Maybe Blue 第一部 海の鼓動
向夏11
明日が決勝のため、今日の練習は早めに終わっていた。萌子と理香は、帰ろうとしている和美を見つけると、わざとらしく息を切って走り寄っていった。
「ねぇ、和美。美都のこと見なかった？」
「知らねぇよ」
萌子の質問に、はやり和美は無関心のように装う。そして、さっさと帰ろうと背中を向けた時に、理香が口に手を抑えて、和美に聞こえるように大きく言った。
「どうしよ…」
「大丈夫よ、理香。そんなに心配しなくても、美都は大丈夫。大丈夫だから」
心配そうな理香を、萌子は肩に手を置いて励ます。和美は歩き出そうとした足を止めた。二人はその反応を確認してから、理香が先に言った。
「まさか、美都…」
思わず和美は振り返る。萌子は弱気な理香を励まし続ける。
「何言ってるの、理香。とにかく、探そう。ねぇ和美も、もし美都を見かけたら、絶対に部室に戻るように言ってね。頼んだから」
俺には、関係ない。
和美はそう思って、後ろ髪を引かれながらも校門に向って歩いていた。
どうせ、何かまたヘマをやったんだ。
けど、俺には関係ない。
…あいつには、和泉がいる。
ふいに声がして、顔を上げると水飲み場のところで、篤志が成と話をしていた。
「椎名、大丈夫かな」
そう言った篤志に、成が言う。
「泣きながら、海の方に走っていったけど。何か思い詰めた表情だったよな」
「ああ。今にも海に入っていきそうな。何か、あったのかな」
和美は足を止める。さっきの萌子たちの会話からしても、どうも落ちこんでいるのは確かだ。
…けど、俺には関係ない。
和美はそう思いながらも、何故か篤志に聞いていた。
「おい、それ何時だよ」
「何が？」
「椎名」
「ついさっきだよ」
篤志に代わって成が答える。和美は早口で成に言う。
「早坂、和泉に知らせろよ」
「イズミって、厳己？それとも湊？」
横から篤志がそう聞いてきた。うざったいと和美は思いながらも答える。
「湊に決まってるだろっ」
「どうしてだよ」
成が同じようにうざったらしく聞いてくる。和美は頭を掻きむしりながら言った。
「だって、あいつら付き合ってんだろ？」
「誰と誰が？湊と椎名？そんな話聞いたこともないよ」
なぬ？
和美の顔が、一瞬驚きに変わる。
付き合ってないだって？ということは、椎名の片思いなのか？
いや、そんなことよりだっ。
「とにかくっ、いず…湊にっ−」
伝えろと言おうとした和美だったが、二人の表情を見ていると、どうしても美都に迫っている危機を感じてはいないようだ。
それに、いちいち説明してる暇はない。
「うるさいっ、もういいっ」
結局和美はそう叫ぶと、海に向って走り出した。
ああ、畜生っ。
あの泣き虫のことだから、また何かやって、怒られて、落ちこんで…。
そんな時に海でも見てたら、どんな気持ちになる？
間に合えよっ。
和美は練習の疲れも忘れて、走った。
そんな後姿を見ていた四人は、ふうと溜息をついた。そして、篤志が誰ともなしに尋ねる。
「うまく行くかなぁ」
理香が自信ありげに答える。
「大丈夫って。あたしたち、迫真の演技だったもん」
そう言って、理香は隣の萌子の微笑みかけた。萌子も理香に大きく頷いた。
「それに、和美は早とちりする性質だもの」
美都は、海辺に立って、待っていた。事情はわからないのだが、萌子と理香が練習ごに海で待ち合わせをして帰ろうと提案してきたのだ。なんで？と聞く美都に、理香は、
「たまにはいいじゃん」
と笑顔で言った。美都は、今日は一人で帰りたくない気分だったので、わかったと答えた。
昨日の一件があってから、美都は二つのことに気づいた。
ひとつは、やはり自分は和美に嫌われてるということ。怪我したと勘違いされて、それに気づいた和美が、美都をそのまま床に投げ出したことは、美都にはかなりショックだった。
せめて、もっと優しい降ろし方もあったと思うのにな。
そしてふたつめは、結局この６日間は、自分にとって、無意味な時間だったということだ、そう、そんなことをされても、まだ美都の気持ちは和美にある。
そっと胸を抑えると、あの時の鼓動が蘇ってくる。日に照らされた汗まみれの横顔。真剣な瞳。細身の和美には、決して軽くはない美都を軽々と持ち上げた意外に筋肉質な体つき。
あの時、美都はドキドキしながらも、その和美のひとつひとつをじっと見つめて、感じていたのだ。そして、それは美都の正直な気持ちであった。
そんな時に、夕焼けの海は美都を切ない気持ちにさせた。
これから３年間は、それでも和美と顔を突き合せなければならないのだ。そのたびに、美都の心は必要ないのにときめくだろう。この報われない気持ちは、どうすればいいんだろう。
いっそのこと、告白してすっきりできればいいのかな。
美都は急に自分の中に湧きあがったこの考えに、自分で驚いた。前向きな考え方だ。そして、その理由に気づき、海を見つめた。
きっとこんな前向きなれるのは、海が頑張れって言ってくれてるからだね。
砂浜へと続く階段に座ろうとした美都は、スカートに砂がつかないようにとハンカチを取り出した。ところが、そのハンカチは、風に舞って、海に落ちてい く。慌てて美都は、鞄も置いたままに追いかけた。砂浜に落ちたハンカチは、まるで美都から逃げるように、風に吹かれて、海に飛び込んでいく。波は穏やか だった。
どうしよう。
そのハンカチは、友人からのプレゼントだった。
美都は、決心すると、靴と靴下を脱いで、まだ冷たい海に入っていく。夏が目前だと言っても、夕方の海は冷たい。引き潮に流されていくハンカチを追いかけようとした時、美都は突然怒鳴られた。
「何やってんだよっ、お前っ。命っ、そんな粗末にしていいと思ってんのかよっ」
強く腕を掴まれて、振りかえると和美だった。和美は靴を履いたままで、海に飛び込んでいた。
命？粗末に？
和美に掴まれた手に、心臓があるようだった。美都はどきどきしながら答える。
「え…。あの…。ただ、風でハンカチが飛んじゃったから取ろうと思って…」
満ち潮になって、ハンカチが押し戻されて、美都の足元をすり抜け、和美の足に絡まって止まる。和美は唖然とした表情を見せていたが、急に真っ赤になると、美都を掴んでいた手を離して、またも怒鳴りつけた。
「馬鹿野郎っ」
和美が怒鳴ったのは、美都だけではない。
萌子や、篤志や、成、理香。そして自分だった。
ハンカチを美都に投げて渡し、ザブザブと波をかき分けながら陸に上がる和美に、美都は必死に謝った。
「ごめんなさい。ごめんなさい…あたし…。いつも、迷惑ばかり北内君にかけてるね。本当にごめんなさい」
漣の音に合わせるように、美都の言葉が、優しく悲しく響く。和美はどうして自分がこんなに苛立っているのか、もうわかっていた。自然と足が止まる。
「俺はっ…。俺は別にっ…。お前に、迷惑かけられた覚えはねぇよ」
いつもそうだった。
和美自身に迷惑がかかっていることなどなかった。
ただ、いつも気がつくと、美都は何かしらヘマをやっているのが見えた。それで、苛立っていたのだ。
美都は、和美の口調がどことなく優しく感じられて、思わず聞き返した。
「けど、目障りなんでしょう？」
「それは、お前がヘマばっかやってるからだろっ」
和美は、またも怒鳴りつける。
そうなんだ。
俺がいつもこいつを見てるから、そんなヘマばかりが気にかかってたんだ。
いつも…、見てたから。
「ごめんなさい」
美都は、まだ自分に背を向ける和美が、相当怒っているものと思って、素直に頭を下げた。
海が言ってる。頑張れって。頑張れって。
美都は思いきって顔を上げた。もう、悔いは無い。
「あたし、マネージャー辞めます。仕事もろくにできないし、足ひっぱってばかりだし。それに、萌子や理香と違って、動機も不純だったし。
この前北内君に言われた通りです。サッカーが好きで入ったんじゃないもの。あたしは…。ただ、北内君の側にいたかっただけなの。北内君のこと、好きだから、追いかけてきただけなの。だから…。だから…」
美都はそこで言葉が切れてしまった。
言いたいことは全て言ってしまった。それでも、和美の背中はぴくりともしない。
それが、答えなのだ、と美都が思ったとき、和美が背中越しだが、美都に声をかけた。
「さっさと、靴履けよ」
「え？」
「送ってってやる」
「でも」
でも、また迷惑になるよ。そう美都が言おうとした時だった。和美は、美都の顔を振り返って見ることはなかったが、はっきりと言った。
「お前みたいなトロい女、誰かが面倒みねぇと、人様の迷惑になるからな」
「それって…。どういう、意味？」
美都は、これは夢かもしれないと思った。しかし、足に感じる海の冷たさは本物だった。
和美はずっと怒鳴りつけるように言った。ロマンチックなのは、この波音と、夕日だけだった。
「そのくらい、自分で考えろっ」
それだけ言って、和美はさっさと海から引き上げる。慌てて、美都が追いかけようと海から上がり、靴を履こうとする。
「あのっ。それって、あたしと付き合ってくれるってこと？」
和美は足を緩めることなく、階段を上っていく。
あいつら、仕組みやがって。明日会ったら、ただじゃおかねぇぞっ。
だいたい、あの演技。見れたもんじゃねぇんだよ。
そう言いながら、和美は自然と頬が緩んだ。
「き、北内君？」
美都はそう言いながら、慌てて和美を追いかける。一瞬だけ振りかえった和美の横顔は、笑っているように思えた。
「大成こ…」
両手を上げて喜ぼうとした理香の口を、篤志が慌てて手で塞ぐ。美都と和美はまだすぐそこにいるのだ。
二人の様子を、物影から見ていた四人は、美都たちが駅に消えていくのを確認して、大きな溜息と共に、やったーと声を上げた。
「あたしたちって、すごくない？」
とりわけ理香は嬉しそうに飛び跳ねている。成も喜んでいると、ふいに理香が寄ってきて耳元で言った。
「今がチャンスよ、成くん」
成がえ？というと、理香は萌子を指差した。萌子は篤志と話している。
「きっと今なら、萌子もロマンチックな気分になってるし、美都が両想いにになって、『いいな、あたしも』って思ってるはずだから。
七夕祭に誘っても言いし、告白しても、きっとうまくいけるって。
それから、そろそろ萌子って名前で呼ぶこと。きっと萌子はどきっとするから、あとは成くんの押し次第っ」
戸惑っている成を、理香は軽く萌子の方に押し出すと、いきなり声を上げた。
「あたし祝杯あげたくなっちゃった。萌子、ちょっと待ってて。何か買ってくるから。アッチ、一緒に行こ」
理香は篤志の腕を取ると、そのまま学校近くの自販機へと歩き出す。まだ落ちつかない成の隣で、もう一人取り残された萌子は、大きく伸びをして、独り言のように言った。
「よかった。本当に」
「そ…だな」
萌子はコンクリートの柵に腰掛ける。強い海風が吹いてきて、髪をなびかせた。成は、そっと萌子の隣に座る。
「…湊、落ちこむかな」
ふいに萌子が言った。
この計画は、湊にも話したのだ。できるだけ、今日だけは和美の近くに行ったり、美都と話をしないようにするために。
美都が和美のことを忘れようとしていることは、湊は気づいてたと成は言った。何かあったんだろうけど、とりあえず様子を見てみようと思っていたという。あの時も、湊は笑っていたなと思いながら、成は言った。
「あいつのことだから、笑顔で祝福するよ」
また強い海風が吹いてきて、潮の匂いの中で、優しい花の香が漂う。成は思わず萌子の方を見ていた。
と、突然風が止んだ。
「あ…。風が…。無くなった」
萌子は不思議そうな表情で、海を見つめる。
「夕凪だよ」
初めて聞く言葉に、萌子は成の言葉を繰り返した。
「夕方に一瞬だけ、海風が止むときがあるんだ。朝もそういう時があって、それは朝凪って言う」
萌子はふーんと言いながら、その不思議な感じを嬉しく思ったのか、少し微笑んだ。
「なんだか、こう感じない？
今、世界の時が止まってるって。波もなんだか穏やかになってるし、夕日も綺麗だし」
確かにそうだった。海風は、晴れの日でも強く凪浜高校に吹きつけて、それは止まることがないように思っていた。成も、こうして夕凪に遭うのは初めてだった。
世界の時が止まっている。
この海で、君と、二人きり。
成はなんだか急に照れくさくなって、俯いて答えた。
「そうだな」
その時、萌子が囁くように言った。
「…このまま、時が止まってくれたらな…」
「え…？」
成はまず自分の耳を疑った。萌子の言葉は、成もまさに同じように思ったことだったし、その声は小さくて、聞き取りづらかったから、まるで成の独り言のようにも思えたからだ。
成は隣の萌子を見つめる。萌子はただ海を見ているだけだった。その横顔からは、何も読み取れない。この頃の萌子はずっとこんな感じだった。
何か、悩んでいるような、幸せなような、相反するものが萌子の中にはあって、そこにはまだ誰もいない。
分かり合いたいと、成は思っていた。理香は今がそのチャンスだとも言っていた。
けど、どうすればいい？
その時、海が言った。頑張れ、頑張れ、と。
「萌子−」
萌子の悩み事、俺が聞くよ。
俺、好きなんだ。萌子のこと。
全てを言う前に、止んでいた海風が、再び吹き始め、萌子の髪を荒荒しく揺らした。
「あーあ、また風が吹き始めちゃった」
「あ、ああ…」
成はそう答えながら、萌子の反応を見てみる。風に邪魔されたけど、名前で呼んだのは聞こえたかもしれない。理香のいう、ドキッとしてる時かもしれないのだ。だが、萌子はいつもと変わらぬ表情で、海を見ている。
「あの…、もえ−」
もう１度、成が呼んでみようとした時、やはりというのか邪魔が入った。
「おーい、買ってきたぞ。コーラ」
「あれ？ケン」
気がつけば、萌子は成の隣から立ちあがって、やってくるケンに歩き出していた。成が振りかえると理香がいい訳がましいように説明する。
「そこで会ったの。はい、これ萌子の」
ありがとうと答えて、萌子は缶ジュースを受け取る。背中しか見えずに成が苛立っていると、にやついた顔のケンがやってきた。
「で、これは成のだ」
こいつは俺の邪魔をする気だな。
成はそう思いながら、無言で奪い取るようにケンからジュースを受け取った。そして、開けようとしてふと気づく。
「…お前、振っただろ。このコーラ」
どうも目がキラキラしてんだよ。
成はケンにジュースをつき返す。
「振るわけねぇだろ？どうしてそんなこと、俺がするんだよ」
受け取ろうとしないケンに向って、成はプルタブを引こうとする。
「やっ、やめろよ、成」
「やっぱり振ったんだろ。お前のと交換」
逃げ出したケンのジュースを、成は無理やり奪うと、自分のをケンに押しつけた。そして、ゆっくりとプルタブを引く。
飛び出した泡は、まともに成の顔にかかった。甘い匂いがして、炭酸の弾ける音がしていた。
「ハッハッハ。残念デシタ」
ケンの大きな笑い声がする。
騙されたのだ。成は頭を振って、顔にかかったコーラを手で拭くと、顔を上げてケンをにらみつける。
「ケンッ」
ケンはすでに逃げ出していた。追いかけようとした成は、自分にハンカチが差し出されたことに気づく。萌子だった。
「ベタベタになるから、顔先に拭いたら？成」
笑顔で萌子はそう言った。確かに、言った。
確かに、俺のこと。成って呼んだ。
それじゃ、さっきの萌子ってのは聞こえてたんだ。
呆然としながらも、ありがとうとハンカチを受け取る成に、萌子はくるっと背中を向けて逃げ出したケンに向って叫ぶ。
「もう、ケンもいい加減にしなさいよ。成の制服までベトベトになってるよ」
萌子のケンを諭す声が聞こえてきた。成は、自然と自分の口元が緩むのを感じた。
キャッチホンになった萌子は、それまで話していた美都に、それじゃ明日と言った。
美都の声は明るかった。あの後、家の近くまで和美は送ってくれたという。その間、会話はほとんどなかった。和美は美都に歩調を合わせることもしなかった。それでも、充分幸せなのだと美都は言った。
「ありがとう」
そう言われた時、萌子は驚いた。
一応、仕組んだのは自分たちだったが、それを美都には伝えていないはずだ。しかし美都はこう言った。
「和美…君がね。あいつら、明日会ったらぶっ殺すって言ってたんだ」
物騒な言葉だが、和美はこの計画に途中から気づいていたのだ。美都は全くもって気づいてなかったのだが、和美から聞いて、納得したのだという。
「だって、二人とも、海に呼び出しておいて、来てくれなかったんだもの」
美都は笑っていた。それだけで、よかった。
幸せな気持ちを美都からわけてもらい、萌子はキャッチホンで次の電話に切り替える。電話をかけてきたのは、百合だった。
「明日、決勝だね」
「うん、ついに。でも、まだ県大会だし」
他愛もない話から、百合はサッカー部の話を始める。
決勝の相手、清海大付属は、トップの武原を抑えられれば、それほど苦戦しない相手だというのが一般的な見方だった。そして、その武原には、横田がマークにつくことが決まっている。
そんな話を萌子がした後で、百合は口調をゆっくりにして萌子に尋ねた。
「ねぇ、早坂君って、あたしのこと、少しは知ってくれてるのかな」
百合を成に紹介してから、半月ほどが経っていた。しかし、成から百合のことで利かれたことはない。クラスも、部活も違う百合には不安なのだと萌子は思った。
「知ってるよ、せ−」
成は、と言おうとした萌子は、ふいに思い直した。
今日、成が萌子を名前で呼んだ時、萌子は思わずドキッとした。その意味を、ふいに成に聞きたくなって、視線を向けようとも思った。しかし、風が邪魔をして、はっきりと聞きとれず、空耳かもしれないと思って、敢えて気づかぬふりをした。
もし成が、萌子と呼んでいるのなら、この次もそう呼ぶだろうと思ったのだ。それなら、それでもいいと。だが、そうやって受身な自分に、ふと萌子は疑問を覚えた。
近い存在であって、何故か名字で呼び合うことを、理香に聞かれたことがあったが、そのとき萌子はただ向こうがそう呼ぶからだと答えた。しかし、よく考えてみると、和美にしても、右京にしても、自分から呼び出したのだ。
そう、部員なんだから。
だから、呼んだのだ。成、と。
しかし、その考えは、真剣な百合の声を聞いていると、だんだんと薄れていく。特にこのところ、百合は萌子と成の仲を疑っているようにも思うときがあった。そう思ったとき、萌子はこう言っていた。
「知ってるって。早坂君は」
断言したように言う萌子に、それでも百合は不安そうに尋ねる。
「でもきっと、あたしの気持ちには気づいてないよね」
それは、そうかもしれないと萌子は言葉を詰まらせた。
サッカーをしている時以外は、どこか柔らかで、ぬけている成は、敏感というよりは鈍感に近い気がしていたし、それが女の子の気持ちとなると、否定のしようがない気がした。百合は震えた声を、抑えて言う。
「ねぇ萌子。聞いてみてくれない？」
「え？」
驚く萌子の声が、受話器から聞こえてくる。百合はそっと受話器を握り締めた。
「あたしのこと、どれぐらい知ってくれてるのか。
…あたしのこと。ちょっとは、女の子として意識してくれてるのか」
気は進まなかった。けれど、その理由もなかった。
萌子は、友達として答えるしかない。
「あ…うん。わかった」
百合はわざと明るい声を出す。そうしながら、電話でよかったと思う。もし、目の前に萌子がいたら、本当は笑顔なんかじゃないってことがわかってしまうから。
「七夕までもうすぐだし、あたしも頑張らないと。早坂君、人気あるし。萌子、協力してね」
一瞬言葉が思い浮かばなかった。しかし萌子は、すぐに美都を思い出す。
美都が和美を忘れると言った話を理香から聞いたときの、もっと話を聞いてあげればよかったと後悔した気持ち。そして、さっきの電話から伝わってきた美都の喜び。
「まかせて」
萌子は明るく答えた。しかし、電話を切ると、無意識に溜息をこぼしていた。