Maybe Blue 第一部 海の鼓動
初夏10
「ざまぁみやがれってんだ」
試合後、堺とすれ違った瞬間、知朗はそう言った。うなだれていた堺は、肩をいからせて知朗に掴みかかろうとしてが、チームメイトがそれを止めた。負け犬の遠吠えにしかんらないと気付いた堺は、覚えてろと言い残して去っていった。
高葦商との試合に、凪浜は三対０で勝利を収めた。高さでの勝負は司、そのこぼれ球は知朗が狙うという石橋の作戦は、見事功をなし、三得点のうちニ得点は知朗が叩き出したものだった。堺の言っていた完封どころではなかった。
堺の背中を見ながら、あっかんべーとしている知朗を見て、萌子も顔がほころんでいた。
試合後に集合した時も、知朗は他の一年生に取り囲まれた。
「お前、すっげーな」
「一年魂見せてくれたぜっ」
もみくちゃにされながら、知朗は言い返す。
「あったり前だろっ。俺を誰だと思ってるんだっ」
ニ・三年は一年のはしゃぎようを遠巻きに、半分呆れながら、半分喜んで見ていた。
その中で、司はふうと溜息をつきながら、隣の朔哉に呟いている。
「誰がそのアシストしたと思ってんだよ」
「おつかれ」
朔哉は笑顔と共に、そう答えた。
輪の中心にいた知朗は、外にいて、ただ見ているだけの萌子を見つけると、近寄ってきて声をかけた。
「あんがとな、萌子」
自分の名前を初めて呼んだことと、何を言いたいのかがわからずに、きょとんとしてる萌子に、知朗は言う。
「大声出して、すっきりした」
俺が一番だと叫んだことを言っているのだと気付くと、萌子は首を振った。
「試合に勝ったのは、知朗の力よ」
すると知朗はハハッと大きな声で笑った。
「まあ、それは当然。でも、それだけじゃねぇよ。萌子のおかげ。
悪かったな。今まで」
それは、知朗がマネージャーをただの雑用係ではないと認めた瞬間でもあった。
突然くすくすと笑い出した笠間に、近くにいた司は驚いて思わず隣の朔哉に言った。
「おい、笠間さんおかしくなったんじゃねぇか？」
その声は、笠間にも届いていた。
「いや、かわいい奴だと思ってさ」
笠間のその答えに、ますます司はわからないといった表情を浮かべる。周りにかわいい女子高生など、見当たらない。
「誰？」
「友近だよ」
ついに司は顔を引きつらせて、朔哉に訴える。
「やっぱり笠間さんおかしくなったんだぜ。あの友近がかわいいだってよ。やばいんじゃねぇの？」
聞いている朔哉も、日頃の知朗を思い浮かべると、かわいいとは到底思えない。態度もでかい、大口を叩く、先輩を敬わない。生意気だと言った方が何倍も正しい。
「俺の言っているかわいいってのは、素直でかわいいってことだ、大槻」
「素直…？」
「今まで犬猿の仲だった沢木に、あっさり自分の非を認めるなんて、素直じゃないか？」
朔哉は、話しながら笑い合っている萌子と知朗を見る。
素直…。確かに、そうかもしれない。
「大きくなるよ、あいつは」
嬉しそうに言った笠間に、吐き捨てるように司が言う。
「これ以上、態度デカくされたらた、まったもんじゃねぇよ」
「あいつが態度デカいのは、そうやって自分を追いこんで、必死になるためだ。
今日は突然先発が決まって、自分でも驚いて我を忘れてたみたいだったけど。沢木がハッパかけて、本人の代わりに追いこんだんだ」
もちろん態度がデカいのは、元の性格でもあるさ、と笠間は付け加えた。そして、不満そうな司に向かって、
「態度のデカさは、お互い様だろ？」
と微笑んだ。
「もしもし、亮子？ごめんな」
夜、宿泊所近くの公衆電話にケンは立っていた。自宅に戻っていた恋人の機嫌はいいとは言えなかった。
「赤坂から聞いたろ？そう、今日偶然会ってさ。試合、惜しかったな」
扶洋は初戦、０対一で負けてしまい、赤坂の言っていた凪浜との試合は実現しなかった。
今度はどの試合会場で会えるのかと聞く亮子にケンは答える。
「インターハイかな、お互いに出場できたら。…、なぁ亮子。試合会場で会うの、やめようぜ」
受話器の向こうが静かになって、ケンは慌てて言う。
「結構時間ねぇんだよ。一年だからってこき使われて。だから、今度会えるのは、俺がそっちに戻ったときでも。…夏休みになるかな。盆くらいかな。ちょっとわかんねぇや。毎日練習やってるし」
盆が来るにはまだニヶ月以上あった。インターハイに出場が決まれば、夏休みも返上かもしれない。そうでなくても、ケンにとっては、地元に戻るには少し勇気がいる。
電車で行けば、三時間ほどかかる距離にあって、ケンはなかなか戻ることができてなかった。毎日の練習でくたくたになっていたし、第一授業がある。現実的にはお金の問題もあった。
「会いたかったな」
最後にもう一度、亮子が呟いた。
「髪、伸びたんだってね。江口先輩が言ってた」
江口は、中学からの先輩で、今は扶洋に通う、ケンとも仲の良かった先輩だ。赤坂と話しをしていたときに、こっちをにらむように見ていたのも、江口だった。
「ケンちゃん…」
心配そうな亮子の声がする。こういう時は、いつだって次に言うせりふは決まっていた。ケンは先回りして、電話切るぞ、と言う。亮子の息を呑む音が聞こえてきた。
「体、気をつけてね」
亮子がそう答えて、ケンは電話を切った。
「それじゃ、また明日」
関東大会が終わって、部員たちは駅で解散になった。神奈川第一代表の凪浜は、残念ながら準々決勝で破れ、結果はベスト４となった。それでも、周りはまずまずの結果だと見ていた。目標はあくまで選手権なのだから、と。
萌子は選手のユニホームを洗濯するために、大荷物を抱えて、一人帰ろうとしていた。
「あっ、ちょっと成くんっ」
他の寮生たちと一緒に帰ろうとしていた成は、理香に引きとめられて振り返った途端に、持っていたボールの鞄を取っていかれた。
「この荷物は、こっちで預かるから、成くんは萌子の荷物お願い」
萌子はすでに歩き出している。
「けど、小池がそれを持って帰るわけ？」
理香は理香で手一杯の荷物があるのだ。
「平気平気。アッチが持ってくれるから」
でも…と成が困っていると、理香は篤志を呼びつけて篤志の持っている荷物の上に、成の荷物を乗せた。
「ね、大丈夫。それより、早く行かないと萌子が」
ホラホラと追いたてられるようにして、成は萌子を追いかける羽目になった。そんな成を見ながら理香は腰に手を当てて、大きくため息をつく。
「まったく、あたしが動かなきゃ何もならないんだから」
その隣で、篤志が理香よりも大きい溜息をつく。
「で、今度は何企んでるんだ？」
理香と篤志の視線の先では、萌子に追いついた成が荷物を持とうとしている。篤志はハッとして、理香を見た。
「もしかして、萌子の好きな奴って…」
「ピンポーン」
理香は嬉しそうに言った。篤志は、持っていた荷物を思わず床に落とした。
「荷物持つっていわれても、早坂君だって自分の荷物…」
そう言った萌子は、さっきまで成が持っていたはずの鞄がないことに気付く。成は困った表情を浮かべて言う。
「篤志が持ってってくれるらしいから、俺は沢木の荷物を持ってくことになったらしい」
そういう成も事情がよくつかめていない。振り返ると、確かに篤志が成の荷物を持っていた。萌子もよくわからないままに、ありがとうと荷物を持ってもらうことになった。
歩きながら、自然と話は試合のことになる。
「藤原はやっぱりユースに選ばれるかもしれないって監督が話してたんだ。今回、見に来てた人もいるらしいし」
「そっか」
一年にしてすでにレギュラーとなっている右京をチェックしているのは、他校の選手だけはないのだ。今回の試合での評価は、聞いた話では、凪浜と同じく 「まあまあ」だったという。でもそれは、右京の出来が悪かったわけではなく、これ以上になる期待を持たせたという意味なのだと成は言った。けれど、当の本 人は至って平然として、いつもと変わらなかった。萌子を避けるような態度も、部員と打ち解けない態度も。
ふうと溜息を萌子がつくと、同時に成も溜息をついていた。さりげなく顔を見ると、そこには悔しいという表情が見える。
そして萌子はいつかケンが言っていたことを思い出す。
自分だって、凪に必要だといわれてきた人間なんだ。そう、思いたいんだ。
萌子はなるべく明るい声で言った。
「今回は残念だったね。でも、きっと試合に出れる日が来るから、それまでがんばってね」
ああ、と答えた成は、そう言えばと口にした。
「今回サポートに回ったお陰で、沢木たちの大変さ、わかったよ。いつもありがとう」
萌子は嬉しそうに首を振る。
「皆が試合に勝ってくれれば、大変なことじゃないのよ」
萌子が部員からはっきりとお礼を言われたのは初めてだった。知朗の言葉は、それとは違った意味であったし、それ以外は、その場かぎりのことであったから。
成も知朗のことを思い出したのか、こう言った。
「そういえば、知朗のこと。よかったな」
前に、知朗に雑用係扱いされたことで話をしていたから、尚更成の言葉は萌子の心に染みた。
「あいつ、沢木のおかげでニ点も取れたのかもな」
「それは言いすぎ。点を取れたのは知朗の実力よ」
それでも萌子は嬉しかった。背の高いディフェンダー陣の間を、すり抜けるようにしてドリブルし、疾走する知朗の姿は、気分爽快だった。
俺も…と成が言いかけたのに気付いて、萌子は成の顔を見つめる。
「俺も、がんばろうっと」
帰って来た部員たちを待っていたのは、中間テストの結果だった。
渡された答案を見て、一馬は溜息をつく。
これじゃ、金がないからバイトする前に、勉強しろって言われそうだな。
全員の答案を返し終わった教師が、教室中に明るい声を響かせ発表した。
「平均点は六十五点。最高は、九十八点の川瀬君よ」
教師の拍手から、クラス全員が厳己に拍手を贈る。その中で、厳己は少々戸惑っているようだった。
「すごいわね、川瀬君。他の教科もダントツだそうよ」
すっげぇなぁ、という声が聞こえてくる。一馬は自分の答案を見て、またも溜息をついた。
休み時間、自分の横を厳己が通りかかったので、一馬は思わず声をかけた。
「すげぇな。川瀬。頭いいんだな」
厳己は少し恥ずかしそうに笑った。
「そんなことないよ。渡部の方がずっと尊敬するよ」
その答えに、一馬は冗談言うなと返す。
「何言ってんだよ。俺の点数みたら、お前驚くぞ」
「そうじゃなくてさ、自分の力で自分の夢を追いかけてるじゃないか」
厳己の口調が強くなる。けれども一馬は、ハハッと軽く笑いで返す。
「やりたいことがあったら、どんな状況でもやりぬけるんだよ。お前だってそうだぜ」
「…そう、かな」
厳己はそう答えると、唇をかみ締めた。