Maybe Blue 第一部 海の鼓動
夏海2
「なんかつまらない感じ」
突然休憩時間にそう言った理香は、グランドを見まわした。
引退した三年生。
入院してしまった朔哉。
ユースの合宿で不在の右京と、成。
そして、目の前には、どこか遠い目をしているケンがいる。
「ケンケン。元気ないね」
理香にそう言われたケンは、思わず毒づく。
「うるせーよ」
「どうして実家に帰らなかったの？」
「だーかーらっ、うっせーつーの」
ケンはそう叫ぶと、タオルを投げつけるように理香に渡すと、グランドに戻って行った。
「また噛みついて。あ、これぞまさしく狂犬？あたしってば、うまーい」
理香ははしゃぐように言ったけれど、篤志は真剣に答えた。
「扶洋がベスト４までいっただろ。赤坂ってのが、ケンの中学時代のチームメイトだったんだってさ。ほら、俺らの試合の前で、得点してた奴」
会場で、一度だけ扶洋とすれ違ったときがあった。そのとき、扶洋の何人かはケンを睨むように見ていたけれど、その中で一人、ケンの名前を呼んだ選手がいた。それが赤坂である。だが、ケンはそんな赤坂を無視していた。
「ああ見えて、プライド意外と高いからね、ケンケン」
休み明けのせいか、練習もトレーニングを中心に少し早めに終わった。
そんな中、ミーティングルームでは、夏休みの間に積もり積もった仕事がようやく終わって、マネージャー女子三人が椅子に座って夏休みにしたことや、いろんな話をしていた。
そして萌子に、理香が嬉しそうに質問した。
「ね、萌子。三上さんってどんな感じ？」
萌子本人が三上の話をしていなくとも、理香は司の口から聞いていた。実際、萌子に尋ねたところ、あっさり認めた。
情報通の理香は、そして三上の名前は知っているようだったが、萌子の口から聞き出すのが楽しいらしく、そうして、理香の質問攻めが始まろうとしていた。
「どんなって…。大人なひと、かな」
思い出しながら萌子は答える。
三上は、いつだって萌子のことを助けてくれていたのだ。
萌子の答えを聞いて、理香はキャーとはしゃぎながら言う。
「大人！いいなぁ、三年生なんでしょ？何組？」
「ええと」
クラスまではうろ覚えだ。確か笠間と同じだったはずだと考えていると、二人の隣でぽつりと美都が言った。
「…ほんと？萌子？」
思わず理香までが動きを止めてじっと美都を見つめる。
「本当に、その人のこと好きなの？」
責めるように大きな瞳でじっと見つめられると、萌子はどうしてか戸惑った。
だが、すぐにその戸惑いを消し去る。
「…うん。好き」
それでも美都はただじっと萌子を見つめている。その雰囲気を一蹴するように、理香が明るく元気のよい声でまた質問した。
「どんなとこが？」
それでようやく萌子も美都から視線を逸らすことができた。
「優しいよ。たまに相談に乗ってもらったりしたし」
「他には？」
「えっと…」
萌子が三上のことを頭に浮かべて、何か話そうとしていると、隣で椅子を引く音がした。美都が俯きがちに立ちあがって言う。
「あたし、萌子がよくわからない」
美都はそのまま、鞄と持つと、何も言わずに、ミーティングルームを出ていった。
合宿は、午後の練習が終わると、夕食まで自由時間となる。
成の割り当てられた部屋は三人部屋で、右京とも一緒だった。
部屋に戻るなり、ベッドにダイビングしたのは、北海道の大沢高校の選手だった。右京は、練習が終わってからすぐにどこかに消えてしまっていた。
「ひゃー、ハードだな。この合宿」
背も高く、迫力があるのだが、くせのある髪と、つぶらな瞳が人懐こく見えて、現にこう話しかけられた成も、自然と頷き返していた。
「ああ」
でも、こんな風貌してても、サッカーの時はすごいんだよな。
幸か不幸か、二人ともポジションはディフェンダーだった。タイプに違いはあるものの、ライバルであることに違いはない。
同じようにベッドに転がり、天井を見上げて溜息をつく成に、彼は尋ねる。
「どうした？早坂。異常に暗いぜ」
「いや、俺、全然ついていけてないからさ。ディフェンダーなったのも、つい三ヶ月くらい前からだし」
凪浜とは違うレベルを、成は感じずにはいられなかった。自分だけが、その中でただ独り取り残されているように思えていたのだ。
やってけるのかな。
「けど、ここにいるってことは、それなりに認められたってことだろ？」
彼は起きあがって成を見つめて言った。
その目に嘘はない。
「そうだね、ありがと」
すると彼はぷっと笑う。
「お前って、すっげー素直」
その体に似合わない可愛らしい笑い方に成が戸惑っていると、彼はその笑いを止めて成に尋ねた。
「早坂、何だっけ？」
「へ？」
「下の名前」
「成」
「成か。俺は、佐藤平太。平太でいいよ。よろしくな」
「どうしたんだろうね、美都。和美と喧嘩でもしたのかな」
だが、さっきの報告会によれば、二人は花火大会に行ったらしいし、美都は別に落ちこんでいる様子もなければ、何かに怒っている様子もなかった。
「ま、きっとさ。疲れたんだよ。今日は練習再開の初日だから。
それじゃ、あたしは鍵を体育教官室に届けてくるから、萌子はここでちょっと待っててくれる？」
「うん」
いつもならいる篤志たちは練習が終わると、特別練習もなくさっさと帰っていた。
理香のいう通りなのかもしれない。
みんな休み明けで疲れてるんだ。
そういう萌子も、自覚してはなかったが、相当疲れていた。
小さく溜息をつき、理香を待ちながら、ふいにさっき美都に言われた言葉を思い出す。
『ほんと？萌子』
『あたし、萌子がよくわからない』
この次に恋をするなら、誰も傷つけない恋をしたかった。
皆に祝福される恋をしたかった。
だから、三上さんを選んだ。
実際、お小言を言われたのは柳田くらいだったし、柳田が萌子のことに口を出してくるのはいつものことなので、気にしていなかった。
司と俊平は、特に何を言うこともなく、おそらく耳にしている笠間も、別に反対するようなことを言っては来ない。
誰も、傷つけたりしてないのに。
どうして？美都。
「そろそろ、面会の終了時間なんですけど」
カーテン越しに看護婦がそう言って、朔哉のベッドサイドに座っていた二人は不機嫌そうに顔を見合わせる。
看護婦の咳払いが聞こえて来ないうちに、と朔哉は明るい笑顔を向ける。
「ごめんな、珠里。佳代」
それが合図になって、二人は重い腰を上げた。
「またね、朔哉」
「明日も来るからね」
キツイ香水の匂いが、ようやく病室から消えると、やってきた看護婦がカーテンを全開にして、窓も大きく開けた。
どことなくしっとりした夏の夜風が、中に入ってくる。
朔哉は窓の外の景色を見ながら、小さく溜息をついた。
今日一日、ほとんどが検査で終了したようなものだった。しかも、終わった途端に現れたのがいつもの取り巻きの珠里たちで、朔哉としては落ちつく時間がなかったのだ。
検査は明日も続けられることになっていた。とりあえず今のところ異常は見られないようだった。
本当のところを言えば、検査など別によかった。
捻挫であっても、部活に行きたい気持ちがとにかく強かった。
夏休みをいれて、まるまる一週間、実家に帰った朔哉は萌子の顔を見ていなかった。
会えない日がこんなに辛いと思わなかった。
いつもそこにいて、それが当たり前だと思ってたんだ。
朔哉は窓枠に凭れながら思わずつぶやく。
「早く、学校出たいなぁ」
ふとその呟きを耳にした看護婦が朔哉に話しかける。
「好きな子がいるの？」
「へ？」
「早くサッカーしたい、じゃなかったから」
ふいをつかれて顔を赤らめた朔哉を見て、その看護婦はくすくすと笑った。
「いや、あの、ですね」
「少なくともさっきの子たちじゃないのね」
それが珠里たちのことを指しているのは確かだ。
「まぁ…」
「大丈夫よ。きっとお見舞いにやってきてくれるから」
看護婦はそう言って、笑顔を朔哉に向けた。
夕食、入浴、就寝かと思いきや、夜にも練習が組みこまれていて、成はへとへとになっていた。だが、ようやく一日の練習が終わって、宿舎の部屋では、成が平太に渡された写真をじっと見ていた。
「かわいいだろ？」
「彼女？」
「まあね」
ショートカットの彼女の肩に腕を回している平太のツーショット写真。仲のよさが、写真からも、それを見てにやけている平太からもにじみ出ていた。
成はすこしだけ切なくなって、その写真を平太に返す。
「成は？」
ベッドに大きく仰向けになり、成はやけっぱちのように答えた。
「ふられた」
小さく深呼吸をして、もう一度呟く。
「仲間だって、ふられた」
萌子と朔哉の会話を聞いた後、一人部屋を抜け出したことを心配していた湊には簡単に話した。湊は、それはふられたとはいえないんじゃないかと言っていた。あくまでも、萌子と朔哉の会話なわけだから。
でも、違う。
萌子は俺に向かって言ってた。
あれは、萌子の返事だったんだ。
寝返りを打って、平太に背を向けた成に、平太は大きな声で言った。
「俺は、二回ふられた。こいつに」
思わず成は起き上がり、平太を見つめる。
「でも三度目の正直で、つきあうことになった」
にっこりと笑う平太を見て、成は何故だか落ちこんだ。
「うたれ強いな、平太」
「お前俺のこの繊細なハート知ってて言ってるわけ？そういう意味じゃ、お前のほうがぜんぜん強いんだぜ」
それがサッカーのことを指しているのは明らかだ。
でも、恋愛とサッカーは違う。
「けど、俺は…」
「だってさ、好きだって思うから、仕方ねぇじゃん」
あっけらかんと平太はそう言った。
「でしょ？」
しかも力強く。
やっぱり平太はうたれ強い。
そう思った成を背中に、平太は突然顔を上げると壁に向って話しかけた。
「藤原。お前は？」
そこには外から戻ってきた右京が立っていた。思わず成は顔から血の気が引いた気がした。
そうだった。この部屋には藤原もいるんだった。
途端に成は顔が熱くなった。
やばい。萌子のこと、聞かれてたなんて。
思わず体を屈めていると、右京のいつもの声がした。
「いない」
「へぇ。お前もてるのになぁ」
脳天気な平太がそう答えた。
やっぱり、平太ってうたれ強い。