Maybe Blue 第一部 海の鼓動
春陽6
「げっ、すっげー回復力」
土曜日のホームルームが終わって、教室に顔を出したケンが、成を見てそう言った。
インフルエンザにかかったのはつい３日前だったというのに、薬を飲んで、たっぷり寝たら、もう熱はすっかり下がっていた。
だから学校に行くという成に、念のため病院に行って、医者に治ったと言われたら行ってもいいと、寮母の昌江が答え、二時間目の途中からではあったが、成は学校に来ることができた。
「だって、明日の試合に出ないと」
「お前出るつもりなわけ？」
驚いたのはケンの方だ。成がいないからスタメンだと思っていたのに、その話もこの様子じゃ白紙かもしれない。
力強く頷いた成を見て、マジかよと、ケンはガクッと肩を落とした。
「弁当買いに行こう」
篤志も連れ立って廊下と歩いていると、掃除をしている園部が成を見つけて声をかけてきた。
「あれ？早坂。大丈夫かよ、インフルエンザ」
「ああ。もう平気」
「お前って、すっげぇな」
感心しているのか、呆れているのか、園部はそう言った。
「園部も弁当買いに行かない？」
「いいや、俺。掃除やんねぇと担任がうるさいし」
園部の担任は、有田という柔道部の顧問で、どういうわけかサッカー部を目の敵にしているのだ。
「そっか、わかった」
そう答えて、歩き出そうとした成に、園部がわざと大きな声をあげた。
「お。噂のカップル登場っ」
噂のカップル？
成がそう思った瞬間、突然目の前が暗くなった。
「え？何？」
「いいから、成」
どうやら篤志が目隠しをしたらしい。
「うわっ、何すんだよっ。ケンッ」
「黙れっ、このオタンコナスッ」
どうやら園部も、ケンに何かされたようだ。
「俺たちの計画を台無しにしやがって」
「計画だぁ？」
声だけで言うなら、二人は今にも喧嘩を始めそうな雰囲気だ。
まずい、と成は篤志の手を振り払おうとする。
「アッチ。放せよ」
「あと、五分」
「何だよ、それ」
仕方なく、成は篤志の腕を振り払う。
病み上がりとはいえ、成は篤志よりも身長が十センチほど高いのだ。フェイントを入れて、成はあっけなく篤志の手から逃れ、目の前にいる園部とケンの間に入ろうとした。
「やめろよ、二人とも―」
左右に分かれた二人の向こうに、教室から出てくる萌子と、そんな萌子を迎える朔哉の姿がはっきりと見えた。
え？
それはまるで映画のワンシーンのように、成の前に起きた出来事だった。
出てきた萌子に、声をかける朔哉。
そうして、二人を祝福するかのように、廊下にいた生徒たちは、慌てて左右に分かれて道を作る。その中を、戸惑う萌子をエスコートするように歩く朔哉。
「あーあ。ばれちゃった。病み上がりだっつーのに」
「だからお前、もっと学校休めばよかったんだぜ」
呆然とする成に、篤志とケンがそう呟いた。
練習前、昼ごはんを食べた萌子が部室に戻ってくると、成がドアの外に待っていた。
萌子は一瞬、ドキッとしながらも、何事もなかったように、おつかれさまと言って中に入ろうとしたが、ドアに手をかけたところで成が言った。
「萌子」
以前とまったく変わらない様子で、成はそう呼んだ。あせって萌子が無理やり部室に入ろうとする前に成はそれに気づいたのか、
「ちょっと。いい？」
と言った。
春一番は先週やってきたというのに、今日も風が強く吹き荒れていた。
となれば、当然海風の激しくなり、その前にある駐車場に立ち尽くす萌子の髪を躍らせた。
風に合わせて、波の音も強く聞こえる。
いつもは心を落ち着かせるはずの音が、その日は妙に心をそわそわさせていた。
「何？」
連れて来られたものの、自分に背を向けて何も言わない成に、萌子は尋ねる。
練習もあるし、すぐに終わらせてしまいたい。
「聞きたいこと、あって」
成はそう答えると、
「あのさ…」
と言ったまま、そのまま暫く黙り込んでしまった。
代わりに萌子の耳には、吹き荒れる波の音が響く。
早く、戻りたい。戻らなきゃいけない。
そんな、気がする。
ここにいてはいけないんだって。
「何もないなら、わたし―」
帰る、と言おうとしたところで、ようやく成が話しはじめた。
「福山さんとつきあうんだって？」
萌子は俯いたまま、答える。
「うん。付き合ってるわ」
そっか、小さく成は呟く。
「オレ…。全然気づかなかった。言ってくれてもよかったのに」
「この前突然言われて」
「そ…か」
そうして、再び深い沈黙が訪れる。
萌子はもう一度、帰ると言おうとしたところで、成にその言葉を遮られた。
「あのさ、あの日、やっぱり何かあった？」
え？と萌子は首を傾げる。その一瞬、成が萌子のほうを振り返った。
「ほら、バレンタインの夜」
やっぱり帰ればよかった。
萌子はそう思い、答えた。
「…なんにも、ないわ」
萌子の声が震えていることに、成は気づかずに、話を進めた。
「次の日、オレ見たんだ。
萌子が、福山さんの側で泣いてるの。
やっぱり、何かあった？
それに福山さんも関わってるんだ。それで付き合うことにな―」
「何もないわ」
成が萌子の方に向き直る。
「けど―」
成がその先を続けようとしたところで、道路のほうから大きく叫ぶ声がした。
「せいさーんっっ」
聞き覚えのない高めの声に、思わず萌子も振り返ると、学ランを来た男子生徒が、こちらに向かって両手を振りながら全速力で走ってくる。
「み、樹生？」
そう呟く成に、男子生徒は突然に抱きついて言った。
「久しぶりですっ、もうオレ、成さんに会いたかった〜」
声と雰囲気からすると、中学生だろうか。
成の知り合い？
思わず萌子がじっと見ていると、樹生と呼ばれた男子も、萌子に気づいたようで、成から体を離して言った。
「あ、もしかして、彼女？
そっか、成さんってばモテるもんな。こんな綺麗な彼女―」
「違いますっ」
思わずむきになって答えると、その男子は少し驚いたのかキョトンとしていた。
よく見れば、子犬のようなつぶらな瞳が柴犬のような愛らしさを思い出させる。
だけど、成には似てないから、弟とかじゃなさそうだし。
誰なんだろう。
ようやく気づいた成が、彼を萌子に紹介した。
「ああ。新田樹生。中学校の後輩で、一緒にサッカーしてたんだ。
それよりも、樹生。何で凪浜に？」
樹生は、正しく尾っぽを振るように、嬉しそうに答えた。
「凪浜高校受かったんですっ。っていっても、スポーツ推薦ですけど。
だから、四月からまた俺たち、コンビ組めるんですよっ。
三中の、ゴールデンコンビ、復活っっ」
「そういえば、湊が昨日そんな話してた。
そっか。嬉しいよ、オレも」
笑顔になった成に、はい、と大きく頷いた樹生は、萌子にも挨拶をする。
「つーわけで、成さんの彼女も宜しくです」
「彼女じゃないってば」
そこで、成が慌てて紹介をする。
「沢木萌子サン。サッカー部のマネージャーしてくれてる。
萌子。話、聞こえてたと思うけど、こいつ四月からサッカー部に来るって」
「宜しく」
「宜しくお願いしますっ。
さすが成さんっ、こんな素敵な彼女を、マネージャーにしちゃったんですね。まったくもう、ラブラブなんだなぁ」
「違いますっ」
萌子はそういうが、当の樹生は全く聞いていないようだった。
軽いため息をつくと、萌子は成に向かって言った。
「とにかく、そういうことだから」
話していたことを、思い出したのか、黙り込む成の隣で、ニコニコと笑う樹生が言った。
「じゃ、また。成さんの彼女さんっ」