Maybe Blue 第一部 海の鼓動
春興9
入部して、一週間が経っていた。美都はまだ和美とろくに会話もできないどころか、その機会すら全くなかった。
やっとボールに触れての練習になって、一年生はＡＢＣそれぞれのチームに分けられた。と言っても、Ａには右京と成しかいない。ほとんどの一年生と同じで 和美はＣであり、美都の担当はBであった。思っていたよりもチームは分かれて練習をすることが多く、そんな時美都はいつもＣチームを眺めていた。
「椎名っ。マネージャーッ」
呼ばれてハッとした美都が振りかえると、そこにはＢチームになったケンがいた。
「さっきから呼んでんだけど」
「ごめんなさいっ」
美都は必死に頭を下げた。ケンは指を突付けていった。
「なんか刺がささったみたいでさ」
美都は慌てて救急箱から刺抜きを探したが見当たらない。
そうだ、部室にあるかも。
「ちょっと待ってて」
そう言って美都はケンの言葉も聞かずに駆け出した。ケンはおい、とだけ言って、自分の持っていた刺抜きを見つめた。
「絆創膏あるかって聞こうとしただけなんだけど」
「はあ」
美都は一人、ミーティングルームで溜息をついた。
どうしてあたしって、こうドジなんだろう。
試合が近いこともあって、その日の最後の練習はレギュラー選手と、サブメンバーを中心としたチームとの紅白試合だった。美都はベンチで試合を見ていれば よかったのだが、その視線は試合を通りぬけ、その向こうで行われているＣの練習を見ていた。和美の番となり、美都が真剣にそっちの方を見入っていると、
「美都っ」
萌子の叫ぶ声が聞こえ、隣にいたはずの萌子の声がいやに遠いなと思った瞬間に、ボールを追いかけて走ってきた知朗が、そのまま美都とぶつかった。そして、二人ともベンチを横倒しにして倒れてしまった。
「大丈夫？」
すぐさま萌子や部員達が駆け寄ってくる。美都が萌子の助けをかりて立ちあがると、頭をさすりながら知朗が、美都に怒鳴りつけた。
「どこみてんだよっ、危ないと思ったら逃げろよなっ」
萌子やベンチ付近にいた部員達はボールがベンチに向かってくるのに気付いて逃げたのだが、美都はそのボールが見えていなかったのだ。
「ごめんなさい…」
今にも泣き出しそうな声の美都を萌子が弁護する。
「怒鳴らなくたっていいじゃない。知朗もけがなかったんだし、ホラ試合中よ、試合」
知朗は美都をにらみつけると、またグランドに戻っていった。
「大丈夫？美都も怪我なかった？」
萌子に真剣に心配されて、美都は恥ずかしくなった。
それだけじゃない。
せっかく北内君と話せたっていうのに。
それはついさっきのことだった。練習も終わって、グランド整備が始まっていた頃、美都は理香からテーピングの巻き方を習っていた。
「ここをこうやって…」
ベンチに座る美都を怪我した選手として、理香は包帯をテーピング代わりにやってみせる。
「おいっ」
呼ばれて美都が顔を上げると、理香の後ろには和美が立っていた。理香は手を止めて振りかえる。
「どけよ、そこ」
言われての美都は動けなかった。というよりも、その声の意味を聞いてはいなかった。ただ自分を見つめる和美を、じっと見つめていた。
「踏んでる」
理香につつかれて、美都はようやく和美の言っていることに気付いた。
「俺のジャージ踏んでんだよっ」
そういうと、和美は無理やり美都の踏んでいたジャージをつかんだ。美都は驚いて立ち上がり、謝った。
「ごっごめんなさい。気付かなくて、わたし…」
「ぼけっとしてんなよ。ったく」
和美はそう吐き捨てて行ってしまった。美都はそれ以上、何も言えなかった。
ぼけっとしてる。
「はぁ」
美都が溜息を付いた時、理香と萌子がミーティングルームに入ってきた。
「ごめん、美都。遅くなっちゃって」
美都は力なく首を振った。そしてまた溜息をつく。そんな美都の様子を見て、萌子は美都をじっと見つめた。
「何かあったの？美都」
「えっ？…ううん、何でもない」
美都はまだ萌子達に和美のことを話していなかった。なんとなく話せない雰囲気だと思ってしまったのだ。髪を切ってまで入部したかった萌子の真剣さを見せ付けられ、自分は不純すぎると思っていたのだ。
そしてまた美都は溜息を付く。萌子達は美都を諦めて、話し出した。
「さっきね、今年の一年は自分勝手すぎるってヤナギさんが怒鳴ってるの見ちゃった」
理香がそういうのを聞き、萌子も頷く。
「確かに。知朗でしょ？右京に、そうそう、和美っ」
美都はピクッと反応した。
「和美くんねぇ。わかるわかる。自分勝手っていうのか、わがままっていうのか」
「そんなことないっ、北内君は、そんなこと…」
突然美都が叫んだので、萌子も理香も動きを止めてしまった。そんな二人に気付いた美都は、立ちあがっている自分に驚いて急いで座る。
どうしよ…。
「やっぱりそうか。美都って和美君のこと好きだったのか」
理香がそう言い、萌子もそんなに驚く風もなく美都を見つめている。
仕方なく、美都が頷くと、理香は続けていった。
「そうだと思った。萌子とも言ってたんだ。美都は絶対好きな人がサッカー部にいるからマネージャーをやりたかったんだってね」
「まさか、相手が和美だとは思わなかったけど」
美都は気まずそうに和美との出会いから話をした。話し終えると、美都はごめんなさいと言った。
「どうして謝るの？」
「だって、動機が不純すぎるし…、嘘、ついてたし…」
「別に不純じゃないと思うけど」
「え？だって萌子も好きな人を追いかけて入部したんじゃないんでしょ？」
「それは確かに違うけど。でも、菊地さんに会いたい気持ちはあるし、それに必要なのはやる気でしょ？」
「第一、あたしはどうなっちゃうわけ？」
理香が怒ったように言って、美都はまたごめんなさいと言って俯いた。そんな美都に、理香は明るく笑顔を向けて言った。
「謝るようなことじゃないってば。ま。和美君には今のところ彼女もいないみたいだし」
「え？ほんと？」
美都に真正面から覗き込まれて、理香は焦った。
「そういう話、聞いたことないからさ。多分」
美都はほっと安心する。
「とにかく、がんばんなよ。美都」
「そうそう。せっかく入部できたんだしね」
美都は心がいくらか楽になった。
でも…。
和美のことを思い出すと、前途多難であることは、美都にもわかっていた。
練習から戻ってきた成は、部室の前で着替え終わった三年生とすれ違った。練習終了後、石橋に呼ばれた成は、一人グランド整備を免除され、石橋の指導を受けていた。突然Ａチームに入ることになった成は、あまりにも予期せぬことで信じられない気持ちで話を聞いていた。
右京がＡになるのは、周りの誰もがある意味納得していたことだった。だが、成は全国的にはほぼ無名に近い選手だった。一年でＡに入ったのは、この二人だけである。そして石橋は、三年よりも右京や成に力を入れている。それは成も感じていることだった。
「お疲れ様でしたっ」
目が会った時、成はそう言ってみたが、三年生三人は、成をちらりと見ただけで、無視した。練習に疲れたんだろうと、そのまま通りぬけようとした時、すれ違い様に成は体をドンッと押され、壁にぶつかった。打ちつけた腕の痛みを感じたとき、後ろから声がした。
「いい気になってんじゃねぇよ」
成は振りかえった。三人は成を横目で睨みつけると、そのまま帰っていった。成は腕を押さえながら無言のままに部室のドアを開けた。
「遅かったじゃん、成」
中は一年の着替えでごった返していた。声をかけてきた篤志を何となく無視して、成はその間をすり抜けて自分のロッカーに向かう。一年生にはまだロッカー が割り当てられていない。噂によれば、夏が終わることにもらえるという話だ。それまでに部員はどんどん辞めていき、三年もほぼ引退し、安定するのが夏の終わりだということで、無駄なロッカーは用意しないためだという。
それにも関わらず、成にロッカーが与えられた訳は、Ａになったためであった。だから右京にもロッカーはある。その右京は成より一足早く部室に戻ってきており、すでに着替えも終わりかけていた。
「悪いな、さっき。グランド整備手伝えなくて」
隣にいたケンにそういうと、ケンは首を振った。
「いいって。トンボの数だって全員分あるわけじゃねぇし。笠間さんが当番制にしろってさ。由太が今決めてる」
成は椅子に座って何かを書いている由太を見ながら、ロッカーを開けた。そしてそこで目を見張った。
なんだよ、これ。
ただじっとロッカーを見つめる成の隣で、シャツのボタンを留めながらケンが話しかける。
「おい見ろよ。あいつ、また何も言わずに一人でさっさと帰る気だぜ」
ケンの視線の先には、かばんを持って部室を出ていこうとする右京がいた。
「グランド整備もやんねぇでよっ。挨拶もなしかよっ」
いくらざわついていると言っても、ケンの声は部室に響いていた。しかし、右京は反応せずに静かに部室を出ていった。
「やめろよ、ケン。今の聞こえているぞ」
湊がそう言ったが、ケンはフンッという感じで答える。
「聞こえるように言ってんだよっ。ったくむかつくよなっ。一年でＡになったからってよ」
「ケン」
湊がそう宥めて、ケンは慌てて成に言った。
「お前のことじゃねぇよ。あいつだよ、藤原」
湊は成の反応を見ていたが、成がただロッカーを見ているだけなことに気付いた。
「どした？成」
言われて初めて成は気づいた。そして、ロッカーを急いで閉めると湊に言った。
「俺さ、監督に話あるんだった。悪いけど、先に帰っていいからさ。部室に鍵、かけないでくれよ」
部室を出た成は、頭をからっぽにしたくなって、海へと走り出した。
「そう言えば、萌子はどうなの？」
美都の話が終わると、理香がそう萌子に聞いた。
「え？」
「好きな人とかいないの？」
「うん、いない」
その時理香が何かを言いかけて、そして止めた。萌子はそれに気付き、そしてこの前の篤志の言葉を思い出した。
萌子のこと、話してやって。
「女子中だったし」
理香の顔が萌子のその一言でぱっと明るくなった。
「でもでも、近くに男子校とかあって、そういうとこと交流したりするんじゃないの？」
「うん、あったよ」
「やっぱりっ。で、かっこいい人とかそこにいっぱいいたんじゃない？」
理香の目はきらきらと輝いていた。美都も楽しそうに身を乗り出している。
「いっぱいじゃないけど、いたね」
「通学バスとかで知り合って付き合っちゃったりするわけ？」
「…まあ、そういう人もいたかな」
「へぇー」
理香がそう言って、萌子が黙り込んだために、またも雰囲気は静まり返った。理香が少し寂しそうな顔をしている。萌子は笑顔で話すことにした。
「憧れてる人はいたんだけどね。でもその人私の学校の人気者の子とつきあってたから」
「そ…なんだ」
理香と美都は同情するような顔をしていた。萌子は慌てて付け加えるように言う。
「昔のことだから、もういいの」
すると理香も元気付けるように返す。
「大丈夫。萌子はかわいいもの、すぐにいい人できるって」
にっこりと笑う理香に、萌子は笑い返した。