Maybe Blue 第一部 海の鼓動
春興15
グランド整備の終わった厳己は、一人で用具室に向かっていた。手にしたトンボをしまいに、そのドアを開けようとした時、ボールを蹴る音と一緒に、中の声が聞こえてきた。
「しっかし、いいよなー。藤原も、早坂も。いきなりＡで、ボール蹴れて。ケンや友近たちもＢだけど、ボールに触れてるし、羨ましいよ」
そうやらさっきまで厳己と一緒にグランド整備をしていた一年らしかった。こういう時はノックすべきなのか、厳己は少し悩んでいた。
「だってあいつら春休みから練習に参加してるじゃん」
「そうそう、いわゆるスポーツ推薦ってやつ。サッカーやるために凪に来た奴らだぜ」
「ふーん。あ、でも。川瀬ってまだ俺たちと一緒だよな」
その一言で、伸ばしかけていた手を厳己は引っ込めた。
「監督ってよくわかんねぇよな。川瀬が推薦なんて。俺、悪いけどあいつよりは巧いと思うぜ」
うなだれる厳己の耳に、別の声が聞こえてきた。
「川瀬は推薦じゃねぇよ」
「え？でも寮にいるんだろ？」
ひどく驚いた声。厳己は表情が強張った。
「そうだけど、違うって聞いたぜ」
「それじゃ俺でも寮に入れるのかな。だったら寮の方が断然楽だよな。うるせぇババァもいねぇし」
「けど、先輩とかにこき使わされそうだよな」
「確かに」
中の笑い声とは反対に、厳己は深く俯いていた。
成は部室には戻らずに、そのまま防波堤に向かった。こんな気分でみなの前に行きたくはなかった。砂地へと続く階段を降りようとして、そこに見覚えのある後姿を見つける。
「沢木？」
呼ばれた萌子も振りかえった。
「早坂くん」
仲のいい部員とは名前で呼び合う萌子も、成とは名字で呼び合っていた。仲が悪いわけではないが、きっかけがつかめていなかったのだ。自然と並んで海を見ていると、萌子が先に口を開いた。
「着替えなくていいの？」
「ああ」
しばらくして萌子はまた聞いた。
「ロッカー。まだやられてるの？」
萌子は理香からその話を聞いたとき、かなりショックを受けた。
成は苦笑いをして、それには答えなかった。
しばらく二人無言のままに海を眺めていると、ふいに女の子の黄色い声がして、振りかえると途端にその声は止んだ。
「違うじゃん」
「でも、同じジャージだよ」
萌子と成は顔を見合わせる。そうこうしていると、女の子たちがやってきた。
「あの、今日はいないんですか？あの人」
「あの人？」
「いつもここで一人トレーニングをしてる人です。そのジャージと同じのを着てるんですけど」
そういって、彼女は成のジャージを指した。凪浜のジャージはサッカー部で特別に作ったものだ。
「どんな人？」
萌子の質問に女の子たちが次々と答える。
「背が高くて、すらりとしてて」
「それからすっごく美形で…。あっ…」
女の子は顔を真っ赤にする。二人にはピンと来るものがあった。もしかして、と萌子は聞き返す。
「髪がさらさらの、無表情な男の子？」
「そうです」
右京だと、二人は思った。
「いつもトレーニングしてるってこの時間？」
「ええ。夕方に。いつもここ通るんで見かけてたんです。腕立てとか、腹筋とか。あと、ダッシュしたりして…」
「あ、そっか。あいつ…」
成がそう呟いた。
女の子たちはやってこないことを聞くと、帰っていった。何となく、二人も学校に戻ろうと思った時、別の方向から右京が走ってくるのが見えた。萌子は成の 腕を掴んで、影に隠れる。右京はそのまま浜辺に下りてきて、上がった息を鎮めたが、すぐにダッシュを始めた。その姿を見て、成が話をする。
「前に監督からいわれてるのを聞いたんだ。お前は技術はあるけどスタミナがない。精神力もない。Ａチームの練習って技術とかフォーメーションばっかで、特別練習もそんな感じだろ？だからあいつ、きっと一人で筋トレしてるんだ」
萌子も言われて思い出した。この前右京が珍しく参加をした時のテーマは、パスが中心だったことを。
「そういうことだったんだ」
「何だよ、萌子。こんなとこ連れてきて。俺は特別練習に参加するんだぜ」
昨日は学校の都合上でなかった特別練習だが、今日は再開ということで張り切っていたのに、ケンは無理やり萌子に引っ張られて浜辺にやってくることになった。しかし、やってきたのはいいにしても、何故か隠れるようにと萌子は言う。
「いいから、ちょっと待ってよ」
萌子は周りを見渡してから、時計を見た。女の子たちから時間を聞いていたから、その時間を見計らって、こうしてケンを連れてきたのだ。
「ほら、来た」
急に萌子が笑顔になったかと思うと、指す方向から一人の男の子が浜辺に下りてきていた。
「…藤原だろ」
「いいから、見ててよ」
帰ろうとしたケンの腕を、萌子は強く引っ張った。右京はしばらく歩いていたが、急にダッシュを始めた。砂浜だから足を取られてそんなにスピードは出ていない。ケンが驚きながら右京を眺めるのを確認して萌子は言った。
「よく武術って、心・技・体の三つが必要っていうじゃない。サッカーは武術じゃないけど、同じ競技ではあるでしょ？右京は『技』はあるけど『体』がないっ ていわれたんだって。特別練習って『技』を磨くじゃない。だから右京は参加してないのよ。その代りにこうして一人トレーニングしてるの」
萌子がじっと自分を見ていることに気付いたケンは、慌てて右京から視線を外し、戻ろうとした。萌子が自分を何故ここに連れてきたのかも、わかっていた。
「わかったよ。でも、あいつが俺たちに心を開いてないのは本当だろ？」
萌子は一旦視線を右京に向ける。
「そうだね。でも、こっちも理解しようと思わないと、駄目なんじゃないかな」