Maybe Blue 第一部 海の鼓動
向夏10
「よいしょっ…と」
美都は掛け声と共に、洗濯籠に山積みにされた選手たちのユニホームを持ち上げた。これからこの何十枚とあるユニホームやシャツを干さなければならなかった。決勝まで、あと２日だった。
今日で５日目になるんだ。
美都はそう思っていた。試合の日になれば、１週間過ぎたことになる。そう、和美のことを忘れる決心をしてから。それは思っていたよりもずっと簡単だった。仕事に集中してしまえば、もともと和美から美都に近づいてくることはなかったし、クラスも遠ければ家も遠い。
結局あたしと北内君をつないでいたのは、部活だけだった。
和美は、今までと同じく美都に話しかけることもなかった。そのことに美都はどこかがっかりした気持ちになりながらも、それが普通なのだと考え直した。
このままで、ゆっくりと忘れていこう。ゆっくりと。
今、学校はサッカー部の決勝の準備で慌しかった。インターハイ本選に向けて、新しく横断幕を作ろうという話が持ち上がり、しかも、それを手作りでということから、グランドでは有志のメンバーと部員が準備をしている。
あたしも、頑張ろうっと。
美都がそう思って、重さに負けて落ちてきた籠を、上にもう１度持ち上げようとした時だった。足元に何かがひっかかった。わっと声を上げた時にはもう遅かっ た。床にばらまかれた洗濯物は、美都が蹴散らしたペンキや絵の具の色に染まっている。そして美都は、近くで乾かしていた横断幕の上に、なんと座りこんでし まっていた。
また、やっちゃった…。
「ちょっと大丈夫？美都」
気づけば、手足に赤い絵の具がびっちりとついてしまっている。あまりの恥ずかしさに、思わず美都は顔を伏せる。
「美都？」
理香に呼びかけられる美都だが、その姿に自分でも本当に情けなくなっていた。
「やだ、ちょっと、美都。本当に大丈夫？」
ペンキで赤く染まってしまった美都に、理香の方が戸惑い、思わず大声でそう言ってしまった時、側でランニングをしていた和美が慌てて走ってきた。
「おい、どうしたっ」
顔を伏せていた美都は、思わず自分の耳に飛び込んできたその声に驚いて、そのまま立とうとしていた動きを止めてしまっていた。理香も、突然現れた和美に驚いたままで、立ち尽くしていた。
しかし、和美にはそんな美都の様子は足を怪我して立てないように思えたし、理香はそのショックで戸惑っているように思えた。加えて、美都の手足には、べったりと赤い絵の具がついていたのだ。
その途端、和美は急に美都を抱き上げ、一目散に保健室へと向った。
「えっ？ええっっ？」
驚いたのは理香の方だ。まるで映画のワンシーンを見ているように、理香はただ、二人を見つめていた。
部員たちの飲み物を運ぼうとした萌子は、二つあったボトルのひとつが急に持ちあがって驚きながら顔を上げた。
「あ。すみません」
「痛いんだろう？無理はしないでいいから」
額に若干の汗をかいて、朔哉がそう言った。見つめる萌子の左手には、まだ白い包帯が巻かれている。ああ、これは、というように、萌子がその手を見つめて言った。
「大丈夫なんですけど、保健の先生がこうしてると監督も仕事を山のようにさせないだろうからっていうだけで」
監督には内緒に、と萌子は小声で言った。朔哉は軽く笑いながら、自分がこうして萌子の側にやってきた理由を思い出した。
「何か、困ったことでもある？部活のこととか、部員のこととか」
保健室で萌子を見かけたときから、ずっと朔哉は思っていた。決勝が近づいたことで、仕事が増えているせいなのか、萌子はどこか元気がない。あの日は、イ ンターが決まったからだと言っていたが、そういうことでの寝不足ではない気がしていた。第一、萌子は決勝が残っているのに興奮して眠れないという性格では ないと思っていた。
となれば、原因は他に。
「それとも−」
それとも、何かあったのか？
朔哉がそう聞こうとして、真正面から萌子の顔を見つめると、逆に萌子が笑顔を向けてきた。
「心配してくれてるんですか？わたしのこと」
そう言い返されるとは思ってなかった朔哉は、向けていた視線を逸らすしかなかった。そうしないと、動揺を隠せなかった。
心配はしてる。
けれど、そう答えると、どうしてかと聞かれるかもしれない。そうなったら、朔哉は答えることができない。
「そりゃ、モエチャンは…、マネージャーだから」
１番妥当と思われる朔哉の答えは、萌子にはあまり意味のない物だったらしい。作ったような笑顔を見せ、萌子はぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。でも今は、ご自分のこと、心配した方がいいと思いますよ」
その言葉の意味を尋ねようとする朔哉に、萌子は朔哉の背中の方向を指した。そこにあるのは、グランドだ。
「柳田さんが呼んでる」
ギクッとして振りかえると、確かに柳田が朔哉の名前を連呼している。怒って顔が赤いのが遠目でもわかるほどだ。
朔哉は自分が練習を抜け出してきたことを思い出し慌てて立ちあがると、自分に背を向けた朔哉に萌子が言う。
「福山さん。元気ですよ、わたし」
嘘をつけ。
そう言いたい気持ちを隠し、朔哉はグランドに戻っていった。所詮、萌子にとって自分はそういう存在なのだから、と思いながら。
美都はとても驚いていた。驚きのあまりに、パニックを起こして、体が固まり、しばらく開いた口が塞がらないほどだった。そんな美都に、和美は眉間に皺を寄せて、真剣な顔つきで口早に尋ねる。
「おい、どこが痛いんだよっ。えっ、どこ切ったっ？」
ほんの数センチ先にある和美の顔を見つめていた美都は、脅すような和美の口調にようやくハッと気づいた。
「あっ、ちっ違うのっ」
「何がだよっ」
和美は本当に心配しているようだ。美都を抱きかかえながら、走っているせいで、周りの注目を集めながらも、その人込みをかきわけながら、美都をかばいつつ、全速力で保健室に向っている。その表情に見とれていた美都だったが、ようやく意識がはっきりしたようだ。
「これ、絵の具なの。さっき置いてあったのにつまづいて、足に付いちゃって…」
急に和美は立ち止まった。そして、ゆっくりと聞きなおす。
「…怪我は？」
怪我と聞かれて、初めて美都は自分が転んだことを思い出した。
「ただ、転んだだけだから、膝小僧をすりむいたかも」
「…」
美都に向いていた顔を、和美は急に正面に向けたかと思うと、突然美都を抱えていた腕を放した。当然、美都は地面に落とされる。
「きゃ…。いたぁ…、あ。北内君」
美都を落とした和美は、そのまま振り返ることなくグランドに戻っていく。その後姿を見つめながら、美都はまだ早く打つ鼓動を感じていた。
コールドスプレーが無くなり、代えを持って来ようと部室に向っていた萌子は、途中、呆然と立ち尽くしている理香を見つけた。
「どうかした？理香」
理香はどうやら校舎のようを見ているらしいが、そこには何もないし、誰もいない。
「それがね」
理香は首を捻りながら説明した。
美都が転んで、赤い絵の具を体につけたこと。そこに突然和美が割りこんできて、いきなり美都を抱きかかえると、校舎に向って走り去ってしまったこと。
理香は、赤い絵の具が血に見えたのかも、と呟いてから萌子に言った。
「よくわかんないけど、北内君ってかなり早とちり野郎だね」
確かにそうだった。
どんな理由だかわからないが、美都と湊が恋人同士だと思いこんでいて…。
そう、早とちり。思いこんでいたんだ…。
そう思った途端、萌子の頭の中での和美の奇怪な行動の意味がスッと見えてきた。それは、成が言っていたことと、見事につながっていく。
関東大会で、湊が美都を手伝ったことを、美都に怒鳴りつけた和美。
それは多分、自分が手伝おうとしていたのを、湊にとって変わられたから。
体育祭で、転んだ美都を怒鳴りつけた和美。
それだって、美都が転ぶところを見ていないと、そしてその後、美都の側にいかないと言えない。
そして、美都のタオルを、わざわざ湊に渡させた和美。
それは美都が湊を好きなのだと誤解をしているから。とすれば、男を追いかけてきたというのも、全て湊への嫉妬。
あ、と萌子は声を出した。
今更のように、司が言っていた言葉を思い出す。
好きな女、いるぜ。
それが、美都では無いといつ司がいったのだろうか。司の言うことは、嘘も多いが時々本当のことを言うといったのは、理香だった。
それに、司はこうも言ったのだ。
あの天邪鬼が。
今まで美都に取ってきた冷たい態度が、全部本当の和美の気持ちの裏返しだとしたら？だったら、美都を抱きかかえたというのもわかる。だって、まわりには、いつもいるはずの湊もいなかったのだから。突然で、和美の本心が思わず出てしまったとしたら。
「そっか…」
「どしたの？萌子」
「和美って、美都のこと好きなんだ」
萌子はまだ信じられない気持ちだったが、理香の方は萌子の言っていることが理解できずに、固まったままで萌子を見つめていた。
「畜生っ、高岡の奴っ」
練習も終わり、汗と泥まみれになった顔を、校舎脇の水道で洗っていると、山田が怒鳴りながらやってきた。
「どうしたんだよ、山田」
山田は首にかけていたタオルを水道台に投げつけた。その怒りように、思わず篤志がそう尋ねた。すると、山田は抑え気味の声で言う。
「沢木のこと、名前で呼んでたんだっ」
水道には、成とケン、篤志しかいない。だからこそ、山田はおおっぴらに話をしているのだ。
この間の一件で、萌子が由太を名前で呼ぶようになり、それに合わせるように由太も萌子を名前で呼ぶようになったのだ。それは、由太が萌子を認めた証拠でもある。
ケンはまたか、といううんざりした口調で言った。
「だから、お前も呼べばいいじゃんっつってんじゃん」
「俺はお前たちと違って、沢木と一人の女性として崇拝してんだよ。そんな簡単に呼べるかよっ」
意地になって反論する山田に、ケンは完全に呆れている。
「変な奴」
篤志は急に思い出したように、気にしてない振りをして水をさっきから飲み続けている成に聞いた。
「そういや成って、萌子のこと沢木って呼ぶよな」
「えっ？…まあ、そうだけど」
「何で？」
「何でって…」
聞かれた成は困り果てる。
この前のケンといい、どうも最近この話ばかりだ。
返事をしないでいると、山田がなるほどという顔で言った。
「お前も彼女のこと崇拝してるんだ」
「そういうわけじゃ…ない、けど」
女性として崇拝…なんて大げさな言葉になってしまうと、成の気持ちとは微妙にずれている気がした。
ようは、簡単。なんだけど。
けれど、その単純な答えを今ここでいうわけにはいかない。
するとケンがにやついた顔を見せる。
「だったら何でだよ、早坂くーん」
成はケンに顔を向ける。
こいつには、絶対にばれてる。
成が静かにケンを睨んでいると、山田がもしかしてっと声を上げる。
「まさか、お前…。彼女のこと−」
成の顔色は一気に変わる。
ケンに加えて、山田にばれたら、つまりは部全員にばれるってことで、そうなれば沢木にも…。
頭の中を矢印が回る。早くいい訳しなきゃと思っていると、山田は強張らせていた表情をふっと緩めて真顔になった。
「嫌いなわけ？」
白けた雰囲気が一気に広がる。成もその言葉に思わず緊張していた肩をおろせずにいた。山田は一応はその雰囲気を感じたらしい。真顔を笑顔に戻して、ハハハと笑いながら言う。
「なわけねぇよな。あんなに綺麗で、優しい沢木のこと、嫌う男なんかいないよな」
成は急に肩の力が下りて、全てが馬鹿馬鹿しくなってしまった。
山田も。そして、俺も。
「ああ、そうだな」
投げやりな成の答えに満足した山田は、笑顔で部室に戻っていった。とどのつまり、愚痴りたかっただけらしい。
ふうと成が溜息をつく。すると篤志が呟いた。
「お馬鹿な奴」
ケンも、成のわき腹を肘でつついて篤志に便乗する。
「呼べないのは、意識しすぎてるからなのにな。成」
「…お前ら、俺のことからかってるだろ」
両耳元で囁く二人に、成は怒りを抑えながら言う。しかし、二人にはそんなこと喜びでしかないらしい。
「当たり前。こんな馬鹿がつくほど初心な奴、からかわなくてどうすんだよな、篤志」
「そうそう。で、どうなんだよ。本当のところは。萌子のこと、好きなんだろ？」
成は恥ずかしさから、またも水を飲み出した。そして、全てを諦めることにした。
「…ああ」
「ふーん、早坂ってあいつのこと好きだったんだ」
答えた途端に、甘い声が真正面から聞こえてきた。
「つっ…つかっちゃんっ」
思わず篤志が声を上げ、縁のところから司がぬっと顔を出す。続いて、そりゃ、変わった趣味してんなぁと言う俊平に、無言の朔哉まで現れた。あまりに驚いた成は、思わず自分の顔中に水をかけてしまった。
司はそんな成を、ケン以上にニヤニヤしながら見ている。
「まあまあ、そいつはご愁傷さま。あいつは過去を引きずってるから、落とすのは相当手ごわいぜ」
その言葉には、司以外の皆が反応した。成は、一言ひとことを大切に言う。
「どうゆう、意味ですか？」
「簡単よ。昔の男が忘れられないってやつ」
平然と答えている司に、ふうと俊平は溜息をつく。
「お前ってば、どこからそんな情報仕入れてくるわけ？」
「あいつに聞いた」
「萌子が、そう言ったんですか？」
篤志までもが真顔で聞いてくる。司はうーんと考え込むふりをした。
「素直には答えなかったぜ。だけど、反応が俺のセンサーにピピッと反応したわけよ」
司の勘は、女の第六感よりも当たるというのはもっぱらの噂だった。成は自然とうなだれていく。そんな成を励ましたいのか、司はあくまでも明るく言う。
「ま、頑張れば？駄目だったら、新しい女。俺が紹介してやっからさ」
じゃあなと言い残し、去っていく司に、朔哉も俊平も続いた。
成は水道の蛇口も閉めずに、ただじっと流れていく水を見ている。思わず篤志が肩を叩いて慰める。
「おい、落ちこむなよ、成。つかっちゃんは、ああやって自分が飽きた女を他人に押し付けたいだけなんだから。それに、つかっちゃんの言うことは、いつも半分は嘘なんだからさ」
「半分は当たってんだよな、けど」
篤志は溜息をつきたくなった。
「ケン。お前は慰める気ないのかよ」
ケンはにやりと笑って、成には聞こえないよう篤志の耳元で言った。
「勝負ごとには勝ちたいんだよ」
必死で走っていた百合は、校舎の角を曲がったところで誰かにぶつかりそうになった。ごめんなさいと慌てて避けて、顔を上げたところで、お互いの視線が合った時、相手が言った。
「百合。どうしたの？」
「萌子…」
百合はぶつかりそうになった萌子の顔を見つめなおす。鼓動がますます早くなる気がした。
「あ、あたし、話が−」
萌子に話がある。そう言おうとした、そのために、部活の終わる時間まで萌子を待っていたのだし、時間を見計らってグランドにもやってきたのだ。しかしすぐに、さっき聞いた言葉が頭の中を回り出す。
萌子のこと、好きなんだろ？
ああ。
そう、認めたのだ。
成は確かに認めた。萌子への恋心を。
そうだろうとは思っていたが、本人の口からはっきり聞くとなると、頭ではわかっていても、心がついていけなかった。
萌子は百合の次の言葉を待っていたが、後ろからサッカー部員が萌子を見つけて離しかけてきた。萌子は百合を気にしながらも、笑顔で会話をしている。
萌子の温かい仲間。
萌子の帰る場所。
萌子は、一人じゃ…ない。
もしも、萌子が早坂君の気持ちに気づいたら。
百合はふとそんな不安を覚えた。
多分、今は気づいてはない。だから、あたしに協力してくれてる。
でも、気づいたら？
気づいたら、何て答える？
断る？
それとも？
「萌子」
ずっと黙っていた百合が、ようやく口を開き、萌子は部員との話を終わらせて顔を上げた百合と向き合った。
「あたしたち、友達だよね」
それは、百合がこの頃よく口にする言葉だった。しかし、今の言い方は、尋ねるというよりは、断定に近い気がした。
「そうよ。どうしたの？突然」
萌子はそう答えて笑っている。
百合は、用事があるからとさっさと萌子の前から姿を消した。
「なあ、司。さっきの話…」
出きるだけ、さりげないように、回りに気づかれないようにと朔哉は様子を伺ってから、着替え途中の司に声をかけた。
司はウェアを脱ぎながら答える。
「何？新しい女の話？それとも？」
さっきまで司が俊平と話していたのは、司の新しい女のことだった。出会ったその日には、もうそれなりの関係だと言う。騒いでいる二人を目の前にして、朔哉は思わず溜息をついた。
「…沢木の話だよ」
「ああ。あれか」
あっさりと答えられ、朔哉は肩透かしをくらった気分になる。しかし、問題はここからなのだ。
「本当、か？」
確か前に、司は萌子は男とつきあったことがないとかどうとか話していたことを手短に言って、朔哉はもう１度聞きなおした。
「まあな。あいつさ。北内の好きな女がいるかどうかってうるさく俺に聞くからさ、だったらお前はどうなのさ、と聞き返したわけよ。そしたら黙り込みやがってさ」
「けどお前は、過去がどうこう言ってただろ？」
そこに萌子の悩みがあるのかもしれないと思う朔哉なのだが、司はそんなところまで深くは考えてなかったらしい。
「だってあいつてば、人に話聞くだけで、自分のことは全然話さねぇじゃん。そういうのは、過去になんかあってさ、それをいつまでも引きずってるような暗い 奴なの。別に俺は、あいつ個人に興味があるわけじゃねぇけど、そういう態度は俺の流儀に反するってわけよ、ギブ・アンド・テイクにさ」
「お前の場合、テイク・アンド・テイクだろ？」
横から俊平がチャチャを入れる。話はもうそこで終わりだ。朔哉は結局何も得られずに溜息をついた。
「けど、お前も意地が悪いよな。後輩を地獄に落とすようなこと言ってさ」
俊平がそう言っている。地獄に落ちたのは成だけではないと朔哉は思った。
司はいつだって、微妙に解釈を違うようにしてみせて、それで後で混乱を招くのだ。司はそんな朔哉の気持ちも知らずに、俊平に熱く語っている。
「人に厳しく、自分に甘く。これも、俺の流儀なんだ」
「萌子？あれ？いないの？」
部室にいると思ってやってきた理香だったが、そこに萌子の姿はなかった。
困ったな、萌子の持ってる安全ピン借りたいんだけど。
理香はそう思いながら、スカートのウエストを抑える。最近、まずいとは思っていたのだが、大笑いをした瞬間、ブチッという音と共に、スカートのホックが飛んでしまったのだ。このままだと、ずっと腰に手を当ててなければならなくなる。
理香はちらっと萌子のロッカーをのぞく。運がいいと言うのか、萌子の鞄は開いたままで置かれていた。うーんと悩んでから、理香はごめんと小さく叫んだ。
「安全ピン、借りますっ」
そしてそう宣言して、そっと萌子の鞄に手を入れた。人の鞄を勝手に探るのは気が引けたが、それでもまさか、何かの弾みでスカートが落ちることを思うと、萌子のことも待っていられなかった。
気が引けるためか、思いきり萌子の鞄を直視できなかった理香は、わっといって萌子の鞄を床に落とした。ポーチや教科書が床に散らばる。
「あ、ソーイングセット」
理香は落ちた物の中から、目的の安全ピンを見つけると、ごめんなさいと思いながらもそれを取り出した。
ウエストを留めて、ほっとしながら、理香は慌てて他の落とし物も拾う。教科書を拾い上げると、中から１通の手紙が、床に落ちた。
何だろう？…ラブレター？
辺りを気にして、理香はそっとその封筒を拾い上げる。宛名は萌子宛。きちんと自宅に郵送されてきたものだ。裏を見ると、きちんと差出人の名前も書いてあった。
枡田圭介。
住所は書いてない。
誰？
残念ながら、封筒は開いてなかった。突然隣の部室ががやがやと騒がしくなって、理香は慌てて萌子の鞄の中にその手紙を押しこむと、残りの荷物も投げ入れるようにして、ロッカーを閉めた。ふうと溜息をついたところで、萌子がミーティングルームに顔を出す。
「理香、何してるのよ。もうそろそろ始めるよ」
萌子の計画は、昨日理香と一緒に決めたものだった。やるなら今日しかないと、二人は他の協力者も得て、部活終了後に理香の言う『七夕計画』を実行することを決めたのだ。
「うん、ごめん」
理香はそう答えて、そのまま手紙のことは忘れてしまった。