Maybe Blue 第一部 海の鼓動
初夏2
「ね、萌子。明日どっか行かない？」
部室に萌子が成と戻ってくると、明るく出迎えた理香が言った。萌子を見た途端に、理香はさっきはごめんと謝った。
「萌子がずるいことしてたっていうなら、あたしなんかもっとずるいし。それに、今はもう立派なマネージャーなんだから、関係ないよね」
成と同じことをいう理香に、萌子はありがとうと言った。まだジャージ姿の萌子を見て、理香は早く着替えるように言い、部室でこれから着替えようとしていた成までも追い出してしまったのだ。そして、突然この話題を出した。
「美都も一緒にね」
実は映画のチケットが何枚か手に入って篤志と行く約束をしているのだという。
「けど、お邪魔じゃない？」
遠慮がちに言う美都に、理香は得意げに言った。
「だから、美都は北内君を誘えばいいのよっ」
美都はえっと言ったままで顔を赤くして固まってしまった。
理香はこういう作戦はすぐに思いつくらしい。
「それじゃ、わたしは遠慮するね」
そう言った萌子に、理香は元気に言った。
「駄目よっ。萌子は…、そうそう成君誘えばいいじゃない、ねっ」
この前のことと、今日のことから、理香の頭の中では、萌子と成のペアが、美都と和美の後ろにスタンバイしていた。
しかし萌子は、理香がそんなことを考えていようとは、思ってもいない。
「早坂君？」
という萌子を無視して、美都が言った。
「でもっ、もう帰っちゃったよ、北内君。それに、あたし…言えないよ」
「何弱気になってるのよっ。電話すればいいでしょ。それに、何だったらあたしが誘ってあげるから」
理香がそう言いきって、二人は押しきられたまま明日の予定が決まった。そして作戦会議を篤志と一緒に行うことになったのだが。
「悪い。実はさ。知朗が行きたいっつうからチケット、あと１枚なんだ」
理香の提案はこうして最初から前途多難だった。篤志はそう言って、すでに五枚になってしまったチケットを差し出した。
「じゃあ取り返してよ」
「無茶いうなよ、理香。もう渡したし、それにあいつブルース・ウィリスすっげぇ好きなんだ」
ふくれた理香に、篤志は慌てて言った。
「だから、要するに北内がいればいいんだろ？北内の分はあるから大丈夫だって」
「成くんもいなきゃだめなのよ」
「…お前、今度は何考えてるわけ？」
疑うような篤志の視線を無視して、理香が言う。
「これはアッチの責任だからね。アッチは自分の分、自分で出してよ」
呆然としたのは篤志の方だ。しかし、結局は理香に押しきられてしまった。
「え…あ…の、あた…し」
電話が繋がった途端に、どもってしまった美都から受話器を奪い取ると、理香は早口に言った。
「凪浜高校サッカー部の小池と言いますが、和美君いらっしゃいますか？」
美都はごめんというように、理香を拝んでいる。結局作戦が決まらぬままに、三人はその流れで寮に集まっていた。そして、決心した美都が和美の家に電話をかけたのだが、こんな様子になってしまったのだ。
「あ、もしもし北内君？あたし、小池」
理香は元気よく会話を進めていく。
そう言えば和美の好みのタイプが、滑舌のいい人だったことを思い出し、こんなにハキハキと話せたらと、また美都は落ちこんだ。そんな美都を元気付けるように、萌子は肩をぽんと叩いた。何故かいる篤志まで、気にするなというような顔をしている。
「なんですってぇ！」
突然理香の声が大きくなった。何事かと三人は驚く。
「ちょっと、今何て言ったかわかってるのっ？」
慌てて篤志が理香から受話器を取った。
「もしもし北内？俺、篤志。あー、ごめんごめん」
篤志は順調に話をしているようだ。
「どうしたのよ、理香」
萌子が半分呆れたように聞く。
「だって、誘ったら何て言ったと思う？なんで俺が金払って映画なんぞにいかにゃーならねんだ、なんて言うんだよ。こっちだってね、誘ってあげてるんだからっつーのよね」
美都の顔が暗くなる。慌てて萌子が理香を宥める。
「理香っ」
「だってっ」
その時篤志が受話器を置いていった。
「いいってよ。明日行くって」
ようやく美都は顔を上げた。理香も笑顔になって、ふうと溜息をついた。
「これで北内君は片付いた、と。後は、成くんだね、萌子」
「え？うん」
萌子はいまいち理香の考えが掴めていない。そこに成が湊と一緒にやってきた。
「ちょうどいい、ねえ成くん。明日暇？映画のチケットあるんだけど」
成は一瞬驚いた顔をして、実は…と湊の顔を見ながら言った。
「湊とウェアでも買おうかって話してたとこなんだけど」
けれど、すぐに湊が言う。
「いいよ。ウェアなんて練習後にでも買いに行けるしさ。明日は映画でも見て来いよ、成」
「けど」
理香もそんな湊を見て、何も言えなくなってしまった。そこで篤志がこう言った。
「だったらさ、湊も行こうぜ」
「あ、萌子っ」
待ち合わせの時間にいくと、すでに理香と美都、そして寮のメンバーが揃っていた。
「和美は？」
「まだ」
萌子は美都の服装を見て言った。
「今日の美都、特別かわいいね」
美都は真っ白いワンピースを着ていた。照れる美都を見ていて、萌子は成と目が合った。
「何か、妙なことになってるね」
萌子は成の隣に行く。
「湊はいいの？」
今日は理香が計画をした、美都と和美をくっつける作戦第二弾なのだ。
「まあ、目的はだいたいわかってるから」
成はそう言ってはいたけれど、いくらなんでも目の前で見せられたら辛いのは、正直なところだろうと萌子は思った。
だが、待ち合わせの時間を十分過ぎても、和美はやってこなかった。
「もう映画始まっちゃうから、あたしたち先に行こう。美都は北内君待ってなよ」
理香にそう言われて美都はあせった。
「でも…」
不安そうな美都に、思わず湊が言う。
「じゃ、俺も一緒に待つよ」
美都がほっと安心した顔をする。それじゃ、と言って二人を残し、萌子たちは先に映画館へと向かった。
映画館で、萌子は理香が自分のチケットを買っていることに気付いた。
「どうして？理香」
「湊君もくることになったでしょ？だからアッチがそうしろって」
そう言って理香は篤志を見た。
「誘ったのはアッチなのにさ」
「だったら私が遠慮したのに」
「駄目よ、萌子は、今日は来なくちゃ駄目なんだから」
断言している理香に、萌子は首を傾げなからも付いて行った。中はそんなに混んではいなかった。そして、映画が始まる直前に、遅れてきた和美たちも合流した。
「ダダダダダッ」
「ウッ…」
知朗がマシンガンを持って、乱れ撃ちする映画の主人公の真似をすると、篤志は撃たれた振りをして倒れた。
「やっぱ、かっけーよな。ブルースッ」
知朗が半分ポーズをつけて言ったところで、和美は呟くには大きすぎる声で言った。
「どこが、あのハゲ親父」
あっ、と萌子が思った時はもう遅かった。
「何だと？」
知朗が和美に掴みかかっている。すぐに湊が止めに入った。
「やめろよ、二人とも」
知朗と和美は、何が合わないのかわからないが、小さなことでしょっちゅう喧嘩をしている。そんな時には側にいる誰かがすぐに止めにはいって、一応は落ち着くのだが。
知朗はチッと舌打ちすると、和美を掴んでいた手を離して言った。
「こんな奴につきあってらんねぇ。俺、帰る」
そして、すぐに踵を返して歩き出す。
「え、ちょっと」
焦る理香を無視して、和美までも、知朗とは反対方向の駅に、勝手に歩き出した。
理香は何とか和美を捕まえると、こう言った。
「北内君には、美都を頼んだから」
「何で俺が」
「男の子は、女の子を送ってあげるの、常識よ」
理香に強く言われ、和美は渋々了解した。
「わかったよ」
「じゃね、美都」
理香は急いで美都を和美の横に押しやると、ウインクをしてエールを送った。二人が駅に消えていくのを見てから、萌子たちもそれぞれの家に帰ることにした。方向は、皆一緒だった。
「偉いね、湊は」
萌子に突然言われて、湊は何でと聞き返した。
「だって、美都と和美にずっと気遣ってるんだもん」
驚く湊に、実は成から聞いたのだと萌子は説明した。
「私だったら、いくら頭の中で思ってても、できそうにないもの」
「そんなことないよ」
湊はテレ笑いをしてそう言った。
「もちろん俺が、彼女を幸せにできればそれでいいけど、でも一番いい笑顔してるときって、やっぱり北内が側にいるときなんだ。それを思うと、北内と一緒にいられるように願うしかないよ」
そういう湊の顔に嘘はない。萌子はふとそんな湊に聞いてみたくなった。
「もしも…。もしも、美都が和美とつきあったとして、でも湊は諦められなくて。それが何かのきっかけで、美都が湊の方を振りかえってくれたら。もし、そうなったら湊はどうする？」
あまりに唐突な話だったらしく、湊は驚いた顔で考え込んでしまった。慌てて萌子は話を止めた。
「ごめん、気にしないで。何でもないから」
湊が心配そうに萌子の顔を覗きこむ。
「何でもないから」
萌子はもう一度、そう繰り返した。
「今日の映画、楽しかった…ね」
心の中で何十回と練習したセリフを、別れ間際になってようやく美都は口にすることができた。ほっとしたのも束の間、和美が言った。
「お前、本当にそう思ってるわけ？」
返す言葉をなくした美都に、和美は冷たく言い放つ。
「マシンガンの撃ち合いがはじまるたんびに、目ぇつぶってた映画の、どこが楽しいんだよ」
正直言えば、美都はこの手のバイオレンス・アクション映画は苦手だった。できれば甘いロマンティックな恋愛ものがよかったのだが、それじゃ和美が出てこ ないと理香に言われたのだ。美都が黙り込んだところで、美都の降りる駅になった。それじゃ、と何とか言って電車を降りたとき、和美がはっきりと言った。
「嘘つく奴って、むかつく」
美都が大きく目を開けて、何か言おうとしているところで、電車のドアは閉まる。そして和美は美都に手も振らずに、空いた席に座った。