Maybe Blue 第一章 海の鼓動
春興3
部室はグランド整備を終えたばかりの一年生で騒がしくなっていた。今日の練習で出ていった新入生もいた。それから疲れきって声も出ない新入生もいた。その中で、春休みから練習にすでに参加しているメンバーたちだけが騒いでいた。彼らはいわゆるスカウトされて凪浜にやっていたメンバーで、そのほとんどが寮 に住んでいた。
初めに口を開いたのは、友近知朗だった。知朗は、小さな体に負けないスピードと、負けん気の強さを監督に買われていた。
「今日の入部希望者、すげぇ人数だったな」
次におしゃべりで有名な名取憲一が口を開く。
「マネージャーもすごかったけど、みんな福山さんたちがいないってわかったら帰ってったぜ。何だよんなぁ。未来のアイドルけんちゃんがいるってのに」
何かと自己主張の激しい部員の仲裁役にいつもなってしまう和泉湊が心配そうに言った。
「それにしても福山さん、足は大丈夫かな」
情報通の篤志が答える。
「ニ・三日したら練習にも出てくるよ。足はもう治ったんだけど、念のためってやつと、法事で休んでるから」
思い出したようにケンが言う。
「そういや、七組の沢木萌子来てたな。やっぱかわいいな。もう一人残ってたのもいたけど、あっちもなかなかかわいかった」
そこに高岡由太が水をかけるように言った。
「顔でマネージャーを選ぶわけじゃない。それに監督は誰も取らないかもしれないだろ」
由太は中等部でキャプテンをしていて、スカウトされたわけではなかったが、その実力はすでに認められていた。ケンはそんな由太を無視して、話を進める。
「そういえば知ってるか？女子の間で、サッカー部のマネージャーはかわいい子はできないって噂」
「かわいい子限定じゃなくて？」
篤志が冗談めいて言う。そこに寮生ではないが高津興仁も口を挟む。
「要するに部活内恋愛禁止ってこと？」
「まさか。だいたい監督だって、奥さんマネージャーしてたんだぜ。そんなこと言えない立場だよ」
そう言った篤志に、ケンがチャチャをいれる。
「だよなぁ、アッチ。小池が入れなくなるもんなあ」
篤志はケンをにらむ。けれどケンはそ知らぬ顔で着替えをしている。
「理香ちゃんってもうマネージャー決定なの？」
篤志に川瀬厳己が尋ねた。厳己は寮生だが、スカウトではない。篤志はちょっと不機嫌そうに答える。
「本人はそう言ってたけど」
篤志たちと同じように、理香は春休みから何かと手伝いをしていて、寮生とは特に面識があった。そこで湊が言った。
「だったら、あと一人か。マネージャーって定員三人なんだろう？ＡＢＣチームにそれぞれ一人づつ」
凪高は、その人数の多さから、実力毎にチーム分けをしていた。Ａはいわゆるレギュラー選手、次がＢ、Ｃ。チームによって遠征をしたりしなかったりと練習内容が違うときもある。
そこで着替え終わったケンが言った。
「俺はもっと多くていいと思うけどな。選手一人に専属マネージャーってよくね？練習が終わってグランド引き上げてくるとさ、こう目をキラキラさせて、お疲れ様って笑顔でタオルくれるわけよ。で、こっちも、ありがとう、なんて言って、それから放課後映画でも見に行かないかって聞いたら、えっなんて顔を赤らめ て、恥ずかしそうに頷いて―」
「お前の頭って少女趣味してんのな」
知朗がそういって、ドッと笑いが起こった。
「うるさいっ、黙れっ知朗っ」
ケンが顔を真っ赤にして知朗につかみかかっていった時、隣のミーティングルームのドアが開き、副キャプテンの柳田が顔をだして叫んだ。
「お前ら、少しは静かに着替えができんのかっ」
部室は静まり返り、皆は一斉にすみませんと謝った。それでもドアが閉まると、くすくすと忍び笑いがしていた。
篤志は、右京が着替え終わり、一人部室を出ていこうとしているのに気付いて声を掛けた。
「藤原。俺たち、このあとマックでも行こうって話してんだけど、お前もどう？」
部室の雰囲気は固まって、皆が二人を見ていた。そして右京の返事を待っていた。その中で右京は言った。
「いい」
そしてドアが閉まる。その途端にケンが言う。
「なんであいつに声掛けたんだよ、篤志」
皆もどこか責めるような視線だ。
「だって、仲間だし、チームメートだろ？少しでも仲良くしておいたほうがいいと思うしさ」
「それをあいつは拒否したんだ。今日だけじゃない。初めっから。寮に来た時から。ああいう奴は、一人でいるのが好きなんだよ。ほっとけ」
ケンはそういって、右京のいた辺りをにらんだ。
「俺はあいつ嫌いだぜ。確かに巧いのは認めるけどさ、俺はお前らとは違うんだっていかにも言いたげじゃん。お前らとは格が違うんだって。監督にも特別扱いされてるのを鼻にかけてるとこあるし」
何人かがケンに賛同するように頷いた。
右京はもうすでにＡチームのメンバーとして練習に参加している。他の一年生はまだチーム分けもされていなく、ボールさえ蹴れない状態だというのに。
篤志はそれ以上、何も言えなくなった。
「全く今年の一年は、うるさいのばかり集まりやがって」
怒鳴ったために興奮気味の柳田岩雄は、ドアを閉めた後にそう言った。テーブルに座っていたキャプテンの小山昌史は、なだめるように言う。
「元気がいいってことだよ。仲もいいみたいだし、チームワークも抜群だ」
歴代のキャプテンにはいろいろな人材がいた。去年の菊地光一は、ワンマンに近かったが、皆は菊地について、そして凪高は優勝した。
今年は新キャプテンとなった小山と、副キャプテンの柳田を中心としたチームになっていた。柳田は怒りっぽく、すぐに部員を怒鳴る。それをまあまあとなだめるのが小山で、それはそれでいい関係だった。
「巧い奴も大勢はいって来てるし、もしかしたら今年も狙えるかもしれないな」
口を開いたのは小山と向かい合うように座っていた笠間喬だ。笠間も今年のチームの中心人物だ。小山の隣に柳田が座って、三人は話し合いを始める。
「それでどうするんだ。マネージャー」
ああ、と言って笠間は手元に広げたマネージャー志望のリストを見つめた。
「監督にはお前に一任するって言われてるんだろ？」
小山はそう言って、リストを見る。笠間はため息混じりに説明した。
「コーチも相談にのってくれるとは言ってるけどね。人数は一応二人なんだ。チーム毎に一人。出来れば男ってことだけど、今日も女の子だけだったしな。小池はほぼ決定だって言われてるから、実際はあと一人だけど…」
そう言って、笠間はリストの中から、二人の名前に丸をつける。
「監督に言われたとおり、一人で時間前にやってきて、ベンチ側で最後のミーティングまで残ってたのがこの二人」
「椎名美都と、沢木萌子か」
小山がそう言って、柳田もリストを見た。
「それじゃ椎名だろ。サッカーじゃないけどマネージャーの経験があるからな」
そういった小山に、笠間は言った。
「だけど、監督は経験を気にしない性質だろ。経験よりやる気。やる気だったら沢木の方がありそうだったし」
「沢木って髪の長かった方か？」
二人がはっきりしない柳田が聞いた。萌子は胸まである髪を、今日はポニーテールにしていた。それも篤志の指示である。美都は耳下くらいまでの長めのショートだった。そうだと笠間が言うと、柳田は急に黙り込んだ。
「まあとりあえず、あと二日の見学の状況もみて、決めればいいよ。なんだったら二人とも仮入部させてもいいんじゃない？監督は入部決定の当日に帰ってくるんだからさ」
小山がそう言って、笠間もリストをしまった。その時、柳田が言った。
「いや、やっぱり椎名だろ」
笠間と小山は柳田の顔を見つめる。
「沢木はいい意味でも、悪い意味でも問題起こしそうだ。今の監督が一番嫌ってるタイプだろ」
「ちょっと寄っていかない？」
理香がそう言って連れてきたのは、学校から歩いて五分くらいのところにある、アルジャーノンという喫茶店だった。
「ここね、サッカー部の連中がよく使うんだ。朔哉先輩とか。女の子がつめかけちゃうから内緒だけど」
頷く萌子に対して、美都はそれが誰だかわからずにいた。
「知らない？福山朔哉先輩」
美都は気まずそうに俯いた。
「…ごめんなさい。あたし、サッカーのこと全然知らないの。選手権で優勝したくらいしか」
黙ってしまった美都に、理香は言う。
「別に知らなくても大丈夫、関係ないよ。朔哉先輩はね。二年生で、凪高で一番人気がある選手。プレーは巧いし、華があるし、気さくだし、かっこいいし、凪高のアイドル。でも、今は怪我とかあって、練習には出てないんだ。もう少ししたら帰ってくるけど、そしたら大変よ。女の子がどわっとグランドに押し寄せて くるから」
そこで一度、理香はレモンスカッシュをぐいっと飲んだ。
「でもさ、どうしてサッカー部のマネージャーになろうと思ったの？バレーはいいの？うちのバレー部も結構強いと思うけど」
美都は言葉を詰まらせる。キタウチという生徒を追いかけてきたとは言いづらかった。
「…なんか楽しそうだし」
ついた嘘は、二人にはばれていないようだった。大きく頷いた理香が、同じことを萌子に聞こうとしたとき、ドアが開いて店が騒がしくなった。理香は突然立ちあがった。
「アッチ」
そこには一年部員六名と一緒にいる篤志がいた。篤志も理香に気づくとやってきた。
「よう。あ、ども」
終わりの挨拶は萌子に向けられたものだった。
「どうだった？練習」
「見てて楽しかった、とても」
楽しそうに会話している二人を見て、理香は不満そうに頬をふくらませた。
「ねえ、一緒してい？」
理香がそう言って、男子部員のいるテーブルに自分の飲み物を持っていってしまい、萌子たちは従うしかなくなった。そうしてテーブルを二つくっつけ、さらに椅子を一つ足し、総勢九名の未来のサッカー部員たちは乾杯することになった。
萌子の隣にはすぐにケンが陣取る。
「なんだよ、ケン」
篤志もそう言って座ろうとして、押される形になった萌子は手にしていたアイスティーを隣に立っていた人にぶつける形になってしまった。
「ごめんなさい」
急いでタオルを出したとき、萌子がその相手がさっきの早坂と呼ばれた部員であることに気付いた。
「ごめんなさい、制服汚しちゃって。…早坂君、だったよね」
萌子からタオルを受け取り拭いていた成は驚いて顔を上げた。二人の視線はまともにぶつかった。
「さっき、そう呼ばれてたから」
萌子はそう言って、照れたように席に座った。成も、ああと答えてそこに座った。気がつけば萌子の隣の席は埋まっていた。
美都は部員の中に、キタウチを探していたが見つからずにがっかりした。そして気付けばどこに座っていいのかわからなくなってしまった。萌子の隣でもと思ったのだが、すでに席はない。
どうしよ…。
「椎名」
名前を呼ばれると、そこにはクラスメートの湊がいた。
「和泉君」
「ここ、空いているよ」
湊はそう言って、自分の隣を指した。美都はほっと安心してその席に腰を下ろした。ようやく席も決まって乾杯をし、自己紹介も一通り終わった頃に、理香が由太に突然聞いた。
「笠間先輩、マネージャーのこと何か言ってた？」
由太は一年の代表にすでになっていた。久子のいう冷たい奴ではないが、責任感と正義感が強く、潔癖そうに萌子には思えた。
「他の奴らに悪い」
という理由で、初めは口を閉ざしていた由太だったが、理香があの手この手を使って、最後にはしゃべることに成功した。
「監督の希望は、男のマネージャー二人だそうだ。チームにそれぞれ一人がつく。男がいない場合、もし理香が入れば、あと一人だ」
萌子は美都と顔を合わせた。
あと、一人。
「やだな、由太ちゃん。せっかく友達になったのに波風立つようなこと言わないでよ。大丈夫、三人で入れるって。こう人数が多いと、Ｄチームだってできるだろうし」
理香がそう慰めるように言った。しかし、そんな理香にも由太は言った。
「お前だって入れるとは限らんぞ」
そこで理香も黙ってしまった。そのうちにケンが別の話題を出して、その場はすぐに盛り上がった。
美都は、キタウチのことを聞きたかったが、自分の気持ちがばれて、不純な動機だとわかってしまうのが怖くてやめた。