Maybe Blue 第一部 海の鼓動
夏暁7
気づけば、萌子は海に来ていた。
練習の合間の休憩時間。
グランドにいれば、否応にも成が目に付き、その度に心がふわふわと浮いた気持ちになり、そんな自分に気づくと、戸惑い、落ち込んでいた。どうしていいのかわからずにいた萌子の耳に聞こえたのは、遠くから聞こえてくる波音だった。
夕焼けは、目に染みるほどに眩しく、萌子は目を細めて海に落ちていく夕陽を眺めていた。一定のリズムを刻む波の音が、気持ちを落ちつかせていく。
ザクッという砂を踏む足音がして、萌子は思わず照れ隠しをした笑顔で振り返る。
だが、振りかえるとそこにいるのは、少し戸惑ったような表情の由太であった。
少し沈んだ自分の心に気づいて、萌子は躊躇った。
誰だと、思ったんだろう。
その答えを見つけるのが怖くて、慌てて萌子は由太に尋ねた。
「どうするの？」
何が、と聞かなくても、由太にその気持ちは伝わっていた。西村のことは、笠間にも、石橋にも伝えていないままだった。
黙りこんだままの由太に、萌子はわずかに微笑みながら言う。
「亜紀ちゃんも、心配してたよ」
彼女の名前が出たところで、由太は少し眉をひそめたが、そのことを無視するようにして海を見つめて、口を開く。
「調べたんだ」
「え？」
「一年前の騒ぎのとき、俺は篤志との約束を破って、何があったのか調べた」
約束を破る。
そのような行為を由太がしたというのは、それだけ由太が追い込まれていたことだと萌子は感じた。
由太はそのまま話を続けた。
「実際に吸ってた奴らは、西村たちが吸ったとは言わなかった。
でも、俺が学校に訴えると言ったとき、こう返してきた。
だったら、手引きをしたのは西村だと教師に話すしかないって」
それが由太に持ちかけられた取引であることは、明らかだ。
萌子は、どことなく弾んだ鼓動を押さえながら尋ねる。
「でも由太は。その話を受けなかったんだよね」
学校側は、煙草の小火であったことを知っていた。そして、そのメンバーに、西村は入っていなかったはずだ。
だが、西村が由太にサッカー部を辞めさせられたのは事実で、そうすることで、サッカー部を守ったのも事実だ。
由太は取引に応じない代わりに、西村たちを切り捨てたのだ。
由太は波打ち際に一歩近づいて、苦しそうな声で言う。
「…真実がわからなかった。嘘だとは言い返せなかった。確かに西村たちはその連中とよく集まってたし、教師にマークされてる生徒だったことは知っていたから。
俺は、たしかに取引はしなかった。だが、疑わしきものを罰した。それが正しい方法だと思っていた」
そして、小さく呟いた。
「でも、間違ってたんだな」
それは由太の小さな勘違いだったのかもしれない。
だが由太は、西村たちをサッカー部から追い出した。
項垂れて唇をかみ締め、小波を見ていた由太に、柔らかな声が話しかける。
「けど、あいつら部室に煙草持ちこんでたのは確かだったじゃん。着替えしてるとき、西村が落としてさ。だから、お前辞めろっていったんだろ？」
由太が振りかえると、そこには篤志が笑顔で立っていた。
だけど、と由太は視線を篤志から外す。にこっと笑うと、篤志は由太の隣に立った。
「俺さ、思うんだけど。
人って、誰でも間違えてしまうことってあると思う。それはやっぱりしょうがないことかもしれない。
大事なことは、同じ過ちは二度繰り返さないってことじゃないかな」
顔をあげたのは、むしろ萌子だった。
そして萌子は、俯いたままの由太に代わって、答える。
「そう、だね」
「つーかーさっ。寝てんじゃねぇよ」
耳元で怒鳴られた司が目を開けると、そこには憎たらしい笑顔を浮かべる俊平がいた。
「…俊平、何だよ。いいじゃねぇか、少しくらい」
「昨日の夜中に女と遊んでた奴に、昼寝してる時間はねぇよ」
俊平の隣で、同じように司の顔をのぞきこんでいた朔哉が言う。
「もう練習始まるぜ」
司は一瞬起きあがろうとしたが、ふいに目を閉じて答える。
「いいじゃん。少しくらい。俺、今日いいことしたんだから」
「いいこと？」
司は目を閉じたままに、軽く頷く。
「そう。恋のキューピット」
呆れて目を合わせた朔哉と俊平の溜息が、司に落ちる。
「…どうせお前のことだから、椎名へのちょっかいをやめるってことだろ？」
司は、そう聞いて起きあがった。
「ちげーよ。後輩の仲をとりもってやったんだぜ」
俊平は、半分聞き流すように尋ねた。
「誰と誰の？」
「早坂と沢木だよ。早坂とつきあってやれって、沢木に言ってやったんだ」
朔哉が思わず司を見つめる。
だが、司はその結果を言わない。
聞きたい気持ちと、聞きたくない気持ちに揺れる朔哉に代わって、俊平がさりげなく聞き返す。
「で、付き合うわけ？」
大きく伸びをして、司は無責任に答える。
「さー。なるようになるんじゃねぇの？」
そして、さっさと一人でグランドに戻って行った。
なるようにってことは、つまり…。
朔哉が答えを見つける前に、隣で俊平が呟いていた。
「まったく、自己中な奴」
夕食の準備を始めるために一旦グランドを出た萌子だったが、忘れ物をしてミーティングルームに入ったところで、外から理香と美都の会話が聞こえてきた。
「ついに、告白したらしいよ」
「え？ほんと？よかったね」
「うん、まあ、方法はちょっと予想外だったみたいだけど、気持ちは伝わったっぽい」
誰のことを言っているのか、萌子にはわからなかった。
思わず顔を出して、何の話？と聞こうとした時に、理香の明るい声が響く。
「この合宿でがんばった甲斐があったよねぇ。
買出しに、肝だめし。
萌子もいろいろあったけど、成くんのおかげで、やっと元気になってきたし。
今日の花火で、みんなで幸せになろう！」
二人の声が小さくなり、萌子はそっとロッカーを閉める。
買い出し。
肝だめし。
そして、花火。
萌子の心の中を、冷たい風が拭き抜けていった。
「ごめん、頭痛薬ある？」
ドアがノックされて、朔哉が保健室に顔を出した。月を見上げていた萌子は、そっと振りかえった。
保健室の電気は消えていた。それでも充分なくらいの月明りが保健室には入りこんでいたし、萌子はつけないままに薬を探していたので、朔哉はそのままに保健室に入った。
開け放たれたドアからは、楽しそうにはしゃぐ部員たちの声がこぼれてきていた。
「花火、やってるけど、いいの？モエチャン」
環の助言もあって、花火は合宿最後の夜に無事行われていた。グランドでは、様々な花火が咲き乱れているはずだ。
萌子は俯いたままで、薬を朔哉に渡す。
「調子がよくなくて」
睫の影を、白い頬に落として萌子はそう答える。
調子がよくないのは、体なのか、心なのか。
朔哉には心であるように思えた。
「そう。無理、しないで」
朔哉は答えたが、萌子は朔哉と視線を合わせることなく、薬を棚に戻す。
小さな溜息が、こぼれてきそうだった。
悩んでる。
朔哉はそう思って、足を止めて、ただじっと萌子を見つめていた。
早坂の気持ちを知って、どう答えたらいいのか。
本心は、自分も同じ気持ち。
でも、例の友達のことがあった後で。
中学時代のことを、思い出した後で。
答えてもいいのか。
それを、悩んでいる。
月明かりに照らされた青白い頬に、窓ガラスの影が小さく映る。それは、まるで萌子の涙のように見えた。
「…辛いときは、泣いていいんだぞ」
はっとしたように萌子が顔を朔哉に向ける。朔哉は無理やりな笑顔を作りながら、一歩萌子との距離を近づけた。
「むしろ、泣いてくれた方が助かる」
頬を強張らせ、萌子は視線を泳がせて俯く。
思えば、合宿が始まってから、こういう形で萌子と二人きりになるのは初めてだった。
話したいことはたくさんあった。
伝えたいこともたくさんあった。
でも、彼女のそばにはいつも早坂がいた。
だが、いつもいたはずの成は、ここにいない。
いるのは、萌子と朔哉だけだ。
気づけば朔哉は、話始めていた。
「枡田さんの話。俺も聞いたから。
全然、モエチャン、悪くないよ。俺は、そう思う」
だが、萌子は俯いたままに答える。
「でも…。私は、好きだったんです。枡田さんのこと。
確かに、彩を…友達を裏切ってたんです」
彩は、ともう一度呟いて、萌子は顔を上げた。
「彩は、一人ぼっちだった私を救ってくれた。
何でも話を聞いてくれたし、
励ましてくれた。
彩はわたしの憧れだった。でも、そんな人を裏切ったんです。私は」
萌子の瞳は月明かりに照らされ、涙で光っていた。だが、俯かず、涙をぬぐうことも、こぼすこともせずに、まっすぐ月を見上げている。
その強がる姿に、朔哉は思わず手を伸ばしそうになる。こぼれそうな涙を、ぬぐおうと。
もういいから。
それ以上、傷つくことはない。
モエチャンは間違ってない。
恋に、正しいも、間違ってるも、ないのだから。
朔哉の前で、萌子は急に俯くと、小さな声で凍えるように言った。
「だから、無視されても、仕方ないことだって思ってました。
先に裏切ったのは、私で。
私が、悪いんだから―」
「俺も…。俺の友達もさ、そういう恋をしたことがあって」
萌子の言葉を珍しく遮って、朔哉が口を開いた。萌子は驚いて朔哉を見つめる。その表情は、穏やかだ。
「そいつには、すごく尊敬してる人がいて。でも、ある時その人の彼女と出会って、すぐに惹かれた。
その人は、見た目は大人なくせして、中身は子供で、でもそこが可愛らしくて。そばにいればいるだけ、惹かれていった」
『奪っちゃえばいいのになぁ。好きなんだろ？』
『できるわけないだろ。相手が相手だぜ』
萌子は司と俊平の会話を思い出していた。
そして、思い出を穏やかな表情で、大事そうに話す朔哉の横顔。
それが自分と美智子であることは明らかだ。
この人も、いろんな傷を持っているんだと、萌子は改めて気づかされていた。
「頭では、わかってるんだよ、はじめから。
その人には恋人がいて、その恋人は尊敬してる人だ。しかも、二人は仲がいい。当然、諦めるしかない。でも、それができない。
その人と話すたびに、でも心のどこかでやましい気持ちになって、罪悪感感じて。どうしようもなくて、ずっと悩んでた」
何故、自分はこんな話を彼女にしてるんだろうか。
こんな、自分の情けない恋愛話を。
どうして。
そう考えて、朔哉は覚悟を決めたように振りかえり、萌子を見つめた。
まっすぐに自分を見つめ返す萌子に、朔哉は答えを見出す。
…答えは、わかっていたんだ。
もうずっと前から。
だから、美智さんと一緒にいても、罪悪感は感じなかった。
俺には、もう別の人が、心にいたから。
それまでは美智さんがいたところに、別の人が住みついていたから。
でも、認めたくなかった。
もう二度と、恋をしないと決めていたから。
だけど、気づいたら、目で追いかけていた。
もうずっと、求めていた。
モエチャンのことを。
朔哉は深く瞳を閉じる。
「恋って、どうしようもないもの。だよ」
勢いよく上がった、噴出花火の上を飛び越えるゲームが、グランドでは始められていた。苦い顔の石橋を、環が宥めている様子を見ながら、成はようやく理香を捕まえて尋ねる。
「理香、萌子は？」
手を叩いて応援していた理香は、少し残念そうな表情で答えた。
「なんか調子悪いって保健室で休んでる。せっかく、こんなにたくさんの花火貰ったのに」
楽しいことは、大勢でやるともっと楽しくなる、というのが理香の考えで、萌子に断られたときは、少し怒鳴りそうにさえなった。
だが、ごめんね、と青白い顔で言われると、理香も強くは言えなかった。
せっかく、萌子の為に計画したのにな。
成は、そわそわした様子で、あたりを見渡した。
「…そう」
ぎこちなくだが、理香から離れようとした成のところに、美都が手持ち花火を差し出した。だが、成は、ごめんというとそのままグランドを出ていこうとした。
「どこいくの？成くん」
「…ちょっと」
成はそう答えると、さっと背中を向けて、グランドを走って出ていった。
顔を見合わせた理香と美都の後ろから、ケンが大きく手を振る。
「せーぜー頑張って来いや、成」
それを聞いた理香と美都は、納得して両手を合わせた。
「あ、なるほど。保健室で告白ってわけか」
答えに詰まったケンに、篤志がフォローをいれる。
「いや、それはもう終わってて。あとは萌子の返事待ち…かな」
「誰が邪魔しようとも、自分が諦めようとも、結局気持ちは正直でしかないよ」
枡田の言っていった言葉を繰り返し、朔哉はチリチリする胸を押さえる。
また俊平には、Ｍって言われるかもしれないな。
朔哉はそう思いながら、気づいた気持ちを認めて、決意を固める。
でも俺は、好きな人と一緒に幸せになれるよりも、
好きな人が、世界で一番幸せであってくれれば、それでいいと思う。
自分以外の人間と一緒にいることが、それが彼女の幸せだったら、
そうしてあげたいと思う。
だから、俺は。祝福する。応援もする。
朔哉は萌子に向き直った。
「だからモエチャン。
この前のことも、仕方ないから。
モエチャンが、早坂のこと好きだったとしても、そのことで友達に謝ることはない―」
「誤解、しないで下さい」
萌子は突然、朔哉の言葉を遮ってそう言った。
少し驚いた朔哉に、萌子ははっきりと大きな声で答える。
「枡田さんと彩のことと、百合とのことは、違います」
「…違、う？」
朔哉の言葉が揺らいだのは、萌子の言葉に対してだけではない。自分と向き合った萌子の視線が、少し外れているように思えることが、気になったからだ。
遠い目。
見つめているのは、俺じゃない。
…月？
じっと見つめていた萌子から視線を離した朔哉の目に映ったのは、保健室のドアに手をかけたままの成であった。
早坂、どうして…。
その瞬間、朔哉は、成がいることを萌子に伝えなければならないと思った。背後に成がいるということを。
成のことが好きであっても、それは仕方ないことだ。
百合のことをきにすることはない。
そう伝えようとした朔哉の言葉を、萌子は遮ったのだ。
『誤解、しないでください』
例え、それが百合への友情の証であっても、
例え、本心でなくても。
その続きを成に聞かせるべきでないのは、朔哉にもわかる。
『早坂とつきあってやれって言ったんだ、沢木に』
その後、早坂がどう言ったにしても、聞かせるべきじゃない。
それは、彼女のためでもある。
「…ぁ」
言葉にならない小さな声が、朔哉の口からこぼれる。
モエチャン、薬ありがとう。
明るく何事もなかったかのように言ってもよかった。
どうした、早坂。
ふと気づいたように声をかけてもよかった。
だが、朔哉は躊躇った。
そしてその間に、萌子は、泳ぐ朔哉の視線を無視して、堂々と言い放った。
「私は、成のこと、仲間としてしか見てないですから」
頬がきゅっと引き締まり、視線も強く一点を見つめて、なおも萌子は続ける。
「それは、これからも、同じです」
ドアがすっと閉まりかけ、思わず朔哉は手を伸ばす。
自分の脇を朔哉がすり抜けようとしたした時、萌子はもう一度、呟いた。
「これからも。ずっと」
バタバタと音がしていった。廊下を成が駆け抜けていく足音だ。思わず朔哉は振りかえる。
追いかけていくんなら、
今の言葉を取り消すんなら、今だよ。
「モエ―」
そう言いかけた朔哉に、小さな声が聞こえる。
「…ンナサイ」
んなさい？
その言葉を拾い上げようとした朔哉は、頑なな表情を萌子が浮かべていることに気づいた。
どうして、反応しない？
足音は、保健室まで響いてきてると言うのに。
どうして？
萌子は俯きもせず、空を仰ぎもせず、ただひたすら、目の前を見つめている。
そこにあるのは…。
一枚の、鏡だった。
鏡には、必死に耐えて、今にも泣き出しそうな萌子の顔と、保健室のドアが映っている。
僅かに、開いたままの、ドア。
成が、閉めないままに出ていった、ドア。
気づいていて。
それでも言ったというのか？
『ゴメンナサイ』
萌子の呟いた言葉が、朔哉に伝わる。
それは、萌子が成に伝えたかった言葉。
朔哉は、小さく呟いた。
「…モエチャン…」
夜の海は、深い闇に包まれている。
明かりもない砂浜など、うっかり近づけば、すぐ波にのまれてしまいそうになる。
乱れた息を整えながら、成はその海を見ていた。
『私は、成のこと、仲間としてしか見てないですから』
萌子はそうはっきりと答えた。
『それは、これからも、同じです』
頭に残る声は、何度も繰り返して成の頭に響き渡る。
『仲間としてしか見てないですから』
つまり、付き合えないということだ。
鏡越しに、萌子は怯えたような視線を成に向けていた。
『これからも、ずっと』
成は思わず、足元の砂を蹴り上げた。海水を含んだ砂は、思った以上に重く、成は少しだけバランスを崩す。顔に蹴り上がった砂が当たり、成はそれを振り払うように頭を大きく振ってから、叫んだ。
「畜生っ」
そしてもう一度、砂を蹴り上げる。
だが、いくら砂を蹴っても、
何度叫んでも、
成の気持ちは晴れないままだった。
気づいていた。
早坂がいることを、気づいていた。
でも気づいていても、あえて言った。
『仲間としてしか見てないですから』
でもそれが本心でないことくらい、わかってる。
ずっと見ていたから、俺にはわかってる。
答えを見つけた朔哉はやりきれなくなって、寝返りをうつ。
それだけ、傷が深かったということ。
『彼女って、自分の気持ちを自分の意志でもって決めちゃうところありますよね。駄目だと思えば、どんなに気持ちが諦めてなくても、切り替えようとする』
枡田の言っていた言葉を、身にしみて朔哉は感じていた。
一点を強く見つめていた萌子の瞳。
あれは、意志でもって、自分の気持ちを決めた時の表情だ。
だけど。
朔哉は窓からわずかに見える月を見つめて考えている。
どうして、俺は。あの時、彼女を止められなかったんだろう。
その意志は、きっと彼女を傷つける。
なのにどうして、俺は。彼女を助けてあげなかったんだろう。
朔哉はまた、小さく寝返りをうった。
自分が決めた決意は、揺るぎのないものだと思っていた。
萌子の幸せのためなら、自分はどうなってもいい。
けれど、実際に自分がとった行動は、そうではなかった。そのことに朔哉は戸惑い、悩んでいた。
喉が渇き、朔哉が起き上がると、隣で眠っているはずの俊平が声をかけてきた。
「どうかした？朔哉」
ふと気づくと、隣で寝ているはずの司がいなかった。
「いや。何でもないよ」
消灯時間になって、ベッドに入った萌子に、理香がさりげなく声をかけた。
「ね、萌子。成くん、来なかった？」
萌子は理香に背中を向けたままで答える。
「来てないよ。福山さんならきたけど」
その背中がどこか拒絶しているように理香は感じながらも、気にせず理香は答える。
「そうなの？あれ？おかしいなあ」
「理香」
萌子の声の固さが気になりながらも、理香は返事をする。
「何？」
「わたし、成のこと、仲間だと思ってるから。それだけ、だから」
返す言葉をなくした理香に、萌子は布団をかぶりながら言う。
「おやすみ」
しばらくたって、理香の寝返りをうつ音を聞きながら、萌子は必死に目を開いていた。
過ちは、二度と繰り返さない。
私と成は、ただの仲間。
ただの、部員とマネージャー。
ただの。
呪文のように萌子はそう繰り返して思う。
カチリ、と鍵のかかる音がした。
これは開けてはいけないパンドラの箱。
二度と同じ過ちを繰り返さないために。
そう思いながらも、萌子の目からは、一粒の涙がこぼれていた。