Maybe Blue 第一部 海の鼓動
冬芽2
「ひどいよ、美都ってば。
和美君と約束あるからとか言って」
理香はそういうと、ぷうっと頬を膨らませて、ロッカーを閉める。
練習後のこともあってか、いくらか理香は興奮しているようにも思えた。
美都が慌てたように、必死に理香に伝える。
「ごめんね。理香。でも―」
「仕方ないじゃないの。理香がパーティー決める前から、和美と予定入ってたっていうんだから」
困り顔の美都にぷいっと背を向けた理香を、萌子が宥める。
それがわかったのは、今日の練習が終わった直後だった。
買出しのこともあるからと、改めて篤志が和美にパーティーの話をしたところ、予定がすでに入っていているというのだ。矛先は、和美の予定を確認したはずの美都に向い、そこでようやく美都が打ち明けたのだ。
理香があれだけやる気になっていたから、美都も言い出しづらかったんだろうと思う萌子に、理香は本音を言う。
「だってさ、あたしだって、クリスマスはアッチと二人でさぁ、過ごしたかったのにさぁ…」
そこで理香は言葉をにごらせる。
実際、理香は、そうしたかった。
だが、篤志は言った。
どうせなら、今年のクリスマスは仲間の皆で楽しもうと。
俯いた理香に、萌子がそっと肩を叩く。
「まあまあ、理香。それより、参加者決まったの？」
「いつものメンバーだけどね」
理香はそう答えて、ひとりひとりの名前を挙げる。
萌子、理香以外に、篤志、ケン、湊、成、知朗、厳巳、由太、右京。
「名取君、彼女はいいの？」
ケンには、地元に残してきた亮子というかわいい彼女がいるのだ。
美都の質問に、理香は、
「うん。次の日練習試合だから朝早いでしょ？そうしたら、帰れないって」
と答えて、続けて言った。
「というか、一年生の寮生は強制参加だってアッチがいったらしいよ。
ちなみに一馬っちは、バイトが終わったら来るって話。
あと亜紀ちゃんも来てくれるって」
亜紀子は由太の彼女で、中等部の三年生だ。
理香は興奮してきたのか、ぱっと顔を上げると、だんだんと声を張り上げて言う。
「ケーキの発注でしょう？飾りつけに、食べ物も用意してっ。それに何よりプレゼント！
あーなんだかわくわくしてきたっ」
誰が企画をしたのか、クリスマスプレゼント交換だけがすでに決まっていた。
自分のプレゼントが誰に届くかは、その日のお楽しみということらしい。
ちなみに明日の練習の後で、萌子はその買出しを理香に誘われていた。
一人でウキウキしている理香に、萌子はさりげなく言う。
「クリスマスパーティーもいいけど、理香。選手権も忘れないでよね」
「わかってるって！」
理香はそう答えながらも、プレゼントはどうしようとか、ケーキはどこで買おうとか大きな独り言を繰り返していた。
帰宅した由太は、制服から私服に着替え、テレビと見ていた。
クリスマスが近いせいか、ＣＭはどれもそれを意識したもので、ふいに由太は亜紀のことを思い出す。
『亜紀ちゃんも、パーティーに呼ぶことにしたから。いいでしょ？由太』
今日の練習前、突然理香がそう言い出した。
由太としては、そういう公の場に、亜紀をできるならば連れて行きたくなかったが、こういう時の理香には逆らわないほうがいいことを知っていた。
予想通り、さっき亜紀から電話があり、本当に自分もパーティーに行っていいのかと尋ねてきたのだ。
「来たいなら、くればいい。俺もいるから」
少しばかり悩んでから、亜紀は答える。
「理香さんに誘われたわけだし、顔だけ出します」
わかった。と言って由太は電話を切る。
『由太にはもったいないくらいの彼女だよ、ほんと』
よく理香に言われるが、由太もそれは正しいと思っていた。
でしゃばらず、一歩引いた位置から、常に自分の様子を伺っていて、自分が反対するようなことは絶対にしない。
そういえば、手袋を片方なくしたと亜紀が言っていたことを思い出し、由太は明日の予定を決めた。
その時、ドアが荒々しく開けられて、母親の声がリビングに響いた。
「ごめんなさい、遅くなって。今から支度するから…」
ソファで新聞を読んでいた由太は、立ち上がると慌てて冷蔵庫を開けて、材料を取り出している母親の後ろに立つ。
「母さん」
「どうしたの？由太」
そう答えながらも、母親は冷蔵庫から前の日の余りものを出す。
どうやら今日はありあわせの夕食らしい。
そもそもが夜の九時近くだ。今から普通に夕食の仕度を始められたら、食べる時間は更に遅くなる。待ちきれなかった妹の好実は、由太の居ない間にお菓子を 食べていたようで、テーブルにはその食べ屑が落ちていた。当の好実は、由太がソファーに座ったと同時に、自分の部屋に戻っていった。
「どこほっつき歩いてるんだ」
「何よ、その言い方」
さすがに腹を立てたのか、母親は立ち上がって由太に顔を向ける。
由太の母親は仕事をしているわけでも、ボランティア活動などをしているわけでもない。
いわゆる専業主婦だ。
それが、由太の父親の「子供の教育の為」の意向であること、由太は知っていた。
だが目の前の母親が「子供の教育の為」にここ最近帰りが遅いようには到底思えない。
「食事も作らずに、好実を一人にさせて、何をしてるんだよ。母親だろう？
だったらもっと母親らしくしろよ」
鋭くそう言うと、母親も後ろめたいのか僅かに唇をかみしめて、視線を伏せた。
それ以上詰め寄る気などは由太もなく、食卓に並べられた昨日と同じ夕食を食べようとしたところで、突然母親が呟いた。
「何よ。
何も分かってないくせにっ」
そして、今までになく忌み嫌うように母親が由太に言った。
「その言い方、本当にあの人そっくりね」
自分の父親を『あの人』と言われ、由太は思わず自分の母親を見つめた。その表情を見て、いくらか冷静になったのか、母親は再び冷蔵庫の中に目を向けると、再び独り言のように呟いた。
「何もかもわかったような顔してるけどね、由太が知らないことなんて、この世の中にたくさんあるのよ」
いったいなんだというのだ。
そう思いながら、最近同じことを好実に言われたことを思い出し、由太は黙って母親の出す夕食を食べ始めた。
冬休み前の祝日の練習は、朝から始まったので、日が暮れる前に終わった。
練習後、朔哉は司たちと一緒にアルジャーノンにいた。
カウンターの奥で、強面でウェイターをする一馬を見ながら、思い出したように俊平が言った。
「そういや、一年たち、クリスマスに集まってパーティーするらしいぜ」
「一年っていつものメンバー？あきねぇな、あいつらも」
司がそういって、コーヒーを飲む。
確かに朔哉の目から見ても、今年の一年の仲間意識の強さというのか、仲のよさというのは、わずかに嫉妬を誘うほどであった。
「朔哉はどうするんの？クリスマス」
ふいに田島に話をふられ、朔哉は言葉を詰まらせた。
「俺は―」
「コンパでもするか？」
明るく俊平が話に加わる。目を輝かせた田島を尻目に、朔哉が言った。
「それは宮尾に悪いだろう」
宮尾真琴は俊平の彼女で、女子空手部の主将でもある。
「それが練習があがるのが、九時なんだと」
「それまでの時間つぶしかよ」
チッと舌打をして司が言った。まんざら嘘でもないようで、俊平もにやりと笑う。
何だかんだといいつつも、俊平が宮尾を大事にしていることを、朔哉は知っていた。
朔哉はくすりと笑うと、俊平に言う。
「楽しそうで、いいんじゃん。それも。田島も行きなよ」
「え？朔哉は」
驚いたように田島が言う。
「俺はいい」
「どうしてだよ、朔哉」
朔哉に代わって俊平が答えた。
「朔哉はクリスマスと誕生日は、一人で過ごすって決めてるからな」
「え？どうして？」
くだらないこというな、と朔哉が止める前に、田島の質問に司が答える。
「わかった。一人に決められないからだろう」
「違うよ」
そういうわけじゃなくて、という前に、またもや俊平が朔哉の言葉を遮る。
「誰かと過ごすって事は、その誰かが特別だってことになるだろう？」
「俺と一緒じゃん」
にんまりと笑う司に、俊平が呆れた声を上げる。
「バカ言え。お前が彼女と過ごさないのは、女が一人じゃないのと、プレゼントねだられるからだろ？」
ばれたか、というように司は舌を出す。
まったく、相変わらずな奴だと朔哉がコーヒーを飲むと、田島がふくれっつらで言う。
「いいよなぁ、もてる男って。俺なんか、また一人…。
１年たちのパーティーに、思い切って参加させてもらおうかなぁ。沢木もそっちに行くらしいし」
萌子の名前を聞いて、自然と朔哉はカップの手を止める。俊平が呆れて田島に言う。
「やめとけって。余計惨めになるだけだぜ」
「そっかなぁ」
田島は一度萌子にふられているものの、どうしても諦めきれないらしい。
少しだけ、そんな田島に朔哉は嫉妬を覚えた。
「仕方ねぇな。コンパやっからさ、田島も来いよ」
司がそういうと、田島は勢いよく立ち上がった。
「行く行く行く！」
「えーっとあとはっ、クラッカー！クラッカー買いに行こう！」
突然そう言って、理香は踵を返すと、エスカレーターに乗り込み、そのまま駆け上がっていく。
「マジ？ちょっと待てよ、理香ぁ」
篤志が大きく溜息をついた。それもそのはずで、篤志の両手には、大きな荷物がすでにあるのだ。どちらも明後日のパーティー用のグッズで、振り返らない理香を諦めたのか、篤志はよしっと小さく気合を入れて、エスカレーターに向って行く。
「持つよ、篤志」
「いいよ。女の子には持たせられないって」
手を荷物に伸ばす萌子に、篤志はそう言ったが、萌子はでも、と口ごもる。
らしいな、と思いながら、篤志は話を変える。
「それよりも萌子。プレゼント買った？」
「実はまだ。何にしようか悩んじゃって」
理香に言われてから、テレビや雑誌はチェックをするようにしたものの、これというものが思い浮かばない。
「だったらそれ選んでなよ。理香は俺が面倒見ておくから。一時間後に正面入り口に集合。どう？」
「了解」
そういって、エスカレーターを駆け上がる篤志に萌子は手をふる。
とはいえ、萌子は一時間でプレゼントを決められるかが不安だった。
そもそも、誰に渡るかわからないんだよね。
何となくフロアを回りながら、まず目に付いたのは、お風呂に浮かべるキャンドルだった。
理香とか喜びそう。
あ、でも、こんなので知朗が静かにお風呂に入るわけないか。
その後も、何かを見つけては、誰かにちょうどいいと思うものの、別の人に当たれば、いらなくなるものだったりして、萌子は大きく溜息をつく。
どうしよう。
「これかわいー」
「ほんと。いいね。これ」
ふいに華やいだ女の子たちの声がして、萌子はそちらに顔を向けた。彼女たちが、丸く透明な球体を揺らすと、その中を粉雪のようなものがキラキラと降り始める。
スノードーム。
これ、いいかもしれない。
「萌子？」
ふいに名前を呼ばれて振り返ると、湊と成が軽く手を上げて立っていた。
「あれ？湊と成。もしかして、プレゼント？」
「ってことは萌子も」
萌子が大きく頷くと、隣で成も同じように頷いた。話を聞くと、どうやらケンもこのデパートの中でプレゼントを探しているらしい。
「もう決まったの？」
「いいや。全然。何を選んでいいのかわからないんだよね」
「同じ。そもそも、知朗と右京が同じものをほしがるとは思えないし」
萌子と成がそう話していると、湊が途中で話に加わる。
「こういう時はさ、自分がほしいものを選んだほうがいいよ。自分がこれをもらったら嬉しいって思えるようなもの」
「そっか。ありがとう、湊。いいアドバイス」
「といっても、俺もまだ決まってないんだけどね」
そう言って湊は肩をすくめた。
時期が時期の為か、由太が一人で手袋を見ていると、店員が声をかけてきた。
恋人へのプレゼントですか？彼女はどんな雰囲気の子ですか？こちらなんかおススメですよ…。
あまりにうるさいので、決めたら声をかけるときっぱり言うと、店員は別の男一人の客に声をかけた。とりあえず、標的からは外されたようだ
さて、と。
由太は目の前に並ぶ、同じような色や同じようなデザインの手袋を見つめる。きっと微妙なところが違うのだろうが、由太にはさっぱりわからない。
そういえば、亜紀がなくしたという手袋の色さえ、はっきりしなかった。
小さく溜息をついた時、ふと通りの向こうの店に、見覚えのある姿が入っていくのが見えた。
父さん？
向かいの店は、由太も名前を知っている高級ブランドの店だ。
今朝、由太が練習に行こうとしたところで、先に父が玄関に立っていた。聞けば、休日出勤なのだという。
大変だなと思いつつ、いってらっしゃいと見送ったその後姿が、そのまま店に入っていったのだ。
しかも、こんな時間に？
夕方より少し早い時間だが、仕事を終えて、ブランド店に入っていくような時間ではないし、そもそも自分の父親がそのようなブランド店で買い物をするようなタイプには思えなかった。
「ありがとうございました」
亜紀へのプレゼントを受け取りつつ、由太は向かいのその店に向う。入り口から顔をのぞかせると、カウンター越しに店員と話をする父の背中が見えた。
白髪の混じった短髪、手にしたチャコールグレーのコート、僅かに見えるその顔は、やはり自分の父親だ。
何をしているのかと、そのまま見ていると、父が何かを指差し、店員がそれをショーケースから取り出している。ライトに照らされて、一瞬まばゆい光が見えた。
指輪？
でも、どうして？
母へのプレゼント？
だが、由太から見て、父は何かの記念やお礼に、母にプレゼントを贈るようなタイプではない。
由太が考えているうちに、店員はそのうちにリボンにくるまれた包みを、父親に渡し、父は踵を返そうとしている。
由太は咄嗟にその店から出ると、そのまま駆け足で通りを過ぎた。
理由はないが、今見たことは、誰にも言わないほうがいいと思いながら。
「それじゃ、萌子買ったんだ」
「うん。ちょっといいの見つけたんだ」
「よかったね」
待ち合わせ場所にやってきた理香と篤志は、別れたときの二倍の量の荷物を抱えていた。理香はついでにプレゼントも用意したらしい。
いまだプレゼントを見つけていない篤志が溜息混じりに言う。
「俺はね、スパイクがほしい」
「スパイク？しかも夢がないなぁ」
「だって、もうすぐ破れそうなんだぜ」
途中で会ったケンも合流したのだが、手にはなにやら包みを持っていた。ひとつは、パーティー用で、ひとつは恋人の亮子用らしい。
「だけどさ、サンタクロースにだって、もうちょっと夢のあるもの頼むだろう、普通」
「そっかぁ？ほら、俺ってリアリストだからさ」
「なーに言ってんの。この妄想家が」
「へぇ、篤志ってそうなんだ」
「ちっ違うよ！萌子。おい、ケンッ変なこというな！」
「本当のことだろ？」
「おいっ！あっ」
いきなり篤志が声をあげた。
「え？」
「由太だ。何してんだろう」
篤志が指差す向こう側の通りには、確かに由太が走っている。由太は萌子たちの視線に気づくこと無く、そのまま小さくなっていった。
「おーい、ゆ…。行っちゃった」
叫ぼうとして、篤志はそう呟いた。
「あたしたちと一緒で、プレゼントの用意じゃないの？」
だが、由太の手には何も握られていない。
由太の険しい表情に萌子が心を留めたところで、今度はまた篤志が声を上げた。
「あれ？由太のお父さん？」
「どれ？」
「ほら、あのスーツ着てる人」
由太の走っていた同じ道を、篤志の指差した人物は、颯爽と歩いている。
歩き方や、スーツの着こなしが、きっちりとして、その周りに厳格な空気が漂っている。
「似てるね、由太に」
萌子の呟きに、理香は頷き、けど、と言葉をつなげた。
「今日ってお休みなのに、仕事なんだ。忙しいんだ、由太のお父さん」
さすがに昨日のことが響いたのか、七時には夕食の準備ができあがっていた。
「父さんは？」
食卓の空席を見つめて、由太が母親に聞くと、
「まだよ」
という返事が返ってきた。
「今夜も遅いんじゃないの」
だが、数時間前、父は駅前のデパートのあたりにいた。
父が仕事の合間にサボってデパートにいくような性格でないことは、由太もよくわかっている。
由太が黙り込んでいると、
「どうかした？」
と母親が尋ねてきた。
「いや、ちょっと。仕事じゃ仕方ない―」
「仕事じゃないわよ」
母はあっさりとそう答えた。
そして冷たく言い放ったのだ。
「あの人が、毎晩遅いのは、仕事なんかじゃないんだから」