Maybe Blue 第一部 海の鼓動
初夏4
「萌子っ」
昼休み、理香が萌子の教室にやってきた。
「一緒にお昼食べながら、仕事しよう」
その手にはお弁当があり、すでに百合とお弁当を広げていた萌子は、一瞬戸惑った。理香の方でもその様子を見て、困っていた。
「あ、わたし。席外すから」
その雰囲気を察してか、百合が言った。けれど、萌子が引き止めた。
「別に彼女いてもいいでしょ？」
理香はうーんとうなってから、正直に言った。
「実はさ、サッカー部の名簿作りなんだよね。これ、外に回るといろいろうるさいから、なるべくひっそりとやるように言われてるんだけど…」
「大丈夫よ。百合は別に誰かのファンでもないもの」
萌子は力強く言って、百合を見た。百合もにっこりと微笑んだ。理香はちょっとだけ考えるふりをしてから、同じようににっこりと笑った。
「だったら、まぁいっか」
理香はそういうと、手早く名簿の元になる資料を広げた。
「それにしても多いんだね。サッカー部ってやっぱり」
二人の横で名簿を見ていた百合が言って、理香が答えた。
「まぁね。今現在は百二十一人か。でも、多分あと一ヶ月後には百人はいないと思うよ。練習のきつさで辞めてくから」
萌子は先ほどから名簿に集中している。名簿に目を走らせていた百合は、また違うところに目をつけた。
「へぇ、サッカー部って寮があるんだ」
「ここから歩いて十分くらいかな、小さいのがね」
「理香」
諭すように萌子が言うと、理香は舌を出して言った。
「小さいは余計か」
実際に寮生は、三年が三人、ニ年が五人、一年が六人いて、それぞれが二人部屋だった。
百合はふーんと答えて、少し恥ずかしそうに言った。
「わたし、サッカー部もサッカーも知らないから。聞いてはいたけど、入ってみてびっくりよ。周り中、サッカー部のファンだらけで」
「今は第二次ブームだからね」
「第二次？」
百合は興味ありげに理香を見た。
「そう。一次は選手権直後。今は、それをみて期待いっぱいで入ってきた一年生が騒いでるの。もう少ししたら落ちつくと思うよ」
萌子が理香に訂正個所を示して、二人が話している間に、百合はそのリストをじっと見ていた。そして、自分の仕事に戻った理香に、聞く。
「ねえ、西山中って、どこ？」
百合が見ていたのは、一年生の名簿だった。
「とも君は北山町の方。県北だね」
ふーんと言いながら、百合は視線を走らせる。
「知らない中学が多いね。金森中か」
「ケンちゃんは埼玉県から来てるんだ。監督がスカウトしてきてるから。全国から」
実際には関東近辺が、しかも県内がほとんどだが、それでもやってくる生徒がいるということが、凪浜のレベルを現していた。百合はまたも名簿をのぞきながら、そっとある場所を指して聞いた。
「ほんとすごいんだね。ここは？三善中学」
隣には、早坂成と書いてある。
「ああ、成くん？成くんは、みっちゃんと一緒で名塚市」
「へぇ、ほんと。すごいんだね」
ブリックを買いに行った美都が、ふとグランドを見ると、和美がボールを蹴っているのが見えた。思わず立ち止まり、じっと眺めていると、急に肩に手が置かれ、耳元で甘い声が囁いてきた。
「何見てんの、椎名チャン」
驚いて美都が振りかえると、ニヤニヤと笑っている司がいる。
「おっ大槻先輩っ。や、やめて下さい」
美都はそう言って、司の腕から逃れる。また、いつものようにからかわれると感じた美都が急いで教室に戻ろうとした時、司がグランドを見ながら言った。
「おっ、北内モテモテだな」
その言葉に、思わず美都がグランドに目を向けたとき、司がニヤリと笑っていった。
「うっそ」
確かにグランドでの和美は、さっきと同じくただボールを蹴っているだけだった。ホッとしてから、慌てて美都が教室に戻ろうとした時、司が言った。
「うーん、椎名って北内が好きなんだ」
「…違います」
認めたら後が大変だし、第一恥ずかしいと美都は思ってそう答えたのだが、司にとって説得力はなかったらしい。
「知ってたか？あいつ女、いねぇよ」
振り返った美都に、またも司は笑いかける。
「男はいるけどな」
またからかっているだけだと思い、司に背を向けた美都に、司は付け加えた。
「そいつは冗談だけど、あいつ女嫌いなのは確かだぜ」
美都は足を止めて、ゆっくりと司を振りかえった。しかし、またも司は笑うだけだった。
「諦めて俺とつきあわない？」
「冗談言わないでください」
美都は声を小さく振るわせながらそう答えるのが精一杯だった。走っていく美都を見ながら、司がふとグランドからの視線を感じると、その先に怒った顔の和美がいた。
「おうおう、両想いってやつかい？」
司はそう呟き、和美に向かって余裕の笑みを見せると、自分の教室に戻っていった。
「はい、名簿作りましたよ。朔哉先輩」
授業の合間の休み時間に、朔哉の教室に出向いた理香はそう言って、名簿を渡した。遠くで取り巻きが自分をじっと見ているのがわかる。
「サンキュ」
「こんなの、あたし一人でできるのに」
理香はぷぅと頬を膨らませた。別に萌子の所に行くことは嫌ではないし、むしろ楽しかったのだけれど、せっかく朔哉に頼まれたというのに、簡単な仕事で、しかも萌子と二人での作業を命じられたのだ。自分の能力を見くびられた気がして、それが気に入らなかった。
朔哉は軽く笑った。
「小池は思い込みが激しいとこあるからな。間違えたら俺のせいにされるし」
「いくらなんでも、そんなことしないですっ」
理香はそう言って怒っては見たけれど、朔哉は笑顔のままで、ポケットから出したものを理香に渡した。
「約束のブリック」
喜んで受け取る理香に、朔哉はさりげなく聞いた。
「ところで誰にも見せてないよな」
笑顔の理香が、笑うのを辞めて、ちょっと困ったように言った」
「それが萌子の友達が、ちょっと」
「モエチャンの友達？」
「百合ちゃんっていうんだけど。でも、大丈夫ですよ、彼女、サッカー部のファンじゃないっていうし、それにすごいいい子みたいで。萌子もよかったですよ、ひーちゃんが留学した時は、落ちこんでるっていうか、寂しそうだったから」
「そう」
朔哉は答え、名簿に書かれた萌子の名前をじっと見ていた。
「あ、そうそう。萌子が朔哉先輩に『モエチャン』って呼ばれるのを何かきにしてましたよ」
「どうして？」
真剣な朔哉を見て、理香はまずったと思った。
「何か…馬鹿にされてる気がするとか」
遠慮がちにいったのだが、朔哉の表情はますます固くなるばかりだ。そこで理香は慌てて付け加えた。
「あ、でもそんなことないって言っておきました。朔哉先輩に限ってはそんなことないもん、細谷先輩だったら、ありうるけど」
「俺がなんだって？」
朔哉の後ろから突然俊平が現れて、理香はどっと汗が出てきた。
「イエ。何でもないですよ。イヤ、先輩も、お元気そうで何よりですね。ハハハッ」
「お前、ますます日比野に似てきたな。話の誤魔化し方」
「ふう」
ミーティングルームで、荷物の整理をしていた萌子は、一息ついた。棚の上の段ボールを一つ一つ降ろしては、中をチェックして、足りないものは買わなけれ ばならない。棚の高さが百五十八センチの萌子には少し高いのと、荷物の重さに少々骨を折っていると、知朗が突然現れた。知朗は萌子に気付いたが、無視して お茶を飲んでいる。萌子は試しに知朗に頼んでみることにした。
「ねえ、知朗。これ降ろすの手伝ってくれる？」
「何で俺がやんだよ。お前の仕事だろ？」
「手伝ってくれてもいいでしょ？」
知朗と話をしていると、何故かいつも喧嘩腰になってしまうと萌子が言ったそばから反省していると、知朗はお茶を置き、棚の前に立ったが、急に踵を返して出ていってしまった。
何？どういうこと？
しかし、すぐに萌子は気付いた。
そうか、知朗もきつい高さなのか。
これから伸びるにしても知朗の百六十センチという身長が、本人のコンプレックスであることを、萌子は多少なりとも感じ始めていた頃だった。
悪いこと、しちゃったかな。
仕方ないと台にしている椅子に立ったとき、またドアが開いて、今度は由太が入ってきた。由太も萌子に気付いたが、無言でお茶を飲み出した。萌子は、一瞬由太に頼んでみようかと思ったが、やめた。
由太チャンはね、男尊女卑の完璧主義者なんだよ。
理香の言っていたことを思い出す。
「よいしょ」
椅子の上で、更に背伸びをして段ボールを引っ張ってくると、萌子はえいっとそれを抱えた。途端に滑り落ちてきた荷物の重さに負けて、椅子がぐらつき、萌子は危うく倒れそうになった。しかし、その時、誰かが後ろから萌子と段ボールを支えてくれた。
「ありがとう」
その相手は、萌子から荷物を奪うと、机の上に置いてくれた。礼をいいながら、振りかえった萌子は、そこで動きを止めた。それは由太だったのだ。驚いてい る萌子を由太は一瞥すると、そのままミーティングルームを出ていった。残された萌子は、事情がよくわからなかったけど、一つだけ思った。
結構、優しいんだ。高岡君って。
「どうしたんだ？朔哉」
「何が？」
これから練習という時、着替えている朔哉に向かって俊平が唐突にそう言った。
「小池に偵察頼むなんて」
同じクラスの俊平は、朔哉がわざと理香に、萌子と共同で仕事させたことを知っていた。朔哉は知らないふりをしていたが、あまりにも俊平が見ているので、関係ないように答えた。
「別に。ただ、責任感じただけだ」
「…なら、いいけど」
何となく気まずい雰囲気になったところで、ニ年の誰かが言った。一年はすでにグランドに出ていたし、三年はまだ来ていなかったので、今の部室にはニ年しかいなかった。
「それにしても、今年はマネージャーが女子で、しかもかわいいのばっか入ったよな」
「ほんと、ほんと」
「小池は日比野がいるけどさ、沢木も椎名も彼氏いないし」
「え？沢木いないの？」
「ラッキー」
ざわめき出した部室の中で、遅れてやってきた司が、朔哉と俊平に囁いた。
「あのお固さは、男を知らないからだな」
頷く俊平を横目に、朔哉は一瞬止めた手を、またすぐ動かした。
その時、田島が言った。
「俺、マジに頑張ってみようかな。結構、目ぇつけてたんだ。見学来てたときから」
「そんなこというなら俺だって」
冗談も入り混じっての声が飛び交う中で、司が皆に言った。
「お前ら、あいつとつきあうと大変だぜ。迂闊に手ぇ出したら、殴られるし、口開けば正論ばっかだし、第一浮気もできねぇぞ」
すると田島が言った。
「そりゃ、大槻はモテるから、浮気できるんだよ」
「そうだぜ。それに、そんなこと言って、お前だって結構仲いいじゃん」
反論された司は、けどよ、と答えた。
「俺は別にあいつを女にしたいと思ったことないぜ。もし、あの三人で選ぶなら、俺は椎名を取る」
「よかった」
「お前、今の言葉忘れるなよ」
面倒臭そうに司が頷く中で、田島は朔哉にも話をふった。
「朔哉、お前は？どう思う？沢木」
俊平が自分を見つめているのが朔哉にはわかっていた。スパイクを履きながら、至って平然とした様子で、朔哉は答えた。
「確かに…。かわいいとは思うけど、別にそれだけだよ」
途端に、田島達が歓声を上げた。
「朔哉と大槻がそんな調子だったら、いけるな」
「けど沢木って１年で仲いいだろ」
「何言ってんだよ、こんなときこそ、年上の魅力だろ？」
朔哉は一人支度を済ませ、部室を出ていった。