Maybe Blue 第一部 海の鼓動
春陽2
その知らせは、突然に訪れた。
亜衣が、亡くなったのだ――。
「これから、お通夜に行く」
久しぶりにグランドに現れた笠間が、朔哉を呼び出してそう告げた。
面会謝絶が解けたら、見舞いに行ってほしいと言ったのは、数週間前のことだったのに。
「俺も…行きます。
監督に、話します」
小さく頷く笠間に、近くにいた萌子も駆け寄ってきて言った。
「あのっ、わたしも。
わたしも行きます」
部活の最中だったので、萌子たちは石橋の許可を得ると、三人は亜衣の通夜に向った。
こじんまりとした通夜だった。
学校に通うことの出来なかった亜衣の友人の多くは、まだ病院でそれぞれの病と闘っているのだ。
わかっていたこととはいえ、亜衣の母親らしき女性は、泣き崩れており、隣にいる父親と思われる男性が、そのか細い肩をつかんでいて、二人はお互い支えあうようにして、やっと立っているような雰囲気だった。
親族の列に混じって、亜衣の恋人・三上泰年は凛とした姿で立っていた。そして、萌子たちを見つけると、軽い会釈をした。その隣には、三上の弟の良次が立っていた。
気高そうな表情の三上とは正反対に、良次は顔を終始顰めていた。それが、涙を堪えていたのだということに、良次が慌てて会場を出て行った時、萌子は初めて気づいた。
焼香を終え、会場を出て行こうとした三人を、三上が追いかけて引き止めた。
「遠いところ、ありがとう」
「いや…」
いつもであれば気を使って何かを話す笠間だが、やはりショックだったのか、言葉が続かず、沈黙となる。
「あの」
ふいに朔哉が口を開いた。三上がその視線を朔哉へと向けると、朔哉は勢い良く頭を下げた。
「すみませんでしたっ。選手権。
亜衣さん、応援してくれてたのに、俺―」
三上は、言葉なく首を左右に振った。
「夏に君と会ってから、亜衣はサッカーに興味持ってね。
色々研究してんだ。
そういう時の亜衣は、すごく楽しそうだった。
自分も、凪高の応援団になったみたいだって。
ありがとう」
項垂れた朔哉を見つめていた萌子に、次に三上は話しかけた。
「ありがとう。萌子ちゃん。亜衣も、喜んでたよ。君と会えて」
萌子も同じように首を左右に振ると、そのまま俯いて涙を隠した。
前と変わらないように見える三上の笑顔が、心に痛く響く。
沈黙の中で、笠間がその間をつなぐように、そっと口を開いた。
「三上。…大学、どうするんだ？国立の医大受かったんだろう」
亜衣の見舞いも続けながら、三上は第一志望の大学に受かっていたのだ。
それこそが、亜衣の願いだった。
自分がいなくなっても、三上の重荷にはならないように。
今までと同じように、一日をきちんと生きていってほしい、と。
「ああ。行くよ、もちろん。
きっかけは、亜衣の病気を治すためだったけど、でも、苦しんでいる人を助けたいって気持ちは、今も変わらないから。
そういった意味でも、亜衣には本当に感謝してる。
出会えて、よかった。亜衣と」
三上はそう言いながら、振り返り亜衣の遺影を眺める。
その写真は、病院の屋上で撮られたものだ。
青い空の下で、亜衣は晴れやかな笑顔を見せている。
「すべての出会いは必然なんだって。
だから、どんなに小さくても意味があるって。
亜衣から言われたんだ。
自分と出会ったすべての人に、代わりにありがとうって伝えて欲しいって。
だから。
ありがとう」
三上はそういうと、ゆっくりと頭を下げた。
耐え切れず、嗚咽をもらした萌子の肩を、そして朔哉はそっと抱きしめた。
駅で笠間と別れた萌子は、送るという朔哉と一緒に家に帰ってきていた。
いつものように門の前で、それじゃあと朔哉が帰ろうとしたところで、急に玄関のドアが開いて、塩を盛った萌子の母親が現れた。
「お帰りなさい、萌子。あら」
そうして、朔哉を見て、言葉を止める。
「こんばんは」
朔哉が挨拶をすると、萌子の母親は満面の笑みになって答えた。
「こんばんは」
萌子がようやく気づいて、朔哉の紹介をしようとする。
「あ、お母さん。サッカー部の先輩の―」
「福山君、よね」
「はい」
萌子が驚いた顔をして見たのは、朔哉のほうで、戸惑っている朔哉に対して、母親の方が明るい声で答えていた。
「前に凪高に試合を見にいった時にね、会ったのよ」
「そう」
「じゃ、僕はここで」
そう言って朔哉は、二人に軽く会釈をして、萌子が慌てて答えた。
「あ、はい。ありがとうございました」
遠ざかっていく背中を見て、
「ふーん」
と母親が答えた。そうして、気づいたように塩を萌子に投げかけた。
「どうしたの？」
「いい子ね、福山君って。
サッカーも上手だったって、お父さんも言ってたし」
「そう、今はキャプテンよ」
いつまでも朔哉の去って行った方向を見ている母親に、萌子は答え、中に入るよう促すが、母は頑として動く気配がない。
「それだけじゃなくて。
送ってもらったんでしょう？萌子」
「…うん」
「紳士的だし、恰好いいし。
ママとしては、大賛成よ」
「え？」
何が？という表情の萌子を見て、驚いたのは母親のほうだった。
「え？付き合ってるんじゃないの？」
「違うよ、お母さん。別に福山さんは―」
否定する萌子を無視して、母親は独り言のように呟いた。
「照れない照れない。恥かしがりやなところは、パパに似たのかしら。萌子は」
違うって、といい続ける萌子の話も聞かずに、母親は軽いステップを踏んで家の中に入っていた。
部活が始まる前の時間、グランドでストレッチをしていた朔哉に、司が言った。
「朔哉。来週の日曜、コンパいかねぇ？」
朔哉より先に、一緒にストレッチをしていた俊平が答える。
「あー無理無理。司、今の朔哉誘ったって、無理」
俊平の、パスするような視線を受けて、朔哉はばつが悪そうに答えた。
「悪い。司」
司は、顔を歪ませると、
「お前最近、付き合い悪いぞ。朔哉」
と言った。
もちろん、その理由は明確だ。
「ごめん」
朔哉がそう答えると、その背中を押していた俊平が厭味のように平坦なトーンで答えた。
「まったく、融通きかねぇんだもんな」
「ごめん」
「まーわかってたから、いいけど」
「え？」
思わず起き上がる朔哉の背中を、俊平はぐいっと再び押しながら答えた。
「俺としては、止めておけって忠告してたつもりだったんだけどな。
忘れてたんだよな。お前って、けっこう頑固だってこと」
チェッと舌打ちして、俊平は、更に強くその背中を押す。
「簡単じゃねぇぞ。あいつ」
その声は、まだ反対しているようで、思わず朔哉は起き上がって真剣に答えた。
「わかってる。けど。おれ―」
再び、ぐいっと深く押され、朔哉は思わず言葉を止めた。
「さっさとケリつけろよ」
俊平はそういうと、朔哉を抑えていた手を離した。
反動で勢いよく起き上がる朔哉に、司が言う。
「ふられたら、盛大な合コンしてやっからさ」
ってことは、司までわかってたってことか？
そう気づいた朔哉は、穴があれば入りたい心境になり、顔をふせる。
そうとは気づかぬ司は、グランドに寝そべって俊平と話し続けた。
「あーあ。これで恒例のナンパ遠征も、俺と俊平だけになるのか」
「げー。お前誘うと、ケバい女しかつかまんねぇんだよなぁ」
「うっせーよ。そういうお前は、スッパイ女しかつかまんねぇだろうが」
「何だよ、スッパイって」
「雰囲気だよ、フンイキ。わかるだろ？」
「お疲れ様でした」
「おつかれー。じゃな。また明日」
「バイバイ」
部活も着替えも終えた部員たちが帰っていく中、ミーティングルームで萌子たちマネージャー三人は片づけをしていた。
「それじゃ、あたしたちも帰ろっか。美都」
「そうだね。理香」
二人は意味ありげにニヤニヤしながら顔を見合わせると、萌子の前に自分たちの仕事を置いた。
「それじゃ、よろしく。萌子」
「ごめんね、萌子」
「ちょっと、理香っ。美都まで。どうしてわたし一人で―」
その時ドアが開いて、朔哉が入ってきた。思わず固まった三人を見て、朔哉は首をかしげる。
「どう、した？」
「いいえ。何でもっ。それじゃ、朔哉先輩っ。お先に」
「お疲れ様でした」
二人はそういうと、さっさと出て行こうとする。
「ちょっと二人ともっ」
待ってよ、という萌子を無視して、理香は朔哉の横を通り抜けようとしたときに、そのコートを掴んで小声で囁く。
「アイス、ひとつおごりでいいですから」
「え？」
朔哉がその意味を尋ねる間もなく、理香は萌子に言う。
「夜遅いから、今日も朔哉先輩に送ってもらいなよ。萌子。
怪我してることだし」
「怪我って、膝を擦り剥いただけで―」
萌子を無視して、理香は美都と話を続けた。
「ねぇ美都。ハイブリ寄らない？」
「うん。いいね」
「わたしも一緒に行きたいってば―」
だが部室のドアは無情にも閉められる。
最後の叫びも虚しく、残された萌子は、何が何だかわからなくてため息をついた。
「ハイブリ、行きたい？」
そんな萌子を見て、遠慮がちに朔哉は聞いた。
「えっ？…うん。まあ、はい」
萌子はそう答えると、覚悟を決めたように理香の置いていった仕事に取り掛かる。そんな萌子を見ていて、朔哉は無性に謝りたくなった。
「ごめん」
「え？」
「ごめん」
「何が？」
「その…ハイブリ…」
朔哉には、自分の気持ちが理香たちにばれてしまっているのだとわかった。朔哉を応援するために、こうして二人きりにさせてくれたのだと。
そもそも、あの俊平と司が言うくらいだ。
ほとんどの部員にはばれてると思ったほうがいい。
もどかしさで、朔哉が髪をかきあげていると、
「別に、福山さんが謝ることじゃないです」
と、萌子が言う。だが、そう言いながらも萌子は、どうして二人にこんな仕打ちを受けるのかがわからずに、しばらく頭を悩ませていた。
一方で、理香と美都は、興奮した様子で、校門に向って歩いていた。
「うまく行くのかな、あの二人」
「行かなきゃこまるよ。焼きそばパンかかってるんだからねっ」
「また日比野君と賭けしたの？理香。いい加減止めたほうがいいよ。萌子が怒るよ、賭けのネタにされてるの知ったら」
「アッチだけじゃないよ。細谷先輩に、大槻先輩。あと、ケンケン」
美都は思わずため息をついた。
「それにしても、気づかないものね、萌子も」
「ほんと。誰が見てもわかるっつーの」
「今日の練習中だって、萌子が転んで膝を擦り剥いたの見てから、気になって仕方ないみたいで、自分がプレー中なのも忘れて、頭にボールがゴンッだもんね」
「気になって仕方なくて、無理やり怪我して、萌子のところに行くし。ちょっとイメージダウン」
「あたしは、逆に好感度アップかな。
本気で好きなんだってすごくわかるから。今までそういう必死な福山さんなんて見たことないもの。
それに、この前の白井さんの話の時、言ってたでしょう。萌子のことは守るからって。あの言葉聞いて、確かに萌子のことを任せられるのは、福山先輩しかいないのかもって思った」
力説する美都に、理香も素直に頷いた。
「うん。あたしもそう思った」
「なのに萌子ったら、他人の恋には敏感なのに、自分ときたらてんで駄目」
「ほんと。監督だって薄々気づいてて、あの後朔哉さんに『ベンチじゃなくてグランドに集中しろ』なんていってるんだよ。部員で朔哉さんが萌子のこと好きなの知らないのなんて、萌子以外には、ゴーイングマイウェイの知朗君と…」
言葉を詰まらせた理香に代わって、美都が小さな声で答える。
「早坂君…くらい、だね」
この前の試合でのオウンゴールが効いたのか、このところの成は必死に練習を続けていて、おかげで実力はあがっている。おかげで、萌子たちマネージャーとも、他の部員とも雑談もせずに、ボールを蹴っているのだ。
「どうするのかな、萌子」
ふいに美都が呟く。理香は反対に大声で叫んだ。
「あたしだったら、絶対にOKするっ」
「理香ってば。日比野君どうするのよ」
「アッチなんて、こっちから別れてやるわよっ。
だって、あの福山朔哉先輩だよ。凪高の福山朔哉なんだから」
そういわれて、美都も少し考えてから答えた。
「…あたしも。ちょっと。悩む、かも、しれない」
「ねっねっ。そうでしょ？」
二人はそんな会話をしながらも、楽しそうにおしゃべりをして、ハイブリッドに入って行った。