Maybe Blue 第一部 海の鼓動
空風6
残り十分。
知朗が右京に代わって選手権に初登場をし、朔哉が去年と同じく、ポジションをひとつあげた。
歓声が沸き起こる中で、黒尽くめといういかにも怪しい恰好をした大内は、小さく息を吐くと、吸ったばかりのタバコを足元でつぶした。
スタミナ不足の藤原の交代も、まあ計算のうちとして、
福山朔哉を上げるのは、いつもの必勝パターンか。
「…だが、今の扶洋は、ちょっと違うぞ」
扶洋も伝統校とは言え、ここ数年は、全国大会への出場もやっとという雰囲気だった。そうしてようやく建て直しを始め、そしてインターハイベスト４という好成績を収めるようになったのだ。
いつまでも、胡坐をかいてはいられないっつーことだな。
毎年メンバーが入れ替わる高校サッカーである。伝統校とはいえ、扶洋のように徐々に衰退していく高校の方が普通で、常に全国大会で上位の成績を収める邦南や帝王の方が、むしろ珍しいことなのだと、大内は改めて感じていた。
さて、新興勢力の凪浜はどっちに転がるか。
立ち上がり、大内は足元に広がるグランドを見渡す。
同じタイミングで、扶洋もトップの赤坂を下げ、三年ディフェンダーを入れていた。
攻めの凪浜。守りの扶洋。
その構図は、明らかだ。
残り十分。点差は０対一。
凪浜はなんとしても一点を取ろうとして、福山をトップに持ってきた。
だが、福山の調子は、決していいとはいえない。
自身もそうだが、チームメイトも扶洋の激しいディフェンスに相当削られている。
贔屓目に見ても、優勝候補のチームに名を連ねても、実際に今年の凪浜のメンバーで優勝するのは、相当厳しいことだと大内は踏んでいる。しかも、去年と違い、今年は前回の優勝校というプレッシャーが重くのしかかる。
どうする？福山。
それでもまた、奇蹟を起こすのか？
大内は再び、ポケットを探り、タバコを取り出すと、火をつける。グランドでは、まさしく朔哉が、相手選手を背中につけて、ドリブルしていた。
残り十分を切ってからは、まさしく凪浜の怒涛の攻撃であった。
「朔哉っっ」
二人のマークはついていたものの、そのままドリブルでゴールラインぎりぎりまで朔哉があがると、センターに走りこんできた司が見えた。
朔哉は何とかマークを外して中央にセンタリングを上げる。
長い髪を揺らし、相手ディフェンダーと競り合いながら、司が大きくジャンプする。
身長は敵の方が高いが、司は体重の軽さでもって、競り勝ち、ヘディング・シュートをするものの、運悪く、真正面にいたゴールキーパーにボールを取られた。
「あーっ！畜生！」
体全体で悔しがる司の肩を、
「次いこ、次」
と朔哉は叩いて、自分のポジションに戻る。
残り時間内に逆転することはできるけど、決して十分な時間ではない。
今は、常に前に前に、気持ちを切り替えて進むしかないのだから。
朔哉はそう思いながら、隣で不満そうにしている司に声をかけた。
「司」
「あぁ？」
「次外したら、お立ち台に立つのは、俺だからな」
「んだとぉ？」
ニヤリと笑う朔哉に、司もつられて笑顔を見せる。
「ぜってぇ、入れてやる」
「柳田、上がれ」
残り時間は、あと５分となっていた。
最後方にいる横田が、ふいに柳田にそう言った。
「監督だって、そう指示してるだろ」
確かにベンチからは、石橋が立ち上がり、そのように指示をしている。それは、柳田もさきほどから気づいてはいたのだが。
「けど、お前―」
「こっちは俺がいるから大丈夫。扶洋だって、あれだけ攻め込まれちゃ、カウンター攻撃もできねぇだろ」
確かに横田の言うとおり、先ほどからの凪浜の怒涛の攻めに、扶洋は守るのが精一杯のようで、ほとんど凪浜陣営にボールがやってくることはなかった。
ただ、残り時間が少なくなっていることも、
呪われたかのように、凪浜のシュートが、キーパーに、ゴールポストに弾かれて、なかなか得点にならないのも、
扶洋の選手はほぼ守りに入っており、それぞれが凪浜の選手をマークしていて、自分たちのいつもの動きが出来ずにいるのがその原因でもあることも、柳田にはわかっていた。
その壁を打ち崩すために、柳田を上げるという監督の指示も、柳田自身もわかっている。
だけど。
柳田は、周りの選手に気づかれないように横田に言う。
「けど、お前。右足どうすんだ」
横田の表情が強張った。どうして、といわれる前に、柳田は、
「さっきの一点。いつものお前なら、追いついてただろうから、そんなこったろうと思った」
と平然と答えた。
怪我をしたのは、昨日の練習後であったことと、それほど大きくもない怪我だったので、横田は誰にも言うことなく、一人テーピングをしてこの試合に臨んだのだ。
「言ったって、どうなることでもない。それに、俺より重い怪我のやつなんて、他にも沢山いる」
そう言って横田は前線で頑張っている選手たちに視線を投げた。
確かに今日の試合では、誰もが扶洋に削られている。
「それからさっきの失点は、俺の判断が遅れたせいだ。俺の足のせいじゃない」
はっきりとそういった横田に、柳田は何か言おうと思うのだが、ベンチから石橋の声が耳に入る。
「柳田っっ、上がれっ」
横田に背中を叩かれて、柳田は仕方なさそうに走り出す。
だけど、選手権に優勝するためには、これから連戦になるんだぞ。
お前がそんな足で、どうやって優勝できるんだ。
そう言いかけた言葉を飲み込んで、柳田は前線のボールを見つめた。
あと、四分。
あと、三分。
無常にも、時間は淡々と過ぎていき、試合終了の時刻は、確実に近づいてきていた。
「あーっ」
小山のセンタリングを受けた知朗のシュートは、ぎりぎりのところで、相手ディフェンダーに阻まれる。相手も余裕がないのか、ボールはペナルティーエリアを越えた辺りにまでしかクリアされない。
だが、そこに凪浜の選手がいないために、攻めのリズムは一旦止まり、扶洋の選手によって、大きくクリアされる。
「なんであそこにいないかなぁ」
隣で頭を抱え、そう呟くサブの選手を見ながら、両手を握りしめる萌子の手にも、思わず力が入る。
「サポートがいないんだよ。さっきから、あそこに」
中盤の選手も上がりきっていることから、確かに凪浜はその中間の層が薄くなっていて、シュートをした後のフォローをする選手があまりいない。
「だから監督は、ヤナギさんに上がるよう指示してるのに」
石橋は、先ほどからずっと立ち上がったまま、グランドの選手に檄を飛ばしている。特に名前を呼ばれているのが、柳田だ。
「柳田っ、上がれっ」
確かに柳田は今までのポジションよりはあがってはいるものの、どこか引き気味で、少しでもボールが凪浜陣営の方に来ようものなら、すぐさま以前のポジションに戻るのだ。
「ヤナギさんが上がれば、必然的に小山さんが押しあがる形になって、ちょうどあのポジションになれるのに」
確かにその通りだが、柳田はなかなか上がっていこうとしないのだ。
どうして？
そのとき、笠間が小さく石橋に告げた。
「監督。ロスタイム、入りました」
気づけば電光掲示板の時間表示は消えている。
大きく見積もっても、ロスタイムは３分ほどだろう。
頑張って、みんな。
萌子は、顔を上げて、再び試合に集中した。
俊平の、シュートともセンタリングともつかないボールは、ゴールラインを割って外側のネットを揺らした。
多くのため息が、観客席からも漏れる。
ロスタイムに入っているのは、誰もが分かっていたからこそ、ひとつひとつのチャンスが、最後のチャンスに思え始めていた。一方で扶洋の選手はどこかゆっくりとボールを追いかけ、試合終了になるのを待っていた。
俊平は、ボールを渡されたキーパーのすぐ近くにいるものの、ゴールに背中を向けてため息をつく。
今のが最後のチャンスだった。
項垂れる俊平の背中に、怒鳴り声が聞こえてきた。
「俊平、諦めるなっ」
珍しく、朔哉が自分に向って叫んでいる。
「まだ試合は終わってないっ」
けど、と言い返そうとして顔を上げた俊平は、その朔哉の表情に、言葉を無くした。
いつだって、朔哉は紳士的だった。
どんなに激しいタックルを受けても、相手につっかかることはせず、
柳田が他の選手を激しく詰る時には、間に割って入った。
その朔哉が、ここまで感情をあらわにするなんて。
「あ。あぁ…」
俊平にも、朔哉がただのラッキーボーイではないことは分かっているつもりではいた。影で人知れず練習をしていることも、なのに、それを認められず、すべては彼の運だという安っぽい言葉にされて奥に隠した感情も。
わかってるつもりでいて、わかってなかった。
その情熱が、人一倍強いからこそ、辛い練習をこなして来たのだということを。
俊平が、くるりと向きを変えたタイミングで、扶洋のキーパーが大きくボールを蹴りだした。
「ヤナギさんっ」
朔哉の声を聞いた柳田が、すかさずそのボールを取ると、逆に右サイドを走り出していた朔哉にボールを蹴りだす。
オフサイド？
だが、審判の旗はあがらず、歓声は再び沸き起こる。
柳田のボールは、少し強かったのか、朔哉もすぐに追いつけず、懸命に走るその先には、扶洋の江口の姿が映る。
絶対に、勝つ。
主審が時計を見つめる。
本当に最後のチャンスだ。
あと２メートル、あと１メートル。
そしてボールに追いついた、その瞬間。朔哉の体は大きく宙に浮いた。江口のスライディングタックルが朔哉を倒し、ボールはコロコロとタッチラインを割った。
凪浜のボールか、それとも扶洋のボールか。
それとも、扶洋のファールか。
萌子たちも息を潜める中で、主審が下した結果は、扶洋ボールであった。
「嘘だろっ」
思わず抗議しかける知朗を無視して、扶洋の選手がグランドの外に転がっているボールを掴んで、スローインしようとしたところで、再び笛が三度鳴り響く。
グランドを囲むようにした藤色の旗が揺れる。
その瞬間、凪浜高校の初戦敗退が決まった。