けがあった。
オレが競り勝って、成さんはディフェンダーに向いてないってこと、証明してやるんだ。
でもって、オレと一緒に伝説のゴールデンコンビ、組むんだからっ。
ニヤリと笑う樹生に、
「俺も」
と成が答える。穏やかな笑みに、一瞬見せられ黙りこんだ樹生に、成ははっきりと答えた。
「負けないから、樹生」
前半十二分が過ぎていた。
得点は、五対０。当然ながら、レギュラーチームが勝っている。
レギュラーを相手にしてしまっているからか、
それとも、即席チームだからなのか、ディフェンスがレギュラーチームのボールをなかなかとれないのだ。
おまけにキーパーをしている一年は、今までサッカーの経験がない部員で、先ほどの知朗のスピードのあるシュートなどは、全く動けなかったのだ。
一方で、いい動きを見せる選手もいた。
青山望だ。
細いからだつきや、普段の柔らかな物腰とは異なり、激しいプレーと、気迫溢れる怒鳴り声に、驚いたのは萌子だけではないだろう。
「てめーらっ、あがれっっ」
可愛い可愛いと言っていた理香に至っては、その変貌振りに思わず口をぽかんと開けていた。
「…嘘、でしょ？」
だけど、プレーは本物だ。
萌子はグランドを見つめて、そう思っていた。
パス回しは、丁寧にしてるし、小技もできる。
少しばかり、小柄だし、体力不足な気はするけど、これからのトレーニングで伸ばすこともできるし。
それと、ディフェンダーの松本君。
勘が鋭いのかもしれないけど、こっちの動きを確実に読んでる。
ただ、遠慮してか、体を割り込ませたり、足を出さないし、レギュラー選手の技に翻弄されてるけど、息はあがってない。きっと今まで沢山走りこんでるんだろう。
それに。
萌子は一人グランドの中央からゴールを睨みつけている樹生に視線を移した。
いい、目。してる。
劣勢でなかなか出番がないからか、樹生はグランドの中央から、味方選手に指示を送っているのだ、それが的確なのだ。
あの時の知朗と和美への指摘といい、
『いい目、してるよ、あいつ』
萌子は朔哉が言った言葉をもう一度心の中で、繰り返した。
「キックオフは一年から。好きなエンドも選んでくれてかまわない」
馬鹿にしやがって、と思わず睨み返した樹生の肩を押えて、キャプテンとなってしまった伊東が言う。
「ありがとうございます。俺たち、こっち側でお願いします」
思わず樹生が伊東を睨むと、黙っていろと逆に睨まれてしまった。
「ラッキー」
その隣では、素直に望が喜んでいる。
望の隣の允彦は、見るからに緊張して肩に力が入りすぎているし、その向こうに並んでいるメンバーも、緊張と戸惑いを隠していない。
やる気あんのかよっ。
樹生は小さく舌打すると、審判となった厳巳のホイッスルに従って、一礼した。
「宜しくお願いしますっ」
保健室に鍵をかけた紗依が、職員室に戻ろうと廊下を歩いていると、ふいに後ろから名前を呼ばれた。
「あのっ、田波先生」
振り返ると、ジャージ姿の教師の姿がある。
年で言うと三十をかるく越えたくらいだろうか。
少しばかり頬を赤らめたその顔に、うっすらとした記憶はあるものの、名前が全くと言っていいほど浮かばない。
そういえば、この前の歓迎会で、話しかけられたような気がする。
凪高に来て、一週間以上は経っていたが、紗依は、生徒はおろか、教師の名前もなかなか覚えきれずにいた。
「あ。え…っと―」
「有田です。体育教師の」
名前を言ってもらったところで、紗依はほっと安心した。
「ああ、有田先生。ごめんなさい、まだ先生方のお名前、なかなか覚えきれてなくて」
すると有田の顔はパッと真っ赤に染まった。
「いえいえ。あの、今晩なんですけど、歓迎会の店の話、聞いてますか？」
先週、すでに学校としての歓迎会は行われていたものの、先日、若い先生だけで集まって、また歓迎会をやろうという話がもちあがっていたのだ。
紗依としては、自分の歓迎会という名目は、あくまで飾りであって、実際は単に飲み会を開くだけなのだと思っていた。実のところ、酒が飲めない紗依としては、できれば断りたいと思っていて、運よく今日、母親がやってくることになったのだ。
「はい。あの、でも。今日はちょっと予定があって―」
断ろうとした紗依の言葉を遮って、有田は一歩紗依に歩み寄ると、ぎこちない笑顔を作って言う。
「俺の店、なんです。うまいし、雰囲気も洒落てて。あの。何時に出ましょう？俺、先生をお連れしますから」
この前の歓迎会もそうなのだが、どうもこの有田という教師は、人の話を聞いてくれないらしい。紗依は、小さくため息をついて答えた。
「いえ。あの、だから―。
あら？何かしら」
急に歓声が聞こえてきた紗依は、思わずグランドに目を向けた。
グランドでは、紅白のビブスを着た選手たちが所狭しと駆け回っていた。
紗依の視線に気づいたのか、有田が面倒くさそうに答える。
「ああ。サッカー部ですか。
ただの練習ですよ、ただの。
たかが、去年の選手権で優勝したってだけで、浮かれまくってるんですよ。あいつら。
高校生のくせに、まるでアイドル気取りでキャーキャー言われやがって―」
「試合、するみたいですね」
窓枠に身を乗り出すようにして、グランドを見つめる紗依に、有田はくだらなさそうに答える。
「どうせ、客引きみたいなもんですよ。ギャラリー集めるための。
やつらは、目立つことしか考えてない。
全く、校長も石橋先生に甘すぎるからこんなことになるんだ」
その時、廊下の向こう側から柔道着を着た生徒が、野太い声で有田を呼んだ。
「あれ？有田先生、今日の練習、どうしていきなり休みになったんで―」
慌てたように有田は生徒の口を押さえると、ハハハと作り笑いを紗依に見せ、言った。
「とにかく、校門のところで待っててください。
後で迎えに行きますから」
そうして、生徒の口を押さえたままに、廊下を走っていった。
だが、紗依の耳には有田の声は届いてなかった。
ただじっと、グランドに見入っていた。
マネージャー希望の女子生徒たちは、そのままギャラリーと化した。気づけば、他の部の生徒たちまでが、グランドに注目していた。
「何だかすごいことになってるね」
萌子はそう答え、ぐるりと周囲を見回した。
グランドだけではない、校舎からも好奇に満ちた視線がグランドに注がれている。
仮入部すらしていない、それことまだ入る部活を探している時期だ。
もともと注目の高いサッカー部なだけに、ある種のエキシビジョンに思われたのかもしれない。
美都が心配そうに呟く。
「大丈夫かな、監督に内緒でこんなことして」
「大丈夫じゃないでしょ。ばれたら大目玉だよ。もしかしたら、朔哉先輩、責任取らされて出場禁止にしちゃうかも」
理香がそういったところで、思わず萌子が口許を引き締めたのが見えて、慌てて言い直す。
「あ、でもっ、朔哉先輩抜きで試合したら、勝てるわけないから、そんなことないねっ。
だから、大丈夫っ、萌子」
「…うん」
ぽつり、と萌子は答える。
だが、その視線の先にいるのは、朔哉ではなく相手チームとなる一年生のメンバーだった。
「…もしかして、萌子。
負けるかもって心配してるの？」
萌子以上に不安そうな美都がそういうと、慌てたように理香が声を張り上げた。
「何言ってるのよ、美都。
そんなことあるわけないじゃん。だって、レギュラーのチームだよっ」
「そう…だよね」
「絶対に二桁得点になるって。しかも、こっちは０点に抑えて」
力説する理香に押され、美都の頷きもだんだんと強くなっていく中で、萌子がポツリと呟く。
「…だといいけど」
「「え？」」
その言葉に、思わず理香と美都は顔をつき合わせた。
実際のところ、一年生の健闘ぶりは、理香たちをハラハラさせていた。
始まってわずか一分のところで、望のロングパスからあわやシュートというシーンがあったのだ。
「チェッ」
樹生は大きく舌打ちをする。望のパスを受け取ったものの、中に切り込もうとしたところで、成が立ちはだかり、呆気なくそのボールをクリアしたのだ。
まあ、そこが成さんでもあるんだけど。
引き上げようとしたところで、ふと樹生は成が側にいないことに気づいて、樹生とは違う方向に走っていく成に声をかけた。
「あれ？成さん。オレのマークじゃねぇの？」
「うーん、その答えにはマークじゃない、かな」
軽く腕組みして、成が答える。
センターフォワードの樹生に対して、センターバックともいえるポジションにいる成だ。樹生が攻め上がれば、そこに成がいるのは当然のこと。
「けど」
「樹生っ。何やってんだよっ」
だがその時、後ろの方から伊東の声が聞こえてきた。
成のクリアしたボールをそのまま受けた俊平が、ドリブルでまさに一年ゴールに向っているところだった。
馬鹿か、伊東は。
センターフォワードの俺が、他の奴等と一緒にディフェンスやってどうすんだっつーの。
樹生は足を止め、再び成に話しかけた。
「成さん。オレ、負けませんよ」
そこには樹生のひとつの賭けがあった。
オレが競り勝って、成さんはディフェンダーに向いてないってこと、証明してやるんだ。
でもって、オレと一緒に伝説のゴールデンコンビ、組むんだからっ。
ニヤリと笑う樹生に、
「俺も」
と成が答える。穏やかな笑みに、一瞬見せられ黙りこんだ樹生に、成ははっきりと答えた。
「負けないから、樹生」
前半十二分が過ぎていた。
得点は、五対０。当然ながら、レギュラーチームが勝っている。
レギュラーを相手にしてしまっているからか、
それとも、即席チームだからなのか、ディフェンスがレギュラーチームのボールをなかなかとれないのだ。
おまけにキーパーをしている一年は、今までサッカーの経験がない部員で、先ほどの知朗のスピードのあるシュートなどは、全く動けなかったのだ。
一方で、いい動きを見せる選手もいた。
青山望だ。
細いからだつきや、普段の柔らかな物腰とは異なり、激しいプレーと、気迫溢れる怒鳴り声に、驚いたのは萌子だけではないだろう。
「てめーらっ、あがれっっ」
可愛い可愛いと言っていた理香に至っては、その変貌振りに思わず口をぽかんと開けていた。
「…嘘、でしょ？」
だけど、プレーは本物だ。
萌子はグランドを見つめて、そう思っていた。
パス回しは、丁寧にしてるし、小技もできる。
少しばかり、小柄だし、体力不足な気はするけど、これからのトレーニングで伸ばすこともできるし。
それと、ディフェンダーの松本君。
勘が鋭いのかもしれないけど、こっちの動きを確実に読んでる。
ただ、遠慮してか、体を割り込ませたり、足を出さないし、レギュラー選手の技に翻弄されてるけど、息はあがってない。きっと今まで沢山走りこんでるんだろう。
それに。
萌子は一人グランドの中央からゴールを睨みつけている樹生に視線を移した。
いい、目。してる。
劣勢でなかなか出番がないからか、樹生はグランドの中央から、味方選手に指示を送っているのだ、それが的確なのだ。
あの時の知朗と和美への指摘といい、
『いい目、してるよ、あいつ』
萌子は朔哉が言った言葉をもう一度心の中で、繰り返した。