Maybe Blue 第二部 凪より愛をこめて
春光2
始業式とあって、体育館には一年生を除く全校生徒が集まっていた。
クラスごとに一列並ばされた成は、前にいる知朗の背中を見て、わずかにため息をつく。
一緒になることを期待していたわけじゃないけど、こうも離れると思ってなかった。
成は九組。
萌子たちは一組だ。
けど、今更一緒のクラスになったって、萌子には福山さんがいるわけで、関係ないっちゃないんだけど。
諦めなきゃいけないことは、わかっていた。
けれど、簡単に気持ちが割り切れるわけもなく、成はサッカーに打ち込むことで、うやむやな気持ちを隠していたのだ。
はぁ、とまたため息をつくと、両隣から突込みが入った。
「ご愁傷様、成」
「ついてねぇよな、監督が担任だなんて」
ニヤニヤさせた顔を突き出してきたのは、篤志とケンだった。
「うるさいなあ、なんで隣がお前らなんだよ」
「だって俺、10組だもん」
「俺、8組」
交互に篤志とケンが答える。成が更にため息をついていると、前の知朗がくるっと振り返った。
「お前らうるせーって。監督睨んでっぞ」
「やべっ」
脇に並んだ教師たちの中から、一際鋭い視線を感じ、成たちは慌てて列にまっすぐに並ぶ。
ケンの言った通り、成たち二年九組の担任は、監督でもある石橋だ。
つまりは、部活だけじゃなくって、勉強のことも色々言われるってこと。
肩をがくんと落とす成を間にして、それでもケンと篤志は話を続ける。
「そういや、右京のやつ、どうした？」
「さあ、気づいたらいなかった」
右京は篤志と同じ十組のはずだった。
「サボってんじゃねぇの？」
思わず知朗がそう口を挟む。
「始業式から？やるな、右京のヤツ」
すると篤志が手招きをする。顔を寄せ合うと、篤志がぼそぼそと言った。
「知ってる？そういうとき、あいつどこにいってるか」
「いいや」
「海とか？」
いいや、と篤志は首を振って答える。
「保健室」
「へ？保健室？けど、何か理由がないと寝られないだろ」
「ところがさ、保健の貫田先生、どうやら右京にぞっこんらしくてさ、それで特別免除らしい」
「嘘だろ」
「あのババァ。まだ独身だよな。四十過ぎてんのに」
顔をしかめたケンに、篤志は呆れた表情を浮かべて答える。
「右京もああ見えて、何もわかってないというか、天然というか。全然気づいてないわけ」
「あいつもモテるくせに、そういうの疎いからな」
「うんうん」
「ってお前が頷くなよ、成」
ふとケンはあれ？と言いながら篤志に聞き返す。
「けど、貫田ってさ、転任しなかったっけ？」
「え？そうだっけ？」
すると丁度いいタイミングで、マイクの声が四人に聞こえてきた。
「では、新しい養護教諭の先生を紹介します」
周囲がざわめく中で、白いスーツの女性が壇上にあがる。
そして、しゃべりだすその瞬間、体育館のざわめきは一気に鎮まった。
「田波紗依です。まだまだ皆さんの顔を覚えていませんが、頑張って覚えていきますので、気軽に声をかけてください。宜しくお願いします」
頭をさげるその姿に、思わず篤志たちは声を揃えた。
「美人っ」
体育館から教室に戻る間、理香がため息混じりに言った。
「あーあ、早くホームルーム終わらないかなぁ」
萌子たちが一緒だったものの、篤志が一緒にいないせいか、理香は本当につまらないと言う表情になる。
萌子がわざと明るく言った。
「これから委員決めるんだよね」
「時間かかりそう…」
美都がそう呟く。
二年にもなれば、受験を目指すものも出てきて、確かに立候補で簡単にとはいかなそうだった。ふいに、理香が言う。
「あたし、保健委員でもなろうかなあ」
「どうしたの？理香」
「女の勘。アッチがね、保健委員狙ってる気がして」
「篤志が？」
理香は力強く頷く。
「多分、そう。ってか、絶対、そう。
ね、厳巳ちゃん。一緒に保健委員やらない？」
理香はそういうと、突然後ろを歩いていた厳巳にそう話しかけた。
「え？僕？」
「だって、実家お医者さんなんでしょう？」
「理香。優しい厳巳に面倒くさい仕事押し付けようって魂胆、見え見えよ」
「何でばらしちゃうの？萌子。
あ、まただ」
「何が？」
一瞬振り返った理香に、萌子は尋ねる。
「萌子のこと、気づいて振り返った人。
やっぱり噂になってるんだろうね、萌子と朔哉さん。
なんてったって、凪高のベストカップルだもんねっ」
あの告白が公衆の面前だったためなのか、それとも朔哉の人気の為なのか、気づけば二人は凪高のベストカップルと呼ばれるようになっていた。
二人で歩いていると、たまに見知らぬ人からも、指差されたりするのだ。
萌子としては、あくまで朔哉と付き合うことになったというだけで、こういった扱いにまだ慣れずにいると、
「悪いことしてるわけじゃないんだから、堂々としてればいいんだよ」
と朔哉に言われた。
確かにその通りではあるんだけど。
朔哉のように、にこやかに手を振り返せる自信が、今の萌子にはなかった。
麗らかな春の陽気の中で、右京は心地よく、眠っていた。
もともと、基本睡眠時間は八時間はとりたい右京にとって、新入生がやってきた寮の生活は、それを乱すものだった。
特に、新田とかいう一年。
子犬みたいでうるさくて仕方ない。
寮生でもある新田樹生は、よく隣の成たちの部屋に入り浸っては、がやがやと騒いでいるのだ。
この保健室は、一度足を怪我したときに、連れて来られてからよく来るようになった。名前は覚えてないが、治療の最中に欠伸をしていたら、保健の先生が寝てもいいといってくれたのだ。以来、睡眠不足が続くと、右京はここで眠るようにしている。
今日は、始業式とあって、この保健室はいつも以上に穏やかだった。
バタバタと足音としゃべり声が聞こえたから、おそらく始業式は終わったんだろうか。さっきまで見ていた夢と現実の狭間でぼんやりとそう考えていると、急にドアが開いて、しっとりと澄んだ少し高めの声が興奮気味に保健室に響く。
「あー。もう、どうして私ってば、ちゃんといえないんだろう。
あんな変な挨拶しちゃって。
しかも、着任式は明日だから、今日は一人だけ目立ってるし。
他の先生は新任だから大丈夫っていうけど、生徒から見たら立派な先生だってのに」
どうやら、教師のようだ。
しかも新米教師。
だけど、声に聞き覚えがあるような気がする。心地よい、声。
誰？
「白いスーツだって、一応白衣を意識したのに、一人で浮いてたし…。
いっそのこと、漫才でもすればよかったのかしら」
それは、逆効果だろ。
くすり、と思わず右京は微笑んだ。すると、
「誰？」
と緊張したその声が響く。
思わず起き上がった瞬間、まばゆい光と共にカーテンが開き、右京は眩しさに眩んで手のひらを視界にかざした。
「あ」
声をあげたのは、相手の教師だった。
年で言うと二十代半ば。
切れ長の瞳に、胸まである髪が印象的だった。あまり興味がない右京でも、彼女が美人の分類に入るのはわかる。光の中にいるように思えてか、右京はまだ夢の中にいるようだった。
同時にその淡い感覚が、誰の声に似ていたのかを思い出させた。
忘れたわけじゃない。
ただ、話すテンポがあまりに違うから気づかなかっただけ。
「ごめんなさい、あの。大丈夫かしら？」
懐かしいあの声が、優しく右京に話しかけている。が、何も答えない右京に、彼女は戸惑って、更に続ける。
「調子が悪いのに、起こしてしまって、ごめんなさいね。もしかして、具合悪くなった？」
その時、再びドアが開き、大きな声が聞こえてきた。
「失礼しまーす。
あのぉ、田波先生？」
すると新米教師・田波紗依は、慌てて「はーい」と大声で返事をして、ベッドの上に座る右京に小声で言った。
「とにかく、ゆっくりしていって。ね」
頷くこともなく、瞬きすらしない右京に、紗依はそう言って背を向け、カーテンを再び開けたところで、ふと気づいたように振り返って言った。
「あ、君。今聞いたことは、内緒よ」
切れ長の目に見つめられた右京は、そこでようやく紗依が自分の同意を必要としていることに気づいて、ゆっくりと頷く。
するとそれに納得した紗依が、白く、ほっそりとした手の小指を立てて、すっとそれを自分に向けた。
「約束」
フラッシュバックのような過去と今が幾重にも重なり、右京は思わず目を見開く。
紗依は、右京が手を出さないことに気づくと、半ば強引に右京の手を掴んで、その小指を絡ませると、笑顔を見せ、再び光と共にカーテンの向こうに消えて行った。
「はーい、どなたかしら？」
残された右京は、ベッドの座ったまま、じっとその手を見つめていた。
デジャヴ。
いや、あの約束は、もちろん過去にあった出来事。
けれど、まるで今回につなぐための出来事のようにも思えた。
右京は、僅かに弾んだ胸の前で、ぐっとその手を握り締めた。