Maybe Blue 第一部 海の鼓動
春興16
「笠間さんっ。あ、ごめんなさい。お話中だった…」
右京のことで相談に笠間の教室にやってきた萌子は、廊下に笠間が見えたために、思わず声をかけたが、近づいて笠間が会話をしていることに気付き、足を止めた。
そして、笠間が萌子に気付いたと同時に、話相手が見えて、萌子はドキッとした。
「いや、いいよ。ちょっと待ってくれるか？三上」
三上と呼ばれたその相手は、この前ケンのお陰で転倒した萌子を救い上げた人であった。
「わかった」
三上は萌子の方を向くことなく、そう言って教室に戻ろうとした、しかし、じっと三上を見つめている萌子に笠間は気付いた。
「どうした？沢木」
「あの、この前。ありがとうございました。海と、廊下で」
笠間を無視して萌子が三上にそういうと、気付いたように三上も振りかえった。そして萌子を見て思い出したようだった。
「ああ、いいよ。当たり前のこと。あのあと大丈夫だった？」
「はい」
笑顔の二人の間で笠間が言う。
「なんだ知り合いか」
「ちょっとね」
笑うと右頬にえくぼができることを萌子は発見した。笠間は、萌子の方を向いて三上に紹介した。
「彼女が噂のマネージャー。沢木萌子。ホラ、髪をばっさり切った」
「笠間さんっ」
慌てて萌子が言ったが、三上はそのままの笑顔を向けてくれた。
「うん。噂は聞いてる。頑張ってるね」
「はい…」
自分の顔が、微かに赤いことに萌子は気付いていた。
「申し訳ありませんが、辞退します。部活動の方に専念したいので」
高岡由太はそうはっきりと教頭に言った。呼び出されて何事かといえば、生徒会に欠員が出て、入ってほしいというのだ。
はっきり言われた教頭も、仕方ないと言い、由太が職員室を出ていこうとした時、別の教師が由太を引き止めた。
「これ、配っておいて。次の授業のプリント」
女性教師は、そういってプリントを渡す。
「頑張ってるわね。サッカー部」
どうも、と軽く由太は頭を下げる。
「そういえば、今年のサッカー部は頑張り屋が多いわね。友近君とか、名取君とか、沢木さんも」
萌子の名前が出たので、由太はそれには何も答えずに、失礼しますと職員室を出た。
頑張ってるだって？沢木はでしゃばりすぎだ。マネージャーなのに。
由太はそう心の中で呟いていた。
「沢木萌子チャンいるかい？」
突然やってきた訪問者に、萌子の横にいた女の子たちは騒いだ。
「福山先輩」
萌子はそう言い、ざわめく一団を抜け出して朔哉の所に出ていった。
「今度の練習試合の時間なんだけど」
朔哉がそう話しだそうとしたところで、萌子の取り巻きになっていた女の子が朔哉に言った。
「あのっ。福山先輩。よかったら中で話したらどうです？ね、萌子ちゃん」
「え？でも」
萌子が驚いていると、他の子たちも駆け寄ってくる。
「入っていいですよ」
萌子が困っている朔哉が言った。
「いや、遠慮しとく。すぐに終わる話だから」
実際に朔哉の話はそれほど長くなく、すぐに終わった。それから朔哉は萌子の耳元で囁くように言った。
「あの子達は萌子チャンの友達？」
「え…。まあ。クラスメート…かな」
彼女たちは久子が留学してしまってから、妙に馴れ馴れしいところがあって、そこがどうも萌子にはすんなりと受け入れられなかった。
「だったらいいけど、女の子のマネージャーってことでいろいろあると思うけど、まあ頑張って」
その意味を聞く前に、廊下の向こうから女の声がした。
「朔哉」
声をかけたのはすらりと長身でスタイルのいい、派手な女生徒だった。しかも、ニ・三人いる。
「お、悪い」
それじゃ、と軽く手を上げてその人たちのところに行こうとした朔哉に、萌子も言った。
「先輩も大変そうだけど、まあ頑張って」
「ハハハ」
朔哉は女生徒にはわからないように、苦笑いをしてみせた。
朔哉の用事を終えて、教室に入った途端に、取り巻きになっていた女の子が萌子に手紙を差し出した。
「ねぇ萌子ちゃん。これ、福山先輩に渡してくれないかな。あたし、ずっと前からファンなの」
「あ、でも…。直接渡した方が…」
萌子はその手紙に手を出さなかった。石橋がそういうファンのことをあまりよく思っていないことも知っていたし、朔哉自身も時折迷惑することもあるのを知っていた。でも、その子は言った。
「取り巻きがいて、うるさいのよ」
萌子はそれがさっきの集団であると気付いた。
なるほど。うるさいし、怖そうだ。
「でも…」
それでも萌子が拒否をしていると、別の子が萌子に言った。
「ねぇ。横田先輩って彼女いるの？」
横田も三年で人気のある選手だ。気付けば萌子は、そういった女の子たちに囲まれていた。
「さあ」
「だってマネージャーでしょ？知ってるんじゃないの？」
「でも、知らないの」
ふーんといってから、その子は言った。
「ねっ。それじゃ紹介してよ」
「紹介って言われても…」
「だって友達でしょ？」
このとき、萌子はさっき朔哉が言っていた意味を理解した。それから一瞬の間があって、萌子ははっきりと答えた。
「ごめん。悪いけど、そういうのはできない」
するとそれまで笑顔だったその子は、表情をがらりと変えて冷たく言った。
「そっ。わかった。冷たいんだね、沢木さんって」
そうして萌子の周りの女の子たちは去っていった。
「ちょっと朔哉、どうしたのよ」
ぼんやりと考え事をしていた朔哉は、隣の女につつかれてはっと気付いた。同じような目が六つ、自分を見つめていた。
「え？ああ。ちょっと。な」
「さっきの子、誰よ」
まるで考えていることを読まれているようで、朔哉はドキッとした。女というのは、どうしてこう勘がするどいんだろうと思いながら、朔哉はわざとどうでもいいように言った。
「マネージャーだよ、マネージャー。女の子が入った話、どうせ聞いてるんだろ？」
「沢木萌子ね」
腕組しながらそう呟いた女に、朔哉は慌てて諭すようにいった。
「おい、変なこと考えるなよ。そんなんじゃ全然ないんだから」
「だったらぁ、今日の練習の後、遊んでよ」
女はそうしなをつくって朔哉に甘える態度を取る。朔哉は心の中で軽く溜息をつく。それからにっこりと笑顔を作った。
「そうだな。ここんとこ、遊んでなかったしな」
気がつけば、お昼の時間も、萌子は一人になっていた。
まあいいか、一人にはなれてるもの。
そう思ってお弁当を広げようとしていると、ふいに声がした。
「気にしない方がいいよ」
「ありがと。…白井さん」
白井百合はクラスメートだったが、今回の取り巻きの中にはいなかった。百合は側から椅子を持ってくると、萌子の前に椅子を置き、座った。
「みんな自分勝手よね。何とかして近づこうとして」
「でも、わからないわけでもないから、そういう気持ち」
萌子だって、菊地に対する気持ちもあったから、凪浜を受験し、マネージャーにもなった。もちろんそれだけではないけれど。
百合はにっこりと笑った。
「優しいんだ、沢木さんって」
「そんなことないよ」
「だからマネージャーにもなれたんだね。倍率すごかったんでしょ？」
教室の片隅では、さっきまで萌子を中心に取り囲んでいた女の子たちが円になってお弁当を広げている。わざとらしほど楽しそうな声を上げて。
この疎外感。いつになっても、どこにいっても、相手が変わっても、変わらないのだと萌子は思った。
「ああいう人たちのことは気にすることないよ」
ふいに目の前の百合が言って、萌子は視線を百合に戻した。
「ありがとう」