Maybe Blue 第一部 海の鼓動
春興4
仮入部三日目の、最後の日まで萌子は一人で四時にグランドのベンチサイドにやってきて、最後のミーティングが終わるまで練習を見ていた。その日毎にテー マがある練習は見ているだけで楽しかった。しかし、入部希望の選手たちは次々と姿を消していった。一年生はずっとボールに触れられないのだ。厳しい練習に 根を上げて、途中で帰っていく人もいた。それに反比例したように、最終日のマネージャー志望者の数は増えていた。この日が仮入部決定の日だからである。
練習の最後には、マネージャーの面接が待っていた。由太の言っていたことは、実際女の子達も耳にしていたようで、倍率は三十倍になっていた。
「一日目と同じことを二日続けると、三日目の面接がある。あとはわからないけど、大事なのは気持ち。やる気だよ」
篤志はそう言っていた。
萌子は一番最後だった。ひとつ前の美都が面接場所となった部室隣のミーティングルームに消えていくのを見て、萌子は気合を入れた。
「結局来なかったな」
小山にそう言われて笠間は聞き返した。
「男のマネージャー希望だよ。皆選手の方に流れていった」
そこで笠間も頷いた。柳田が言う。
「ま、サッカーに興味がある奴って言えば、プレーヤーだからな。けど、結局女のマネージャーか」
「華があって、いいじゃないか」
小山はそう言ったけれど、すぐに柳田に否定される。
「すぐ泣く、すぐ切れる、動きも遅い、重い荷物も運べない、えこひいきする、そんな女のマネージャーのどこがいいんだ」
仕方なく小山は黙り込む。
「でも荷物なんかは部員だって運ぶし、機転が利いてくれれば問題ないよ」
笠間がそう言った。
三人は面接官だった。練習はコーチに任せて、自分たちは早めに上がった。マネージャーの話をするとコーチたちは二人でもいいんじゃないかと言った。最終的に決めるのは監督だからと。
「もしかしたら今年もゼロかもな」
そういった柳田に小山が言う。
「俺たちは今年で引退なんだ。笠間がいなくなったらあとはどうすんだよ」
笠間は少しうなだれた。
「そしたら一年の誰かをマネージャーにでもすればいい。どうせ選手でいても、役立たずなのもいるんだし」
「柳田」
小山が宥めて、柳田も口をつぐんだ。
「悪い。言葉が過ぎた」
雰囲気を変えようと、笠間が明るく言う。
「それじゃ、始めるか」
美都がミーティングルームから出てきて、萌子は声を掛けようとした。美都の顔は嬉しそうでもなく、残念そうでもなく、ただ呆然とした顔をしていた。
どうしたんだろう。
呼ぼうとした時、中からきつい声がした。
「次っ」
萌子は美都を諦めて、ドアをノックした。
「失礼します」
中にはマネージャーの笠間を中心に、左にキャプテン小山、右に副キャプテン柳田が座っていた。一年部員と仲良くなったっために、萌子は自然と先輩の顔と 名前を覚えてしまっていた。会話の端々にいろんな名前が出てきて、わからない名前と顔は、性格まで篤志が説明してくれるのだ。
他人にやさしく、自分に厳しい笠間マネージャーに、短気で怒りっぽい柳田副キャプテン。そしていつでも温和で優しい小山キャプテン。
萌子は笠間が指した正面の椅子に座った。
「沢木萌子です。よろしくお願いします」
初めに口を開いたのは笠間だった。
「どう？三日間見学をしてみて、練習は」
「厳しいけど、楽しそうだと思います。日ごとにテーマがあるのも、目的意識があっていいと思いました」
柳田が笠間の方を、なんとかしろというように見つめた。その雰囲気を変えるようにして小山が尋ねる。
「他の部活は見たの？」
「いいえ、サッカー部だけです」
柳田も質問する。
「親は承諾してるのか」
「はい、やりたいことをやれと」
不機嫌そうな柳田をなだめる目でみつめ、そして笠間は最後の質問をした。
「それじゃ、最後。志望動機は？」
「選手権を見て、感動したんです」
柳田はため息をついて持っていたペンを机に投げた。
何人が同じことを言ったか。
それでも萌子は続けた。
「ずっと、思ってたんです。自分のやりたいことはなんだろうって。それが、マネージャーなんだって、選手権見て思いました。今までの私には何も無かったから―」
柳田はそこで口を挟んで言った。
「わかった。もう―」
「あともうひとつあるんです」
萌子はすかさずそう言った。柳田はちらっと笠間たちを見て、反論がない様子をみて、どうぞと投げやりに言った。
「単純なんですけど、国立の芝生の上に立って、こう大きく空を見上げたいんです。わーって歓声あげて」
「それはまた、随分と変わった動機だね、な、笠間」
「…ああ」
「人間って、空を見るときって、遠い目するじゃないですか。そこにあって、ないような。空って、人間の憧れっていうか、夢、みたいなところあるから。でも、あの時の…優勝した時、そんな目をしてる人はいなかったんです。すぐそこにある空を見ていて。いいなって思いました」
柳田は萌子の話が終わったのを見て、出ていくように口を開きかけたが、またしても萌子が先に言った。
「あの、聞いてもいいですか？」
「どーぞっ」
萌子は正面の笠間に向かって聞いた。
「笠間さんはどうしてマネージャーになったんですか？」
はっとしたように空気が固まった。
「雑誌で見たんですけど、先輩は一年生のとき試合に出てたじゃないですか。なのにどうしてマネージャーを―」
「面接してるのはこっちだっ。もういい、出ていけっ」
柳田がそう叫んで。萌子はきょとんと三人の顔を見まわした。笠間は俯きがちになっているし、小山も目を合わせようとしない。仕方なく萌子は立ち上がり、ありがとうございましたとミーティングルームを出ようとした。
「…沢木」
だがその時、笠間が呼びとめた。萌子は振りかえる。
「このあと、バイトとか予定入ってるか？」
その意味がわからないままに萌子は答える。
「いいえ。バイトしてません。予定もないです」
「それじゃ、練習が終わるまでグランドで待っててくれ」
それを聞いていた柳田が叫ぶ。
「おい、喬」
萌子は二人のやりとりがわからない。答えを探すように小山を見ると、彼は笑顔で言った。
「仮入部。おめでとう」
グランドに行くと、美都が一人で立っていた。美都は萌子を見つけると、小走りにやってきた。
「どうだった？」
「合格だって、美都は？」
「あたしも、そうみたい」
二人が嬉しそうに笑い合っていると、そこに笠間たちがやってきて、同時に練習も終わった。
「集合っ」
そう笠間が叫んで、ベンチの周りに皆が集まった。もちろん、萌子たちも端の方にならんだ。理香は前のほうで何か紙を配っている。
「今日の練習はこれで終わりだ。見学期間を終えて、入部したいという者は、この紙に必要事項を書いて提出すること。いっておくがうちの仮入部は本入部と同じ扱いだ。朝練にも参加してもらう。練習は７時からだが、一年はその１５分前にはグランドにいること」
小山がそう言って、続いて柳田が口を開いた。
「うちは入部する人間には厳しいが、退部していくのは大いに結構だ。だから仮入部が決まったからと言って、浮かれるんじゃねえっ」
柳田はその瞬間、萌子に視線を向けた。萌子にはその意味がわからずに、ミーティングはとりあえず終わる。そして理香が二人のところにやってきた。
「おめでとっ。第一段階突破だね」
そう言って、萌子たちにも紙を渡す。
「マネージャーは、練習の３０分前には仕事があるから、明日は６時半には学校にくるようにって笠間先輩からの伝言」
萌子はじっと笠間の方を見ていた。笠間は目が合うと、さりげなく視線を外す。萌子はそれが気になった。
用紙を出すとき。美都は「北内」と書かれた用紙を見つけて、思わず取り出した。
北内和美。一年四組八番。
和美くんって言うんだ。
「もういい？紙もってくよ」
理香がそう叫んでいるのに気付いて、美都は慌てて和美の用紙を持っていった。
「これ、落ちてたの」
理香は普通にその紙を受け取る。美都は嬉しくなった。
北内和美君。入部するんだ。
よかった。
「喬」
更衣室で着替えていると、柳田が笠間の隣にやってきて声をかけた。
「何で沢木の仮入部認めたんだ？」
「何でって、監督の言ってた条件をクリアしてたからだよ」
柳田は軽く頷いていたが、ロッカーに寄りかかると声を潜めていった。
「俺が何で女のマネージャー反対か、教えてやろうか」
「さっき言ってたじゃないか。すぐ泣くし、腕力無いし、えこひいきに―」
「他人のこと、勝手に探るからだ。ただの興味本位でな」
笠間は着替えていた手を止める。柳田が最後に言った。
「辞めさせたほうがいいぞ。お前のためにも」
「篤志、ちょっといい？」
萌子は帰り道、篤志を呼んだ。萌子の家は寮と方向が同じなために、寮生と一緒に帰ることになった。理香も途中までは一緒なのだが、今はもう分かれてしまった。美都は電車で帰るので、校門までが一緒の道のりだ。
呼ばれた篤志は、前の集団から抜け出してきた。和泉湊と川瀬厳己のイズミが混同することから、いつのまにか萌子もお互いを名前で呼び合うようになっていた。
萌子は周りを見て、そっと聞いた。
「あのね、笠間さんのことなんだけど。…どうしてマネージャーになったの？昔は選手だったでしょ？」
しかも選手権に出ていたレギュラー選手だ。萌子はその記事を見つけたときから気になっていたのだ。予想外の話に篤志は驚きながら、歩調を緩めて話してくれた。
「確かに、笠間先輩は昔選手だったよ。将来も期待されてるような選手だった。けど、選手権に出て、その時の無理が祟って怪我をしたんだ」
怪我？と萌子は繰り返した。
「選手権燃え尽き症候群って知ってる？」
萌子は首を振る。
「選手権目指して頑張りすぎて、その先のことも考えないで、終わっちゃうこと。選手権の過密なスケジュールも、そのために多少の無理をして、選手権の後駄目になっちゃうことなんだよ。そこで、終わりって思っちゃうんだ。精神的にも肉体的にも。
普通は三年生なんだけど、笠間さんは一年のことから思い入れが強かったみたいでさ。確かにそう選手権に出れるわけじゃないからね、でもって初めてレギュ ラー入りして、プレッシャーみたいのもあったのかもしれない。結果はベスト８。その時から足が故障してたんだけど、笠間さんは無理をしてて、詳しいことは わからないけど、きちんと治してなかったから、もう選手としてはやっていけなくなったんだって聞いた。それで監督がマネージャとしてやっていかないかって 誘って、それを笠間さんは受けて、マネージャーになったんだよ」
萌子は何も言えなくなった。謝らないといけないと思った。
「それよりさ、萌子」
今度は反対に篤志が萌子に聞いた。
「藤原って、いつも一人なわけ？教室でも」
その日の練習も、終わるとさっさと右京は一人で帰っていった。
「うん。なんていうか、人を寄せ付けないの。皆気になってはいるんだけど」
萌子も気になっていた。しかし、拒絶されることが怖くて、何もできなかった。